1997年10月中旬


<10月11日>
 ◇ 起床したら午後1時。さすがに疲れていたんだなあ。夢もみないでぐっすり。一応、寝る前に父のパソコンで簡単に日記巡りはした。和洋折衷な昼食後はゆったりと湯船に使って「WIRED」を読む。まるで、有閑マダムのような生活(←ウソ)。
 入浴中に地震がある。初期微動がきた瞬間は「あれ、ダンプでも通ったかな」と思ったが、すぐにSecondry Waveが来た。それほど長くない横揺れが終わっても、湯船の水がゆらゆらと揺れて、なんだか不思議な気分。震度3だったが、もうちょっと小さいように感じた。震源は遠州灘でM(マグニチュード)5.0(推定)。
 入浴後、育毛トニックを使う。(←小心者)

 △ 夏以来、久しぶりに地元紙を手にする。藤枝市の中学校で窓硝子などが割られたという話題が社会面を飾っている。どうやら紙面をリニューアルしたらしく、子供の頃から読んでいた紙面がちょっとなじみがない姿になっていた。朝刊コラムは笑えなくて残念。テレビ欄が挟み込み形式になって便利になっていた。USA TODAY特約というクレジットの記事を散見するが、共同が特約したのであろうか?
 夕刊はより大胆に誌面刷新されていて、ほんとうにビックリ。読者のイラストコーナーまであったりして……。土曜日ということもあるのだろうが、ほとんど「日曜版」のノリである。個人的には好感を持った。そして、科学のページには先日の「死亡」騒動で話題になった赤尾晃一先生@わかば日記の原稿も掲載されていた。11日付の原稿は「情報化の表層と深層」の話題。つまり「ニューメディア」が定着せずに廃れ、「マルチメディア」が浸透しつつあることの差と、理解してもいいのだろうか? 
 
 ○ 夜は親戚などが集まって(といっても大した数ではない)実家で食事。明日の法事は、曾祖父の50回忌と祖父の1回忌を兼ねたもの。曾祖父は7月、祖父は12月に死去したのだが、間をとって季節のいいときにやってしまおう、というわけで10月の開催となった。
 我が家を訪れたのは、高崎から祖父の弟の夫婦(つまりボクの大叔父夫妻)と、かつてうちに下宿していた縁で非常に親しくしている方が来た。大叔父は昨日から富士市に立ち寄り、今日はボクの妹の義父とゴルフをやったという話で、なかなか楽しかった様子。大叔父は76歳だが、マスターズの水泳大会にリレーメンバーとして参加しており、惜しくも0.1秒の差で世界新記録を逃したという現役スポーツマンである。

 大叔父は転職歴8回。最終的にはペットフード会社を立ち上げて、今は引退して最大の株主という身分のようだ。40過ぎてからの創業し、ペットフードを買ったら犬小屋をタダで掃除する、という地道な営業の成果で会社を軌道に乗せたという。長島茂雄の家でお手伝いさんに命じられて、犬小屋の掃除をしたことは、お手伝いさんの高圧的な態度もあって、忘れられない思い出らしい。50歳の頃にジープを乗り回していたのも、業界で目立たなくてはという作戦だったとか。その狙い通り、ジープの○○と呼ばれていたらしい。このジープは、やがて焼津の東名高速入り口で起きた玉突き事故に巻き込まれて大破することになるのだが。

 食事後はサッカーの代表戦を見るが、ひたすら脱力。なんか見てられない。だめだこりゃ〜。それでも「後半粘って「追いついた」という試合展開は初めて」とか、無理矢理好材料を探してみたりして。

<10月12日>
 ◇ 異様に早く目が覚めたので、とりあえず出張秘密ファイルを書き始め、それからついでにマンガ「ハッピー・マニア」のキャラクター論を試しに書いてみる。ううん、もう少し原典に当たらないと、正確な分析は無理かもしれない。そうこうしているうちに、夜が明ける。朝食でごはんをおかわりする。うーん、快調快調。
 法事の会場は福泉寺。大叔母、妹夫婦とその両親らも到着し午前11時から法事が始まる。住職は70歳前ぐらいだろうか、この1月に肺ガンの手術をしたばかりで、ちょっとやせ気味。もともと美声の持ち主だったのだが、今回の読経の衰えは年齢のせいだけではないだろう。本人もまだのどが本調子でないと話していた。法事の後は、静岡駅前のホテルの和食店に会場をうつし懇親会なぞ。その後、僕は静岡駅から新幹線で東京へ。

