あずみ


 あずみの瞳が魅力的だ。その瞳には、小山ゆうがこれまで描いてきた主人公たちと同じ純真な輝きがある。だが、彼女を取り囲む運命の苛烈さはこれまでの主人公の比ではなく、彼女自身の阿修羅のような強さが、瞳の輝きを一層際だたせている。

 あずみは徳川家の支配を確立するため、不穏分子の暗殺目的で訓練された忍者だ。彼女は、自分たちを訓練した”爺”の語る「徳川の世が乱れれば民が不幸になる」という説明を信じ込んでいた。 だが、2度までも友を手に掛け、自分に好意を寄せた豊臣秀頼の自害を見て、彼女の中に何かが芽生える。それは運命の理不尽さに対する怒り、正義とは何か?という迷い、だ。加藤清正の部下、勘兵衛はあずみに苦渋を味合わされた一人だが、2人が運命の悪戯で巡り会った時、あずみはそんな自分の迷いをつい吐露する。

 「大切な人のために、役立つよう精一杯生き、時には命もかける。それでいいではないか」と勘兵衛は語り「心のままに生きよ、汝の心に菩薩あり」との言葉を残して去る。兵をなぎ倒す修羅のようなあずみを見ていても勘兵衛は、彼女に菩薩を見た。それは、修羅に汚されていない輝きが瞳にあったからに違いない。

 そんな菩薩の魅力を持ちながら、あずみの淡い恋は一度も成就しない。まるで人間と恋に落ちれば菩薩ではいられない、と作者が恋を禁じているかようだ。彼女が恋をした時、純真な菩薩のままでいられるのか? 今後の物語の焦点はそこに絞られてくるのではないだろうか。
  たびたび小さなコマで遊ぶあずみ。微妙なバランスで回り続けるコマは、修羅と菩薩を常に抱える彼女自身の姿だ。その危うさこそがこの作品の最大の魅力なのだ。


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