1997年6月下旬

<6月20日>
 ◇ 台風である。もっとも雨が強い時に外に出てしまったので、えらい目にあった。上半身はなんとか傘でガードしたものの、ズボンはびしょぬれ。濃いめのベージュが、濡れたおかげで濃い茶色になってしまった。駅まで10分ほど歩いただけで、このありさま。幸い、慎重に歩いていたために靴の中までは濡れずにすんだのだが、それでも妙に靴の中が「しんなり」するのは避けられず、なんだか文字通り「湿っぽい」気分になってしまった。
 なんでも、渋谷では風のために看板が倒れて、1人が重体だとか。やはり、東京は怖いところかも(←ちょっと勘違い)。レインボーブリッジも一時通行止めになり、フジテレビは文字通り「陸の孤島」に。うち社内では、「あんなところに引っ越しするからだ」と楽しそうにする人が数人・・・。

 さて、雨も上がり仕事を終えて帰ろうとしたら、山手線の終電の時間を間違えていた。しかたがなく、京浜東北線最終で上野までいって、そこからタクシー。うーん、無計画のツケですなあ。

 □ 帰宅途中は「花田式噂の収集術」(花田紀凱、KKベストセラーズ 1200円)を読む。うーん、読みやすく、分かりやすいので、なんだか洗脳されているような気持になる。一応、ほめているつもりではあるんだけど。まあ、あれだけアクティブに活動していた(あれ、過去形ですか?)人なんで、きっとかなりの戦術家だろうから、こういう文章をストレートに信じるのもなあ、という気持にはなるのだった。

 ちなみに、岡田斗司夫さんについても、「洗脳社会」を丁寧に読んだ結果、その理論家・フィクサー指向(とでも表現すればいいだろうか)というのがはっきり見えて、ちょっと引いた見方をするようになっている。

 ○ 深夜テレビをザッピングしていると、どうみても富永みーな氏であるところの人が顔出しで歌っていた。12チャンだから、そういうことは十分ありうるんだけどさ。まあ、昔から知っている人が老けていくのを見るのはつらいものだ。と、自分の腹をみながら考えるのだった。こういう番組を見ると、結局、俺ってアニメファンであって、声優ファンではないことがよく分かる。(ああ、昔のことは忘れたんで、そのへんまだ覚えてる人は忘れるよーに)。
 あ、でも山寺宏一氏ってウナコーワのCMに顔出しででてますね。

 △ 先日、会社にある会社からダイレクトメールが届く。まあ、こういうのはすぐ捨てるのだが、ちょっと懐かしかったのでご紹介。その会社はパチンコ店の周辺設備機器の製造販売を手がける「美健」。このほど、ホームページでパチンコ店の出玉状況を紹介するシステムを開発、販売(価格は120万円より)を始めたという。
 で、この会社の所在地が静岡県藤枝市下藪田なんですねー。あまりにローカルな話題で恐縮ですが。なしにろ僕の通学していた小学校の学区だから、確かに名前はみたような気もするのだが・・・。ともかくそのダイレクトメールを見ながら僕は、下藪田にあるバイパスの取り付け道路と、その脇にならぶ美容院、自動車工場、その向こうにまだいくらか残る水田なんかをしばし思い出したのだった。

<6月20日特別編>
 【これは日記猿人運営に関する個人的意見ですので、関係ない人は読むと損します】
 さきほど日記をアップしたところ、猿人の運営についていくつか意見がいくつかの日記で述べられてでていたので、私見を書きます。
 まず、ランキングは遊びであるのは自明なので、その内容を明文化する必要は基本的にないと原則的に思います。でも、その明文化されれば、ピントはずれの日記猿人の運営批判がそれこそ「ピントがはずれている」ことになるので、そういう意味では賛成しないでもないです。本人が理解できなくても、新規参加者の方のコンセンサスづくりあるいは、ピントはずれのアジテーションをどう理解するかの基準にはなるでしょうからね。
 僕のスタンスは、参加者が常識人であれば今の制度・運営でも大丈夫。で、常識がない人が現れたのが嫌なら、自分が参加をやめればいい、という姿勢です。それは、僕にとって猿人は遊び場の一つにしか過ぎないわけですから。
 そういう意味では、猿人離脱の事情は知らぬが、白木氏の判断は一つの見識でしょうなあ。猿人外なのに時々テロられてるし。(ああ、遅れた私信です。ちゃんと東京に就職しました。邪眼鳥は未読です>白木様)

