帰ってきた星の王子さま (ジャン=ピエール・ダヴィッド 矢川澄子訳 1500円 メディアファクトリー) 


 ラブレターの書き方というのは、結局相手のいいところをホメ、てだから好きです、とオチをつけるのが基本だ。相手が人間なら、その容姿、性格を文章に置き換えればいい。けれど、もしそれの相手が本だとしたらどうして書けばいい?
 原典の原作者、サン=テグジュペリにあてた手紙の体裁であるこの本には、著者の「星の王子さま」に対する愛情が溢れている。著者がこの本を書くときにたてたルール−−王子様の性格を変えない、さまざまな星を巡るという構想と全体の分量を変えない−−もそれを証明している。この本は原典を本歌取りすることで、いかに原典が魅力的かを語ろうとしたのだ。そう、本を相手にラブレターを書くとするなら、本歌取りほど有効な方法はないだろう。

 というわけで、王子さまは今回もさまざまな星をめぐりさまざまな人々と出会う。「エコロジスト」「広告代理店」「統計家」「ファナティックな愛国家」……。53年の時の流れを反映して職業はやや現代風になっているものの、登場人物はみな我々の鏡像で、それ故に王子さまを理解することはできないところに、シニカルな笑いではなく、一抹の寂しさがあるのも原典どおりだ。

 そんな登場人物の中で、一番意味深なのは、とても素朴な王子さまの言葉をいちいち解釈する人たちだ。彼らは王子さまを囲み「バラとは何の象徴でしょう」「人の心の善意ではないでしょうか」と質問を繰り返し、その解釈が正しいかどうかを尋ねる。作者は、ここでこの半世紀の間に無数にいた「星の王子さま」の批評・解釈してきた人々をも、さまざまな星に住む寂しい人々の群に加えてしまった。きっと、作者がこの作品を書いた動機の一端はきっとこんなところに潜んでいるのだろう。そして見事なのは、このエピソードを書いたことで、ボクらがこの作品を解釈することも、また同時に封じ込めている点だ。

 だからこそこの作品はさまざまな批評家に切り刻まれる可能性を秘めた「作品」と呼ぶより、ラブレターと呼ぶ方がふさわしい。そして、ラブレターとそれを贈られた本人を比べる人がいないように、この作品と原典を比べるというのは野暮というものなのだ。


付記:岩波版の「星の王子さま」を意識した装丁、本文中のデザインはなかなか魅力的。日本語版だけのオリジナルである挿し絵(ヘレン・スマイス)も上品で、原典のイメージを損なっていない。
(98/11/17)


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