 ○ 東京は巣鴨へついたらとりあえず、買い損ねていた雑誌類(アニメージュ、ニュータイプ、創、噂の真相、スタジオボイス)をまとめて購入。それから、池袋・ジュンク堂で「スーパーロボットの動かし方」(非日常研究会、同文書院 1300円)、「神々の山嶺 上」(夢枕獏、集英社 1800円)、「季刊 怪 第零号」(角川書店、1000円)、「カールセーガン科学と悪霊を語る」(カール・セーガン、青木薫訳、新潮社 2300円)。そして、重い思いをしながら、映画館へ「コンタクト」を見にいく。PG。

 △ 「コンタクト」。一言で言うなら、「未知との遭遇」と同じロマンチックさを持っている映画だった。ちょっとカメラの移動が鼻についたけれど、たいした傷じゃあありません。SFXを用いた仮想現実という手法、手際のよい状況説明と無駄のない伏線というロバート・ゼメキス監督の語り口の一つの頂点かもしれない。ジョディー・フォスターもさっぱりとした理系美人を魅力的に演じていたし、ちょっと前までは「甘い2枚目」だったのにいきなり貫禄がついた(太っただけともいう)マシュー・マコノヒーも好演。パーティーのシーンのジョディーフォスターのイケてないスタイルも理系っぽくてグー。見て損はナシ。

 この映画も論じにくい映画の一つ。映画の中ではきれいに整合性がとれているから、その中にはいると相手の術中にはまってしまうような気がする。この映画を読み解くキーワードは「WE ARE NOT ALONE」であろう。と、覚え書き程度に記す。

<10月13日>
 ◇ なんだか細かなミスなんかが重なって、ダメージがでかかった日。気分を替えるために、会社の仮眠室で強制睡眠を実行。が、間断なく同じ夢(しかも、仕事の夢、だ)を見続ける。そのためか、目が覚めてもまだ夢のような気分。サイテーだ。

 ○ 会社の人の送別会なんかがあったりして、午後9時前から新宿で飲む。最初は仕事の打ち合わせをしながら、屋台のタイ料理店。やはり、辛い料理には、甘口ビールのシンハーというのはここがなかなか庶民的に美味かった。2軒目では水割りを飲み過ぎて、そうそうに酔っぱらう。タクシーで帰宅して墜落睡眠。

 △ たたかう伝言板って、結局、日記界の「噂の真相」なんだよな。呉智英氏いうところの「情報の公衆便所」という意味において、だが。

<10月14日>
 ◇ 午前中はジュンク堂で資料漁り。午後は会社で予定通り仕事。今日は大したトラブル(?)もなく、無事に仕事が終了。さささーと帰宅して、「できるだけ映画を見よう」という今月の志を守るべく「鬼火」(望月六郎監督)を見始める。

 ○ 「鬼火」は確かに話題になっただけのことはある傑作だ。90年代の極私的アウトロー映画とでもいうべきか。これは小道具に使われている「風の又三郎」が暗示するように、これはもしかすると異界から来た男が、また去っていく、という物語という解釈も可能であろう。それを裏付けるのがおそらく古くなったバンに入るシーンと冒頭とラストの草むらのショットであろう。サントラも上品だったので買いたいと思った。ヒロインのタイプが「恋極道」の夏生ゆうな、とやや似通っているのは監督の好みということか?

 △ その存在が、というよりそれが生まれるまでの過程そのものが話題である「マンガの鬼」を購入。やはりそういう意味では、マンガの今を考えるという視点の編集方針よりも、掲載されているマンガよりも、ガロ休刊事件の真相を知りたいというゴシップ的な興味から買った、というのが僕の正直な動機である。その点、「マンガの鬼」編集部に批判的な姿勢である松沢呉一氏の意見も一応掲載しているので、バランスはとれているというべきか。詳細はまた今度気の向いたときにも書きますが、オイラはガロに関しての基礎知識に欠けているかからなあ……。
 オレは、わりと単純な「マンガという手法で語られた物語」が好きなタイプなんで、ちょっといわゆるガロ系になじむにはチューニングが必要なんだな、これが。

