1998年4月中旬


<4月11日・土>
◇ 新宿で「フェイス/オフ」を見る。けれん味たっぷりの演出も快感だったし、悪役状態のニコラス・ケイジのキレ具合、キャラ立ちも最高。基本的には泣かせの演出の部分に、東アジアの味付けを感じて満足する。香港ノワールブームのころは今以上に映画から離れていたので、今となってちょっとそれを後悔する。しかも、今回はラスト5分で思わず(普通の人ならまったくどうということのないシーンで)落涙。俺も年をとったもんだ。軽く飲んで帰宅。

○ 就寝する前に「手塚治虫 時代と切り結ぶ表現者」(桜井哲夫 講談社 650円)を読了。 


<4月12日・日>
◇ 久しぶりに部屋を大掃除。その後は、ちょっと仕事で必要になったのでビデオで某映画を見る。なんつーか、アメコミ作家を主役にしたラブストーリーなんですが、レベルでいうと大学生の卒業製作でこれだったら大傑作であろう、という程度。カメラが客観的に撮影しようとしている割には、ドキュメンタリー風の小細工が足りないためか、話者が一定でないように感じられ、それが最大の欠点であろう。
 物語は「ブロードキャストニュース」みたいに、3人いろいろ恋愛沙汰があったけれど、今はそれを乗り越えて頑張ってまーす、という内容。あのオフビートな感覚を大切にするなら、起死回生のハッピーエンドのほうが弾けていてよかったとも思う。それにしても、ラストで主人公が、一連の失恋騒動を描いたマンガを、自分に正直に描いた作品とし持っている、というのは失笑もの。米国でも、「自分に正直に描いた私小説的な作品はイイ作品という」、時代遅れあるいは、日本の私小説礼賛的感覚が脈々と生きているのだろうか。

○ 夜は映画「クレヨンしんちゃん ブリブリ王国の秘宝」「ちびまる子ちゃん 私の好きな歌」を見る。どれも佳作なので、じゅうぶん楽しめる。ただ、改めて見てみると、いくら昭和40年代の設定とはいえ、ちびまる子に出てくる大学生の男と絵描きのお姉さんの恋愛は、古風過ぎやしないだろうか。「俺よりも絵をとるならしかたがない」みたいなセリフとか出てくると、男がワガママにしか見えないんだわな、イヤマジで。だから、まる子がお姉さんに「お姉さんにはお兄さんしかいないんでしょ」というセリフが出てきたときは、「お兄さんのかわりはいっぱいいるぞ」と、画面に向かってつい声をかけてしまったりもする。

△ ウテナのビデオを見る。樹璃のエピソードはやはりいい。泣ける。(あの立てロールは苦手だが……)。はっ、もしかすると、俺はやはり三石琴乃ファンになりつつあるのだろうか……。 


<4月13日・月>
◇ ナスカの2話はCGがショボショボ。全体も、いきなり中だるみのエピソードのような仕上がりである。涙。


<4月14日・火>
◇ 鬼のような忙しさで結局15日朝まで会社で仕事。

○ なんとなく、以前買ってあった文庫本「ザ・ハウス・オブ・ノムラ」(アル・アレツハウザー、新潮社 590円)を読み始める。けっこう読みやすいし、おもしろい。これを読むと、日本の財閥解体が徹底的に行われなかったことが、戦後の復興を早くしたという側面もあるようだ。それから、野村の歴史を通じて、日本証券史を眺めていくと、山一証券の自主廃業はやはり日本が変わるための風穴であることも、なんとなく実感できてくる。


<4月15日・水>
◇ 夜に2通のメールが届いていた。1通は「例の写真集どうでした?」という書き出しで、もう1通はサブジェクトが「ぺったんこ」……。
 ボクにとってここ7年余りああいう(どういう?)光景は、比較的見慣れたもので(何故?)、そういう意味では、多分にリアルな風景であった。 ボクは、オーヴァー・ザ・Bという世界を知らないし、布施英利ではないけれど、A−Bライフをボクはただ過ごしてきたわけで、そういう立場上(そう、これは多分に政治的な発言ではあるのだが)、あれをけなすなんてとてもできないのである。まあ、そうしたリアルな個人的な思いこみに比べて、あの作り込んだ写真はギャップがありすぎて、とても買おうとは思わないのだが。
 そう個人的に彼女は、一番最初の森永か何かのCMがスキだった。映画「写楽」は当たり前といえば当たり前すぎて、ちょっと新鮮味がなかったかも。「パラサイト・イヴ」は未見だが、タレコミ情報だと、これは体の一部分を修正しているとかいないとか。

