ぼくたちの洗脳社会(岡田斗司夫、朝日新聞 2000円)

 直感の人だ。この本の基本となるアイデアは、東大での授業中に瞬間的に閃いたものだという。この直感は、商人の感覚だ。大阪=商人というと、いささか短絡的に見えるかもしれないが、SFショップ「ゼネプロ」を経営し、プロデューサーとして映画を製作した時には、赤字になるのが分かるとすぐさま売れ線のビデオで赤字補填を考えるというセンスがこの本の中にも生きている。
 
 この「直感」を言い換えるなら、周囲の人が何を欲しているかを瞬間的に把握する力、とでも言えばいいだろうか。WEB日記によると、筆者はこうした本の構想を知人たちにしゃべるときに、新興宗教の教祖になったような感覚を味わうそうだが、それもそうだろう。この筆者の直感は、先にも書いたように聴衆を目の前にした時にその力を発揮するからだ。
 「洗脳社会」とは、「一般人が従来のマスコミ並の広範囲に、自分の価値観を発信できる社会」だと定義されている。そしてそれにともない、距離に関係なく同じ価値観同士のグループ化が進むなど、文化、経済、政治などのパラダイムそのものにも大きな変化が訪れるという。そんな社会の雛形としてあげられているのはパソコン通信のフォーラムとコミケ。一般的には趣味に入れ込みすぎた人というレッテル(それもあまり好意的でない)を貼られている「おたく」の行動を、次の社会のありようの雛形と見立てたのは「オタキング」(おたくの中のおたく)を名乗る筆者の面目躍如といったところだ。そして、サブカルチャーを食べて暮らしているようなオタクだからこそ、今の子供は共通の価値観を見つけられない状態で”漠然と一緒に遊ぶ”などということはできない、という鋭い指摘も可能だったのだろう。
 しかし、この本は徹底して「おたく」という言葉を排除している。これは多分に戦略的な要素だろう。筆者はおそらくこの本を、マルチメディア、アウトソーシングなどといった「これからの社会・経済を語るキーワード」にすぐ飛びつきそうなおじさんたちにまでねらいを定めて書いたように思われる。だから、拒否反応を起こさないように、用意周到に「おたく」という言葉を避けたのである。これも、商人のカンのなせる業であろう。
 
 筆者は、自説の実践を掲げて、インターネット上で著書の全文を無料で公開している。それは、来るべき洗脳社会の実践だというが、僕にはむしろ「洗脳社会」へ以降するために筆者が仕組んだ洗脳戦略のようにも受け取れる。だから、この未来予想が当たるかどうかは、教祖である筆者の洗脳力がどこまで影響を及ぼすかにかかっているのだろう。(97/05/16)


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