<10月15日>
 ◇ 何もしていないのに疲れた1日。今週はなんだかダメダメなムードが濃厚である。

 ○ SFオンラインで「コンタクト」の批評を読む。みなさん、一定の評価をしつつ……というムード。中でも「ニューエイジ映画」であるという指摘があったがのでそれについて私見を少々。
 評者である中村融氏も十分承知して書いているのだが、あの映画はニューエイジ的要素を意図的に盛り込んでいるのだ。そして、ニューエイジと観客に括られるのを避けるために、ラストの「18時間」に関するシーンが挿入されている。あのシーンはつまり製作者のエクスキューズなのだ。
 こういうことから見ても、「ニューエイジ的なねじれ」は映画の本来的なテーマとは無縁で、合理的なシナリオがお得意のハリウッド大作映画の手癖のようなものとして登場したと僕は思う。こうして、映画全体の完成度を上げるために確信犯的にやった行為を、「SFではなくなって残念」という文脈で斬ってしまうのは、SF批評としては正しいとは思うが、映画を論ずるという観点から言わせてもらうとちょっと物足りなさを感じる。ハリウッド映画の場合は、論理の構造を分析するだけでなく、映画を貫く「論理」そのものを俎上に乗せないと、素顔は見えてこないのだから。
 できれば、ニューエイジ的に「ねじれ」(中村氏の表現)ないであのテーマをエンタテインメントとして完成しうるかについての意見が欲しかったと個人的には思う。(こう書いた以上俺も書かなきゃいけないなあ)
 しかし、SFであること、がそれほど重要かというと第3者である俺にはどーでもいいことだったりするんだよなあ。春先にも書いたけれど、SF的にはとち狂っていても、「いい物語」であるほうが、観客(読者)には重要だと思うが。

 △ ちなみに、別の「コンタクト」批評では久保田明氏が、「2010年」について触れて、ついうなずきながら読んでしまう。SFが未来予想小説である必要は全くないが、未来生活を感じさせるガジェットがSFの魅力の一つであることには変わりないと思う。僕は、「2010年」の「木星上空での船外活動」のシーンにはそれ自体が大きなガジェットであると思っており、未来生活(宇宙で人間か仕事をする時代)の空気を感じるのである。映画的にはイマイチというのは百も承知であるが、こんなことを書く理由は、強いて言うなら、愛、だな。   

<10月16日>
 ◇ 昨晩は「季刊 怪」を読む。眠くなったので、とりあえず京極氏の小説は除くなどしたうえで3/4ほどを読了した。雑誌というよりは読みやすいムックという感じ。実際、カドカワムックと表紙には表記されている。内容は、水木×京極×荒俣鼎談から始まって、水木氏のマンガ「神秘家列伝」、京極氏の新作、荒俣氏の連載「霊の世界史」と盛りだくさん。個人的には、山田陽一広島大助教授のニューギニア・ワヘイ族の妖怪報告がなかなか興味深かった。
 ボクは妖怪を見たというような体験は一度もない。これは体質なのか遺伝なのかどうかしらないが、うちの祖母は時々身体から金粉らしきものが出てくるが、ボクには一向にその手の経験はない。やはりニューギニアのようなそういう文化が濃厚な土地にいけば「見る」あるいは「感じる」ことができるのだろうか。そういう文化があれば、ボクが「偶然」と割り切っているものだって、すこしは「妖怪」や「妖精」のように捉えられるかもしれない。もっとも、見てしまったら「コンタクト」の主人公エリーみたいに、深く混乱しそうでちと怖かったりはするけれど。
 それに、そんな国に行くお金があったら引っ越しでもしたいというのが、当面の問題ではある。

 ○ 「どんどん映画を見よう大作戦」ということでロバート・アルトマン監督の「M・A・S・H」を借りてきて見る。ちょっと古い作品だし、バリバリにトリミングされていることもあって、なかなか前半はノリ辛かったのだが、40分を過ぎたあたりからだんだん面白くなってきた。しかし、不思議な味わいの映画ではあった。コメディーといえばコメディーなのかもしれないけれど、なんだか投げやりというか、虚無的というか、見る側のスタンスを決めさせない不安定さがある。ちなみにぴあのシネマクラブ96年版では★は3つでした。

<10月17日>
 ◇ 新宿で少々お仕事。で、そのまま山下書店で買い物をする。先日、巣鴨の書店で気になりつつも購入を見送ったら、某日記でさっそく紹介されていて驚いた「オルタ・カルチャー」が並んでいるが、やはりこれは買わないことに決定。だって、なんだか斜め読みしてみると意外に網羅性に乏しい感じがしたのだが、どうだろうか。元ネタになった米国版の方が厚くて、詳しいような(関連サイトのアドレス付きとか)印象があったから、比べちゃうととどうしても、ね。もっとも、じゃあボクが米国版の方買っているか、というとそうでもなかったりするんだけど。こちらはこちらで、その厚さに気圧されて買ってなかったりするんだなあ、これが。

