1998年5月下旬


<5月21日・木>
◇ 何をしたかといえば特になにもしていないが、仕事の打ち合わせをしたり、仕事の打ち合わせをしたり。そういえばセガの次世代機の発表があったようだが、はてさてふむー。帰りに新宿のタイメシ屋で一杯飲むが、昨日の徹夜がきいたのか、眠くなってしまってさっさと帰る。帰宅して、「星方武侠アウトロースター」を見るが、眠かったせいかあまり内容を覚えていない。空腹に負けてコンビニスパゲティを食べてしまう。

○ 先日見た夢。毛布にくるまって若い娘と乳繰り合っているオレ。ふう、とため息をついて毛布から顔を出すと、テーブルを前にした奥田瑛二(ヒゲあり)から「そんな淡泊なんじゃだめだよ」と説教される。

○ 「UNTITLED」(岡崎京子、角川書店 ○円)を読んで感動する。うまく言えないのだが「万事快調」の主人公はニヒリズムの向こう側を見てしまっているのだろう。
 ボクが今さら後悔していることに一つに、岡崎、桜沢といった当時「ニュウエーブ」として括られた人の作品を長い間読んでこなかった、ということがある。別に嫌っていたわけではなくて、なんとなく抵抗感があって敬遠していただけなのだが、やはり大きな損をしていたと思う。
 出版物にもやはり旬の瞬間というのがあって、時代を超えて読み継がれている作品でも、発表時のインパクトに立ち会えるかどうかというのはすごく重要だ。それに立ち会っていれば、その作品で革新されたこと、というのが明確に分かるからだ。後から読むと、その作品のフォロワーに交じって読まなくてはならないので、何が新しかったのかということはかなり不明確になってしまう。   


<5月22日・金>
◇ 寝て起きて、自宅でいろいろ連絡をしたりする。明け方変な時間に冷房がかかってしまったために、寝覚めに妙に体がダルイが、あれこれしているうちに普通の状態に。

○ 夜は新宿の「天下一品」に立ち寄って一杯やって帰宅。夜だからなのだろうか、いつもの3割り増しぐらいで味が濃い。

△ 先日書いた「前衛」ということだけれど、そのジャンルの歴史が長く、作品量が多いほどほど、表現の革新性というものにたいして寛容ではないか、と思った。
 前世紀からスタートした文学、美術、音楽なんてのは、今さら作品を発表するのなら最初から「前衛」が要求されているようなジャンルだし、 映画もかなり寛容ではある。まあ、映画の場合、文芸コンプレックスがあるというか、その文化の重要な部分は文芸の血が導入しているから当然ともいえる。
 日本のマンガは、映画と小説を一つの母胎にして生まれているし、薄利多売というシステムで大量に消費されるが故に、新しい表現が生まれる可能性が期待されている。(同時にそれは商業主義の中では鬼子になる可能性も秘めているのだが)。
 そもそも以上に上げたジャンルは、受け手(批評家から一般ユーザーまで)が、前衛ってのはそもそもあるものだ、という認識を持っている。これがさらに表現者のチャレンジを生みやすくしているのだろう。
 こうやってみると、ゲームはどういう文脈で「前衛」を許容できるのか、というのは面白い問題かも知れない。「前衛映画です」(死語だな、こりゃ)といっても通じるけど、「前衛ゲームです」なんてフレーズが全国○千万人のゲームユーザーにはなかなか通じないだろう。まあ、数多くのチャレンジャーが娯楽大作の陰で、意図的な「クソゲー」を生み出していくことがそういう可能性を生み出すのだろうけれど……。
 ただ、これが成立するにはもっとソフトの値段が下がらなければだめだろうな。いくら革新的でもクソゲーに5000円とかは払えないし。そうか、前衛を生みうる産業構造というのまで視野に入れなければならないのか。この項、ゆくへもしらぬ未来へ続く。


<5月23日・土>
◇ ああああ。寝過ごして、ブレンパワードを録画し損ねた!。あわてて録画スイッチ押してして、Bパートはなんとか確保したが、不覚でごじゃる。やれやれ。今回はやけに作画がリアルっぽかった(鼻の処理とか)。再来週あたりに1回休みが入るみたいだし、今回も後半止め絵で処理しているところが多かったけれど、スケジュールが厳しいのか?>サンライズ