 ですから、運営に関しては基本的に現状で不満はありません。
 意見を補足するなら、今のトラブルが嫌な人は出ていった方がいい、という意味ではないことを書いておきます。別に戦争、便所の落書き、おおいに結構だと思います。ただ、終わりの見えない消耗戦に力を注げるほど僕の「国力」がないというだけです。皮肉ではなく、好きな人はそれを(広い意味で)楽しめばいいと思います。で、僕はサイド6の住人のように(<きゃー、暑苦しい比喩)はたから見て楽しみます。
 
 僕は、「性格というのは本質的には絶対変わらない」という考えを持っているので、嫌な人には基本的に近づかないようにしてます。(でも、こういう文章を書いちゃうから、まだまだ甘チャンではありますがね)幸い変なメールも届いたことはない(神戸猟奇事件の便乗犯を除けば)ので、猿人にはこれからもいつづけると思いますが。

 ちなみに、こういうサイトはボランティアで運営されている以上、参加者の一人として意見を表明するのは大切なことかなと思って書きました。 

<6月21日>
 ◇ 午後4時頃、ちょっとした仕事を終えて、赤坂から乃木坂あたりをぶらぶら。梅雨の合間(というか台風の過ぎた後)のぼんやりとした空模様が、かえって妙に開放感を感じさせたりする。朝から何も食べていなかったので、TBS近くのラーメン店に入る。ビールを飲みながら餃子を食べていると、有線からはRCサクセションの「トランジスタ・ラジオ」が流れてきた。
 ちょっとした既視感。いつかどこかであった、でも失われてしまったもの。それを言葉にすることはできない。僕にできるのはその周辺をうろうろすることだけだ。

 □ ↑うーん、睡眠不足でちょっと調子が悪いかも(失笑)。夜テレビをつけたら、「地獄先生ぬーべー」の最終回が放送中。原作の中でも、印象深いエピソードだったけれど、最近とみに涙もろい僕はこれでもオッケーである。アニメ版ぬーべーって原作より絵が上手いし(笑)、物語の進行もマンガより段取りが丁寧だったりして、キューティーハニーFを見なくても、ぬーべーは見るというのが僕のルールでしたね。 広の声をあてている藤田淑子さんといえば、大ベテランであるので、テレビシリーズで登場されるだけでもオールドファンはうれしいものである。代表作は一休さん(一休さん)やマライヒ(パタリロ)、マキエ・漢字失念・(妖獣都市)。そういえば、機神兵団にも出演してたなー。

 ○ つづけて、「めちゃ∧2 イケてる」を。まあ、コントはどうでもいいんだけれど(ずれてる人、はマアマアだった)、雛形あきこのクールな顔はなかなかイケているということをいまごろ発見。いや、ころぶまでいかないですけど、今日の記録にとりあえずこれだけ書いておこう。(失笑)。いや下手な司会やってるよりもよかった。

 △ 今日買ったのは「物語の海、揺れる島」(与那原恵、小学館 1300円)、「嗤う伊右衛門」(京極夏彦、中央公論社 1900円)、「アップルパラダイス 3」(竹本泉、ホビージャパン 800円)、「鉄塔 武蔵野線」(銀林みのる、新潮社 476円)。
 それから、放送批評懇談会編集の「GALAC 7月号」。表紙写真は白黒で、文字はカラーというのは???4色ずりではないってことなのかしら(?)。そのへん印刷にヨワイのでわからないんだけど。
 まあ、批評というのは難しいモノだなあと、あらためて思う。特にギャラクシー賞CM部門の選考通過作品寸評は、なんともいいようがない苦闘の記録という感じ。ちょっと「不毛」の味わいもあったりして・・・。

<6月22日>
 ◇ 在宅勤務の日、とは名ばかり。少々仕事はしたもののほとんど寝こけてました。まあ、仕事の帳尻はあうでしょう。形ばかりの仕事をしている時のBGVは「天使のたまご」と「どうぶつ宝島」。うーん、どちらも傑作である。特に「ど宝」の船上で地図を取り合うシーンは何度見ても気持よすぎるゼ。
 そして、仕事の合間には、知人からもらったマンガ本を読む。「妖怪盗賊 マザリシャリフ1−3」(魔夜峰央、学習研究社 390円)「恐怖クラブ」「秘密クラブ」「呪いの招待状1・2」(曽根まさこ、学習研究社・スコラ 510円など)「ダイナマイト・ダイヤモンド」(すずはら篠、スコラ 500円)など。まああまり僕が読んでいないジャンルだけど、なんでそんなの読んでるの、とは聞かないよーに。もらったんだもん。でも、どれも楽しく読めたヨ。(←ハっ、クソゲーハンターが入ってる!)
 しかし、ベテラン勢はやはり手堅く読めるなあ。
 このマンガ群から、僕の交友範囲を想定できたらそれはたいしたものだ。(誰に対して挑戦してるんだお前は)。
   
