1997年11月中旬


<11月11日・火>
 ◇ 新宿に立ち寄ったついでに書店で買い物。「喜劇新思想体系 上下」(山上たつひこ、講談社 1200円)、「伊藤潤二 恐怖マンガコレクション 1富江」(伊藤潤二、朝日ソノラマ 578円)、「脱ゴーマニズム宣言 小林よしのりの「慰安婦」問題」(上杉聰、東方出版 1200円)。慰安婦問題の反論として読んだ。しかし、テーマごとに「ゴーマンかましてかめへんやろか」というまとめがあるのは、クドイ。この本はそんな「トリックスター」のスタイルを不要とするぐらい直球勝負の本なのだから、邪魔なだけである。そのへんがこの本を大幅減点の理由かな。

 ○ 昨日「フィフス・エレメント」の感想を「映画印象派」のためにに書いてみた。ほとんど完成しそうなところで、ちょっと息切れして書くのをやめてしまったが、近いうちに完成させるつもり。そうしたら、今度は
「PERFECT BLUE」か、宿題になっている「コンタクト」でも書こうかなあ。どちらも、いいアイデアがあれば、だけど。

 △ そういえば、 ある人からタレコミがあったのだけれど、どこぞのページでこのページが「寒いページ」としてリンクされてました(大笑い)。いちおうエヴァ系の扱いを受けてたから、春先ぐらいにリンクが貼られたのかも知れない。ただ、今はエヴァ系というのはほとんど「ウソ」という状態になっているからなあ……。もっとも「案の定、語り系」というリンクの説明はあたり。酒飲むと時々おしゃべり番長になっちゃうからなあ、俺。しかも、世間ではどーでもいい話題について。だから始末に負えない。
 一応、エヴァも年内には総決算しておくかなあ……。

 ☆ 安野モヨコと小島功は親戚とのウワサ。

<11月12日・水>
 ◇ 自宅のファクスに大学時代の同級生から楽譜が届く。うーん。最近カラオケしかやっていないから、今さら結婚式で歌えと言われると覚悟がいる。ボクは、トップ・テナーなので歌うのはほとんど旋律だからいいようなものの、音感悪いからなあ。日曜日に向けて緊張は増加する一方である。
 夜になって携帯電話に、その件で同級生から電話が入る。土曜日の午後に名古屋・栄に集まって練習という方向でまとまりそうだ。もしかすると、もう1曲やるかもしれないとのこと。俺が知らない曲だったらムリだ、とも思うが、友人のお祝いの席なのでできるだけのことをしてあげたいという気持ちもあるのでその二つで引き裂かれるのだった。

 □ 新聞に関する著作権のガイドラインのサイトを見つけたので先日読んだ。基本的に引用については、必要な条件(本文との主従関係、出典の明示、引用と本文が区別可能なこと、など)を守っていれば問題はないようだ。だが、ボクが考え違いをしていたこともあった。著作権法上で著作物にあたらないとされている「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道」とは、死亡記事、交通事故などを指し、それ以外の記事には著作権が発生するという。特ダネの場合はもちろん、例えば一斉にリリースが配られた記者会見とか決算発表なども、各社のスタンスでその事実を記事という形にまとめているわけだから、著作物になるということだ。おそらく決算などでも、定型フォームにしたがって数字を羅列しただけのものは雑報扱いだろう。
 つまり、分かりやすい例をあげると毎日新聞で署名が入っているものが著作物で、それ以外が著作物にあたらない「雑報及び時事の報道」ということなのだろう。勉強になりました。

 ○ 「創」を読んでいたら、「情報紙購読規制の波紋」(←吸血鬼を倒すワザとは関係ない)という記事で「日本工業新聞まで打ち切りの対象に」という見出しが。なんでも、総会屋の情報紙購読をやめるようにというお上のお達しの流れの中で、山一証券が日本工業新聞の購読をやめたとか。意味不明な事態である。同紙と表裏一体の関係にある裏日本工業新聞主筆(でしたっけ?)のタニグチさん、ピカチュウで電撃でも食らわしてもいいのでは。

<11月13日・木>
 ◇ 再販制度についての記事が朝日新聞に。雑誌を時限再販にするという「案」について書かれたものだ。一定期間がたったら雑誌を自由価格にするというアイデアが、出版物をめぐる再販制度の本質的な部分かどうかは知らない。が、古い雑誌が安くなるという点については歓迎したいと思う。問題はどれくらいの期限で自由価格になるか、ということと、古い雑誌を購入できる手段の充実だろう。記事では「書店には古い号まで置くスペースはない」という趣旨の日本書店商業組合連合会幹部の意見も掲載されていたが、なになに書店が心配することはない。時限再販が実効性のあるものであればブックオフとかああいう類の「本のディスカウントストア」がちゃんとそういう仕事をすると思うけれど。

