1997年7月上旬

<7月1日>
 ◇ 昨日の日記を書いてから、しばらく自分の書いたことを反芻してみた。書きながら考えているのがはっきり分かる頭の悪い文章なのだが、まあそれは事実なのでしょうがあるまい。
 それはさておき、昨日の日記を書いたことで、ひとつ考えがはっきりしたということは言える。繰り返しになるが、それは、犯人の内部に犯罪の内実を探すということは、かえって犯罪の社会的な意味からずれてしまうということ。そういう行為も無駄とは思わないけれど、そればかりに偏ることで失われることも多いはずだ。いささか飛躍しているかもしれないが、こういうふうに考えたことで、なんだか宮崎事件が改めて僕の中でオタクの事件として成立し直したのである。

 宮崎事件の判決後の混乱は、裁判の文脈の中で「オタク」という要素がきれいに抜かれてしまったために、裁判に「オタクの犯罪」という視点を見つけることができなかったからだ。同様に、精神鑑定書の分析をすればするほど「オタク」から遊離していった。アレは、「あの部屋」の「住人」が「幼女」を「殺害した」という断片のモンタージュだったからこそ、「オタクの犯罪」として社会的に認知されたに違いないのだ。今回の事件も、もう少しすればどんなモンタージュで構成されているかが、分かってくるのではないだろうか。

 ちなみに、事件の受け止め方にこそ同時代性があるという考え方は、自分の中ではスジが通っているのだけれど、うまく言葉にできませんので、また機会があれば再考しよう。 

 □ ふっと気を失ったら、なぜか手持ちの紙袋の中に「ボーダーランド文庫」(笑)が数冊。うーん。いちおう手元に置いておくか。チャーチワードなんてのは基本的な本だしな。しかし、角川社長も相変わらず謎めいた本が好きだなあ。(これらの本は決して買ったわけではないし、もちろん無断借用とも違う)

 ○ 池波正太郎の食べ物エッセイをつらつらと読む。戦前の東京の風景の描写は、僕が読んでもある種のノスタルジーを感じる。これはきっと、日本人が持つ都市の基本イメージがこの時期の東京をベースに成立したからではなかろうか。果たして、僕の青春時代であった80年代は、そのようなイメージを後世に残しているのだろうか?こんなことを書いていたらマンガ「しわあせ」が読みたくなってきた。確かに、この作品には80年代の心(の一部)が書かれていたように思う。

 △ なんだか、アクセスが急増していきなり7000アクセスを突破。7100台に突入していた。普通の日の2倍から3倍である。まさかリロード君でもいるのでは?

<7月2日>
 ◇ なんだか酔っぱらっている。だいたいこの日記は酔いながら書いているケースが多いのだけれど・・・。

 □ 先日、神保町などをぶらりと歩いていたら鶴田謙二の「スピリット・オブ・ワンダー」が限定版で出版されるとの広告が・・・。価格は、画集などの3冊セットで8500円。買い得だとは思うのだが、僕のふところにとっては、ちょっち金額そのものが大きすぎるかも。しかし、単行本未収録の「チャイナさんの憂鬱」も収録されているとか・・・うーむ物欲物欲。

 チャイナさん・・・のアニメ版はLDで持っている。夜の処理とかがカットごとにばらつきがあったり(あれはわざとかなあ?)、作画がもう少しよければ、とか思わないでもないが、まあ、日高のり子の声がよかったので許す、といったところである。監督は、クレヨンしんちゃんの本郷みつる氏。
 クレしんはテレビもさることながら、劇場版がすごく好きである。雲黒斉の野望には、故・富山敬氏も出演されているし(ああ、敬語だ)。ちなみに、クレしんに関しては僕はアンチ原作派である。

 ○ 先日突然アクセスが増えたと思ったら、某ページから神戸の事件に関してリンクをいただいていたからだった。そちらでは、米国のシリアルキラーの発生の一因として、ベトナム戦争とマスコミ報道の影響を指摘しておられました。

<7月3日>
 ◇ ちょっと驚いてます。ここ数日のアクセスの増大に。もともと日記猿人の辺境でのんびりやっていたのでびびりまくりです。しかも、メーンは神戸の猟奇事件に関して、別の人気サイトからこられた方だろう。やはり、こうなると多少なりとも補足をした方がいいかもしれない。