◇ 「ダディ」が既に3刷りかかって、100万部とか。うーん、幻冬舎の戦略大当たり、ということか。


<4月16日・木>
◇ 二日間仕事で朝まで働いてしまったので、今日はさっさと帰宅する。居酒屋でいっぱいやりながら、「ザ・ハウス・オブ・ノムラ」を読み継ぐ。本当はほかに読まなくてはならない資料とかいろいろあるのだが、今日ぐらいはいいだろう、と自分を甘やかして家でだらだらと過ごす。本当はもっといろいろ(日記とか映画の感想とか)やろうと思って帰ってきたが、そういう日は得てして生産性はあがらないものである。

○ ちょっとした仕事がらみで「明和電機画報2」を見る。明和の楽器が動くのを見るのは、「タモリの音楽は世界だ」以来かも。会社の同僚にスゴク音楽に詳しい人がいて、明和はパクリが多いと指摘をしていたのだが、素人の俺にはよく分からない。俺的には「家庭用電源で動く」という各作品に共通するコンセプトに一番しびれているのだが。ビデオを見て思ったのは、彼らはやはり音楽家のふりをした芸術家ということ。

○ 音楽についてもう少し。「週刊オタクウイークリー」の巻頭言がスゴク自己矛盾的発言のような気がしていて気になっている。これはちょっとオタクの定義にも関するのだが、通の目、粋の目云々という例の方法論がまんま生きているのはやはり音楽の世界だであり、それ故に音楽オタクというのはアニメ・マンガといったいわゆるオタクと同じ構造を持っているとハズだと思う。逆に、スポーツ(プロレスは違う)や現代アートには、それが成立する要素が欠けているように感じられるが、これは余談。
 ともかく、それほど類似しているジャンルのものを「どうしても興味が持てない」という言葉でくくっちゃうのは、なんとなくアニメを嫌いという人と同じではないか。アニメには楽しみ方があって、その方法論を知っているオタクは文化的エリートであるという”詭弁”(にして本質論)を振るっていた岡田氏にしては、ずいぶん偏狭で乱暴な一言であったのではないだろうか。


<4月17日・金>
△ なんだかいろいろ仕事をしたような気がするが、そんなに遅くないならないうちに帰宅できた。でもダラダラと時間を過ごし、結局就寝は午前四時頃。


<4月18日・土>
◇ 朝から、渋谷の日本薄給協会(ウソ)に所用があって出かける。入り口で、出入りの業者のようなことを入って内部に潜入(ウソ)、ウロウロしていると、白い服を着た白髪の小太りのおっさんが歩いている。どうやら料理人の服部幸○だったようだ。まあ、有名人ポーカーやるにしても何の役にも立たないけれど。それよりも驚いたのは、スタジオにあるカメラ。おそらく下にベアリングか何かが入っているのだろうが、それが床の上を滑るように移動する姿はまるでロビタのようであった。ちょっと感動。

○ ハービー山口氏が、同潤会アパートを撮影した写真展を見に行く。ツタに絡まった同潤会アパートとそこに集まる人々の風景はどこか懐かしげ。こういう風景があるのが、”都市”の厚みであり、日本で都市と呼べるの街は極わずかしかないであろうと思う。その事実は、田舎生まれのボクが、地方都市のあるべき姿を考えるときの、絶望的ではあるが大切な手がかりのような気がするのだった。だからといって、都心のマンションが地方都市でそうそう売れるとは思わないけれど。 

△ 「ブレンパワード」第2話。オルファンを逃げ出したユウが、ヒメと再会。1話よりずっとおもしろく、作画レベルも向上して、個人的に大いに盛り上がる。相変わらず情報量がビッシリとつまった展開で飽きさせない。「ジェリー・イン・ザ・メリイゴーラウンド」第3話は、モデル編の幕開けということでつなぎのエピソード。相変わらず細かい安野ギャグを拾ってあって、笑える。主役の2人はなかなか上手。おまけでエヴァ弐拾参話から弐拾六話までを見る。弐拾五話が「Air」を前提として作られていることを改めて確認する。

○ 以前にビデオで録画した大林宣彦監督版「三毛猫ホームズの推理」を何気なく再生、キャストを見てひっくり返る。今をときめくAカップ女優・葉月里緒菜と、東映が本腰を入れて後悔する(おっと失礼、公開ですな)映画「不夜城」の2代目(笑い)ヒロイン山本未来が競演しているのである。山本未来は、文学部教授と出来ていて、なおかつ主人公にも心惹かれるヒロイン。一方、葉月里緒菜は主人公の妹役。服の上からでも(クドイので以下略)。役柄の艶っぽさでは明らかに、山本未来に軍配が上がるのだった。そういえば、後輩からメールで、葉月里緒菜が出ていたCMはロッテの「ザッカル」であるとの指摘があった。さすが毎月「CM NOW」を読んでいるだけはある。


