1997年9月下旬、あるいは欠落した時間と言葉

<9月21日>本来なら欠番
 少し会社へ出かけたはずだが、あまり記憶に残っていない。

<9月22日>本来なら欠番
 夕方に一つ約束があり、それで出張前の大仕事は概ねめどが付く予定。と、思ったらもう一つの仕事が、かなり手が掛かることが発覚し、それについては22日に勝負することに決めて、学生時代の同級生と飲みに出かけてしまう。午前2時まで飲んだが、最後に飲んだ日本酒が効いたのか会社に到着後、仕事を続行しようともくろみるも沈没。

<9月23日>本来なら欠番
 酔った勢いで会社に宿泊。僕はソファで、同級生は仮眠室で眠った。目が覚めた後、タイムリミットの迫った仕事と事務作業を3つを並行して進行させる。ついでに懸案だったアポとりも無事先方と連絡がつき、午前零時ごろにはなんとか出張に旅立てるめどがつく。帰宅して出張のための荷造り。就寝は午前4時を回る。


【いささか散文的に過ぎる某国出張の記録】

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<9月24日>
・午前8時起床。朝食は野菜ジュース一本。
・午前9時半、新宿に立ち寄って書類を受け取り会社に向かう。取引先にその書類を送る手はずを整え、さらに会社にいるバイトさんに、昨日中に書き上がらなかった書類のアナを埋めるように依頼して、午前10時半に会社を飛び出す。飛行機は午後1時成田発JALフランクフルト行き、だ。間に合うのか?
・午前11時3分。なんとか東京駅で成田エクスプレスに飛び乗り、安堵しつつ1時間ほど熟睡。
・成田で僕が登場する飛行機が第1ターミナルか第2ターミナルかが問題だったが、知人の「JALだったら第1じゃない」という言葉を信じて第1ターミナルの方で下車。しかし、搭乗カウンター近くの案内所に尋ねると、結局この発言は「ウソ」であったことが判明。シャトルバスで第2ターミナルへ。
・あわてるあまり一度搭乗カウンターを間違えたものの、無事にチェックイン。なんとか搭乗開始時間ジャストぐらいにはゲートに到達することができた。ゲート近くの売店で旅の記録のための手帳を購入。

・午後1時過ぎ、離陸。離陸の時の機体の揺れというのは、普段は意識することのない流体としての「空気」を実感できるので結構好きだ。羽根が見える席ならなお楽しい。
・さっそく某国についての理解を深めようと「吸血鬼幻想」(菊池秀行、NHK出版 1700円)を読み始める。これを読むと、スケジュールが許さなかったとはいえ、某国出首都Bだけでなく、山あいの田舎町bにも立ち寄りたかったなあ、と現地に到着する前から早速今回の出張のスケジュールのタイトさを呪う。
・機内食。シーフードでビールとワイン。食後からまた眠くなり、クラシックのチャンネルを聞きながらずっとうとうとする。演目は、武満徹(ノベンバーステップス)や伊福部昭、プーランク(フルートとピアノのソナタ)など。うとうとする合間に読む本は「and another stories」(村上春樹ほか訳、文藝春秋 1333円)。
・機内食 おにぎり。シベリア上空だ。
・機内食 水っぽいドリア。酒類はナシ。

・午後5時過ぎ、ドイツ・フランクフルトに到着。フランクフルトで一泊し、明日、ここからルフトハンザで某国入りする予定になっている。成田での失敗を繰り返さないため、さっそく搭乗カウンターの場所を掲示板だけを頼りに確認し、シャトルバスで秘密指令によって指定されたホテルへ向かう。とりあえず、二万円をドイツマルクに、三千円をUSドルに両替した。実はこれがあとで大きな意味を持つのだった……。
・午後7時半、ホテルのビストロで食事。メニューに英語が併記されていて助かった。「THIS ONE」の連続で、ビール、ワイン、サラダバー、サーモンのクリームソース、ラザニアを注文する。しめて、○DM(約8000円)だった。
・ビールはきりりとした苦みがあって、昔のキリン風というのか、今の日本製ビールとは方向性が違う要素が目立った。ワインはドイツワインらしくちょっと甘過ぎたか。
・読書のお供は「この不思議な地球で」(巽孝之編、紀伊国屋書店 2500円)。近くの席に座った米国人(推定)に「裏側から本を読んでるのか」などと尋ねられ、適当に返事をする。