 □ 一つ、僕のあの論法だと、「なるべくしてなった」という自家撞着に陥っているかもしれないという反省が一点。あまりそういうつもりもなかったのだけれど、そういう要素はあったかもしれない。舌足らずな僕の責任である。

 僕が指摘したかったのは、社会が病んでいることと彼の犯罪そのものを直結させて考えることの飛躍の大きさである。(はずだ。矛盾はしてないと思う(^^;) 。この論理だと、誰もが彼のような犯罪者になってもおかしくないことになってしまう。それぐらいこの社会が病んでいるということを否定する材料は僕にもないのだが、では、なぜ僕は普通でいられるのだろうか?あるいは、多くの中学生は普通にしていられるのだろうか?そう思うと、ある一線を超えてしまうにはなんだか別の要素があるような気がするのである。これと、更正の問題は別問題であることはいうまでもない。
 今起きているある種の犯人探し(無能な教員を責めることなど)は、社会の問題と個人の問題をごちゃまぜにしたところで起きているからこそ、おかしくなるのである。僕は僕の近くに彼がいても、彼を救えた自信は全くない。だから、彼に付随するさまざまな齟齬そのものを、病んでいる現象の一例だとは思っても責める気持にはなれない。(これは一見マスコミ批判に見えるかもしれないが、それは決して本意ではないとだけ書いておこう。あれは、ああいうものなのである。問題はそれをどのように受け止めるか、であると思っている)
 彼が、社会の病理の犠牲者であると言ってしまうのはあまりに簡単すぎる。それでは、彼にならずにギリギリで生きている無数の人間をこちら側に呼び戻すことはできないだろう。

 今日も思うままに書き連ねてしまった、頭ではなく指で考えているといってもウソではないかも。もうこの件に関して書くことはしばらくやめるかもしれない。新しい事実が報道されれば別だけれど・・・。

 ○ 「H」を読む。宮崎インタビューはのびのびとしててなんだか楽しそう。「週刊文春」。やはり神戸の事件は読んでいてつらくなる。「コミッカーズ」。高寺氏の連載はなんだか、不毛なところへ入り込んでしまったかも。大切なことは一度言えばそれでいいと思う。ああいう連載で反論に応じるということは、泥沼化するだけではないだろうか。「動画王」は買い損ね、エヴァのファミニズム批評版をとりあえず購入。ええ、僕はバカだからきっとよく分からないまま読了となるでしょう。

 △ この日記で僕は矛盾ばかりである。SPEEDを買わないといいつつ購入してるし、これをやったらお終いリストの「ときメモ」も購入してるし。うそつきだな。

<7月4日>
 ◇ 買いました。「ニュータイプ mk.U」(角川書店)。まーくつーといえば、「黒い」とか「変形する」とかが知られていますが(本当か?)、今回はなんと言えばよろしいのかしら、「紙プロ」って読んだことないんですけど、「紙のアニメーション」って感じですか?ちょぴっと、アニメックが入ってるかなあ?教えて>初台方面に勤務する高校時代の同級生
 しかし、雑誌だったらどういう方向で今後続けていくのだろうか。今回みたいなインタビューラッシュは創刊号(?)ならではの手段だからなあ。今後、どういう情報をどういう切り口で提供していくかは、全く見えなかったので、「001」とナンバーをふられても、なんだか心もとないのだった。
 そして、もしある種のアニメ・ジャーナリズムを目指すなら、角川書店ではタブーが多すぎませんか?という疑問も同時に発生するのだった。井上少年エース編集長が監修として携わっているし・・・。逆に身内だったら、なんとでもなるかもしれないけれど。
 ともあれ、この号は「買い」ではあります。今のアニメ雑誌に欠けている部分は確実にフォローしているからね。どれぐらい売れるんだろーなー。(雰囲気を和らげるため、長音を音引きで表記)

 □ 買いました。やっと出た「動画王 VOL2」。資料としてはまとまっているので便利かも。ただ、以前も書いたけど「今、何故」という部分がどうしても希薄なんで、単なる懐古趣味にしか見えない。おまけに、次号は96−97年アニメ総まくりという、企画力があるんだかないんだかわからない展開。VOL3で廃刊になるほうに1000点、って感じかな。しかし、あのピンクは「紙一重」で「センスなし」だな。目にはとまるけど。
 唐沢氏と眠田氏の連載については土日にでも改めて書こう。

