1998年8月上旬


<8月1日・土>
◇ 横浜に出かける。まあ、詳しい内容は仕事で出かけてきたというこちらを見てもらうのが一番でしょう。

○ とりあえず今日の感想
・「ガンダムを未来永劫生きさせる、我がサンライズ1000年の夢……」(by鉄仮面ことカロッゾ・ロナ)
・「Zガンダム」=「もののけ姫」という相関関係にある。蛇足までにいうとどちらも現状認知の物語であるということなのだが。
・「Misson To Rise」で、ガンダムのバルカンのマズルフラッシュが妙にセルアニメを踏襲していたかんじで、ちょっと楽しかった。ただ、最近ずっと感じている「大友克洋なんか違う感」は深まった。それとも単にCGの技術的な問題なんだろうか? 

△ お茶をして「サイレン戦記」のアニメ化がなんで潰れてしまったのかとか、高岡書店はなんであんなに商品がはやく並んでいるのかとか、ブレンパワードのLDが妙に売れて困ったとか、ヤマトの設定書にあったポルノチックな絵の書き手とか(宮武氏が松本タッチをマネしたのが正解とか)、DTPの導入とかいろいろお話をうかがい、そのあと居酒屋に流れてさらに雑談。アニメはやはり86年ごろ一度死んでいる、とかね。関係者のかたがたお疲れでした。


<8月2日・日>
◇ 午前中住吉で仕事を軽くこなして、炎天下の中、新木場まで歩こうとするが明治通りまで歩いたところで挫折。結局、魔法を駆使して、新木場駅へ。臨海副都心線で、ビッグサイトの東京キャラクターショーへと出向く。とりあえず、人の群を覗きつつ、UFOキャッチャーでお風呂で浮かばせて楽しむことができるアルカディア号を2タイプゲットする。なんつーか、部屋にはユニットバスしかないのに……。

○ 同時期になんだか同人系のイベント(コミックシティ?とかいうのかな。よくわからん)が開かれていたこともあって、コスプレでの参加者も(テナント関係者もいたけれど)ちらほら。しかし、女性のコスプレの写真を撮影する人々を見ていると、なんかマスターベーション見せられているような気持ちがして、落ち着かない。これって偏見なんでしょうかねえ。 

△ 御殿場高原ビールを飲む。東京にも店を出していたとは驚きである。あと静岡県の地元民放SBSの番組編成に、ヲタク層から反発があるとか。「アキハバラ電脳組」をOAしていないとか、事情があるにせよ「ウテナ」12話をスキップしたとか、ナデシコをこの時期に集中OAしていないとか、そんなことらしい。帰宅して午前2時ごろに墜落睡眠。


<8月3日・月>
◇ 帰宅前にビデオ屋へ寄って「フランケンシュタインの怪物 サンダ対ガイラ」を借りる。思ったよりずっと特撮がよかった。お話は、これでよし!とは全然言えないのだけれど、巨大怪獣と右往左往する人間という構図はやはり日本怪獣映画の醍醐味であろう。
 特撮は、ポイントポイントに入るローアングルのリアリティのある絵もさることながら、むしろそれ以上にセットの広さを生かすことで巨大感が出ているように感じたのだが、玄人スジではどのような評価になっているのだろうか?。これがトリミングされた映像では、たぶんこれほどの効果を上げていないのだろう。

○ そもそのそんなビデオを借りようと思ったのは「ゴジラとは何か」(ピーター・ミュソッフ、小野耕世訳、講談社 1800円)を読み始めたからなのだった。アメリカにおけるゴジラのポジションをすごくバランスのいい視点から描いている。日本文化(あるいは東洋文化)と西洋文化を対比して描いているので、多少日本人として大げさに感じる部分もあるのだが、それは日本人がアメリカ映画を見るときにもつきものの視点だから、むしろ別の文化のフィルターを通して見ることによる新しい価値の発見というふうに考えるべきなんだろう。

△ 父親から、専業主婦についてボクが見落としていた部分について補足のメール。ポイントは2点、
・専業主婦は戦前まで少数派だった。サラリーマンの中産階級の妻の姿である。
・日本の賃金が、能力給でなく生活賃金を支払うという思想のため、年功序列的である。生活給であるから結婚すれば扶養手当が支給され子どもが生まれればさらに扶養手当が支給される。税制面でも扶養家族がいれば優遇される仕組みになっている。つまり会社が専業主婦という身分を認めているということである。

生活給という面から考えれば、とすると収入は家族のものであり、夫のものではない、ということになるのではないだろうか。すると、そのなかに専業主婦の労働賃金が含まれていると考えるのも難しくないだろう。この考えかたは間違っているのだろうか?


