1997年9月中旬

<9月11日>
 ◇ 「社会の法則と民主主義」(板倉聖宣、仮説社 2000円)、「メディア世代のカルチャーシーン」(J-WAVE編、誠文光新光社 1748円)」を購入。
 「メディア世代のカルチャーシーン」は、ある話題(映画、アイドル、ディスコ)などについて、「今好きか(コンテンポラリー性)」と「好きだったことがある(ライフヒストリー性)」について調査し、それをグラフにまとめてあったため、興味をもって購入した。
 縦軸に「今好きか」、横軸に「かつて好きだった」をとり、目盛りは好きと回答した人のパーセンテージになっている。そして、映画であればさまざまな作品をそのグラフ上にポイントし、その散らばり具合などを比較するわけだ。これだとさまざまな風俗がストック(定番として蓄積されるか、でこの本ではステイカルチャーと呼んでいる)、フロー(時代性が高いのか、同様にこれはパスカルチャー)がよく見えるグラフで、ちょっと興味深い。
 残念なのは4年前の本なので、話題が古い感じがするところか。

 ○ なんだか、決死の覚悟であった「ザンボット3」購入計画であるが、忙しさに紛れているうちに路銀が減っていくのだった……。ああ、仕事もせっぱ詰まり過ぎている。しかも、自分の努力だけではなんとかなりようになかったりする。やれやれ。

<9月12日>
 ◇ 長い一週間がようやく終わりそうな雰囲気もあるが、今週末からが天王山になることは決定なのだった。うーん、自分でどうしょうもない部分もあるから余計に厳しいッス。

<9月13日>
 ◇ えいや、と決意してお金もないけれど、「無敵鋼人ザンボット3」のLDボックスをいきなり購入。ヲイヲイ、今月これで全うできるのかい?←自問自答。
 どーせ足りないなら、少々使っても同じなので本も買う。「子どもと大人」(谷川俊太郎・河合隼雄・見田宗介、岩波書店 1200円)「生きにくい子供たち」(岩宮恵子、岩波書店 1200円)「インターネットの子供たち」(三宅なほみ、岩波書店 1200円)「NHKテレビ版 フルハウス」(求龍堂、1000円)「内部告発 ソフトバンク 歪んだ経営」(吉田晃一、エール出版社 1400円)「ポケットモンスター緑を遊び尽くす本」(KTC 480円)。
 それからCDで「221B戦記」(筋肉少女隊と水木一郎、1020円)。深夜番組でこの曲のプロモビデオを見て、びっくりしたので早速購入。声の出演(!)は神谷明とみやむー。

 ○ 帰宅してザンボットの1,2話を観賞。2話は、作画なんかに手間がかかっていないにもかかわらず、富野氏の殺陣師的うまさは感じはやはり感じられた。ブックレットの鼎談もなかなか読み応えがあり納得。18年ぶりに見たけれど、やっぱりこの作品は好きな作品である。しかし、焼津市の背後が富士山というのは方向も距離もめちゃくちゃな描写(というか、設定)ですなあ。

 □ 電子頭脳映画史を読了。この種の映画の歴史とマニアックなポイントを押さえるには、基本的な本といえるかも。

<9月14日>
 ◇ 昼に起きて出かける。東横線・中目黒駅周辺をうろうろして、カラオケに言った後に居酒屋で晩御飯。カラオケで、「硝子の少年」(KinkiKids)を歌ってみようとするが、やはり知らない歌は歌えないのだった。居酒屋ではサンマがおいしかった。帰りはほろ酔いのため、つい山手線を8駅ほど乗り過ごしてしまって、気がつけば「秋葉原」。やれやれ。
 帰宅して、人から借りたマンガ「百鬼夜行抄」(今市子)の1、2巻を読む。面白い。

 ○ 先日、知人から「反町の竹野内のどっちかとヤラなくちゃいけない(あるいはヤラれる)としたらどうするか?」と尋ねられた。うーん、選べませんね。というか、現実にはストレートな俺的には、想像不能というべきかなあ? 
 男の人は、自分が性の対象だって見られているのに慣れていないから、そういう事態が怖いのでしょうなあ。それが同性愛者への反発になっている部分は大きいと思う。 

<9月15日>
【日記猿人関連】
 ◇ さて、自分のやったことが法律違反でないのだからオッケーというのは、子供の理屈だな。想像された事態ではあるけれど。

ばうわう氏の意見の一部の要約です。
 <不正行為をしたつもりはない。ハッキング行為をしてサーバに侵入したこともない。刑法上、私の違法性は存在しなく、価値観の異なる「モラル」「感情」面で「不正」といっているのではないか。あなたがたは経済的・肉体的損失を受けていないはずである。刑法上、不正がないくせに、刑法に関わらない行為で「不正」と私を攻撃するのは、立派な犯罪行為者です>   