・部屋に帰って、することもないので、PAYTVでポルノを見てみる。が、あまり面白くない。理由を考察するに、「言葉が分からないため設定が理解できない(ドラマは不要だが設定は重要だ)」「登場人物があまり美人ではなかった」「シズル感(?)が足りず、健康的なエクササイズに見えてしまう」といったところだろうか。男優がやらたとマッチョなのも日本人である僕には違和感があった。
・午後10時、就寝。  


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<9月25日>
・午前7時半、起床。チェックアウト時に、宿代を秘密指令の主ではなく僕が支払うことが発覚し、カードを使う。これも後で意味を持ってくるのだが、この時点での僕は知る由もない。
・ホテルを出発し、午前8時半に空港に到着。朝はちょっと肌寒く日本より季節が一月早く進んでいる印象なので、某国ではもっと寒いのではないだろうか。ジャンパーを持ってきて正解だったと実感する。
・ゲートで搭乗開始を待っている間、米国人(推定)の子供が飛行機のまねをしながらはしゃいでいた。この子供は、椅子に座って頭を垂れていた黒人男性の近くへ寄ったときに、彼の髪を短く刈り込んだ頭を珍しそうにツルリとなでたのだった。僕はすごくおかしかったのだけど、誰も笑わなかった。

・フランクフルトを出発。機内食はサーモンと豆(?)サラダ。チーズがあったのでワインを飲む。そして、またすやすやと寝てしまう。
・午後1時過ぎ、某国首都郊外にある国際空港に到着する。が、そのあまりの小ささに、なんだか日本の田舎の空港のようだなあ(見たことないけど)と感じ、やはりヨーロッパの片田舎というのはこんな感じなんだと、妙に納得する。
・出迎えの人が来ているとは聞いていたが、現地の人とは……。絶句して判断力なくなったところ現地語でホテル名を告げられ、ホテル名を覚えていないにも関わらず、イエスと答えてしまう自分が悲しい。車に乗せられて、猛スピードでホテルに向かう。市街地に入るまでは、ただただ平野。農地なのだろうか? 名作アニメに出てきそうな農作業用の馬車の姿も見かけた。そして、不自然なほど赤と黄色の原色がまぶしいマクドナルドのドライブスルー店が立っていたりもして、東西冷戦の真の勝者は結局マクドナルドなのでは? と妙なことも考える。ちなみに、コミュニケーションの手段を持たぬふたりは基本的に無言で、カーラジオから流れる音楽だけが、沈黙を埋めたのだった。
・現地の人はかなり運転が荒く、プロドライバーであるタクシーの運ちゃんはさらに荒いことは後で実感することになる。

・午後2時半ごろに、ホテルに到着するが、受付ではなんだかノーアポイントメントとか言っているようだ。僕を出迎えてくれたオジサンも、そこまで面倒を見るとは言われていなかったらしく、「俺は行くけど、いいね」(英語)という調子で立ち去る。でも、僕がなんともしようがないと困っているうちに、不思議なことになんとか部屋は取れたようだった。後で聞くと、取引先は僕の部屋でシングル(正確に言うとこちらではダブルのシングル使用になる)がなかったために、スイートを予約していたそうだが、結局、僕のとまった部屋はダブル。やはり、どこかで行きちがいがあって、スイートの予約というのはなくなっていたのだろう。まあ、下手に広いよりはよかったけれど。
・しかし、現地で落ち合う取引先の日本人たちとは連絡がつかず、ひとりで町を歩いて写真を撮影したり、国際電話で関係各所に連絡するほか、食事をしたりして時間をつぶす。そもそも、取引先の人と、現地でどのように、何時頃落ち合うか、というのは全く打ち合わせていなかった。もらったのは、航空券とドイツのホテルの場所だけだ。どちらにしろ、今晩、彼らはここに宿泊することは決まっているので、それまで寝て待つか、とい感じで腰を据える。