 てなわけで結局、橋本治の新作、安野モヨコの単行本なぞに加え、夏のアニメを斬って斬って斬りまくっている(のか?)「コミックボックス」を購入。
 ほらみろ。エルマーの冒険。やっぱりつまらなかったんだろ。あー、フランケンシュタイン(デ・ニーロ主演の奴ね)のキャッチコピーが脳裏を駆けめぐる。「何故、つくった」。記事ではおかだえみこさんが企画が勘違いであったことを徹底的に論証し、(愛故に)死人にむち打って、塩をすりこんで、切り刻んでます。しかし、誰か止めなかったのかね、映画化の方法が明らかに間違ってるのに。中途半端に原作にすりよるぐらいだったら、別の話にしてしまってもよかったのに(魔女の宅急便とかみたいに)。

 エヴァについてはさまざまな「感想文」が載っているだけで、あまり「斬った」りはしていないという印象。まあ、ボク自身も心の中にあの映画をどうやって扱っていいかというしこりのようなものは残っているけれど、「語る」ことに同時に疲れてしまった、というのもあったりして、別に斬ってくれなくてもいいんだけれどね……。
 あと、日本映画市場(そして史上)に燦然と輝く怪物映画「もののけ姫」については、叶精二研究所長が、「映画の割り切れなさ」について詳論、作品を援護射撃。割り切れなさが残る作品が是か非かという問題についての、スタンスについては共感する。「エンターテインメントとしてすっきりしない」という言い方は、所詮、すっきりしたい(例えば、主人公に感情移入してカタルシスを得たい、とかね)という自分の欲望について語っているだけであって、映画について語っていないのである。

 ☆ 新宿で軽く一杯飲んで帰宅。今週はめずらしく徹夜しなくてすむ週だったなあ、と思いつつも結局帰宅は午前4時過ぎ。

<10月18日> 
 ◇ 正午から赤坂で仕事。仕事終了後は、思いつきで秋葉原へ移動。いきなりファクスとポータブルMDそれにCDを3枚ほど購入する。ファクスは、あれば仕事が便利だなあと思ったので、思いついたが吉日ということで購入。シャープ製で2万9000円でした。
 MDを購入したのは、最近音楽を聴く時間が減っているから。通勤時間などに少しでも音楽を聴いて、心を豊か(?)にするとともに、カラオケのレパートリーを充実させようという狙いである。こちらも録音可能な商品としてはもっとも安いシャープ製。もっとも、お店のお兄ちゃんにいわせるとSONYのOEMだからあまり性能は変わらないそうな。

 △ CDは映画音楽にシンフォニーアレンジをほどこした「WORKS・T」(久石譲)、映画「シャイン」で使われた曲を全曲収録した「shine」、そして傑作映画「うなぎ」の傑作サントラ「うなぎ」(池辺晋一郎)。久石譲のCDは、アレンジ、演奏が本格的すぎて、ちょっと重たい感じがするけど、それでもナウシカのテーマはやはり名曲だと思う。shineは演奏がちとぬるいように感じるのは、ボクが素人だからだろうか。「うなぎ」は、いい。30分足らずと短いけれど、「割り切れなさ」の残る音楽は、聞いているとトリップ感さえあったりする。

 ○ 先日、山手線の中で新聞の夕刊を見たら九州で開かれた熱気球大会の写真が掲載されていた。その写真を見た瞬間、ボクはなんだか、自分でも分からないうちに懐かしいような気持ちにとらわれてしまった。高いところは苦手なボクだから、熱気球が懐かしさを喚起したとも思えない。何故だろうと思い、もう一度写真を見直し、記事や写真説明に目を通した。なんでもこの大会は、冬の間利用しない畑を会場にしているそうである。
 そこを読んで、ボクはやっと腑に落ちた。熱気球の足下に広がる焦げ茶色と薄緑の畑が懐かしさの正体だったのだ。畑を見て、レンゲ田で遊んだときや春が来て田起こしするときに包まれていた、土の匂いがボクの鼻先に蘇ったのだ。
 ボクは車窓から東京のビルの風景を眺めながら、空想の土のにおいと戯れた。

