虹色のトロツキー全8巻(安彦良和、潮出版 880円〜)

 安彦良和の書く物語は多くの場合少年が主人公だ。そして、その常として物語はいつも教養小説の構造をもっている。だが、作者の描く教養小説は主人公が大人になって終わるという性質のものではない。少年はかならず少年のままその物語を終えるのだ。「母さんの下に帰ろう」とレスフィーナに語るアリオン、妹とともに自由な世界へと旅立つ星若丸、皆あらゆる困難を越えて後、その少年性を失うことはない。物語の中で繰り広げられる困難は少年を成長させるというより、むしろその少年性を試す試練といえるかもしれない。
 本作「虹色のトロツキー」も作者のその系譜に従った作品だ。日本人とモンゴル人の混血に生まれたウムボルトは、その両親の死に端を発する歴史の荒波に巻き込まれれていく。歴史上の人物がさまざまに登場し、主人公はその中で自分に何ができる何かを自問自答しながらも生きていく。第2次大戦前夜という難しい時代に、「正論」にこだわる主人公は時に「生真面目少尉」とも揶揄される。
 この主人公と対になるように前半ではジャムツ、後半ではジョンジュルジャップというキャラクターが設定(ジョンジュルジャップは実在の人間だが)されている。この2人は日本人との混血である主人公と違い、アイデンティティに迷いがない。そのため彼らは、極めてリアリスティックに行動し、時にウムボルトの理想論的な行動を否定する。
 この2人の行動に対し、ウムボルトの正論は単純だ。「いい世の中というのは人と人がみんななかよくできる世の中のことだ」。死の前の彼のつぶやきにそれが端的に表れる。今までの作品で少年の理想的な行動を描いてきた作者自身の素朴な、しかし原点ともいえる意見だともいえるだろう。ただ、この作品では彼自身の理想は、もともと彼の中にあった理想ではなく、彼の経験の中で養われてきたものである点がこれまでの作者の作品とは大きく違うといえるだろう。
 ウムボルトが自らの少年性(つまりは潔癖さ、理想の追求など)を獲得するのは、建国大学で各国の友人と出会ってからだ。それまではジャムツと同じように抗日学生だった彼は、そこに一種の「理想郷」(これがあくまでカッコ付きであることを了解した上で)を見る。そしてその自分が体感した理想を自らが身を投じた軍隊の中で、出来る範囲で実現しようと苦闘することになる。
 大東亜戦争」を論じる場合に「理念はよかったが方法論がいけなかった」という意見がある。実態は「強引な方法論を正当化するために、素晴らしい理念を設定した」というものなのだが、この物語は理念を信じ理想的にふるまおうとした人もいただろうという、庶民の純粋な心をそのまま主人公の少年性の核に据えている。我々が歴史の中で客観的に生きることが不可能である以上、この「少年性」を理想的すぎると笑うことはできないだろう。
 彼はノモンハンで友軍の裏切りに巻き込まれ戦死する。これは歴史を題材に選んだ以上、少年性はその歴史を動かす現実に勝ことはできなかったということだろう。これは作者の中では極めて異色の展開だと言えるだろう。だが、最後に作者は大きな仕掛けを残していた。
 この物語の最後のエピソードは、戦死したウムボルトの子どもが父の死の理由を知りたくて、日本にいるこのマンガの作者を尋ねてくるというものだ。「ノモンハンの年に生まれたら55歳ですか?」と考えながら待つ作者の前に、その息子が姿を見せる。その姿は最初の2コマこそ年相応の姿で描かれるが、作者の目には若きウムボルトが歩いてきたように見え、物語はラストを迎える。
 息子の登場は明らかにウムボルトの再生であり、死してなを、生き続ける理想の若者の姿を意図している。作者はそれを最後に描くことで、迷いながらも無限に理想へと羽ばたこうとする「少年性」の、それ故の勝利を記そうとしたように思える。(97/1/27)


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