・さて、食事だがその前に現地通貨がないと困る、ということで両替をしよう思う。ここで持ってきた「地球の歩き方」にやっと手を伸ばしたら、「日本円は現地で基本的に両替できない」ということが発覚する。ということは、僕の活用できるお金はドイツで両替したDMの残りとUSドルしかないのである。フランクフルトの宿代をカードで支払っていて良かった、と安堵した。現金がなければメシも食えない。某国ではまだカードがそれほど普及していないのである。
・で、宿泊しているドラバンツィホテルで両替をしようと思ったら、両替所はないとのこと。しょうがないので、近くのもう少し高級なホテルまで歩いて、残り170DM(約一万二千円)を全て現地通貨「LEI」(国名に関するヒント)に変えてもらう。これが705500LEI。当然、5000LEI札の札束で渡されたが、財布になんぞ入るわけがない。札束をウエストバッグに押し込んで、ホテルへ戻る。

・現金を手に入れたのでさっそくホテルの食堂に食事に出かけた。某国語で書かれたメニューは全く読めなかったが、ボーイさんが「チキン オア ビーフ?」といった中学生程度の英語で応対してくれたため無事にオーダーできた。焼いた鶏肉とフライドポテト、それにサラダとビール。凝った料理とはいいがたかったが、鶏は火加減がよくいためなかなかおいしかった。これで149800LEIである。
・部屋に帰ると、日本人の方M氏から電話。ホテル到着までしばらくかかるという。日本語を聞けて一安心。一眠りした後、M氏らが到着。結構疲れている様子。明日の予定などを確認する。

・ホテルは元国営ホテル。通訳のパトリシアに言わせると、「もっといいホテルもあるのに」ということだった。エレベーターのドアが開くと、常に床とレベルが合っていないため転びそうになることもしばしばあったが、不具合はその程度。いわゆる共産圏のホテルの最悪さ(お湯が出ない、排水が逆流するなど)は実感しないで済んだ。


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<9月26日>

・午前9時に起床。テレビ(どうやらドイツの番組も映る様子)を見ながら時間を潰し、集合時間の午前11時にロビーへ。今日は、現場の下準備ということで、ヒマではないが、昨日までのような緊迫感はやや薄かった。
・というわけでまず昼食を食べに行く。昼食は、ペンネ・アラビアータとウシの内臓のスープ(某国名物の一つらしい)、サラダに、トウガラシ(?)とサワークリーム。時間がおしているのに、なかなか料理が出てこずみんなでやきもきした。
・午後は、首都で一番高いホテルを借りて、明日以降の仕事の下準備。僕はあくまで、現状視察という名目なので、平たく言えば傍観者である。一方、現場では、どうやら現地で仕事を依頼したスタッフが仕上げたものに問題があるようで、もう一度最初から意見交換をするような状態になっている。同時に明日の段取りの確認もやらなくてはならないので、午前中にあった「今日はやや楽な日」というムードは徐々に消えてくる。
・今回は、日本と某国それにフランスのスタッフもいる現場なので、日本語、英語、フランス語、某国語が激しく飛び交うのだった。
・そんな現場を成立させている通訳の一人、パトリシアは、隣国の出身。留学生で某国某大学に来ており、日本語を専攻していることから、通訳をつとめているという。日本語、某国語だけでなく、ロシア語もはなせるそうだ。