 △ アニメ総まくりで思い出したけど、昔1982年かな?小学館が「アニメ年鑑」を出したことがあった。主要な(これも不思議な定義だが)アニメはスタッフはおろか、各話ストーリーの紹介まで掲載されるという凝った内容だった。翌年も出版されたものの、やや内容は薄く薄くなり、さらに翌年はついに廃刊となったようだった。
 個人的には、ビジュアルを最低限に抑えて、全アニメ作品のスタッフと放送データ、それに基本設定の紹介が掲載されているような年鑑はぜひ欲しいと思っている。そして、それをやはり毎年継続して出版して欲しい。年鑑は毎年出版されるからこそ価値があるのだから。
 ☆ 新潮社をめぐる問題について書こうかと思ったが、やはりちょっと力尽きたようなところもあるので、やはりやめ。これをめぐる意見の噴出とはつまり、表現観(と裏表の人権観)や出版の流通観ともいうべきものの差にあるので、そういう意味では永遠に平行線なのだろー。(雰囲気を和らげるために長音を音引きで表記)。そういう意味では、絶対に必要ではあるが、同時に不毛な議論(結論を出すべきだとしたら)だと思う。そういう意味では、ちょっと従軍慰安婦問題と共通点はあるかも。

 まあそれでも、ボクが混乱してるよしなしごとをを、頭の整理をするために書いてみるか。
1、ボクは例のフォーカスを読んだ。僕は顔写真を見て、少年の性格の一部を想像した。野次馬だった。
2、新潮社が写真を掲載したことは直感的にマズいと思う。
3、野次馬精神の言葉でくくられない、知る権利はあるハズだが・・・。今回の場合はどうか?
3、少年は果たして更正するのだろうか?あるいは、「正常な」社会生活をおくれる存在なんだろうか?
4、被害者の人権が守られてもいないのに、加害者の人権が過剰に守られているという意見は正当だろうか?
5、人の顔と名前は、「人格」の一部を形成していて、社会的に「誰が」という問いの答えとしてもっとも妥当なものではあると思う。実名報道のプリミティブなスタート地点はここだろう。
6、フォーカスの尻馬に乗るだけのネット上の「表現の自由」をバカと切り捨てることは簡単だけれど、やはり不当な抗議には反対してほしい。
7、少年法が不勉強なので、判例などがよくわからないことも一因かも。
8、販売店が自分で売る本を選ぶという行為は、販売行為の自由というものかどうか?あるいは、普段行使していないそういう自由を伝家の宝刀のようにすることが、出版業界にとってプラスなのか。

ああ、ぐるぐるするのだ。バカだと自分の考えを持つのはたいへんだなあ。
 
 ○ 戦略を間違えたのか?、相手が強かったのか?、戦術の失敗なのか?。仕事はやはり楽しいなあ。はは。

<7月5日>
 ◇ 今日はアニメの日。適当にビデオ借りてきて、ざざざと見る。
 「ガーゼイの翼3巻」まあ、物語はどうでもいいんだけれど、演出のトミノ節(セリフじゃないよ)は実感できた。でも一番面白いのは、巻末の演出講座かも。ちょっとじじいの繰り言的なニュアンスもあるけれど、演出家の思考を知れば、駄作かどうかの直感をもっと人にうまく説明できるようになるからね。
 「X」。僕が、ああ俺にはもうだめだ、若い連中の趣味にはついてけないって思ったマンガ家が「CLAMP」なんですねえ。でも、俺は「銀河鉄道999」と「幻魔大戦」が刷り込まれているので、りんたろうはオッケーなのである。なんつーか平成幻魔大戦って感じですね。久しぶりに美しい作画のオーラを見ましたね。

 ○ 「X」を中断して、テレビで「忍ペンまん丸」を見る。すげいですぞ。こんな作品でCG使うとは、驚きですね。作品的にはどーでもいいですけど。そもそも原作が、独特なノリなんで、あんまりこういうマス狙いの作品ではないと思うんですけど。キャラがかわいいだけで企画は成立したんだろうな。
 ともあれ、CGは忍法のシーンで使われていた。でも、瞬間移動のシーンは、キャラクターの単純なオーバーラップにCGの波ガラスみたいな効果を重ねていたように見えたから、結構チープかも。試行錯誤の錯誤の部分が目立ちましたのう。

