孤独のグルメ

 「……とにかく腹が減っていた」
このマンガの冒頭のセリフである。人の出会いが第一印象で決まるように、このさりげない一番最初のセリフがこのマンガの寄って立つ部分を読者に示している。

 これまでに料理マンガは多数あるが、それは大きく3つに分類できるだろう。その3つに便宜的に名前をつけるのなら「勝負もの」「蘊蓄もの」「職人もの」となるだろう。「勝負もの」の典型は「一本包丁満太郎」「ミスター味っ子」といった作品で、いわゆる料理での勝負に比重が置かれているグループで、「蘊蓄もの」は「美味しんぼう」「クッキングパパ」といったその料理にまつわる知識が大きな要素となっている作品がこれに含まれる。「職人もの」は、ゲストの抱えているドラマにより比重が置かれ、料理人の知恵は料理を素材にしてトラブルや悩みを解決するために使われる、というパターン。「ソムリエ」「ザ・シェフ」がその系譜であろう。この分類は便宜的なもので、例に挙げた作品も別の視点から斬れば、ほかのグループに分類することも可能であろう。ただ、これらの作品群に共通しているのは、作り手が大きな役割を果たしていること、そして料理はドラマを動かす大きな要素(マクガフィン)として機能している点だ。つまり、極論すれば「料理」でなくても各作品のドラマは成立するのである。

 「孤独のグルメ」はこうした料理を扱ったマンガの系譜から大きくはずれる。この作品のドラマは「腹が減っている」という主人公と彼が料理の間に発生しているのである。そのため、従来の料理マンガが、ジャンルの差異化のために「料理」を導入したことと対照的に、このマンガでは「料理」をほかのものに取り替えることが不可能なのである。それは、料理がマクガフィンでなく、「登場人物」になっているからだといえるだろう。この奇手が成功したのは、原作者・久住昌之と画・谷口ジローの顔合わせであればこそだ。

 まず、谷口ジローの精密な絵が料理という登場人物にはっきりとした具体的なスタイルを与えた。だがそれだけではだめだ。人物も写実的な要素を取り入れているからこそ、「料理を食べる」という行為が印象に残るようになるのである。いくら料理の絵が精密でも、「美味しんぼう」のように登場人物がデフォルメされていたのでは「食べる」という行為は作品として成立しなかっただろう。
 そして、もう一つ大切なものは、登場人物を印象づけるために大切なキャラクターの個性。これを久住昌之の持ち味であるデティールへのにこだわりが裏付けている。谷口ジローが料理の外観でその存在感を作り上げたとすれば、久住昌之は内面からでてくるような「性格設定」で外見の存在感を裏打ちした。細かなデティールがあるからこそ、このマンガに登場する料理は、浅草の「豆かん」にしても、秋葉原の「カツサンド」にしても、主人公と対抗しうるだけの相棒足り得ているのだ。


 わずか18編の小さな物語である。大作ではないし、画期的でもないが、佳作というのはこういうものなのだと思う。(98/01/06)


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