 本筋の批判は疲れるのでやりません。が、重箱の隅をいやらしくツツクと、刑法上というところは笑えますね。法律上ならわかるんですが。刑法に違反していなくたって青少年健全育成条例だって火取法だって、不正はあるというのに(笑い)。あれだけメディアウオッチをされているなら、こういうところにも気を使っていただきたいものである。
 しかも、彼の論理でいけば、彼の指摘する「法的に根拠のない攻撃」も、「刑法に違反していない」以上、不正ではないのでは? やれやれ。

 というわけで今回の教訓は「親は親たらずとも、子は子たれ」(?)ということで、きっぱり袂を分かつためにも、掲示板でハセピー氏からご指摘があった通り、日記猿人の改名というのが必要だと思います。たかだか名前のためだけに、ばうわう氏に「親面」されるのは不愉快ですからねえ。

追記:ハセピー氏はその後、そこまでするのも…という意見をアップされていた。
【以上】

 ○ 昼に起きて、夕方ぐらいから東横線・中目黒駅周辺でお仕事。久しぶりに背広なぞを着て町を歩く。雨が本降りでなくて本当によかった。
 仕事が終わった後に、一度恵比寿まで戻り、再び東横線・祐天寺駅へ出向いて、晩御飯は、鉄ちゃん(鉄道ファン)的カレー屋「ナイアガラ」で食べる。お店の中には、SLのプレートや特急(?)のヘッドマーク、全国の駅長のサイン入り色紙などが所狭しと飾られており、椅子も列車の物を使っている。しかも、注文はミニSLで運ばれてくるという懲りよう。当然、店長は駅長と呼ばれ、制帽を着用しているのだった。(さすが、珍日本紀行で紹介されだけのことはある)。
 というわけで、食事後は「ナイアガラ」の向いのゲーセンで、「電車でGO!」に初挑戦。初挑戦だけあって、やれやれな結果に終わるのだった。

<9月16日>
 ◇ 眠い。どうやら冬眠(ウソ)の時期が来たらしい。ちょっとエネルギーを充填しないとボロボロのだてふ(高村光太郎でしたっけ?違うかも)、ではなく「体調」になりそうである。昨晩は午後11時過ぎに寝たのに、午前8時に起床してもまだ眠たかった。これはひとえに夢見が悪いせいである。夢のなかで6キロの長距離走をしてたんじゃあ、疲れがとれるわけがない。

 □ めずらしく午前中に起床して、月島へ出向く。もちろん、お仕事である。で、すすすーとお仕事を済ませて、昼食にソバ弁当を食べてから会社へ。うーん、あんまり食欲なかったかも。午後4時になったので、昨日と同じ背広姿で有楽町と新橋あたりをウロウロ。これもやっぱりお仕事である。昨日はなんとか持ちこたえてくれた雨も、今日は非情にも降り続き(それでも7時ごろにはちょっと上がった)、靴はじっとりと湿ったのだった。まあいいか。
 会社に戻ってくると月末の出張が決まっていた。どうやら、ローマ人が住んでいたために、それが名前になった国にいくらしい。うーん、あそこって、殺された独裁者以外に何があったのだろう?<無礼者。金子修介監督の「噛みつきたい」って、この国から血液が送られてくるところかなんかから始まっていたと思ったが…。無い知恵を絞っても、これぐらいしか思いつかない。
 よし、これをダシに金はないが本を買おう。本を買うのに一番必要なのは、金よりも動機だな。ラララ、いざとなったらリボ払い〜(←ウソ)。

 ○ 父からメール。酒を飲みすぎのようなので、糖尿病に気を付けろとのこと。父はスーダラ節を知らないらしい。(ウソ・反省してます)。今日の日記はウソだらけである。

【日記猿人関連】
 △ その後、ばうわう氏の意思表明については、「おもふこと」(もはや、「新れすッ」と呼ぶべきか)・「ワープ日記」などで疑問点、あるいは論理のねじれなどが指摘されている。 あまりに不毛すぎる場所ではあるが「たたかう伝言板」でも、同様の指摘があった。
 個人的な感想はもはや特にないが、あまりに常識はずれな行為をした人(例えば、他人の日記をかたって登録する)なんてことをした人が、「ルールがない状況がもっともいい」なんて発言をしているのは爆笑ものである。僕も、その意見には賛成ではあるが、言っている人の日記に関する振る舞いだけ見ていると、ちょっと笑いと疑問を禁じ得ない。しかも、発言した後でBOWDOとワープ日記を読んで、なにやら気弱? ともとれる追記をしているのもまたおかし(←おかし、はこの場合、誤用)。まあ、個人の自由だけど。バグというのは決してなくなるものではないという真実をが、ここまで分かりやすく現れると、なかなか社会勉強になるなあ、と思う次第である。