 □ 今日ははやめに日記を更新して「イーハトーブ幻想 KENJIの春」「太陽の王子 ホルスの冒険」「どんぐりと山猫」「耳をすませば」などを見る予定。 

 △ 動画王について。作曲家、冬木透さんを取り上げたところはよかった。アニメの音楽って、けっこういろいろな人が参加しているので、もう少し作曲家へのインタビューが多くてもいいかも。僕は久石譲氏に「銀河疾風サスライガー」の時にやる気があったかどうかを聞いてみたい(笑)
 唐沢氏の連載は大島渚監督の「忍者武芸帳」を取り上げる。そうか、小沢昭一がナレーションだったのか。ショウイチスト(?)の僕はこれでもの凄く見たくなったぞ。小学生の時から「小沢昭一的ココロ」好きだったし。「鑓の権三」の船頭とか、「うなぎ」の産婦人科医とか、当然のごとくいい味だしていたしなあ。

<7月6日>
 ◇ 「KENJIの春」を見ました。うーん、傑作かも。ともあれ、個人的には保阪嘉内の扱いが気になるところではある。日蓮宗とキリスト教の、それぞれの信仰の対立というのを匂わせてもよかっただろう。あれだと保阪が単に、現実に妥協したようにした見えない。
 それでも、アニメチックな幻想シーンは見応えがあった。この手のイメージシーンではかなりの完成度だと思う。鳥が青い軌跡を残しながら飛ぶシーンで「をを、板野サーカス」と思ったら、やっぱり原画に板野氏の名前があった。まあ、あのシーンを担当したかどうかは分からないけどね。
 美術が精密で、なおかつ作画も非常に丁寧だった。また、賢治がいわゆる「兄のトランク」に詰められることになる童話を描くシーンのペンシル・アニメも楽しかった。なじみの深い作品が次々と登場すると萌えますなあ。春と修羅の序、注文の多い料理店の序もともにうまく作品に組み込まれていた。
 河森氏も、作品を選ばず、与えられた企画を「犯す」(比喩ね、比喩)スタンスでもっとどん欲に仕事をしてもらいたいと切に思った作品だった。

 □ 「x」を見終わったけれど、きれいだったけど、お話には結局最後まで興味が持てなかった。むしろ、りんたろうのアルチザンぶりには納得したけれど。

 ○ 古いダ・カーポで声による性格分類が掲載されていた。笑えるので以下簡単に紹介する。

・テノール 陽気。世話好きでグループの盛り上げ役。リーダーシップがあるが悪く言えばお節介。子供のころの夢を今でも持っており、他人の目を意識する。恋の駆け引きは苦手。
・バリトン 社交的でユーモアがあり、適度な協調性もある組織順応型。しかし、内面はわがままでせっかち、独りよがりの面も。好奇心があるが、熱しやすく冷めやすい。
・バス 善良で親切、我が道を行くタイプ。穏やかで落ち着きもあるが、怒らせると激しい。プライドは高く自分はモテるという思いこみが激しい。干渉を嫌う。
・ソプラノ 陽気で親切。ノリもよく、人当たりもいいが、寂しがりや。他人を意識する傾向が強いのでプライドが高く、かなりの見栄っ張り。男性には尽くすが、すぐに見切ってしまう淡泊な面もある。
・メゾソプラノ 良妻賢母タイプ。几帳面で穏やか。協調性があり、でしゃばらないので、集団の中ではおとなしい女性ととられる。しかし、恋愛では情熱的で、強気で押しまくる面もある。
・アルト 好奇心が強く、何事にも積極的。性格は明るく、面倒見もいいリーダー的存在。しかし、でしゃばりで、わがまま名面もあるので、反発を受けることも。

 いやー、笑える。全国の合唱関係者(←読んでないって)はこれを読んでいたら、身の回りで確認してみてください。まあ、テナー/軽薄、ベース/体育会系、アルト/色物、ソプラノ/かわい子ぶりっこ、という僕の知っている経験則と大差がないような気もするけど・・・。とりあえずせっかくこんな話題があるのだから、これからある人物について論じるときは「奴のモテるという勘違いは、バスだからだ!」と強引に結びつけて語ると楽しいと思う。

