二葉亭四迷の明治四十一年(関川夏央、文芸春秋 1800円)

 二葉亭四迷を軸として、明治の文人たちの群像を描いている。作者が原作者を担当しているマンガ「坊ちゃんの時代シリーズ」と同様の素材を使いながら、表現方法の差もあるのだろうか、ここではより文人たちの生活に重点を置かれた内容となっている。
 二葉亭四迷は「近代的自我」の悩みを「小説」に盛り込もうとし、それがさまざまな文人に影響を与えることとなった。しかし、二葉亭はその完璧主義と大陸への興味ゆえに、小説を投げ捨て最終的にはロシアに渡ることになる。作者はそんな二葉亭の人生を「矛盾でありアナクロニズムである」と評し、「その不調和とアイロニーがに日本近代を象徴している」と位置づける。今日の日本の矛盾点や問題点の根を探ればそれは明治維新(とそのヴァリエーションである敗戦)に行き当たる以上、作者が指摘する通り二葉亭の人生がある種の「現代性」を持って我々の前に立ち上がるのは当然のことだ。
 文中の表現を借りるのなら、我々は既に明治時代から経済的が価値が重きをなす「金の世」に突入しているのだ。その中で近代的自我を確立するというテーマを、二葉亭は小説で挑戦した。しかし、彼は小説の主人公に自分の姿を正直に書こうとしたために、自分の中の「近代的な自我」のあり方をどう考えるのかという壁にぶち当たってしまったのだ。彼は完璧を求めたためその小説を完成することなく、己の人生に向き合うこととなる。つまり、二葉亭の人生そのものが己の「近代的自我」との格闘だったのだ作者は「二葉亭の人生は小説だった」という言葉で、この本の最後を結んだのもそうした意図からだろう。そして、自己の客観視と社会の係わりという点においては、我々も二葉亭と同じ人生を生きているのであり、我々が自らについて悩むときの問いは、おそらく彼の中にその種を見つけることが可能だろう。作者はそうした二葉亭の「内面」を、金銭を中心とした生活という視点から丹念に描き出すことに成功している。
 文学というジャンルは漱石、鴎外という大家の下で一つの完成を見ることになるが、それも二葉亭と彼に代表される文人たちの人生の試行錯誤があったればこそと実感できる1冊だ。(97/02/03)


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