1997年8月上旬

<8月1日>
 ◇  僕は無知なので、少しはサイエンス・フィクションについて勉強しようと思った。そこで「SFへの遺言」(小松左京、光文社 1800円)を購入。僕が読んだことのある小松左京作品というのは、「見知らぬ明日」「復活の日」「日本沈没」「さよならジュピター」が全て。こうやって並べてみると、もしかするとわ・ざ・と・傑作をはずして読んでいたのかもしれないという気がする。し・か・も・読んだのが小学校高学年から中学生にかけてなので、以前にも書いたけれど、SFというよりは艶っぽいシーンのある大人の小説として読んでいた部分の方が大きかったかも・・・。内容はおおむね忘れている。映画「さよならジュピター」のとほほさはさておいても、小松左京は気になる人ではあったので、こうやってコンパクトにその人の道のりがたどれる本はありがたい。
 小松左京を追いつつ、同時に戦後SF史としても読めるところがこの本の面白かったところ。小松左京と語ったりする作家・評論家の人々も、年齢などがバランスよく配置されているためか、読んでいて読みやすく分かりやすい。(門外漢なので、名前は知っていても業績は知らないので、これ以上のことは言えない)。マニアでもビギナーでもオッケーという本だが、もっとも、ビギナーがこんな本を買うのであろうか? とは思う。

 面白かったのは1969年に既に、日本SFクズ論争(「山野・荒巻論争」と呼ばれるらしいが)あったという事実。ジャンルの成熟、広がりを論ずるのはさまざまな視点があるのでなかなか難しいということか。

 ○ 昔、アニメージュに、スタジオぬえのデザインノートという小冊子がついたことがある。ぬえメカオンパレードのいわば設定資料集なのだが、そこに、まだ企画中の「さよならジュピター」のメカデザインが掲載されていたのだ。しかも、その脇には「これが完成すれば日本映画のSFは根底から変わる」みたいな文章が書かれていて、も・の・す・ご・く期待しちゃったんだよなあ、オレ。結局、劇場には足を運ばなかったんだけれど、あの小冊子の功罪を今問いたい気も少ししたりする。

 □ それから、もう一冊。「「困った人たち」とのつきあい方」(ロバート・M・ブラムソン、河出書房新社 1600円)。内容は、こまった人に対応し、うまくやっていくための「人生の取説」といったところ。読み物としてそれほど面白くないので、別に全部読む必要はなく、自分に必要なところだけ読めばいいという程度の本であった。 
 ちなみに、日記猿人に関係する人は44ページから55ページまで読むとなかなか楽しいかもしれない。もっとも、日記猿人を円滑に運営するための処方箋は書かれていないので、あしからず。

<8月2日>
 ◇ 久しぶりに部屋を掃除するが、本棚には手を着けない。ちょっと(かなり)乱雑に本が積まれているので、並べ替えやストックヤードに移すなどの手順を踏まなければいけないのだが・・・。めんどくさいのでやらない。掃除、洗濯の時はBuddy(小沢健二)を聞き、それから、ROBONATION(水木一郎)へ。ROBONATIONは、アレンジ、歌唱ともにライブを意識したような仕上がりで、オリジナルのシンプルな力強さに欠けるのが欠点か。
 で、1曲目のマジンガーZを聞き終わることもなく、ベートーベンの第9に変える。こちらは、いきなりチャプター5で合唱から聞いて盛り上がりながらテレビを消音したままつらつらとザッピング。すると、NHK教育でなにやらオケと大人数の合唱団が出演している。つい演目が気になって、ボリュームをあげるとどこかで聞いたような曲をやっている。
これは・・・アンドリュー・ロイド・ウエーバーのレクイエムだったかなあ? 記憶が不確かだけれど、聖なるかなを聞いくと、やはりそのようだ。でも、これは冒頭に子供が歌う部分があるのだが、テレビ出演している合唱団には児童合唱の姿は見えない。ソプラノで代用したのだろうか? 
 