<8月4日・火>
◇ 「ゴジラ」はその製作本数の多さ故に日本の変遷を移す鏡となり、ジャンクな映画であったが故に、抽象化、象徴化された解釈がより可能になったのではないだろうか。

○ というわけで「ゴジラとは何か」(ピーター・ミュソッフ、小野耕世訳、講談社 1800円)読了。真面目な論考よりも、よりインパクトがあったのは第4章「ゴジラ対マジックキングダム」だった。ゴジラVSミッキーマウスという史上最高の組み合わせの闘いは最高である。シンデレラのいかすけないカンジがグーである。求む映像化!!。

△ というわけで「ゴジラ」を見る。まっとうな映画である。次は「妖星ゴラス」を見る予定。


<8月5日・水>
◇ いろいろ仕事をしたような。


<8月6日・木>
◇ 「鳥玄坊先生と根源の謎」(明石散人、講談社 780円)を読了。なんつーか、小説としてはダメなんだけれど、その奇想は、高橋克彦なんかよりもはるかに深くて濃くて、くらくらする。俺さま程度の知識では、どこまでがマジでどこからがウソかというその境界線がぜんぜん分からない。次は、同じ作者の小説ではないやつを読んでみよう。

○ 覚え書きで書いておく。「ピーターパン」の「フック船長」、義手なのは原作では右手、ディズニー映画、「フック」、ミュージカル版ではともに左手である。これは「フック」のダスティン・ホフマンの時と同様に、右ききの役者が多いため、左手でチャンバラをするのが難しくて、設定を変更しているのであろう。


<8月7日・金>
◇ 「妖星ゴラス」を見ながら午前1時ごろからうつらうつらしてしまい、気づくと3時を回ってしまっていた。さっさと眠るつもりだったのだが、ナイトキャップにと手にした「神狩り」(山田正紀、角川春樹事務所 580円) がめっぽう面白くて、時々眠ろうと思いつつ時折本を閉じるのだが、結局気になって明かりをつけなおすという始末。そのまま午前5時半までに読了してしまった。神の言葉を探るという意味ではやはりSFだけれど、全体のトーンは「姿の見えない巨大な的に単身立ち向かう」系小説として考えた方がいいような印象。さらに眠れず、東洋経済などめくると、「ドリームキャスト」の写真に「独走するプレイステーション」のキャプが……。もしかして皮肉?

△ 睡眠不足のまま出社して、仕事の大詰め。今回は皆様の御協力もあって至極順調な展開のまま8日未明に無事終了。そのまま上司などと一杯やりに出かけ、ビールなど飲みながら雑談。どうやら、オレの仕事量が多いなあと思っていたのは、錯覚ではなかったらしい。飲み終わった後、新宿へ。

○ 移動中乗ったタクシーの運ちゃんは巨人ファンらしく「横浜×日ハムなんて日本シリーズでは景気浮揚効果など何もない」と嘆くコトしきり。


<8月8日・土>
◇ とりあえず、眠気をこらえて歌舞伎町の喫茶店でモーニングセット。「東京1週間」を見ながら、某映画の初回を見に行くことに。映画がはじまると、どうやらまともな日本語はいっこうに出てこない。どこかで聞いたような声の日本語のナレーションであらすじはわかるのだが、登場人物たちのセリフの内容はイントネーションでしか伝わらない。よく考えたら登場人物に、「人間は誰もいない」(正確には最初と最後に少ししか出てこない)。いったいオレはなんて映画にはいってしまったんだろう、と思っていたのだが、なにしろセリフに「日本語」がないのは「ピカチューの夏休み」なのだからしょうがない。