○ 昼間は池袋まで歩いて出かけていろいろと本を買う。「虎の穴」を探すのも一つの目的だったのだけれど、場所がうろ覚えのままだったので、結局みつからずじまい。まあ、帰宅してからばっちり場所を確認したのでこんど行くときは迷うことはないだろう。こちらも、やれやれ。
買ったのは「日本語の外へ」(片岡義男、筑摩書房 4200円)、「シミュレーショニズム」(椹木野衣、河出書房新書 750円)、「絶対安全Dランキング」(高橋春男、ジャパンミックス 1300円)、「栞と紙魚子と青い馬」(諸星大二郎、朝日ソノラマ 760円)、「科学者」(月本裕、アスペクト 1600円)など。そのほか雑誌では、アクロス、クイックジャパン、鳩よ!、美少女コミック誌なぞを購入。さらに、と学会で取り上げていたエヴァネタが炸裂する松平龍樹の官能小説も見つけた。笑える。

△ 知り合いから薦められて、「フリージアの恋」(文月今日子、講談社 350円)を読む。昭和48年に出版されたKCフレンドコミックスなのだが、ネームが上手いからドラマの基本的な部分は全く古びていない。そして、短編としてきっちり完成している。以前も一度書いたのだが、今マンガで短編の妙を味合わせてくれる作品は少ないように感じるが、どうだろうか。短いお話が上手い人はそれなりにいると思うのだけれど、短編というのはただ短いだけのお話ではないからなあ。

○ 「ジェリー・イン・ザ・メリイゴーラウンド」を見る。さっき初めて「テロメア」見たんだけれど、やっぱりあれより数段演出が優れてる。カツヤとヒデキの不思議漫才もだいぶ調子に乗ってきて、番組終了間際の「だっちゅーの」には笑わされた。今、深夜の実写ドラマならやっぱりコレでしょう。


<5月24日・日>
◇ 昨日、寝る前に「DTエイトロン」を見る。「エイトロン」のデザインそのものはJOJOのスタンドみたいでなかなか好印象。どうせならもっと圧倒的な力を見せつけてくれてもよかったかも。いや、エピソード的には十分見せ場はあったと思うけれど、演出のテンポがねえ。ちょっと緊迫感に欠けすぎてないか? 緊迫感に欠ける原因の一例をあげれば、追い立てる悪モンの側が銃撃しそれに応戦するシーンが各カットちょっと長めでだらだらしてるからだろうな。あそこをもっと短くしていけば、もうちょっとよくなったのではないだろうか。

○ 寝て起きてテレビをつけると「ファンシーララ」をやっていた。なんだか地味な印象がつきまとうのは、キャラデザインのせいなのか、演出が堅実すぎるせいなのか? 今回は子猫をつかった泣かせのエピソードだったが、わざと泣かせどころをはずした演出は上品でよかった。が、その上品さが、作品の方向性を決定するようなものかと思うと、それもちょっと違うような気がする。やはり、現在はキャラクターを視聴者に周知徹底する段階で、来週の歌手デビュー以降の展開でこそ、このシリーズの真価が問われてくることだろう。

△ 地下鉄に乗って、水道橋へ。後楽園ウインズで高松宮記念の勝ち馬投票権を購入にでかけるのだ。ちなみに先日のNHKマイルCは100円買っていたので、14.1倍で1410円。まあ、レース全体で900円買ったので500円の利益というところだ。
 今回は、GシンコウフォレストとDシンキングザパール(競馬新聞によると、ゴール前、赤い炎となって赤い彗星、だそうだ)を中心に考えて、500円投資。内訳は1(ワシントンカラー)−5,5−8,5−11(スーパーナカヤマ),1−8の5パターン。スーパーナカヤマは、スーパーヤマナカ・リスペクトということで購入した。(こりゃ、愛知県の人にしかわからんか)
 結果、シンコウフォレストが1着で、鼻の差で@ワシントンカラーが(16)エイシンバーリンをさし、1−8が当たり。というわけでこちらは約25倍。2000円ほどの利益が出た。ふふふふふ。赤い彗星に全てをかけなくてよかった。
 
△ 夕食を食べた後、ビデオで「リング 完全版」を見る。オーソドックスなつくりで、映画ではオカルトチックな処理をしていた推理の部分の積み重ねを丁寧に映像化してあった。まあ、その分、映画にあった怖さはないのだけれど。ちょっとセリフが多すぎるのが、難点ではある。原作の高山竜司だったら原田芳雄というのもうなずけるし、高橋克典も小器用に(ちょっとパターン化した表情が気になったが)演じていた。まあ、あまり本音を書きすぎて(ウソ)監督本人から抗議がくると困るけど(笑い)、この程度なら別にいいでしょう。