 □ いささか旧聞の話だが、夏の甲子園の静岡県代表は、春に引き続いて浜松工業に決定したそうだ。甲子園は3度目の挑戦である。ぜひ、上を目指して実力を発揮してほしい。しかし、東京に転居しても、心は静岡県民(浜松市民というべきか?)だなあ。やはり、地域主義の理念に共感するのであるならJリーグも、東京のチームを応援すべきだろうか?でもなあ。

 ○ 「新恐竜伝説」(金子隆一、早川書房 620円)をほぼ読み終える。分類学に関して書かれた部分はちょっと難しかったが、以前から気になっていた恐竜が恒温動物かどうかが、恐竜の熱戦略として詳しく説明されていてためになった。これを読んでいると、恐竜SFものにして歴史改変SFだった、NHKのアニメ「恐竜惑星」が見たくなるのだった。再放送しないかなあ。
 NHKのあの枠は、面白そうだと思いながらほとんど見ていないので、すごく気になるのだった。ジンダイバーもナノダイバー(だったっけ?)も、ほとんど見ていない。
 もっとも3年ぐらい前は、天才テレビくんそのものはよく視聴していたのだけれどね。

 △ 夜は江戸川の花火大会へ。仕事上の知り合いの方の自宅(マンションの6階)から、京葉道路越をしに花火を眺め、そしてビールとワイン、泡盛。東京の花火大会では、最も数が多いという話の通り、例年よりは地味といわれながらも、なかなか派手十分楽しかった。激しく酔っぱらい午前1時半を回って帰宅。

<8月3日>
 ◇ 目が覚めて、巣鴨で昼食(古奈屋のカレーウドンは噂通り美味であった)。それから、目黒、原宿へとお出かけ。

 □ 最初の目的は、東京都庭園美術館の「パリ国立オペラ座衣裳展」。パリのオペラ座のバレエやオペラの衣裳が展示してあるが、その豪華絢爛さに圧倒される。そっちの方はとんと詳しくない僕にとって知っている作品はほとんどないのだけれど、中でも、アニメファンにオススメなのは、日本人男性がデザインした「白鳥の湖」に登場する悪魔の衣裳である。漆黒の衣裳に漆黒の羽根。羽根の先端には大きな爪もついている。なんというか、真っ黒に塗りつぶしたガンダムウイングゼロカスタム、といった趣である。個人的には、大きく広げた羽根はなんとなく、25話「Air」ラストの初号機を思い出したし、高河ゆんの「アーシアン」を想起する方もいるんじゃないだろうか。入場料は700円、8月17日までなので、興味ある方は見ても損なし、ですぞ。マジで。
 ゴルチエ、シャガール、コクトーらの手による衣裳もいくつかあるので、ファッション・美術関係に興味のある方が見ても楽しいかも。

 ○ それから、次は原宿へ移動。次は表参道のハナエ・モリビルで「映画の中のウエディング・ドレス展」を見る。こちらは、文字通り映画で使われたウエディングドレスを展示してあるものだが、映画ファンなら同じ料金払うのなら、三越の「ハリウッドSFX展」よりもずっと楽しいと思う。展示されている服の数はそれほど多いとは言えないけれど、少々つまらなかった映画でも、もう一度見ようという気分にはさせられた。

 △ その後はお約束(?)のABC(青山ブックセンター)でE気持である。あやうく理性を失いかけるが、手持ちの金がないので涙を飲んで、鶴見俊輔氏の自伝購入は見送る。とりあえず買ったのは「カルト資本主義」(斉藤貴男、文藝春秋 1714円)、「カルトな本棚」(唐沢俊一、同文書院 1457円)、「霊感少女論」(近藤雅樹、河出書房新社)。
 「カルト資本主義」は、さっそく100ページほど読む。興味深い視点でとても面白い内容なんだけれど、個人的にはもっと科学的な検証も含めて書いて欲しかった。当初の狙いがそこにはなくむしろ時代の気分をすくい取るのが主眼なのは分かるが、それが欠けているのも、なんだかかゆいところに手が届かない感じがする。