・彼女によると、某国は近年私立大学が出来たものの、まだ政府の認可が下りていないため、卒業証書を発行することができないとか。では、私立で学んだけれど大学卒業の資格が欲しい人はどうするか、というと、国立大で専門に関する試験を受験して、国立大の卒業証書に私立大の名前で「○○の学業を修めました」と書いてもらうそうである。うそのようだが、本当らしい。日本大使館でアルバイトか何かを募集したおり、この不思議な卒業証書を持っていったところ、職員が信じてくれないという一幕があったそうだ。
・パトリシアは日本のことわざが好きだ、というので逆に某国のことわざも教えてもらった。「ツバメ2羽ではまだ春とは言わない」。ほんの少しの兆しや例だけで、全体の傾向を決めつけるのは間違い、というような意味らしい。例えば、フランス語の単語を少ししかしらなかったら、それは「フランス語を知っている」とは言わない、というようなニュアンスで使われるらしい。
・現地の人と日本人スタッフのコミュニケーションはなかなか難しく、余分なトラブルを避けるために、相手の反抗的(?)な意見などは差し支えない範囲で翻訳しないケースもある、とパトリシアは話していた。

・午後10時過ぎに仕事場となっているホテルを出て、食事に出かける。某国料理の店で、タマネギに挽肉を詰めて煮たものにサワークリームをかけた料理を食べる。ソースはサワークリームのようなもの。デザートに現地の名菓「パパナッシュ」があると聞いて注文するが、結局、品切れ。普段は甘い物などあまり食べないので、変わりに注文したティラミスを食べて、甘すぎて後悔する。
・日本人関係者とたわいもない映画の話題などで楽しむ。


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<9月27日>
・午前8時に仕事場に使っているホテルに到着。さっそく、現地スタッフと日本人関係者が打ち合わせを始める。昨日、懸案になっていた事項はなんとかクリアできたらしく、タイトロープではあるものの順調に仕事は進行している。順調に仕事が進行しているようなら、ということで、ちょっと断って二度ほど外出した。

・1回はぐるりとホテル周辺をまわった。小さな店で試しに小袋のポテトチップス(トウガラシ味)を購入。価格は4500LEI。地下鉄駅の入り口にある地下街なども探検する。小さな書店と飲食店、文房具店などが並んでおり、カウンター式の飲食店ではソフトドリンクとパンを食べている人がいた。
・2度目は、ちょっと距離があったが、百貨店と某国元大統領の宮殿が目的。
・百貨店は、大きい割には中身はからっぽ。フロアのあちこちで不自然な空きスペースばかりが目立つ。天井の明かりは蛍光灯だが、その数も少なく圧倒的に光量が不足していて薄暗い。まるで大きな倉庫のようだ。エスカレーターは上りは動いているものの、下りは止まっていた。洋服なども十分にあるとはいえず、おもちゃ、家電などの陳列もすごくぞんざいで同じ物がだらだらと並んでいる。まるで、やるきのない中古屋みたいな印象である。そんな部分に共産党時代の名残を強く感じた。それでも、土曜日ということもあってか、何を買うのか分からないが人はそれなりに入っていた。
・1階にはかなり大きなマクドナルドが入店しており、こちらは昼前ということもあってレジの前に人がとぎれないほど繁盛していた。とりあえずサマースペシャル・バーガーとスプライトなぞを注文。こちらのメニューにはスマイルがない。ちなみに価格はハンバーガー2900LEI(フェア価格)、BIGマック10500LEIといったところである。

・某国は露天が多く、雑誌スタンドや軽食、花、果物などが売られている。こちらは百貨店と違って活気がある感じがする。果物店ではバナナが目に付いた。百貨店の前のカセットの屋台では、某国のヒット曲を探そうと思うが言葉が分からないことに加え、周辺国ヒット曲のテープも多いようで、選ぶことが出来ず断念した。