<5月25日・月>
△ 昨晩は眠いのを我慢しながら「ショーガール」を見る。いやー、駄作だと思ってみる見ると、結構面白いジャン。なんといっても、主人公がとことん下品(特に顔が。主役とは思えん)で、監督もそれを際だたせるように、あいかわらず感情移入をさせない演出で、それを見せていくから、ゆかい痛快。バーホーベンって、実はすごい監督かもしれない。まあ、好きな人は前からリスペクトしている人ではあるけど、今回「ショーガール」を見たことで、オレの中でも、バーホーベンテイストというラインがはっり確認できた。ただ、好きというよりは、自覚的壊れ系(といってもオレの中では彼の仲間はいないが)の監督という認識を新たにしたわけだが。
 彼は独特の身体感覚の持ち主である、という持論が正しいかどうか、もうちょっと考えてみないと分からないけれど。まあ、こじつげるぐらいなら可能かな?

◇ そういえば、ABC氏の日記でも書かれていた、「クソゲー白書」は本当に読むだけ不毛な本。なんでもそうだけれど、ケナすのは、ホメるより楽なのだ。そして、ケナすにも芸が必要なのだけれど……。まあ、ああいうのも幼稚な批評といえないことはないかもしれないけれど、あれが商売になってしまうのはちょっとイヤだなあ。そして、オレがそう思っても、なんとか商売になってしまうのも、また資本主義なんだけれど。
 そうか、そういうロジックでいうなら、ボクもこの本を誉めなくてはいけないわけだ。では、試しに。
 「濃いゲームマニアたちが、アンケートにその本音をぶちまけた。RPGに、アクション、シューティングとオールジャンルをまるでツーカイなまでに総なで切り。このゲームはつまんない、と言いたくても言えなかったあなた。これほど多くのマニアが語ったのだからもう安心だ。キミも、たとえ有名であってもつまらないゲームはつまらないといっていいのだよ。ただ「つまらない」と言うだけだったら簡単なことなんだから」
 短評レビューなら、こんな感じになるだろうか。下手だけど。   

○ 松田聖子が再婚。相手は30歳の歯科医とか。「目指せ、日本のリズ」とエールを送っておこう。


<5月26日・火>
◇ めずらしく巣鴨で人と飲む。なんだか、ちょっと緊張してたりして。中学校ぐらいの時から、ボクは緊張すると、話しながら手が動かすクセがあって、なんつーかオネエっぽいというかおばさんぽいというかそんな感じになってしまうのだった。いまはヒゲがあるからそれをいじるというのもクセの一つになりつつある。酒飲み話の内容はけっこう刺激的で、ゲームやマンガや映画など。そのあともいろいろ自分の中で反芻したりして、いろいろ考えたりしている。


<5月27日・水>
◇ 仕事の日なので徹夜。

○ 徹夜明け、帰宅途中のタクシーの中で山崎浩一の「危険な文章読本」を読む。帰宅して眠りにつくまでの間に読了。ものすごく直球勝負である。この本を読んでいる人が、切実に文章を書きたがっているという前提なので、語り口は軽いけれど、投げられている球はすごく重い。まあ、そう思ったのは、この本を読みながら、自分自身が書き捨てているこのページの文章を振り返ったせいもあるのだが……。皮肉や悪口の書き方についての部分は、ネットでも参考になるところがかなりある(笑い)。

◇ この本にはちょっと三題噺の話題が出てくる。ボクはこの三題噺が極めて苦手である。以前、知人が就職試験で体験した三題噺を振られて、「ちょっと考えさせてくれ」といったっきりはや一カ月が経過しようとしている。手塚治虫がマンガのアイデアは三題噺ということをいっていたことを思い出すのだが、一見異質に見える要素がきれいに文章のなかに収まるというのは、テクニカルなうまさ以上の快楽があるのだ。それは、表層からは伺い知れない、深層を掘り当てた快感というべきか。


<5月28日・木>
◇ 「星方武侠アウトロースター」を見る。サウナでデブチンが迫ってきた時に不埒な妄想に囚われたのはオレだけではあるまい。だって、監獄モノなんだしねえ……。それにしても、ところどころビデオ的な映像がまざるのは何?