 ちなみに書籍再販については、ボクはコウモリ野郎だ。浜松に住んでいたときには、マイナーな本が買いにくくなったら困るなあと不安に思っていたので、消極的再販反対論者みたいな感じだったのだが、東京に引っ越した途端に、「これだけ大きな本屋があるのなら「俺的文化享受の公平性」は確保されている」と確信し、「再販制なくなってもいいんちゃう?」と消極的再販賛成論者になってしまったのである。←いい加減すぎ。

 小さい書店で本来的な意味で大型書店と競争している書店はもはやないだろう。そういう意味では、出版の再販制度は有名無実化している部分も大きいだろう。それにしても、「編集王」の読み損なった最終回が気になる〜。

 ○ 「新世紀の迷路 疾走するエヴァンゲリオン」(鶴岡法斎編、アスペクト 1400円)はなかなか面白い本であった。「エヴァ現象」そのものを題材にした本であり、そういう意味では冒頭の唐沢氏と鶴岡氏の対談がこの本のスタンスが一番明確に出ているだろう。
 とはいうものの、唐沢氏のいうところのオタクアミーゴスのスタンスである「絶対者としてのオタク」という概念はちょっと。そういう考えがあることには賛成なのだが、ちょっと氏の意見からは落ちている部分も多いように思う。

 作者の意図の追求は「解釈」と呼ばれ、作者の意図を取り除いた上でテクスト(作品)を研究するのが「批評」とここでは定義しておく。(参考・「現代文学理論」(新曜社)以下同様)。また、「読者」は読む行為によって積極的に作品の具体化・成立化に関わっているそうである。 こういう前提に立つと、氏のいう「絶対者のオタク」というのは、意識的に「読者」として振る舞い、従来の「解釈」とは別の視点でテクスト(作品)の姿を明らかにしていこうというものだと理解できる。

 ただここで忘れていけないのは作品に相対するには「読者が参加することで作品は成立する」と「作者の意図を追求する」という2種類の方法しかないわけではない。唐沢氏は、「説得力ある作品が唯一至上で、しゃべることはそれに付随しているに過ぎなかった」とこれまで「解釈」が主流であったことを指摘し、「テーマなんか関係なく、オレたちがこっちの方が面白いといえばそういう作品の良さも成立するのだ」と「読者」の立場の重要性を強調する。だがここでは、先ほど書いた「批評」という行為は、作者が「そんな意図ではない」といっても成立するという部分はすっぽり落ちているのだ。作者が意図とは違うといっても、作品を読み手が捉えたテーマという軸に沿って読みとるのもまた自由であるべきだろう。

 オタクアミーゴスの視点はB級文化の発見である。これは、作品の評価の軸を増やしたという意味で貴重な視点だと思う。ただ、これはあくまで評価の軸を増やしたということだと思う。だから、あくまで価値観をどのように使い分けるかという問題に過ぎないということは忘れてはいけないことだだろう。氏の発言は価値転倒にばかり力を入れていて、かえって複眼の視点を失いがちになっているような気がした。

<11月14日・金>
 ◇ 仕事の日。15日午前2時頃に、ホームページに書く素晴らしいアイデアを思いつくが、明け方になってそれは自己撞着していてたいしたアイデアでないことに気づき、挫折感を味わう。

<11月15日・土>
 ◇ 仕事で徹夜のまま、午前11時半の「こだま」で名古屋へ。BGMは川本真琴ということもあってセンチメンタルな気分だったりする。「新宿鮫 Y」を読み始めるが、眠気が襲ってきて小一時間眠る。

 □ というわけで「ナディア」である。ナディアといっても、肉を食わない監督の分身のぢぐろの娘ではない。名古屋市の栄にできた複合施設の名前である、というベタなネタです。正式名称は「ナディアパーク」。ここの音楽練習室で学生時代の先輩同期後輩がここで合唱の練習をしているので、そこで合流。明日にそなえてちょっと練習するが、カラオケぐせがついていること、下手な部分を自覚しただけである。まあいいか。

 先輩同期後輩の練習が終わったところで食事に。食事の後は最近、先輩(といっても現役入学だから「先輩」というだけで、オレと同じ年である)の買ったばかりのマンションに立ち寄って明太子で飲み直し。寝てしまった同期をそのままにして、カラオケへ行くが混んでいるために、ラーメン食べて戻ってくる。ラーメン屋でもボクだけ飲む。寝不足に加えて飲んだので、結構ハイになっていたかも。

 それから、寝ている同期を起こして彼のアパートに移動。そこで泊めてもらう。彼のアパートは1k。6畳の部屋に6畳ぐらいの台所がついているのだが、なんと四万円台。駐車場代をいれても、ボクの家賃より1万円ぐらい安い。名古屋は住宅事情がいいなあ。布団がないのでこたつで寝る。