<7月7日>
 ◇ はてさて。週末に掲示板に書き込んだり、人の意見を読んだりして考えた。うまく書けるか分からないけれど、ためしに書いてみよう!新潮社問題。

 まず、一つ目。新潮社のやったことは、重大な人権侵害であることは間違いない。もともと、現状の少年法に対して批判的だったとはいえ、彼の顔写真を出さないでも、そういう問題提起はできるわけだから「少年法云々」というというのは、写真掲載の理由に足り得ないのは明白だ。
 それから、被害者の人権云々と言いながら少年Aの写真公表にこだわる人は大間違いである。それはそれ、これはこれ、である。こういう人は人権と叫びながら、単に社会的制裁(うーん、やっぱりリンチだろうなあ。西部劇ならそれこそ「吊せ!」というところである)を望んでいるだけであって、そういう意味では人権からはほど遠いのではないだろうが。ちなみに、どこぞの教員がフォーカスのコピーを配って授業をしたそうだが、その方針は間違っていないと思うが、どうしてもコピーを配らなければできなかった授業かというと疑問が残る。

 野次馬的興味の問題はある。でも、そういう人向けにアングラ情報があるのではないか。僕はアングラ情報を肯定はしないし悪趣味だと思う。が、こういうものはいつまでもなくならないのである。魚心あれば水心。大都会の片隅でフォーカスが売られるのは、やむをえないだろう。そういうものは、なくなりはしないし、締め付け過ぎるとかえって窮屈な社会になるので、適度に世論の正義派がモグラたたきをするのが良いでしょう。それがバランスだろう。大切なのは、アングラ側は欲望産業の後ろめたさを自覚すること、正義派は自分たちが全てだと思わないこと、でしょう。それからアングラ派は、努力もせずにそういう情報がもらえるなんて思わないこと、かな。自分の心の中を見つめたときに、僕の中にはっきりそういうものを求める気持もあることを自覚するので、それは自分の中でもバランスをとるということになるだろう。
 それから、警察署前で騒いでいたヤング(失笑)だが、まあ彼らにとってテレビも事件も「ハレ」だったということで、それは占領の意味も分からずにチョコレートに騒いでいた子供と変わらないのでは。まあ、メディアに登場できるってのが彼らにとって、戦後のチョコレート並の価値があるかって思うと、なんだか、笑えこそすれ、怒る気持ちは萎えてしまいます。どちらも12才以下程度の存在ってことで、僕の中では処理がついてます。ああ、僕の息子がああいうことをやったら許しませんけどね。あれは、どこぞの馬の骨だから、彼らの親の仕事でしょう。

 それから、某掲示板でもかなり発言してしまったけれど、発売自粛事件について。
 僕は今回の発売自粛は、言論の自由の内容面での担い手である出版社の手足をもぐことに、流通側が一顧もしないという問題点を浮き彫りにしたということだと思っている。それには、誰がある本の販売を判断する権利を持っているのかという点があまりにあいまいで、それ故に、書店側に言論の自由であるという自覚がない点だと思われる。
 では誰が書店の販売の自由を担っているかといえば、各書店の店長であり、彼らはいわば書店の編集長というべき存在であるべきだろう。(現状はどこまでそうかは問題もあるだろうが、本の流通から考えた販売の自由を突き詰めて考えた結果なので、現状があまりに無自覚であり、欠けている点という指摘として読んでもらえれば幸いです)。だから、編集会議をやってどの本をどれぐらい扱うかという相談と同様に、時々各雑誌を抜き取り検査して、これは自分の店で扱うに足るかを考えるのが言論機関の正しい末端としての書店のあり方と言えるだろう。
 だから、今回は雑誌の編集方針に会社が口を出してきたケースと類似点(さすがに完全に同じとは言わないが)が多いと思う。普段は扱っている本の内容を省みない会社が、上意下達で販売を取りやめるという仕組みは、やはり問題が多い。圧力や社会批判に遠慮して、簡単に流通の自由を手放す存在として僕の目にはうつるし、これは自社が批判を受けた時などに簡単に販売しないという地盤をつくるだろう。(こうした場合、他社が本を供給すればいいというのは、ある一面で正論ではあるが、その会社が不当に流通の自由を投げ出した会社であるという評価は変わらず、それが言論の自由を軽んじる・自社の利益を守るためならやむをえないというコンセンサスともいうべき・社会的風潮を生んだ責任を問われるのはまぬがれないだろう)
 まだ、今後新潮社と取り次ぎと書店連合が、流通の自由と言論の自由について意見交換の機会をもつことを期待したい。(まあ、ないだろうけれど)
 ちなみに、僕の言っていることが、物理的に無理だという書店経営者は少なくとも教員批判とマスコミ批判はしてはいけません(これは命令かも・笑・)