 ☆ そんな合間に、喫茶店に入ってジンジャーエールを頼む。出てきたのが、ウイルキンソンというブランドのもの。これが美味い。しっかりショウガの味がして、喉ごしのピリピリ、チリチリしたところなんてまるでショウガ湯飲んでるみたいである。ともあれ、興味ある方は一度おためしあれ。

 ◆ 友人と雑談。「碇という名字だったらいいけど、いかりや、だったらいやだなぁ」「いかりやシンジってなんか変だよな」「逃げちゃだめだこりゃあ、ってか」。
 しかし、テレビシリーズラストの雰囲気って、全員集合の前半終了(例の音楽が部分ね)と重なるような気がする・・・なんてこたあないか(失笑)。  

<8月4日>
 ◇ 昨晩は、つい勢いで「カルト資本主義」を読了。日本的会社主義と、ニューエイジに潜む全体主義っを相似であるという視点はなかなか新鮮だった。これに対するスタンスとして、筆者は現在の会社制度の持つ問題点を指摘する方法でアプローチする。個人的には、と学会的にニューエイジ的手法は科学ではなくあくまでも、一種の信仰であるという指摘があってもよかったと思う。それがないために、よくある人脈暴露的なところで終わってしまっているような気がする。(しかし、このトンデモ系人脈をしっかりと指摘した功績は大きい)。

 また、EM菌の効果については、それをとりまく批判的状況を紹介するものの、科学的に効果がないものなのか、あるいは、小規模の生ゴミ処理程度であるなら有効なのかのデータが示されない。この点がちょっと割り切れないような感じがする。

 □  僕はプロレスファンではないのだが、パンクラスという存在はすごく興味がある。僕なりにパンクラスを定義してしまうと、プロレス界における原主義者理といえるのではないだろうか。プロレスの格闘的側面(いわば本質)だけをごりごりと追求しているような団体という印象がある。

 もっとも、僕はプロレス界内での文脈としてパンクラスに興味があるのではない。きっかけは、漫画家高寺彰彦氏が雑誌「コミッカーズ」で展開する「絵の劣化コピー」に対する批判だった。これを、あるページで「高寺氏はパンクラスだから」と例えた方がいて、それ以来、アニメ・マンガにおける「パンクラス」とそれ以外という構図を夢想するようになっている。つまり、僕が興味があるのは「パンクラス」の存在ではなく、概念と言ってもいいだろう。

 アニメーションで言うのなら、押井守・宮崎駿はパンクラスと言ってもいいだろう。どんどん地味になっていくところなんか極めてパンクラス的アニメーションだと思うし、オタクアミーゴス系視点でこの2人の評価が今ひとつなのも、アミーゴスの求めている作品がエンターテインメント・スポーツである「プロレス」だと考えればよく分かる。
 では、「プロレス」の後継者というなら、やはりエヴァであることに異論はないと思う。エヴァの人気の理由の中に、アニメの駄菓子的要素を非常に上手に配していることを挙げるのには異論はあるまい。しかも、パンクラス並の技術に裏打ちされているわけだ。

 僕は正直いって、アニメの駄菓子的要素にはやや食傷ぎみである。別に嫌いではないのだけれど、どちらかというと100パーセントガチンコのリアルファイトに対する憧れの方がはるかに大ききくなっているようだ。これはマンガの方でも同様の感想を持っている。

<8月5日>
 ◇ 間違って友人のバッグに入れてしまった「知と愛」(ヘッセ)がようやく手元に戻ってきたため読み始める。ここのところ、頭が完全読書モードに突入しており、仕事中でも本が読みたく感じている。このままお盆休みに突入すれば、かなりの成果が残せそうである。
 「知と愛」は主に通勤の行き帰りに読むのだが、もうそのテ(ヤオイ、ね)の趣味のある人に堪えられない内容でしょう。僕は50ページに至らずして、すでに鼻血ブーである(←バカ)。ちなみに、今のところ僕はナルチス派です。(←そういう読み方をする本か?)