 ○ 名古屋へ出かけた両親から電話。劇団四季の「オペラ座の怪人」を見てきたそうである。今まで見た中でもかなり満足度の高いステージだったようで、よかったよかった。 

<6月23日>
 ◇ 先週ちょっと読み始めていた「バビロン 空中庭園の殺人」(小森健太朗、祥伝社 552円)を、通勤の往復で読了。最高とはいわないけれど、面白かった。けれど、これって推理界では評判はよかったようだけれど、どれぐらいの水準なんだろうか?トリック云々より、動機がちょっとおいらには、解せないというか(頭では分かるんだけれどね)、まあ人の不幸までしったことじゃない、って感じになりました。
 そんなことを言っていたら、推理小説って読めないんだろうけれど・・・。ああ、登場人物は好きです。特に星野君江探偵。

 □ 会社でくすねたVOW9(宝島社 857円)。ああ、こんなところに静岡ネタが転がっている(笑)。もしかすると以前この日記で触れたかもしれないが、某地元紙(笑)の県駅伝の写真。スタート地点の横断幕には「STRAT」と書かれているのだった。(もちろんSTARTが正解)。VOWでは静岡ストラットbyウルフルズ。と、突っ込まれてました。まあ、事業部かなんかの責任でしょうけど。とりあえずこれは全国区の話題を提供したことにはなりますな。

 ○ 深夜番組で無毛症の方のための陰毛カツラを紹介していた。そういうのがあるのは別にいいんだけど、むだ毛部分が少ない「ビキニタイプ」があるのはこれいかに?だって、ねえ。着替えの時に見せるのかしらん?それとも、カメラ小僧対策?うーん、夜も眠れない。(巣鴨には春日三球・照代の店があるので敬意を表しました)。

 △ 会社に届いたゲーム機器周辺メーカーのDMより。手紙の内容がなかなか楽しかったので引用します。

・鉄人28号とワイヤレス・デュアル・ショットの不思議な関係
 話は少し古くなりますが、むかしTVで「鉄人28号」というアニメが流行していました。タイトルのごとく鉄人28号というロボットが主人公であるのですが何せ彼はロボットなのでそれを操縦する映画風に言えば共演者が正太郎という少年でした。正太郎少年は子供のくせにやたら正義感が強く、毎週お決まりのように登場してくる悪者を正太郎少年の操縦するリモコンで鉄人28号がバッタバッタとその悪者たちをなぎ倒していく、そんなストーリーでした。

 【共演者という言葉は別に「映画風」ではないと思うのだが。まあ、マニア風に分類するなら鉄人はメインメカ、主人公は正太郎と言うのが正確なところでしょうが、これは蛇足ですな。それから、この筆者子供は正義感ではいけないような口振りですな】

 しかし、鉄人28号には致命的な欠陥があったのです。動きが(当たり前だが)やたら機械的でノロイのです。ギーガーッギーガーッとなにかブリキのおもちゃが動いているだけ、というそんな感じで何か味もそっけもなく、そして正太郎少年の持っていたあのリモコンも何だか女性の化粧箱みたいな中途半端な大きさで当時私は子供心に「あんな大きいものいつも持ち歩いて大変だろーな。」などとどうでもいいようなことを考えていたものでした。

 【果たして、動きがノロイのが「致命的な欠点」だったかどうかは微妙なところであろう。理屈をいうなら、ノロイことが理由で鉄人は苦戦していないのでは?ここは、子供心に不満だったのは、とでもした方が正確だろう。それから、子供のころに考えた「どうでもいいこと」を今更DMに載せないよーに。】

 時は変わり現在、TVゲームなるものがこの世に普及して今は一家に一台といってもおかしくないほどポピュラーになり、そのゲームも平面的なものから超立体的な画面が実現できるので、ゲームの主人公もあの鉄人28号のようにノロマではなくあたかも自分のように変幻自在なのです。