<9月17日>
 ◇ 昨日は眠る前にメールチェックをしたら、早速「にんにくと十字架」の販売斡旋メール(ウソ)が届いていた。やはりあの国に行くにはこの2品は必需品であろう。何が起こるか分からないからなあ。幸い私は、某居酒屋で「ニンニクの五右衛門」をしょっちゅう食べているので、ニンニクに関しては問題あるまい。とすると、問題は十字架である。
 私は、そっちの方は無学なのだが、やはり彼の国特有の魔物も「カトリック」でないと退治できないのだろうか? 地域的にはカトリックが強そうな気もするが、もしかすると東方正教会かもしれないなあ。東方正教会であるなら、大学時代の後輩が洗礼を受けているので、そのつてで聖水や十字架なんぞをチョチョチョイと分けてもらえばオッケーかもしれない。しかし、浄土真宗の家に生まれた僕が使っても効果はあるのだろうか? 万が一、僕がそんな魔物になって帰国したら、男性に「触れた」ことのない女性が激減(トキ課長並?)している日本では、たちまち食糧難にあうだろう。
 とすると、やはりトマトジュースかネズミの血で生きていくのかなあ? 
 
 それはそうとして、おみやげとしてリクエストのあった名物「某独裁者饅頭」がどこで売っているのかもガイドブックで確認せねばなるまい。←ヲイヲイ。  

 □ 写真週刊誌に掲載されていたイギリスのCM。年老いた夫婦の写真が次々と映し出される。下のテロップで彼らが、サッチャー元首相の両親・ノリエガ元将軍の両親・チャウシェスク元大統領の両親などであることが示される。そして、最後には「○○のコンドームさえ使っていれば」という字幕……。
 まあ、理詰めで考えると「悪人になることが想定されるのであれば生んではいけない」といっているようにもとれないことはないが、ここは一つ軽いジョークと考え、深く追及せずに笑い飛ばした方がいいだろう。こんなののアジア版を作ったら、非難囂々かもしれないけれどね。(さあ、誰を登場させたら面白いか考えてみよう)

 ○ いよいよもって仕事がピンチである。さて、私は無事週末を迎えられるのでしょうか(笑い)。

<9月18日>
 ○ もうだめか! と思われた仕事が、奇跡的にうまくまとまる。セーフ!!である。後少しで「どんなに頑張っても無理なものは無理」という神様の声が聞こえるところだった。忙しいのでこれだけ。

<9月19日>
 ◇ 仕事を終えて、会社で一杯やってから帰宅すると、もうすでに昼。仮眠してから、またちょっくら会社に。せっかく会社にいったがあまり成果はなかった。帰宅ついでに、新宿によって書籍を購入。出張用の本も買う。

 ○ よく考えてみると海外に出かけるときには、何故か翻訳物を持っていくことが多い。初めての海外である台湾の時には「ホーキング 宇宙を語る」、2度目のオーストラリアは村上春樹も持っていったがロアルド・ダールの短編集も一応持っていた。(結局読んだのは2編ぐらいだったけど)。
 今回は、村上春樹ら人気訳者によるアメリカ小説のアンソロジーと巽氏の編によるアンソロジーなどを持っていくことに決定。それに、菊池秀行氏のトランシルバニア地方の紀行文を加える。しかし、旅行の準備の最初が、持っていく本の選定でいいのだろうか?

【日記猿人関係】
 ☆ 右翼の街頭宣伝とか、左翼のビラとかああいうものは、言い切りが大切だ。そこは議論の場ではなく、意見の表明の場である以上、迷いというものを現出したらそれはその時点で自分たちの「負け」である。だから、そこには針小棒大だったり、さりげない論理のねじれがあったりするが、それは彼らの根本姿勢を否定するものにはならない。だからむしろ、そういった表現上の不思議な部分は「レトリック」とでも評した方が、正確に彼らの思想心情を捉えることができるだろう。

