インターネットバブル−その虚と実−(亀井義明 星雲社発売 2266円)

 例えば「海」一つとっても、海水浴客とサーファーと漁師では、それぞれが持つ海のイメージというのは全く違うはずだ。特に、海水浴客は安全に守られていることを意識しないまま海と遊ぶため、穏やかな印象だけを持つに違いない。そして、時には海を甘く見て痛い目に会うことになる。
 この本はインターネットという「海」の広さと深さについて書かれている。そういう意味でいうと、「海水浴客=ビギナー」にとっては海の厳しさばかりが強調されているように見えるかもしれない。が、ネットの海に足を踏み入れてしまった以上、そうした厳しさを知らなければ、いつか波にさらわれてしまうかもしれない。「海水浴客」の僕にとっては非常に勉強になる本だった。
 この本の第2章第3節では、学校教育への利用について取り上げており、滋賀県大津市の平野小学校の取り組みが印象深かった。有害情報も多い中で、同小では特にアクセス制限を設けることなく、有害情報というものがどういうものかを教えて、見ていいものかどうかを自主判断させているというのだ。この本を読んだだけでは、即断しにくい部分もあるのだが、非常に正攻法の教育的手法だと思う。子どもたちに海での泳ぎ方をしっかり教えているとも言えるだろう。情報からの隔離は決して教育ではないと思うし、いわゆる学校の地位の低下は、こうした世の中の混乱をシャットアウトしたことが原因だからだ。インターネットの導入は結果的にはそうした状況に風穴を開けることになるかもしれない。
 筆者は最近のパソコン業界の動きを「コンプレックス産業」とばっさり切って捨て、鋭い指摘は個人のホームページにも向けられる。「自己満足に陥ったホームページなどいったい誰がアクセスするのだ」「ホームページを作成するにはクリエイティブな志の高さが必要なのではないだろうか」。いささか厳しすぎる気もしないでもないが、ネットの海辺でホームページを開いたメリットを考えるのであれば、この指摘は当然のことだと思う。
 「開拓地が喧騒と混乱にまみれないはずはないのだ」と、筆者は後書きで書いている。この喧騒の中で暮らしていくには、この本は大いに参考になるだろう。(97/1/20)


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