ファースト・コンタクト

 スタートレック・ザ・ネクストジェネレーション(TNG)の映画版第二弾で、スタートレックシリーズとしては8作目の劇場版となる。前作は、スタートレック・オリジナルシリーズ(TOS)のクルーと共演が売りものの一つだったが、今回は、テレビシリーズでも最大の敵の一つ、ボーグを再登場させ、新クルーの活躍ぶりを観ることができる。
 このスタートレックシリーズを「アメリカの宇宙戦艦ヤマト」と、冗談混じりに評した知人がいた。確かににテレビシリーズで始まり、熱狂的なファンの応援などによって何本も映画が作られたところなど、その「生い立ち」に類似している部分も多い。ただ、その類似の裏返しとして、それこそ日米の文化の差異ともいえるものが浮かび上がってくるのもまた事実なのだ。
 目立ったつ差異の一つはクルー構成だ。ヤマトは(物語上のアリバイは多少あるが)、日本人ばかりであるのに対し、エンタープライズの艦内には白人、黒人、東洋人と見ただけでわかるほど多様な人種が登場する。TOSでは「ロシア人がいないのはおかしい」という指摘を受けて、2ndシーズンからチェコフを登場させたほか、TNGではかつての敵であったクリンゴン人もクルーの一員となっていることから見ても、クルーの多様性を積極的に取り入れる姿勢は明確だ。
 そして、この姿勢にしたがって物語も、ヤマトの場合は戦争によるアイデンティティの確保が主題となり、スタートレックは国際法的なルール(それは多分にアメリカ的な価値観ではあるのだが)に従った問題解決(時には武力行使もある)が主軸となる。 
 今回の敵であるボーグは1人称が「WE」であることから分かるように「個」を持っていない。冷戦時代に「ボーグ」が登場したら、それは明らかに共産主義の隠喩だっただろう。だが、時代は変化した。本作のキーワードは「内なる敵」だ。かつてボーグに融合されたピカード艦長は、今でもその恐怖を抱えている。だから、自分の大切にするエンタープライズEにボーグが巣くうことになる映画の展開は、彼の恐怖を表現したものと言えるだろう。そして艦内でのボーグとの攻防はそのまま、ピカードが内なる恐怖を振り払う過程と重なってくる。つまり、克服しなくてはならないのは自らの弱さであり、ボーグはその弱さを映す鏡となっている。
 エンタープライズEを放棄しないことにこだわるピカードを、ゲストキャラクターのリリー・スローンが説得する。説得に応じ、自らのこだわりをピカードが捨てた時点でこの物語は完結しているともいえるだろう。
 と、いろいろ書いてきたが、この映画はこうした理屈ではなく、イベントとして見るのが一番楽しい見方だろう。なじみのキャラクターたちが、問題解決に向けて知恵を凝らす姿こそファンの待ち望んでいたものなのだから。(97/04/01)


映画印象派 RN/HP