○ というわけで続けて「ポケットモンスター劇場版 ミューツーの逆襲」を見る。ミューツーの性格設定がなかなかナイス。番外編的エピソードなので、アニメ映画的イベント性もなかなかある。が、私はクライマックスに至る前に(フリッカーのためではなく、体内電池が切れたため)気絶してしまい、気がついたときは小林幸子の歌が流れていた。吐き気はしなかった(あたりまえである)。でも、見て損はなさそうな完成度からは首藤&湯山コンビの実力がやはり実感できた、としておこう。(個人的には映画的ではないのだけれど、それが正しいアニメ映画ではある、という分類)ところで、以前も書いたが小田部羊一氏が、アニメ監修として名を連ねている理由、カラクリを誰かに教えて欲しいのだけれど……。

△ その後、長蛇の列の「劇ナデ」を横目で見つつ、池袋に移動して、不本意な事態に突入し、自業自得ながらもボラれる。やれやれ。経験値は増えたけれど、ゴールドは半分、みたいな状態である。

◇ 池袋の芳林堂の別館で、ジャンキーズのロングインタビューで興味を持った「SEASON」「同2」(田沼雄一郎、コアマガジン 各1000円)、「怪第参号」(角川書店、1000円)、「LINE」(西村しのぶ、講談社 695円)、「ゴジラの謎 怪獣神話と日本人」(高橋敏夫、講談社 1800円)、「篦棒な人々」(竹熊健太郎、太田出版 1900円)、「BANANA FISH マックス・ロボの手記3」(遠藤晶、KSS出版社 743円)など購入(そうか、これもKSSの出版なんだ)。アニメ誌などは前日購入済み。

○ 帰宅して仮眠後、渋谷に出かけてメシ。カラオケなぞも1時間歌って、そのまま帰宅。ブレンを見ると第14話「一点突破」はかなり完成度が高く、これこれこれが見たかった、というカンジで燃える。これは後半も期待できそうだゾ。
 眠気をこらえながら「夫すごろく」(堀内三佳、祥伝社 924円)をほぼ読了。エッセイマンガ故に、細かいネームが多く、なおかつ180ページもあるので、軽い内容にもかかわらずけっこう満腹感のある本であった。

△ 最近知人が教えてくれた壱行知識
・バービーの本名は、「バービー・ミリセント・ロバーツ」
・『東京ウォーカー』、創刊時の名前は『東京ウォーカー・ジパング』であった
2番目はちょっとデキが悪いなあ。


<8月9日・日>
◇ 寝て起きて、昼に渋谷へ出かけてカレー。それからケイタ マルヤマのショップに出かけて「かっとそー」なるものをつい買ってしまう。まあ、何事も勉強である。その後、ドトールで昨日から読み始めた「テロリストのパラソル」を200ページまで読み進めて、うとうと。ABCで雑誌など買った後に、ワンフェス覗こうかなあとも思いつつ、渋谷駅から偽渋谷へ向けて出発する。

◇ 偽渋谷へ到着。なんでも、ここには「ガメラ」が登場するらしい。そこで、「避難訓練」ということで列になってビルの脇をなんども全力疾走する。そうこうしているうちにガメラが登場する。振り返って空を見上げると、長いサオの先に赤いライトついていて、それがここでは「ガメラ」と呼ばれているらしい。すると、ライトの前で長い発泡スチロールが揺らされているのが「回転ジェット」ということだろうか。ともかく、人類の味方とはいえガメラと「ギャオス・ハイパー」の戦闘に巻き込まれてはたいへんなので、5回から6回全力疾走させられて無事逃げおおせる。一緒に逃げていた親子連れの女の子があまりのガメラの凶悪さに泣き出してしまう、なんてハプニング(ホント)もあったけれど。

食事を挟んで、また逃げる。今度はギャオス・ハイパーが超音波メスを出しそうな気配の中、やはり巻き添えを恐れてガメラから逃げようとする羽目になる。今度は、人の波に母親(本職、なんのだ?)が息子(本職、だから何の?)と分かれてしまうというハプニング(ウソ)が何度も繰り返される。ちなみに、私の隣の若者が、母親を突き飛ばしていた犯人(ウソ)である。そういえば、今回の逃げていた人に中には1984年の「ゴジラ」からずっと逃げっぱなしという猛者もいたようである。

