脳内革命(春山茂雄、サンマーク出版 1600円)

 「説得力」とは何か?それは、具体的に言うのなら「力強い断言」であったり、「理路整然とした説明」であったりするのだが、「説得されたがっている人」それぞれのニーズに合わせてそれらの技術を駆使する「説得の戦略の展開」こそ重要なのではないだろうか。強い断言で相手の常識を揺さぶり、矛盾のない説明で新しい考えを紹介していく。基本はただこれだけの単純なことだが、相手の反応を見ながらタイミングよく実践していくのには、それなりの戦略が必要になる。講演会なら客の反応を見ながらそうした技術を駆使することも易しいが、印刷メディアではなかなか難しいことと言えるだろう。
 「300万部突破! 平成最大のベストセラー」。これがこの本の帯のフレーズだ。これだけの数が読まれているということは、かなりの「説得力」をこの本が持っていると見ても間違いないだろう。説得の戦略という視点で見れば、この本は非常にツボを押さえた展開となっている。例えば、「はじめに」の冒頭では「医療で治せる病気は20%で、残りは医療費の無駄づかい」ときっぱりと言い切っているし、本文中の脳内モルヒネの効果の説明では、化学式やグラフを利用して、その主張の合理性を訴える。こちらがよほど具体的な事実を知らない限り、この「説得の戦略」を論破するのは難しい。
 しかし、この本がヒットした最大のポイントは、戦略のための目的、つまり「説得されたがっている人のニーズ」を見誤らなかったその点にあると思う。そのニーズとは、この本の場合は「変わりたいけれど変われない自分を持て余している」という気持ちによるものだと言えるだろう。
 この本では、さまざまな欲望を否定しきらない。「タバコもお酒も好きで適量に飲むのなら結構」「グルメもその毒にやられないように、食後に運動すればだいじょうぶ」と、さまざまな欲望も「楽しみながらそこそこ」やっていれば、むしろ脳内モルヒネを放出することになり、プラスになると指摘する。この指摘は非常に耳あたりがよいことから、現状に不満がありながら変わることができないある種の人々は、わずかな工夫でも新しい人生が開けることを実感するのだ。
 変わりたいとが変われないと思っている人の多くは、自分の姿勢を否定されれば反論するし、肯定されれば言い訳をする。だから、その人の行動の全てを否定しきらずに、唯一ネガティブな思考方法だけを否定するこの方法論は、そうした人の気持ちに非常に適合していると言える。快楽により生み出される脳内モルヒネという小道具はまさにこうした方法論と見事に一致した小道具だと言えるだろう。しかも、この本では先に化学的な理論面を説明しているため、後で提示される「変わった後の人間像」が読者にとってはリアリティを持ってくる仕掛けになっている。
 これまでにもさまざまな生き方についての本が書かれてきたが、この本ほど読者の心のニーズを捉えている本はなかっただろう。今後人生論の本を書く場合は、読者ニーズへの対応と、説得の戦略についてこの本を上回る工夫を凝らさなくては、人々を説得することはできないだろう。
 ただ、この本のそこここに見られる「反証不可能性」は、明らかに疑似科学の領域に入っていると僕は思う。(97/1/29)


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