 今回のばうわう氏が起こしている騒動の主な原因は、「日記猿人に関するアンケートにひとりで何票も投票した(厳密に言えば氏のメールアドレスと同様なものが、大文字小文字を変えて使われていた)」「同様のアドレスよる他人の日記の登録があった」ということになる。
 今回、管理者側からばうわう氏に出された警告・処置は、こうした「猿人」システムへの「攻撃」に対する猿人初のルールの執行である。これは、謝罪すればそれで解決、なければ登録日記一覧以外の場所に名前を永久に出せなくなるという、「初犯」には優しく、「再犯」に厳しいという内容だった。
 彼は「これは法律違反でない以上不正行為でない。」。また、彼の行為を非難・誹謗中傷する日記については「集団リンチだ」とこれまでのトラブルと同様に反発し、「本人にメールを送らなければ、抗議は通じない」という一行情報を掲示した。
 (もっとも、ばうわう氏は過去に少なくとも3人から謝罪もしくは、事情説明をするべきでは、という「抗議」のメールを受け取っているが、完全無視を貫いている)

 僕の立場からすると、ばうわう氏の非論理的な行為は、かなり常識を欠いていると思うし、管理者側の処罰も概ね妥当だと思う。(いささか決定の過程については異論もないわけではないが)。僕は、ばうわう氏のどうでもいい戯れ言にいささかうんざりしていたのだが、やはり日記猿人システムに潜む取り除けない先天性バグなのだと同時にあきらめてもいる。ああいう人がいるのは世の常だ。

 冒頭に、街頭宣伝とかアジビラの類について書いたのは、ばうわう氏の行っている行動はすべてそういった文脈で捉えられるものだから、論理で攻めても無駄なのだ、ということを自分で確認するためである。あの手のアジテーションと同じで言いっぱなしで、コミュニケーションを取ろうとはしていないのである。大切なのは、街頭宣伝が示さない事実もあるし、アジビラに書くという行為そのものに背後関係が潜んでいたりすることを忘れないこと。
 つまり、ばうわう氏は、その根本にあるのは「語るべきものをもたない者は、語るべきものを持っている者(ばうわう氏のことであろう)に嫉妬・攻撃することでしかアイデンティティを確立できない」という思想である。まあ、この思想がとんだ思い上がりであるのは、ちょっといくつかの日記を読んでみれば分かると思うが、そういう思想を持つのは自由である。
 コミュニケーションは、「客観」を成立させる手段である。(「私」と「他人」の指し示す事実が同一であるかを確かめることで「世界」は一般的なもの成立しているということ)。それを閉ざしている人は、社会においては一方的にしゃべるだけの九官鳥と一緒である。(余談だが、西部某を宮台某が撃退したというのはその部分をうまく指摘したからであろう)。
 ただ、その手法の中に入ってしまうと、その世界観の一般性を確かめることはできなくなるのも事実である。だから、日記猿人(当然ながら、氏のHPのことではない)を知らない人が彼の戯れ言をそのまま信じることであるが、それを止めることはできないことはとても残念である。

<9月20日>
 ◇ 昼に無理矢理起床して会社へ。ちくっと働いた後、午後8時半から渋谷の台湾料理店で夕食。道すがら書店に立ち寄って、文庫本を3冊。「妖怪と歩く ドキュメント・水木しげる」(足立倫行 文藝春秋 476円)「本は寝ころんで」(小林信彦、文芸春秋 438円)「劇画近藤勇 星をつかみそこねる男」(水木しげる 筑摩書房 1050円)。

 「妖怪と歩く」は水木しげるに関する本の中でも、最良の一冊ではないだろうか。大いなる矛盾の人である水木しげるの世界(彼岸)を描くのに、作者は「此岸」に立つ足場を見失しなうことはなかった。関係者インタビューが多く、それが、この本に客観性のある愛情を持たせている。
 「本は寝ころんで」は、ずっと買うかどうか迷って、ハードカバーの時にトライアルの為の立ち読みを何度かしたために、概ね読んでしまったという僕にとってはいわくつきの一冊である。まあ、今読むとほどんど内容を忘れているので、どうということはなかったけれど……。小林氏の文章のいいところは、平明でありながら鋭いところだ。芸があるなあ。

 ○ 本を読みながら、「12モンキーズ」を見ていた。終わった後に、同作品の原型ともいえる「ラ・ジュテ」がオン・エアされた。やるなWOWWOW。これでマニアのハートもがっちりだ。全編スチールで構成された実験的作品だが、そのストイックな映像に圧倒される。

 そういえば、昨今のピアソラ・ブームだが、「12モンキーズ」に端を発しているように思うのは俺だけか?

 □ 出張の準備は一向に進まない。やれやれ。


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