 □ 時々、拝読しているある日記の方がぴょん太の出身地である藤枝を訪問していたとか。蓮花寺池とか懐かしい単語が描かれていてなんだか奇妙な気分。まあ、お盆には帰省はする予定ですけど。

 ○ 苦心惨憺して、「もののけ姫」の感想を書き上げる。なんつーか、書き始めから時間が経ちすぎたので、最初から書き直してしまおうかとも思ったのだけど、それも面倒くさいので、なんとか無理矢理けりをつけた。敗因は、映画の位置づけが僕の中で不明確だったことである。
 それにしても、好きな映画の感想がうまく書けないと、フラストレーションがたまるなあ。

 △ 最近、アクセスポイントの調子が悪いのか、本体の不調なのか、接続してもすぐ落ちてしまうことが多々ある。先日もそのために日記が更新できずじまいだった。うーん、何が悪いのだろうか。

<8月6日>
 ◇ 夕方から会社でちょっとした宴会が開かれた。なんでも、ちょっと前に就任した新しい社長が所信表明をしつつ、ビールが振る舞われたということのようだった。何故、伝聞かと言えば、出先から戻ってきたらすでに食べ物もほとんどな、く2次会ぐらいの雰囲気で、10人ほどが缶ビールを飲んでいただけだったからだ。まあ、それほど飲みたいわけでもなかったのだけれど、飲み始めれば飲んでしまうのがお酒の常。その後で、なんだか急に眠くなって会社でしばし仮眠をしてしまった。
 ともかく、今週頑張れば夏休みなのだ。

 □ 最近、部屋で聞いているのは夏エヴァのCDがメーン。これがなかなかいいんだ。映画に好感を持った人が、あの映画を追体験するには最良のアイテムではないだろうか。ちなみに、人からいらないといって押しつけられたRPG「エアーズアドベンチャー」(笑い)の音楽集はちょっと試しに聞いてみたけれど、つまらない感じ・・・と、第一印象が固まる前に眠りに落ちてしまった。まあ、近々中古屋に売り飛ばしてしまおう。

 ○ 会社で「女性とケンカして泣いてしまう男性が増えているのでは?」という話題がでる。僕は、振られたり、映画に感動したりした時には、涙が出てくるときもあるけど、基本的に女性と言い争いしても(そもそのそんなに言い争いをしない、か)泣いた経験はない。
 トラブルの発生→ケンカによる感情の発露→解決のためのアグレッシブな意見の交換→大団円
という僕が想定するフローチャートからすると、泣かれてしまうとコミュニケーションが成立しなくなるので困る。男性が泣くようになるというのは、男らしさからの解放という意味では、一面好ましくも思うのだが、同時にコミュニケーションよりも感情の発露を優先する人間ばかりになるような気がして、あまり肯定的にもなれないのだった。もっとも、全体が低い水準で平均化するというのが、「自由」の持つ側面かもしれないけれど。

 ちなみに、僕はこれまで雲行きが険悪になったら、ひたすら謝りまくる、という手法で、コミュニケーションの絆を切らないようにしてきた。だって、謝るだけならタダだしなあ。(←ヒキョーモノ)。7譲って、3得るぐらいのバランス感覚の下、謝り大作戦を展開するのである。もっとも、その方法論で僕が幸せを勝ち得ているかどうかかというのは、後世の歴史家の判断をまたなければなるまい。(いや、別に後世の歴史家でなくて、客観的な第3者でもいいんだけどね)

 △ 立花隆氏が灰谷健次郎氏に対する反論を発表したそうだ。近日中にこれについて考える予定である。   

<8月7日>
 ◇ 今朝、目が覚めてテレビをつけると、「魔界都市・新宿」のアニメをBSでやっていた。ついつい見てしまう。原作者は、分かりやすい父と子の物語になっていたことに不満の感想を述べていたが、僕は発売当時からそういう点はあまり気にならなかった。が、今回気になったのは、なぜかヒロインが妙に色っぽいところであった。アニメキャラとしては決して好みの方ではないのだが、やはり黒い長い髪にピンクのワンピースという「男性へアピールするポイントの分かりやすさ」が大きい原因なのだろうか。まあ、あのけなげなな風情と、最近の男性向けアニメではなかなか見られない薄めの胸というあたりが、僕に対するツボなのかもしれない(失笑)。もっともああいうタイプに限って、「脱いでもすごいんです」(←古すぎ)かもしれない。
 まあ、美形ファンとしては、この作品のメフィストも好きですけど。