<4月19日・日>
◇ 川奈@伊東で日露首脳会談。地元はきっと大忙しだろう。

○ 親が、物珍しさも手伝ってか、同じ名字「(偽名)」を名乗る一族の会合に出席したそうだ。その内容がメールで届く。(おまけに、会合のある会場の前で父親が撮影した母親のスナップも・笑い)。
やはり、「(偽名)」という名字は山梨・長野あたりが原点で、新潟県、福島県、静岡県(袋井市)にも一派が住み着いたとのこと。九州・島原に島原の乱を鎮圧に行き、そのまま治安維持のために残った「(偽名)」一族もいたそうだ。
 我が家の直系のルーツは東北(山形県)なのだが、それが新潟なのか、福島なのか、あるいは長野なのかというのはいっこうに分からないままというが。

◇ もう一つメモ的に家族ネタ。実家の母親が、市議選の応援にかり出された。こういう応援は、ほとんど町内会活動と同じで、各家庭に割り振られてくるのがいかにも田舎の市議会選である。で、うちの母親は本当は演説会の手伝いにいくべきだったのに、勘違いして選挙事務所に出向き、勘違いに気づかないまま電話作戦を決行、それなりの成果を収めてきたという。まあ、初めての経験でずいぶんおもしろかったらしいが、うちの母親からいきなり電話を掛けられたご家族には同情する。


<4月20日・月>
◇ 「時空転抄ナスカ」はショボショボ。やはり1話がフロックだったようだ。もっとも次回は作画も良さそうなのでちょっとだけ期待する。その後は、葉月里緒菜マイブーム(ウソ)なので、映画「パラサイトイブ」をビデオで見る。

○ 映画「パラサイトイブ」を見て、こんな話だったのかなあ? 原作を読んだのがだいぶ前なのでここがこう違うとか断言できないのがもどかしいのだが、エピソードの強調の仕方が大きく違うだけにとどまらず、さまざまな改悪(脚本・君塚良一 うーん、テレビドラマの名手ではあるのだがなあ)がなされているのではないだろうか? まあ、この企画の最大の失敗はSFではなくて、ホラーを作ろうとしたことではないだろうか。俺的には、ダメダメな「漂流教室」よりこちらがダメという評価。

 原作と違う、というのだけではなくちゃんとダメなところをとりあえず1カ所指摘しておこう。クライマックスのラブシーンは長すぎる。あのラストは既に、「両手が燃えているのに平然とイヴに近づく主人公」というだけで、「クライマックスで感動させるためのジョーカー」を使ってしまっているわけで、その後にキスに以降してからが長すぎる。尺が長ければ(そして久石メロディがあれば)感動するわけじゃあないんだよ。まあ、それ以前にドラマが煮詰まっていないのに、ああいうクライマックスにもっていかれてもねえ。

 なお、この映画で確認できるAカップ女優葉月里緒菜のバストですが、影が目立つようにライティングはしているけれど、基本的に本人の胸に準じているのではないでしょうか。病院のカットのその姿は概ね本物の上に特殊メークしたという感じですね。その分ちょっとボリュームがあるかも。写真集を見て脳裏に焼き付けた記憶による目測だけど。
 余談・葉月里緒菜が「不夜城」にキャストされた時に、プロデューサーがその理由を説明したセリフ。「彼女は言えば脱ぎますから」。

○ 佳境に入ってきた「ハウス・オブ・ノムラ」をちょっと脇に置いて、「凍れる心臓」(共同通信社会部、共同通信社 1700円)を読み始めてしまう。サクサクと読めておもしろい。ニュアンスを除外した、事実を簡潔に伝える文章テクニックは、やはり新聞の文章という方法が一番完成されているのだなあと実感する。ボクはあまり「名文」とか「ひねった比喩」とかに価値を置かないので、ノンフィクションでも、「絶対音感」のようなやや大げさな描写はちょっと苦手である。
 さて、去年の名古屋大学医学部の汚職事件の頃から「和田移植事件」については興味を持っていた。今まで読んだところでは、和田教授の勇み足の感は免れない。もっとコンセンサスを学内でもつくることはできなかったのだろうか? この部分の答えは後半部分にあることを期待して読み進めよう。


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