 というわけで、ちょっと掲示板に書いたことより考えが深まったところもあるが、こんなところで僕なりのまとめとなりました。

 ○ 日記猿人がまたもやにぎやかになっているので、こちらも私見を少々。以前も書いた通りだが、僕の基本姿勢は「嫌なことがあったら自分が出ていく方を選ぶ」なのだ。ちょっと前までは話題の人の日記類(僕はあのテレビ時評そのものは、アマチュアの楽しみとしては高度だと思う。たたかう伝言板はちょっと不明な情熱すぎますな)を読んでいたが、ほとんど読むのをやめてしまった。これはどちらかというと、彼の挙動に不信感を持っていて(これを色眼鏡という解釈はアリでしょうな)、それゆえに執拗に日記を読んでしまう自分が嫌になったからだ。

 で、今回の不正投票事件だが。「よいこはマネしちゃだめよ」ということではないでしょうか。それ以上でもそれ以下でもないような・・・。もちろん、管理者が考えた民主主義的手法の根底をゆるがす悪事だとは思うけれど、本人と目される方がゲリラ気取りのコメントを出しているのを見ると、「ああ、ゲリラは不正規活動するものだしなあ」と納得せざるを得なかったのでした。(そりゃ多少は皮肉はいってますよ、念のため)。僕はちょっと前までいらいらしていましたけれど、社会そのものがこういう風にできているという納得をしたので、不正投票も馬耳東風(←誤用)です。
 もっとも、池川さんはご苦労さまだと思いますし、大きな感謝もしています。ですから、個人的には「日記猿人は野放しでオッケーである」、と言ってしまってもいいのではと、勝手に考えるときもあります。全員の欲望を特定の人がルールを変えることで満足させるのは不可能です。もともと、世界は不完全なんですから(ちょっち大げさ)、快適な運用を求めすぎると、苦しいだけになってしまうでしょう。
 ですから、 僕は以前書いたように、現状に固執するわけではないですが「現状で十分」という立場です。 あとは参加者が大人の態度で、バランスをとればいいと思います。
 (ああ、でも僕は野次馬くんなんで、トラブルが起きると回る日記が増えたりします・失笑・)

 × しかし、僕はインターネットてのは公道だと教わっていたのだけれど、「自分の庭」だって思っていた人がおおいなんてショックです。公道には基地街も、僕の嫌いなバカもいて、僕がせっかく往来に飾ったポスターに「お○んこ、食べたい」(ああ、おしんこ、ネ)とか「おれの○○を云々」とか書くのは当然でしょう。それは、現実の便所の落書きとか駅の伝言板を見れば分かることだと思っていたのに・・・。で、僕はそういうのをコントロールできる自信がないから掲示板は作らないんです。自分の好き嫌いで削除する掲示板も、僕が参加者だったら居心地悪いと思うし・・・。
 外野のノイズがいやになったら、耳を澄ますべきは、自分がなぜここで書いているかという動機だと思います。その動機がないならやめればいいと思います。でも、そうでないのなら、と・・・。まあ、やめるやめないは自由なんですけれど、これは、やめる理由は人ではなく自分であると言って欲しいという、僕にとってのささやかな祈りのようなものです。当然、自戒もこめてますんでご容赦を。 

<7月8日>
 ◇ 先日ついに10000アクセス突破。うーん。映画と本のページの更新を全くしていないのに、なんだか申し訳なくなるばかりである。きっと日本語全文検索で神戸の事件についてに発言しているページを探している人が多かったからかもしれない、と思う。ちなみに、アニメの話題にした日はやや減っていたような感じもするから、やっぱりそうかもしれない。
 ともかく7月中はちょっと忙しいのだけれど、とりあえず日記だけはしっかり続けようと思っている。そして、こうやってここに書いて自分を追いつめているのだった。