○ このアニメ、ジーンが人を「お宅」と呼ぶのだが、これも特徴(さすがに特長ではないだろう)の一つではないだろうか。ボクの個人的な体験では、80年代初頭には、ベツにアニメなどのファンでなくても「お宅」という2人称を抵抗なく受け入れていた(さすがに使いはしなかっただろう)ように思うのだが、実情はどうだったのだろうか? マクロスの一条輝は2人称に「お宅」を使っていたのだが、あれを見ていた多くの視聴者はその言葉遣いにそれほど抵抗を覚えていなかったに違いない。

 と、かってに2人称としての「お宅」の歴史を受け止めていたのだが、先日それを3歳年下の知人にあっさり否定された。その知人は「お宅」という2人称は、昔からなんだかイヤで受け付けないというのだ。そのイヤというのは、当然ながら「お宅」の裏側に「オタク」的なものを感じたからのようなのだが。

 「お宅」という2人称の語源とその流布のしかたを調べてみないと分からないのだが、勝手な仮説をたててみる。「お宅」というのは、80年代初頭までには話し言葉としてはほとんど絶滅状態であったが、それは活字、マンガなどのメディアに残っていた。そこで、そうした「メディアで表記された言葉を好んで使う人(マンガの擬態語を会話に混ぜる人)」が、話し言葉としてフィードバックした。ということは考えられないだろうか。まあ、これはまったくの妄想なのだが。 


<5月29日・金>
△ 東西線に乗ってお仕事に。それからお茶して、帰社今日はそれが終わった後が仕事の本番なのだけれど……。

◇ 今週に入って仕事が忙しいので、脳味噌に負担をかけないよう「日本・現代・美術」はちょっとお休み。そのかわりに、「世論調査で社会が読めるか」(平松貞実、新曜社 2200円)を通勤途中に読んでいる。この本の興味深いのは、質問の順番、答えの選択肢のつくりかた、情報の与え方で同じ集団でもアンケート結果がことなるというのが、実例をあげているところである。総体としての結論は、結局ありがちな「完全な質問、選択肢はありえない」といったところになってしまうのだけれど、実例の部分のリアリティのぶん、ありがちの結論も少しばかりありがたく見えてくる。面白い本とはいいがたいが、文章は平易で読みにくくない。マスコミなどがこれだけアンケート調査を行ったり、その結果を発表したりする昨今、メディア・リテラシーの一環としてこの本を読むというテはあるだろう。

○ ある人と雑談していたら「1/1フィギュアが気持ち悪い」という話になった。その人が「好き」というとは思わなかったけれど、「気持ち悪い」と積極的にネガティブな評価をしたのには少々驚いた。ただ、ボクもその感じ方には基本的に賛成ではある。細かくいいだすと、当然ながらもうちょっと戸惑いとかが前面に出てくる場合もあるのだが。ともかくこちらとしては、フィギュアにも、現代アートにも今ひとつ(このへんの中途半端さが面倒なのだが)のめり込んでいない自分にとってKO∧2ちゃんを考え直す、いいキッカケではあるかもしれない。 


<5月30日・土>
◇ 「待ちに待ち、さらに待って、もう待てないと思ってもそこから待ち」とかいっていたのは、『トーキングヘッド』に登場するプロデューサーのセリフだったか? マジでそんな状態で徹夜明け。こういう迷惑にはみなさん気を付けましょう。オレも含めて。

○ てなわけで、あまりの待ち時間の長さに耐えかねて、新宿へ出かけて「ジャッキー・ブラウン」を再度見る。やはり、いい映画だと思う。そういえば、ブリジット・フォンダには豊胸手術疑惑があるそーで。それを知ったのは見終わった後だったので、うーん目をこらせばなんらかのヒントはあったのかなあ、と頭をひねる。  


<5月31日・日>
◇ オークスを買う。が、ハズレる。まあ2週連続であててるから、今回ぐらい見逃してやろう。水道橋をうろうろとしつつ、「プロント」でグレープフルーツジュースを飲みながら、「篠山紀信 目玉の欲望」(大岡玲、毎日新聞社 3200円)を読了。時代と寝続ける、ということを選んだ男というべきか。そこには、生半可な叙情などは入る余地のない、リアリストの目線があるように思える。ただ、その目線がなにを見つめているかとなると、この本を読んでも分からなかった。確実にいえるのは、真の意味で質より量ということを体現している以上、一つの対象・写真集だけでは本質にはいたれないということだ。


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