・かなり距離はあるものの、百貨店と丁度向かい合うするような位置関係で建っているのが、俗に某元大統領の宮殿と呼ばれる「国民の館」である。宮殿に向かう通りは、首都で最も広い道路となっており、道路の中央は公園のように整備され噴水が設置されたりしていてきれいな通りで、屋台などもところどころにあって、活気は感じられた。ただ、独裁者がいたころであればきっと全く違う風景に見えたにちがいない。
・土曜日のせいか宮殿へ向かうとおりのビル街には人が働いているような人気がないが、それで通りにはもサッカーをしながら遊ぶ子供や犬を散歩させる人はいた。ところどころに空きビルらしきビルもある。
・宮殿はバカでかかった。近寄ってみると、ところどころのガラスが割れており、壊すだけのお金もなくてそのまま放置されているというのがよく分かる。首都のあちこちに、建設途中で放棄された巨大建築物を散見したが、それらもこの宮殿と同様「壊すだけの金がない」という理由で放置されているそうだ。これも独裁者の負の遺産というべきだろう。
・宮殿の前に立つと、10代の子供が近寄ってきた。共産党時代に製作されたらしい宮殿内部の風景を絵はがきを10$で買わないかというが、明らかにぼったくりという感じもしたので「ノー」と断る。こちらでは、いわゆるジプシーが最貧層になるのか、道行く人よりも明らかに貧相な恰好をした子供や親子連れをところどころで見かけた。そんな子供はカメラを構えると、フレームインしてきて出演料をせびるのである。子供に金を渡す旅行者、っていう立場にとまどいうろたえてしまったボクは、結局彼らを写真にとることはなかった。

・途中で雑誌を購入。1冊は爽やかな男女が笑っている表紙だったが、開いても結局なんの雑誌か分からなかった。もう一つは、万国共通のポルノであるが、おそらく他の国で撮影された奴の写真だけ利用して再構成したものではないだろうか。ヌードグラビアといった感じの写真ばかりで(とはいうものの見えてはいるのだが)、個人的な趣味を言うなら、あまりいやらしさを感じるような内容ではなかった。普通の雑誌は1800LEI、ポルノは5000LEI。

・仕事現場に戻って、昼食。弁当である。鶏のフライにフライドポテト、サラダ。弁当のおかずが脂っこいのは世界共通のようだ。デザートにチョコケーキがあったがめちゃ甘で食べた後に後悔する。パンはおいしかった。

・時間がタイトななかで仕事が進行しているため、現場の緊張感は午後になって確実にアップしている。それでも休憩の合間に、通訳・パトリシアと雑談をする。某国の最近のヒット曲って何、と尋ねたら、最近はクラブにあまり遊びにいっていないので分からないという返事。公務員になっている友達とは、仕事が終わった夜に遊ぶことが多く午前2時ぐらいに寝ることが多いとか。でもここのところは、この通訳の仕事が忙しくて、夜遅く朝早起きしなくてはいけないこともあって、ぜんぜん遊んでいないという。一度、現地の若者が遊んでいる場所には足を運んでみたかったのだが、さすがにそんなヒマはなかった。

・仕事が押して、晩御飯はホットドッグだけ。それだけでは足りないので仕事が終わった後、ホテルの隣の「ピザハット」にみんなで出かけて、ビールとサラダ。
・29日にチエックアウトするボクと関係者Mさんは、宿代をキャッシュで支払うわなくてはならないことがが発覚。ボクの宿代も秘密指令を出した取引先の会社であるMさんがカード払いする予定だったのだが、この予定外の展開に「現金をどれだけ持ってます?」と尋ねられる。計算したが、ボクは一泊分ぐらいしか持っていなかった。はてさてどうなることやら。両替し損ねた日本円だったらいっぱいもってるんだけど、今は紙屑ぐらいの価値しかないからなあ。