 □ 続けて、同じチャンネルで海外アニメーションが始まった。「キャシー」というタイトルのようだったが、20代(想像)の女性を主人公に軽妙なコメディを展開していた。アメリカ製作らしく登場人物もパステルイラスト調で、セリフのテンポの良さが心地よく、強いて例をあげるなら、アニメ版「恋人たちの予感」とでもいうべきか。今回見たエピソードでは、バレンタインをめぐる彼との行き違いをコミカルに描いていたのだが、実写的な手法を使わなくても、じゅうぶんコメディが可能であることを思い知らされた。

 ○ なんでも「もののけ姫」がものすごくヒットしているとか。知人も、「最終回見に行こうと思ったら立ち見だったので、見送った」と話していたが、まさかほんとうに配給収入60億円に手が届くところまでいくとは・・・。個人的にはカルトムービーだと思う「平成狸合戦ぽんぽこ」が、20億を超えているのも信じられないが、まさか戦闘シーンは激しいがキャラもテーマも地味な「もののけ姫」がこれほどはやるのは、全く予想外であった。
 作品の力と、大量のパブリシティ、宮崎駿監督のネームバリューがみごとにかみ合った成果だろう。ともあれ、自分の好きな作品がヒットするのはうれしい話である。

 △ 先日購入した「別冊宝島330 アニメの見方が変わる本」(宝島社 952円)。内容は特筆すべきものはないが、余談を少々。P76に、巨乳に関するコラムがあるが、そこで小説「新宿鮫」のヒロイン、「ロケットおっぱい」と呼ばれる巨乳を持つ晶の話題に触れていた。
 そこに書かれた一文。「映画版でヒロインを演じたのはセクシー度全開だった田中美奈子」。おいおい、少なくともあの映画で田中美奈子は全くセクシーでなかったぞ。一番色っぽかったのは、なんといってもホモの拳銃密造犯を演じた奥田瑛二。真田広之に「あんたに、男のよさを教えてやるよ」というセリフは、そのスジの方には堪えられないものがあるだろう。
 一方、田中美奈子はなんでもベッドシーンを嫌がったとかで、奥田瑛二に痛めつけられた真田広之を「浄化」する大切なシーンなのに、腰の位置がずれてるのが分かるようなしょぼしょぼのベッドシーンを演じて、観客の僕はぐっと醒めてしまったのだった。

<8月8日>
 ◇ LIFE GOES ON BRA。
 ビートルズの曲にこのフレーズが出てくるらしい。このフレーズの定番的翻訳として「人生はブラの上を行く」という説がかつてあったらしいが、これは誤訳。ここのBRAは、ブラジャーの略ではなく、スキャットのBRARARARARA、の冒頭だというのが真実らしい。
 もっとも、以前読んだエッセイでは、英語の授業中に「人生はブラの上をいく」という言葉をどう解釈するかを教師が余談混じりに訪ねる一場面があった。その時のある生徒は、
「人生、山あり谷あり。ということでしょう」
と、答えたという。
 なんという鋭い洞察力と思うが、一方で高校生だな、まだ若い、と思うところも少々。「平板(凡)であればそれはそれなりの人生だが、山あり谷ありを望んで、わざわざ寄せてあげる人もいるほど、人生は苦難に満ちている」と、山も谷もない人への思いやりもふくめて解釈してこそ、一人前の大人と思うのだがいかがなものか(ナンシー関風)。

 □ 会社が夏休みに入るというので、飲み会。洋楽ビデオを流すお店だったのだが、先輩が今日買ったばかりのロキシー・ミュージックのビデオを流す。それまで、クイーン、キッス、ストーンズ(オレは洋楽は聞かないのであえてカタカナで表記させてもらう)が流れていたのに比べると、ブライアン・フェリーのいっちゃってるぶりはやっぱり笑えた。(もちろん、愛ある笑いであるよ)>昔、ロキシーのビデオを見せてくれた方。
 午前3時半頃解散。

