1998年4月下旬


<4月21日・火>
◇ 昨日は、勢い余って「凍れる心臓」を一気に読了。新事実の発見というよりも、事実関係の再検証という部分に重点が置かれていたために、多少地味ではあったけれど、何も知らないボクにとっては非常に興味深く読めた。しかし、和田移植の閉鎖的な実行のされ方は、後の日本移植医療を10年以上遅らせたのではないだろうか? 院内に対してですら”情報隠し”をしているようでは、社会的なコンセンサスに背を向けた行為であるといわれてもしょうがないだろう。おかげで寝不足である。

○ 昨日の日記に、掲示板などで行き会うことの多い方からメールを頂いた。
内容は「パラサイト・イヴ」はホラーではないか? という内容。返事は返事で送ったのだけれど、昨日の補足と、自分の考えをまとめるために、ちょっと書いておく。

◇ ボクの中でのSFの定義は、単純で、何かが怒った場合のアリバイ(現象説明に)科学の言葉で対処していれば基本的にSFであると読んでます。つまりロボットが出ていればロボットもの、というのと同じ水準でジャンル分けを実行しているわけです。もちろん、当然アリバイの正確さに濃淡があって、徹底的にやっていればハードSFってことになるんですが、逆に科学用語用語の使い方が大きく間違ってさえいなければまあSFに入れてもいいかなと。
 ただ、同時に「ホラー的」に物語を語るというテクニックの手法があって、そういう意味では、パラサイト・イヴはその語り口においてホラーを意識しているとは思っています。つまり、ボクにとって主にSFとは出てくる言葉によって定義させる要素であり、ホラーとは演出やナラティブに属するものなのです。
これにも例外はあるけれど、煩雑になるのでやめておきます。これについてご意見などありましたらこちらまでどうぞ


<4月22日・水>
◇ お仕事だったような。


<4月23日・木>
◇ 会社で1時間ほど仮眠をして、事務手続きなど。午後から吉祥寺へ出かけて、そのまま羽田へ。今治へ出張なのだ。本当なら道後温泉へ入って一泳ぎ((c)夏目漱石)というところだが、そうもいかないタイトなスケジュール。空港のある松山から特急で今治へ。居酒屋で遅い夕御飯を食べて、寝る。

○ 中原誠×林葉直子。一読者として意外な結末に爆笑。すると青山”サイババ仲間”圭秀氏の立場は?。 しかし文春の合併号、この記事以外に見るものナシである。


<4月24日・金>
◇ 夕方、会社に到着して疲れたけど仕事をする。午前3時頃にあがって、新宿で一杯やって帰るともう土曜日の午前6時をはるかに過ぎていた。愛媛新聞の1面の記事(殺人事件犯人が約6年ぶりに逮捕の続報)は、原稿下手すぎ。だっさー。

○ スポーツ新聞で中原誠の会見の様子を読む。「こういう世界なので妻も分かってくれている」とか「自分の名前が出たら自殺しようと思った」などとのナイスな発言が炸裂で、彼女に対してごめんなさい的セリフが一つもないという、開き直りともとれる展開。浮気はべつにかまわないけど、互いが互いの加害者である(被害者でもあるけれど)ということは忘れるとまずいのでは?。しかし、ニュースソースは文春が押さえていると思ったのだが、電話の録音がワイドショーで流れたというのはどういうことなんだろうか? 話題を大きくするために文春から一部マスコミへ意図的リークがあったのだろうか。


<4月25日・土>
◇ 午後は新宿をぶらついていろいろと本を購入した上で、会社へ立ち寄る。家に帰ってからは一杯やりながら、お持ち帰りの仕事に手を着けるが、眠ってしまったりしていっこうに片付かなかった。やれやれ。明日は遊びにでかけようと思っていたが無理みたい。