 □ 匂いもまた記憶と密接に結びついている。

<10月19日>
 ◇ 部屋をかたずけて、新宿へ出発。まずは、有意義な週末を目指すために、ミラノボウルで3ゲームほどボウリング。すごいすごい、驚異の3連続ストライク。といっても、ターキーではない。3ゲームやったら毎回3フレーム目にストライクが出たというだけで、スコアそのものは「一桁の足し算のボウリング」で、小学校低学年にも簡単に計算できそうなありさま。各ゲームとも、ゲームの展開は全く一緒だった。3フレーム目で集中力が切れて、中盤はボロボロ、後半は少しはやる気を出すけれど、緊張に弱いという個性が災いしてスペアが全くないという代わり映えのしないスコアを3回重ねただけでした。

 ○ それから「天下一品」で濃いめのラーメンをぞぞぞぞと流し込んで、町をぶらぶら。サンリオの店に若い女性がたむろしているのを発見する。こういう店は、棚全体がピンクに染まっていて、なんだかとても怖い。しかも、そのピンクの山のの片隅に豹柄のポーチにキティが描かれている、極めて「水っぽい」アイテムもこっそり置かれていたりして、キティの裾野の広がりに目を見張る。マイメロちゃんことマイ・メロディのコーナーにはやはり人だかり。しかし、可愛いものにここまで人が飢えているというのはなんだかちと怖いなあ。しかし、アニメ版キティがしゃべるのに、人々は違和感をじないのだろうか? 「キティに口なし」というのが俺的常識だったのだが。

 △ マンガ喫茶「ヨムヨム」で「賭博黙示録カイジ」に燃え、「浦安鉄筋家族」に笑った後は、バカ映画として評判の「フィフスエレメント」を見に行く。しかし、今年はバカ映画の当たり年ですな。「ID4」といい「マーズアタック」といい「フィフス」といい。しかも、すべてが微妙にスタンスの違うバカというのが収穫の大きさを物語っているような……。
 イメージボードがあってそれをつなぐために物語があるという印象の物語。それが苦痛でないというのはこの映画の美質かも。敵の撃つ弾丸は絶対に当たらない、主人公とヒロインは恋に落ちる、世界は愛で救われる、あまりにベタベタな展開なのだが、監督がこういう映画を作ろうと思って作ったに違いないという確信がこちらにも伝わってくるから、こちらも楽しめる。ゲイリー・オールドマンの泣き笑いに1票を投じよう。

 ☆ 歌舞伎町の屋台でタイ料理。先日行ったお店だが、「辛目に」と頼んだら本当に辛かった。その辛い牛肉料理で、ビールを少々。午後10時から墜落睡眠。

<10月20日>
 ◇ 無い袖ふれないし、無い胸は揺れない。今日、支払いをしなければならないお金を全て計算したら、有り金より「ちょっと」多かった。うーん。しばし悩み、悩んでもしょうがないので、書店へでかけて「借金の本2」(三才ブックス)を購入する。いやーためになるなあ。どうすればサラ金から限度額一杯まで借りられるか、といった借金周辺のテクニックがかゆいところに手がとどくように書かれている。とはいっても、マジデスカーA(だったっけ?)の設定については記述はなかったけれど。(←発売日がもっと前の本だからあたりまえ)まあ、サラ金に借りに行くようなことはしないが、ああいう文章を読むと、「ちょっと」ぐらいお金がなくたって大丈夫という感じがしてくるから不思議だ。←何が不思議なんだか(失笑)。
 ああ、耳をすますと植木等の歌声が……。

 ところで、ちょっと前に「水道をとめられた」という記述が某日記があったが、どれぐらいためこんだら止められたのだろうか? なかなか珍しい体験だと思うのだが。

 ○ 今更ではあるが、「噂の真相」の文庫戦争の記事をやっとゆっくり読んだ。そーかー、扶桑社文庫返品率80パーセントか。俺の買った「バンパイア・レスタト」(アン・ライス)とかぜんぜん売れていないんだろうなあ。どうりでタイミングを逃したら、買うのが難しかったわけだ。しかし、よく続いているなあ。

△ 三谷幸喜が深夜番組で「ラヂオの時間」のプロモ。噂の予告編もオンエアされた。もともと演出家だから、あとは編集を含めたリズムの問題だけ。ただ「二時間あまりになる」といわれた脚本を削らずに「一時間四三分ぐらいにした」というスポーツ紙の話が本当なら、なかなか好感触かも。
 ゲストの井上順が余談でかつてディナーショーで客に出したクイズを披露。「リンドバーグが乗っていた飛行機の名前は?」。こんな簡単な問題がクイズとは……。


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