<8月9日>
 ◇ 昨日、コンサートのために上京してきた両親、祖母と銀座で昼食をともにする。ナタリー・コールと、キリ・テ・カナワのコンサートは、バラエティに富んだ内容でかなり楽しめた様子。フランス料理のランチもなかなか美味だった。両親と別れそれから、京葉線「ビューさざなみ」で館山へ。当然、パソコンも持っていく。

 今回は、「読書の旅」が狙いなので、数冊の本を携えてきた。とりあえず旅館到着そうそうから「霊感少女論」(近藤雅樹、河出書房新社 1800円)を読み始め、夕食を挟んで読了。BGMは映画「グレート・ブルー」のサントラ。 夕食は天ぷら、刺身というとりたてて言うべきものもない、旅館的夕食であった。夕方、テレビで浜松工業が鹿児島実業を破ったというニュースを見て燃える。逆転勝ちとは、実に浜松工業らしい。にこにこ。それからPG。

 □ 霊感少女論は、ムラ社会の崩壊とともに民俗社会の世界像が解体された現代において、霊感少女はその世界像の断片をパッチワークしているのだ、と指摘し、全体の世界像を欠いているが故に、彼女らには狐憑きなのか「よりまし」なのかその相違を自覚できないでいると分析する。そして、彼女らは現実ではなく、そのパッチワークの夢想の中に生きようとしている、という。

 こんな流れなので、最終章の一部分なぞは「生きていく上での救いを求めた上での霊感少女」と「夢はいつまでたっても現実にはならない」なんて意見も出てきて、ほとんど夏エヴァ実写パート的な「現実に還れ」という意見に読めたりもする。しかし、「霊感少女」が現実に還れるかどうかで、「本人の真価が問われる」という結びの一文はなんだか大人あるいは研究者として無責任のような気もするのだが。どうせなら、こういう霊感少女はいなくなりはしない、と言ってもらったほうがすっきりする。

 ○ 文藝春秋と創の9月号を読む。噂真は、買い損ねた。
 文藝春秋は、いろいろ興味ある記事はあったが、とりあえずの目的は関川夏央と長部日出雄の「もののけ姫」対談。内容はどうということはないが、それでもこの映画の本質を「ユートピアなんてどこにもないんだ」と、一言で言い表しているので、ファンとして大きくうなずく。一部でナウシカと同じという指摘もあるらしいけど、やっぱりその一点で大きく違うし、より現代的な映画になっているんだと思うのだけれど。
 創もいろいろ書きたいことはある。とりあえず、神戸の事件に関してはここでもう一度事実関係を把握しなおして、まとめを書こうかと思った。ガロについては、ともかく最終号も出さないで逃げてしまうことだけが解決の手段だったのだろうか、と編集スタッフの最終的な決断についてやや批判的な感想を持つ。日本テレビの「超能力番組」事件については、インチキ・オカルトで商売する人間を僕は許さないので、怒りをもって読む。

<8月10日>
 ◇ いつもはまだ寝ている時間である8時半に起床、朝食を食べる。その後、「創」を再読しているうちにまた寝てしまった。午後は海岸線沿いに散歩。近くの灯台に出かける。台風の影響か、風が強い日だったため、灯台の上に上ると、一段と強風で吹き飛ばされそうになる。波もかなり大きかったが、岩場が波を遮って比較的波が穏やかになっている部分では、親子連れやカップルが海水浴を楽しんでいた。

 ひとしきり歩き回った後、おにぎりとビールを買って、海の近くで遅めの昼食。宿に戻るって、一風呂浴びた後、「現代文学理論」(土田知則ほか、新曜社 2472円)を読み始める。僕のような門外漢にとっても分かりやすく説明してあり、勉強になる内容だ。夕食のビールが効いたため午後10時ごろから午前零時半までぐっすり寝てしまう。それとPG。

 夜中になってからは、本を読みつつ日記サーフィンなぞ。朝日新聞が嫌いな人たちのページなぞも少々覗く。午前五時になってもう一度眠る。


もっと過去

偽名日記へ

RN/HP

もう少し未来