<4月26日・日>
◇ 日記リンク集であるほうの「日記猿人」で、なにやらバタバタしているようなので、野次馬気分でお持ち帰り仕事の合間を縫って、いくつかの日記を読んで事情を把握する。で、概ね把握できたのだが、ボクがインターネットを利用していく上で、注意しなければならないような、教訓的要素が得られることが、極めて少ない事態であることが分かっただけだった。他人同士のトラブルはほかの人間にしてみると、つまらない行き違いにすぎないことが多いという、つまらない世の真理の通りであった。そして、世の中は、概ねこの程度に不毛である。

○ 知人に大林宣彦の『女ざかり』を見せる、がお気に召さない様子。原因は、吉永小百合の演じる役のカマトトぶりにあるようだ。だから、あれは『不思議の国のアリス』なんだから、そんなに追及しちゃだめなんだって。そう思うと、凄い完成度(傑作とは言わないが)だよん。

 ちなみにこんな風に自分の見方を確立しちゃうと、すごい楽しい映画というのはまだあって『平成狸合戦 ぽんぽこ』なんてのもそうだ。これも「環境云々」なんてテーマにつまずかずに、よく見ると、一つの集団の崩壊をさまざまな手法で描いたカルトムービーなんですよ、あれは。そう思ってみると、ユーモラスな上にグロテスクな味わいが(しかし、そこには愛情がある)楽しめるのだ。


<4月27日・月>
◇ いつもより早めに会社に出かけて、月末の事務手続きなどをざざざざざとこなす。帰宅したらおきまりのナスカ。今日観ていて気づいたのだけれど、なんでこんなに自分がナスカを気にするかといえば、作画の技術は今ひとつなのに、演出でリアルな芝居をさせようと苦心していたあの時代の雰囲気があるからだと気づいた。今日の演出は概ねよし。ダメなカットもあったけれど、この作品のキャメラアングルなどの方向は間違っていないと思う。全身タイツはオレもどうかと思うが。あれだけリアルな世界観なのに、インカ帝国の人が全身タイツを着てたわけないじゃん。

○ 闇の仕事(なんじゃそりゃ)をしつつ、映画「カジノ」を途中から見る。途中からCDでモツレクなぞをかけながら、画面は「燃えよドラゴン」へ。ブルース・リーって、上祐@オウムに似てないか?

○ 「私という小説家の作り方」(大江健三郎、新潮社 1400円)を居酒屋で晩酌やりながら100ページほど読む。最近の文章は、一時期に比べるとかなり読みやすくなっていて、これもその通り。小説以外で初めて読むのならこれはオススメかもしれない。いわば体験的小説論なのだが、あまり専門的にもなりすぎず適度に知的な刺激を与えてくれる。大江健三郎の小説を再読するのは、ボクの老後の楽しみにする予定だ。


<4月28日・火>
◇ 先日から気になっていたので、パラサイト・イヴの文庫を購入。再読する。今回のチェックポイントは、文章の上手い下手と、映画版との構成の比較。恋愛やセックスの描写、視点が若い女性になった際のボキャブラリーの硬さにやや問題を感じないわけではなかったが、。ただ、行動を逐一描写していく方法はかったるいともいえる。省略を

○ 午後9時前の新幹線「こだま」に乗って実家へ帰省。三島止まりのこだまに乗ったため、そこから東海道線で静岡、さらに乗り換え藤枝という変則的な肯定。帰宅して、父とワイン3本。疲れもあってあまり飲めなかった。


<4月29日・水>
◇ 午前9時半に起床。これからきままなドライブ旅行に旅立つのである。父の車を借りて、CDなどをかけながら軽快に出発。午後1時過ぎに伊良湖港に到着、フェリーに乗って鳥羽を目指す。特に行き先は決めていないが、伊勢神宮を見ようかなというのが今回の狙いの一つである。
 鳥羽に到着そうそう、学生時代から数えて4回目の鳥羽水族館。1年半ぶりの再訪である。ミニ特集コーナーではカモノハシの特集をしており、カモノハシのくちばしあたりには電位の変化を察知するセンサーがありそれでエサを探しているとか、オスの脚あたりには毒があるとか、意外な事実を知ってに驚く。とはいうものの、この文章の書き方を読めば分かる通り、それも正確に覚えたわけではないのだが……。