と、そんなこんなで午後10時半に無事逃げ終わる。まあ、うまく逃げていたかどうかは、来春公開の「ガメラ3」で確認してくれい(編集でカットされていなければ、であるが)。黒いバッグを背中にかけて、黒いチェックのシャツと黒TシャツにGパンはいて、人波に翻弄される母親の手前を走り去っていくのがオレである。とりあえず夏の思いで作りはこれでオッケー、と。そうそう、金子修介監督は、以前よりずっと痩せていたがこれは今回の現場がハードってこと? 現?宝島編集長で、エビ天で唯一銀監督になった名監督の某氏(名前を忘れた)も逃げ回っていた。どっかで見たことある人だなあと思ったけれど、思い出すまで時間がかかった。

○ 帰宅して、いっぱいやりながらフィールヤングを読む。PG。一眠りしたら目が覚めたので、「テロパラ」読了。ええ話やなあ。オレは友達同士がコンプレックス故に殺し合う話が大好きである。おっとネタバレだった。

△ なんだ、怪しげな猿人オフミにはビッグマウスな人はこなかったのね。


<8月10日・月>
◇ 朝早くに目が覚める。夏休み中は体力を削りながらも遊ぶに限るということで、日記を更新した後に、池袋へ出かける。今日は映画を見て過ごす予定ということで、狙いはまず「仮面の男」。10時半の初回ですでに立ち見が出始めていたが、なんとか空いている席をみつけて潜り込む。
 個人的には歴史劇(コスチュームプレイ)というのは好きで、大画面に大勢の人が行進しているような映画(例えば、今予告編をやっている「始皇帝暗殺」とかね)はそれだけで結構満足してしまうのだ。とはいうものの、「仮面の男」は何がテーマのお話なのかちょっと分からなくって、なおかつ演出もあまりかっこよくなくかった。スローモーション演出を中途半端に入れるとかっこうわるいというような見本であるな。
 主人公は、はっきりいってダルタニアンであり、レオ演じるルイ14世&フィリップは脇役程度のお話。むしろ、三銃士とダルタニアンの葛藤こそがドラマだった。うーん、そのへんが未整理というか、レオをウリにしているために全体のバランスが崩れている感じが残った。しかし、見終わった後に、書店でデュマの原作をちょっと読んだら、映画とは全く逆のラストのようだったので仰天。映画では三銃士は生き、ダルタニアンが死ぬのだが、原作ではダルタニアンだけが生き残っていたようだ。ナゼだ? うーん、ちゃんと原作を読まないといけないかなあ。

○ それから、会社にちょっと足を運んで、有楽町で「SF サムライフィクション」を見る。元気でよろしい!。大林宣彦の「ハウス」にも通じる荒唐無稽さと、登場人物への愛情が気持ちがいい。基本的にはマンガ的演出の域を出ないのだが、それがふいに映画になる瞬間がいくつかありそこが気持ちがいい。もちろん、監督の自家薬籠中のスタイリッシュなビジュアルシーンはもちろん恰好いいに決まっている。

 あえて苦言を呈すると、役者のカラダを信じるタイプの演出がもう少しできるようになれば、これだけ荒唐無稽な物語でももっと血が通うようになるとおもう。例えば、緒川たまきの役をかわいいと撮るときに、顔のアップになってしまうのはいかにも説明的。本人の立ち居振る舞いの中に役者と重なる「かわいさ」をとらえる方法があれば、もっとよかった。逆に言うと、演技が下手な布袋寅泰、演技の上手い夏木マリなんかはそれゆれに、本人のカラダが持っているリズムみたいなものが刻まれていた。

それはともかく、緒川たまきファンは必見だ。オレが見た中でベスト・オブ・緒川たまき、である。

△ 渋谷で中華を食べて帰宅。なにやら人気の「lain」を見る。ふーん、面白そうである。あとは風呂敷の閉じ方でしょうなあ。 


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