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<9月28日>
・仕事は続くよどこまでも。とりあえず、今日一定のところでケリがつかないと大変なことになるようだが、やや遅れつつも、順調にはかどっている様子。仕事の間に抜け出して、家族へのおみやげである絵はがきを購入する。18000LEI。なんだか不必要に高い値段がついている感じがするが、実際ホテルの宿泊料も外国人だと現地の人の倍の値段になるというから、やはり外貨を稼ぐために高くなっているんだろう。現地通貨から他の国の通貨への再両替には、証明書が必要というのもそんな狙いがあるからに違いない。

・午後2時ぐらいに遅い弁当。やはり揚げ物とサラダ。今日のデザートのケーキもなかなか甘かった。これまではホテル内で仕事を進めてきたが、午後からは屋外で仕事、ということで心なしかみんな開放感を感じている様子。現地スタッフと日本人関係者の間で意志の疎通がうまくいかないケースがあって、これからははっきり言葉に出して言い合おう、ということをお互いに確認する。

・ホテルでの仕事を引き払い、午後4時からは屋外の現場へ移動。開放感に加えて、仕事が初めて予定通りに進行していくため日本人関係者のリーダーもやっと笑みを見せた。ちなみに、現地スタッフのまとめ役であったGさん(女性)が知っている日本語は「ギリギリ」と「ペコペコ」だとか。今回のみならず、タイトな仕事ばかりをやっているんだなあ、と日本人関係者も苦笑する。

・屋外の現場のすぐ近くにはやはり某大統領の手になる巨大な廃墟があった。なんでももともとはルーブル級の美術館を作る計画だったというが、革命ですべてがチャラ。建物の周りにはさび付いたクレーンまでそのままに残っている。夕方、日が暮れてくるにしたがいカラスが集まってきて、不吉な鳴き声を挙げながらその黒い姿を廃墟の上に並べていた。取り壊せず、再利用もできない巨大な建物は、カラスの寝床としてしか役立っていないようである。

・めずらしく仕事が順調に終わり、比較的早い時間に夕食に行くことができた。一応、フランス料理ということらしい。どちらにしろメニューを読めるのはパトリシアだけなので、みんなでパトリシアの解説を聞きながら食べ物を選ぶ。ボクは牛肉のタルタル風。まあ、牛肉のネギトロとでもいうような食べ物であった。それとビールとワイン。日本人関係者の責任者に仕事についての意見を聞いて、現場視察の役割を一応果たす。

・このお店のウエイトレスは黒い上下でミニスカート。そこに「召使いエプロン」という、ほとんど「召使い」のコスプレではないかという状態。モデル学校にも通っているパトリシア(本人曰く、この学校では25歳ではもうオバさん扱いらしい)の知人がアルバイトでいたらしく、入店そうそうパトリシアが驚いていた。ここまで読んで、パトリシアに関する記述が多い、といわれる方もあるかもしれないが、可愛いのだからしかたがない。

・その後、日本人関係者だけでバーへ飲みに行く。結構眠くなっていたけれど、ウイスキーのストレートをなめながら、雑談。日本人関係者でパリに長い人が、パリで撮影した日本映画に携わったことがあるとかで貴重な裏話を聞かせてもらう。映画のタイトルは「エロチックな関係」(笑い)。


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<9月29日>
・午前7時45分起床。現地視察も今日が最終日。現場へ移動後、必要があって現地事務所と現場を車で往復する。この時運転してくれた現地スタッフのあだ名が「MR.スピード」。その名の通り、ただでさえみんな飛ばし気味で走っている某国の道路を、さらに速いスピードで駆け抜ける。すきがあれば車線変更、クラクションと急ブレーキを頻発しながら走るその姿はまさに「MR.スピード」の名にふさわしさ。しかも、運転しながら表情が変わずに「運転なんてつまんねーの」なんて顔をしているから、無駄のない運転が彼の身上に違いない、と勝手に思い込んでしまいそうなムードが濃厚にあった。

・現地の仕事が一段落する午後12時半まで見学。見学の合間には例のごとく、パトリシアと雑談をして今度は回文を教える。国際親善である。「タケヤブヤケタ」とか「ダンスガスンダ」なんていう基本的なやつだけれど、日本語のことわざが好きだというパトリシアだけあって、反応も良好。仕事が終わった後に写真を撮影してあげたら、「写真を送ってちょうだい」ということで住所を教えてくれた。

