不良少年と子犬、そして暴力団

 なんだか暴力団のボランティア行為について、阪神大震災関連の話題でいまだに、無能だった行政との対比で語られるので一言。

 一昔前の少女マンガの類型的な展開に(実際にどれほどあったかは知らないが)、主人公が、不良と嫌われている男子生徒が雨で濡れている子犬を助けるのを見て、その生徒が本当は優しいことを知り恋に落ちる−といったパターンがあった。今回の暴力団のボランティア行為とその周囲のリアクションも、やや強引になぞらえるなら、この少女マンガのパターンの範囲内にあるのではないかと思う。
 僕は暴力団がなくなるとは思わないし、仁侠道(目にしたことはないけれど)という考え方もあっていいと思う。でも、問題なのはやはり、弱い一般市民が覚醒剤などでを通じて食い物にされるケースがあることだ。これは、別に暴力団限った話ではなく、無知などにつけこんで食い物にする存在は、暴力団も含めて、大いに問題があるということだ。
 で、無能な行政と比較して、阪神大震災の時の暴力団のボランティアを過大評価する人は、まさに一目ぼれしてしまった少女マンガの主人公なのである。つまり、1瞬でもほかの人よりプラスの行為を(特に陰ながら)すると、トータルではなく、その一瞬で評価がプラスに転じるというマジックがはたらくのである。ちなみにそのボランティアを黙殺したマスコミはさしずめクラスの優等生というポジショニングか?
 僕は行政の無策は今後の反省材料として批判されるべきだと思うが、暴力団のボランティアとは全く別の問題だと思う。僕は偽善だろうが何であろうが、その場で役に立つ行為であれば、それはいいことだと考える。でも、それと全体の活動の評価をごっちゃにする人がいるのは困ったことではある。1回子犬を助けただけで評価される不良学生ばかりが英雄のように言われることは、普段とりたてていいことをしていない平均的な人の行動が還りみられない世界観を産むような気がして、少し心配なのである。
 というわけで、皆さん、神戸の暴力団を支持する発言をした人が今後、どのような発言をするのか、ちゃんとチェックしましょう。(97/03/29)


雑談的独白 RN/HP