 □ 昨日さんざん屁理屈を吹いたので、今日は弛緩してます。ほんとは、もう少しいろいろ書こうと思っていたような・・・。まあいいや、帰ろう。(ハッ、会社で書いてたのネ)

<7月9日>
 ◇ 先日「ダ・ヴィンチ」を購入。つらつらと読む。ちょっと前からコミックも柱の一つとして扱うようになっているが「本」だけでは売り上げが厳しいのだろうか?先日何かのアンケートで、マンガを読む人間は本も読む、という結果が出ていたが、そうすると「マンガ」も活字文化の仲間入り(笑い)したってことになるのだろうか。
 そのアンケート、裏返せばマンガも本も読まない、という人がかなりの数でいるということだろう。マンガはもはやカルチャー側か、もしくは、膨大なサブカルチャーの一つのどちらかにしかありえないと考える方がいいかもしれない。24年組の微妙な心理描写のマンガが結果的に少女漫画離れを引き起こし、少女小説ブームにつながったというのも、ほぼ同じ理由での現象といえるのではないか。講談社の「ami」なんかは、こういう現状に対するテコ入れという側面もあるだろう。
 そのアンケートでは、マンガの市場が団塊の世代とともに拡大してきて、結局彼らが親になってしまった今、開拓すべき市場が少なくなって、頭打ちである現象も報告していた。広大なフロンティアがなくなった産業は、あとはニッチにいくしかないだろう。とすると、これからの方が、マスプロダクツ的な作品よりマイナー指向の作品が望まれる時代になるかも。とはいうものの、そこの変化はマンガの収益構造に縛られている側面もあるだろうけれど・・・。
 それから、現在既に旧作の復刊が進んでいるのも、そうしたフロンティアの喪失が一因ではないだろうか。これは、ファンとしては歓迎すべきことで、小説の世界では明治の文豪の小説と今年の芥川賞作品が並ぶと言うことも十分あるのだが、マンガはこれまでそれがなかった。もしかすると、これがマンガのカルチャー化ということなのだろうか。

 □ 以前もgooで「ぴょん太」を検索すると、ほとんど「ウサギ」の「ぴょん太」ばかりである。なんというか、ウサギの「露出」の多さに、自分が埋没しているような感じもある。ええ、ちょっとそんな気持を味わった水曜日でした。(なんのこっちゃ)

<7月10日>
 ◇ 今日、私(わたくし)、新宿でお茶を飲んでたんです。寝不足気味のところに、ブラックコーヒーの苦みがいー気持。なんだか頭がくらくらしちゃいます。そんなときに、ふっと横を向いたら白髪混じりの、お年寄りがいるんです。なんだか見覚えがあって、あれ、知り合いかなーとも思ったんですけど、あまりじろじろ見るのも妖しい人なので、そのまま窓の外を眺めてたんです。
 でも、聞こえてきます。「入院しているときに見舞いにいったのが最初の出会いです」「ラジオドラマの仕事を彼としてたんですよ」・・・・え?私(わたくし)、気がついて、きゅんとしちゃったんです。
 そうなんです。横にいた男性って、詩人の谷川俊太郎だったんです。こういう時ってついつい耳がダンボになっちゃう私。どうやら、寺山修司との関係について、外国人の女性から取材をうけてた見たいです。うーん、 なんか雑誌にのるのかしら。それにしても、なんだか得した気分。

 で、帰ろうと思った拍子に後ろの席を覗いたら、今度はどーみても写真で見たとおりの色黒、細面の男性が座ってるんです。彼って、河○正○監督みたいに見えたけれど・・・、気のせいだったのかしら。

(宇野鴻一郎先生のマネに挑戦して、失敗しました。やはり手本を用意しておくべきだった)

 □ 今日はなんだか疲れた一日でした。しかし、水曜日には帰りが遅くなることもあって、「爆熱時空(だっけ)MAZE」「みすてないでデイジー」はほとんど見ていないのだが、木曜日は帰りが早いことが多くて、「はいぱーぽりす」はついつい見てしまう。まあ、だからなんだというほどの話なんだけど、結局キャラクターにある程度の興味があれば、30分は楽しめるかな。まあ、コンビニエントではあるな、見損なっても後悔しないしね。 


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