・というわけで、現地のスタッフに別れを告げて、仕事を終えて帰路につく。地方の国内線の空港のような某国国際空港へ車で。空港で某国の通貨がけっこう残っていることに気づいたので、おみやげでもと思って免税店を覗く。で、現地のCDを買おうと思って、レジへ持っていたらドルでしか売らないという。まったくもって、徹底的に外貨獲得に執念を燃やしている国である。聞くと免税店の隣に両替屋があるという。で、そちらに行って「USドルに」と頼む。すると「レシートを持っているか?という質問。
レシート? どうやらこの国では、自国の通貨を外貨に両替するときには書類が必要らしい。しかも、それはこの空港内では手に入らない、ということを説明してくれているようだ。(あとで、地球の歩き方を丁寧に読んだらその通りのことが書いてあった)
でも、某国通貨なんて日本へ持っていっても紙屑にしかならない。なんとかならないか?というような調子(というか、そういう気持ちを込めて)で両替屋に尋ねると、顎でさらに隣にある電話屋(?)にいけ、という。何度か確認すると、両替屋のおじさんにあんまり言いたくないんだけどねというような表情が浮かぶので、疑問を抱えつつ隣の電話屋へ。

・電話屋というのは国際通話できる携帯電話らしいものが並んでいて、それを使わせる商売をしているらしい。本当のことはよくわからない。演題を一回り大きくしたような台の上に、露天のように携帯電話を並べている。だが、電話と売っている様子は全くない。というような、言葉で説明不能な不思議な店である。ともかく、今度はその店のオジサンに、「USドルに」といって札束を渡すと、電卓でチャチャチャと計算し、245000LEIを28ドルに両替してくれた。どうやら、電話屋のおっちゃんは闇の両替屋であったようだ。確かに、簡単な暗算で考えてみると、えらい高いレートでボリボリなのは間違いない。相手の足下を見た商売であるが、なにしろ紙屑よりは数倍マシである。

・午後3時10分のエール・フランスで出発。機内で遅い昼食(ジャガイモとチキン)とビール。「この不思議な地球で」を読んでいるうちに、熟睡。

・シャルル・ド・ゴール空港に到着。チェックインをしようとしたら、カウンターのお姉さんが「あんたの荷物はここに書かれている機体には乗っていない。別に荷物確認用のレシートがあるはずだ。これではどうしようもない」(想像)と言い始める。こっちは、なんで相手が突然そういうことを言い始めたのかが理解できずに、悩む。いろいろつたない英語で話しているうちにやっとあいての言いたいことが理解できた。
 某国国際空港のチェックイン業務をルフトハンザ関連の会社が請け負っており、荷物用レシートに「ルフトハンザ」と書かれている。で、彼女はそのルフトハンザという部分だけを見て、「ルフトハンザにそんな荷物はない」と言っていたわけだ。よく見ると、その下段に小さく、エールフランス便について書かれているのに……。
 なかなか理解してくれないお姉さんは、それでもあちこちの人に聞き回ってくれてやっと事態を理解。やっとチェックインさせてくれた。しかし、勘違いで大騒ぎしたんだから、一言ぐらい挨拶があってもいいだろうに。

・免税店で会社と実家へのおみやげを購入。ビールとポテチで一服した後、搭乗。午後8時にANAで出発。ワインを2本ほど飲んだら、猛烈に眠くなり機内上映の映画も見ないで眠りまくる。時差ボケがないだけいいか。それから、機内の新聞で日韓戦で負けたことを知り、トホホと思った。



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<9月30日>
・帰国。もはや特に語るべきことはない。夕方から会社に出向いて、平常の仕事の一部をこなし、帰宅した。頭は明日以降の仕事のことでいっぱい。


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