1998年9月上旬


<9月1日・火>
◇ 覚えていない。


<9月2日・水>
◇ 覚えていない。 


<9月3日・木>
◇ 今週はほんとうに仕事しかしていなかもしれない。会社でほぼ徹夜。


<9月4日・金>
◇ オレはGをしたのでR。(もちろん、オレにとってのGとは……)。


<9月4日・土>
◇ ひたすら眠り、夕方から渋谷へ。ブックファーストに立ち寄り、10年以上前から気になっていた絵本「はせがわくんきらいや」(長谷川集平、温羅書房 1500円)を購入。ちらりと見ると、この系譜は実は、西原理恵子につながっているかもしれない。これについては熟読してから、また考える予定。そういえば日中は岡田斗司夫氏のイベントが開かれていたみたい。

○ その後、帰宅して、映画版ガンダム大会。知人と一緒にひたすら見る。酒を飲みながら見たので、暴走してガンダムみたことのない知人の脇でいちいち「テレビ」「新作」「コンテ同じで新作」などと、カットごとに解説を加えてうっとうしがられる。氷川竜介氏の個人誌を参照し、覚えたばかりの知識で、ゲルググのビームナギナタの色についても蘊蓄を垂れる。


<9月7日・日>
◇ 「カーボーイビバップ」のセッション0を見る。期待感はある。けれど、同時に、この間みたスプリガンも含めて、こういう種類のアニメの難しさをも予感してしまった。

 気になるのは、日本ではアクション・アニメという文化は成熟していないのではない、ということなのである。だから、例えばカッコいいと多くの人に思わせるためのスタイルが本当に少ない。こういうものは、個人のクリエイティビティもさることながら、そのジャンルの表現の過去の積み重ねが大きく影響するのだ。アクションアニメがもっと無限に作られて傑作、佳作から駄作、勘違い作まで幅広く製作されていたのなら、タバコの吸わせ方、銃撃のさせ方、などさまざまな表現のノウハウが蓄積されているだろう。よく、大人向けのカッコいいアニメを作るとなると、必ず「ルパン」が引き合いに出されるのは、つまりこのジャンルの表現の積み重ねが薄いことの証明にほかならない。

 表現が一定量積み重なると、その中でさらにジャンル分けや正統派とそれにアンチテーゼが生じてくる。正直いって日本のアニメの中で、そこまで表現を積み重ねられたのはロボットアニメと魔法少女モノしかないだろう。そういう意味で、この2つは日本特有の文化、といって差し支えないレベルまで多様化と洗練が進んでいるといえる。

 だから僕が望むのは「ビバップ」や「スプリガン」のような作品が今後も作り続けられ、そこでたくさん討ち死にするような作品が生まれることである。(俺的にはスプリガンは討ち死にの部類)。いくらハリウッド映画を意識しても、それが持っている大量のアクション映画の歴史を、アニメに移植できるわけにはいかない。そこで見た「激突するパトカー」や「雨のなかでアンニュイに煙草を吸う」という記号を超えるなにかを得るには、まずマネして駄作を作り、そういう中で「アニメの中で見たことはないけれど、アクション映画的にカッコいいと自動的に理解できるような画」を求めて試行錯誤するしかないのだ。山のような屍の上にしか、本当の娯楽としてのアクション・アニメは生まれないのだ。

 ロボットが登場しないアクションアニメというところだけで、その作品がガチンコ勝負のアニメであり、その意味で意欲作扱いされてしまう今の状況は、その作品にとって不幸なことでもある。


<9月8日・月>
◇ ええと、何かしたかなあ。仕事の関係者と飲み会。午前2時ごろまで飲んで、会社へもどりしばらく仕事を続行する。で、翌朝7時半に。

○ MGガンダムの足の分割の解釈が気になる昨今。


<9月9日・火>
◇ というわけで7時半に渋谷に集合し、仕事で長野へ。しかし、2時間半の睡眠だったために、往復の車中で爆眠する。ドライバーの人すみません。東京に戻って、水道橋で中華料理。会社へ戻り日付が変わるまで、お仕事。帰宅して寝たら、明日起きるのがツラくて会社にくるのがイヤになるだろうと思い、仮眠室で睡眠する


<9月10日・木>
◇ 朝9時半からあちこちに電話をして、お仕事。徹夜。


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