○ 北上して二見の夫婦岩に立ち寄る。そこのドライブインの入り口で怖ろしいモノを発見。なんとそこに立ち寄った観光バスのバスガイドの写真が壁一面に100枚以上貼られ、なおかつ1枚1000円で発売されているのだ。ついでに、各社の観光バスの写真もやはり1000円で売っている。>やはりバスファンが買うのか? 写真にに写っているお姉さんがたは、茶髪に派手目の口紅と、みるからにバスガイドらしい姿で、撮る方も写る方も素人ということがよく伝わってくるローファイな出来映え。いったいどんな人がこの写真を買って、どうするのか? 疑問を感じざるを得ない。まあ、よほどマニアなら分からないでもないけれど。ともかく、夫婦岩へいったら立ち寄って、こんな写真で寒い思いをするのも一興かと。

△ 伊勢市内に入り、適当に電話をして古そうな旅館をみつける。この旅館3階建てだが、明治時代から昭和初期にかけては、「外宮を見下ろしながら用を足すことはまかりならん」ということで3階にはトイレがない、というぐらい古い建物である。タクシーの運ちゃんに、旅館の名前を告げたら「渋いところにとまってますなあ」というリアクションをされたことからも、その古さは有名のようである。
 また、別の運転手氏によると、市内を流れる勢田川沿いには古い商家がまだいくらか残っており、そこの蔵には、お宝鑑定団もビックリの骨董品がしまわれているところもあるそうである。その人は、なにげなく見せられた皿が2000万円相当の品だと、言われたことがあるとか。
 夕食は外へ地ビールを飲みに出かける。ヴァイツェンがなかなかにフルーティーで美味、地鶏のたたき風ポン酢も非常に美味しかった。疲れもあってそうそうに就寝するが、夜中に目が覚め「私という小説家の作り方」を読み進め、読了。


<4月30日・木>
◇ ふだんの生活からは考えられないような早起きをして、伊勢神宮の内宮へ。神社と俗世を結界する五十鈴川の側に降りると、カエル−おそらく、カジカガエル−の鳴き声が聞こえた。
 神宮そのものはなにがあるわけではないのだが、内宮のもっとも中心的な社である御正宮の前では、ビニールの風呂敷を玉砂利の上に広げ、そこで正座して礼拝している50−60代の女性が10人弱いて、ちょっと驚いた。その人たちが、なぜそこで祈っているのかはよくわからない。もしかすると、ボクには想像のつかない、どうしてでも天照大神に祈らなければならない何か理由があるのかもしれないし、あるいは、むしろ正統的な心身の一種の一つの基準を確認しているだけかもしれない。でも、日本人は宗教に対して無関心だ、という一般論を比較的信用しているボクとしては、日本人のこころの奥底に眠っている宗教的パトスが、ある一定の世代あるいは一定の人たちに明確に息づいていることを目の当たりにして、いままでの自分の日本人観を一部修正したほうがいいようにとさえ思った。

☆ 実家へのお土産に、伊勢うどんのパックを購入した後、父親がうどんが苦手なのを思い出す。

○ 外宮を覗いて、それから、その近くのお店でフランス料理なぞを食す。ソースの味が濃くない、ナチュラルな味わいで、誘惑にまけてワインを一杯。それから、大王岬を回って賢島のホテルに宿泊。車中ではユニコーンのベリーベストとオペラ座の怪人(オリジナル・キャスト)をかけて、歌いまくる。

△ 夕食後は、NHKを見ながらちょっと仕事。会社の人から、携帯に「NHKみている?」と電話が入る。あとは、「辺境・近境」(村上春樹、新潮社 ○円)を読みながらうつらうつら。また、東京にアクセスして調べたところ、DTIのAPは、三重県にないことが発覚する。


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