<11月16日・日>
 ◇ 栄のホテルのレストランで学生時代の同期の結婚式。親戚と友人しかいないという極めて今風の結婚式。あいさつもアトラクションも抑え目で、花嫁の髪型は変わったけれどお色直しもなかったというシンプルさ。彼の勤務先は東芝なので、会社の同僚の挨拶が「今年東芝はいいニュースがなくって……」と自ら不祥事ネタを披露?した。というわけで、お祝いの歌は多少の失敗はしつつも終了。

 この2人は一般の合唱団で知り合ったそうで、新婦は声楽科卒の「自称歌手」(新郎談)。新婦はジャンニスキッキから「私のお父さん」を歌った。また、披露宴のプログラムは2人の手作り。奥付に「第1版1しかし、つきあい始めからプロポースまでが半年とは、即断即決ですなあ。刷」とあって、みんなでこのプログラムが重版する時は、内容も改まって第2版になるような事態ではないか、と結婚式にあるまじき内容を邪推する。ともあれ、お二人ともお幸せに。

 ○ 式が終了後、後輩達の合唱の練習を見に行くかどうか、迷うが帰宅することにする。披露宴で飲んだお酒が効いて新幹線では熟睡。静岡あたりで目が覚めて、それから「新宿鮫 Y」を読み始め、一気にラストまで持ち込む。面白い。「炎蛹」より好きだな。細かい感想はまた明日にでも。

 △ 夕食は新宿でハイチ料理。午後10時からは手に汗を握って、日本×イラン戦。今日はゴン中山の母校である藤枝東が、高校サッカー選手権に13年ぶりに出場を決めたこともあり、験のいい日でもある。というわけで、いきなり結論だが、中山&川口&名波よかったなあ。  

<11月17日・月>
 ◇ 新聞協会の著作権に関する見解を、もう少し考える。あれだけ厳しい条件を設定したのは、ネット社会を見越し、新聞各社が情報を大切な商品として囲い込みをしているということだろう。現状での新聞の売り上げそのものが問題なのではなく、将来、まさしく文字通りの「情報」産業として新聞社が生き延びるための布石を打っている、と見るべきだろう。私企業という視点で見れば、これは基本的に正しい(筋道の通っている)判断だと思う。問題点は「わかば日記」にも書かれていた通り、新聞協会がこれまで見て見ぬ振りをしてきた細かな違法行為をどこまでちゃんと取り締まる気があるか、ということだ。
 やはり法律と現状の間の落としどころをさぐる必要があるだろう。
 ボクの考えた方法はこうだ。協会の解釈より踏み込んだ行為を積極的に展開し、協会の出方を見る。そして、協会から名指しの警告を受けた時点で交渉するという方法である。当然、法廷闘争も視野にいれつつ、である。現行法が常に正しいと限らない、という視座で協会の見解に異議を呈するならこういう方法がもっとも正統なのではないだろうか。
 これは一人でやるとたいへんだけれど、ネット上で「スクラップブック」を展開する人が多くなればなるほど、引用者側にとっては有利になるはずである。既成事実を先に作った方が勝ちになる、というのは未開の土地を開拓する時のノウハウであろう。

 ○ 「新宿鮫 Y」は、犬の物語という読み方ができるのではないだろうか。飼い犬である立花道夫と、野良犬である鮫島という対比があるように感じたのだ。ここの設定を軸に再構成すれば、立派な押井映画になるかもしれない。
 話のタネの明かし方が上手で、犯人の心情についてはすごくあっさり描かれるだけなのだけれど、あまり気にならない。しかし、こんな話を書くと、鮫島の握っている秘密が明かされたとき(そんなことは当分ないだろうが)安っぽく見えてしまうのではないか、といらぬ心配なぞをしたり。

<11月18日・火>
◇昨日の仕事の反省を個人的に。ううむ、作戦ミスだったのだあ。

<11月19日・水>
◇ところで、マスカラ←楽器、マラカス←化粧品 で正しいんでしょうか?

<11月20日・木>
 ◇ カネが無いのにいろいろ本(含むマンガ)を買った。「ドクター秩父山だ!!」(田中圭一、ぶんか社 857円)は、掲載誌が変わったことで自由奔放にエロギャグの世界を描いている。ケロタンが登場しないのは、やや残念ともいえるが「リバーシブルジャケッット」と、その下の表紙という仕掛けは十分笑えるのでオッケーである。そういえば>けろたん中野@浜松。年末には一杯やれそうなんで、予定をまた教えて下さい。今の仕事も忙しいかも知れないけれど……。ヴァーチャロンは、ついムックまで買ってしまいました。


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