入浴の解体新書(松平誠、小学館 1800円)

 「西洋の風呂は事務的で、日本の風呂は享楽的だ」と書いたのは和辻哲郎。筆者は和辻哲郎のいう「享楽的」という言葉を「極楽気分」と表現し、。その風呂の内実と現状に迫った。とはいうものの、難解な入浴史などに深入りせずに、題材が風呂だけに「肩のこらない」平易な読み物として楽しめる仕上がりだ。

 歴史的に見れば、温泉の楽しみを都市に持ち込んだのが銭湯であり、さらにそれを家庭に導入したのが内風呂になるとういう。しかし、現代の家庭の浴室の広さについて調べてみると、一戸建ての場合で60パーセント以上が2.5平方メートル以下。集合住宅になればさらに狭くなるのは当然だ。だからこそ、狭いことが一番の不満で、そこでは入浴に求めるものも変質せざるを得ない。筆者はそんな現代の入浴風景のキーワードとして「サッパリ気分」と「浴室の個室化」を指摘。そして、この現代的な入浴観と、人が求める極楽気分の大きな振幅の中に、内風呂の役割、銭湯の二極分化、温泉のハレのイメージを位置づけた。筆者は、この本を書こうとした狙いとしてあとがきで「極楽気分の尻尾をつかまえたかった」と書いている。その試みは成功したと言えるだろう。

 そして、最後の第7章では和辻哲郎が一言で語ったように、欧米から見た日本の入浴観についてまとめている。そこには「入浴は歯を磨くようなものである。歯が清潔であれば気持はいいが、歯を磨くことから楽しみは得られない」(J・スワード)という引用がある。第7章はこの本の中で特に重要というわけではない。だが、全編の最後にJ・スワードの言葉を読むことは、日本で和式風呂に入れてよかったかどうか、読者にとってリトマス紙のような働きをするに違いない。

 風呂文化について、縦軸の歴史と、横軸である文化の広がりが、ほどよくブレンドされてあるこの本は、我々の持つ風呂文化の深さ、多様さを見直すいいきっかけになるだろう。途中に挿入されるコラム「「湯」考現学」も、その文化の厚みを伝えて楽しい。
(97/05/18)


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