 【「TVゲームなるものが」ってあまり周辺機器メーカーの人は書かない表現かも。それから、「超」はやめなさい「超」は。小娘じゃないんだから。それから、この文章の作者は「変幻自在」な人なんですね。自分のように変幻自在というのは奇妙な表現だ・・・。ちなみに新解さんによると変幻とは「現れたかと思うとすぐ消えたりして、正体のつかめないこと」とあるぞ。】

 しかし、しかしです。ここで私たちは考えたのです。確かに画面上では立体的になり、動きもスムーズになったのですが、司令(ママ・ぴょん太)を出すコントローラ(リモコン)はほとんどがコードでつながっていて何か物足りないのではないかと。そこで私たち○○(社名)はあの正太郎少年のように離れた場所からでもゲームの主人公が自分の言いなりになるコントローラが作れないものかと試行錯誤してついにあの当時の鉄人28号と正太郎少年の友情関係をより高度なレベルで再現することに成功したのであります。

 【「しかし」を2度重ねる暑苦しい表現。ゲームの主人公を「言いなり」にするという言語感覚も独特だ。にしかし、さっきは「いいなり」と書いたかと思うと、最後は「友情関係」とは・・・。こういう人の友達にはなりたくないかも(笑)。それにしても、メーカーが「何か物足りない」ではアピールがヨワイよね。ちゃんとコードが煩わしくないとか書かなきゃ。(一応、別の商品説明では触れているけど)。そして、ここにきて前半書かれた「どうでもいいこと」がこの手紙のなかでもやっぱり「どうでもいいこ」とだったということが分かるのでした・・・】

 ☆ くだらない日記で睡眠時間が減る。        

<6月24日>
 ◇ パソコンの調子が急におかしくなった。狭い画面モードになって復帰しないのだ。仕事(←本当か?)などで使いにくくてしょうがない。

 □ 夜に日記を読んでいて驚く。日記者1が日記者2を過激な言葉でののしった(これは解釈の余地があるだろうが、分かりやすい表現としてこう書いておく)ところ、プロバイダからの削除勧告が来たというのだ。これが本当だったら、いくら新規加入者に綾波レイのマウスパッドをつけようが、このプロバイダの姿勢を疑う。なんつーか、子供の喧嘩に親がでるようなマネはしないで欲しい(ちょっと違うかも)。 神戸の猟奇事件をめぐるネット上の騒ぎに比べたら、「個人的」なトラブルのレベルでしょ。全く、そんな人をバカにしたような削除勧告を送ってくるなんて、利用者をなめてるとしか思えない。
 残念なことに僕もそのプロバイダのユーザーである。
 真面目な人ならすぐさま質問状でも出して、その結果如何でやめたい、と思うところでしょうが、まあ、僕はものぐさなのでプロバイダを変えずに、ネチネチと今後は嫌みなことを書いていこうかと思う。(←本当は小心者)とりあえず、もっと自由な雰囲気を望むぞDTI。 自分のやったこの意味が分かっているのだろうか?
 まあ、日記者1さんの意見というのに僕は賛成ではないですけれどね。僕にとってはちょっと暑苦しいかも。

 上の話題に補足。どうやらそれは日記者2の関係者から抗議がきたためだったと、日記者1氏は報告していた。だったら余計にプロバイダが削除するなんて日記者1に告げるのは筋違いだ。当事者同士でケンカをやってもらえばいいじゃん。個人の抗議(しかも単なる暴言について)にここまで弱腰というのもなんだかなーである。まあ、個人とケンカしないでプロバイダを巻き込む戦術も高等というか下等というか・・・。

 △ 先日利用した床屋から、手紙が来た。実はこの床屋で前髪をそろえられてしまって、なんだか子供っぽく(オタクっぽくともいう)なってしまったのでここのところ往生しているのだが、この手紙には「その後ヘアスタイルはいかがでしょうか、もし、お気に召さないところがございましたら、いつでもお気楽にお立ち寄りください」なんて書いてあったりして・・・。なんだか脱力。
 だって、また気に入らないからって立ち寄ればお金をとるんでしょ?
 いや別に怒ってはいないですけれども・・・。

 ○ 濃い話題提供者の方からの情報。書籍「エヴァンゲリオン・スタイル」をガイナックスが訴えるという噂があるそうだ。理由がよく分からないので、さもありなん、とだけ書いておこう。前にも書いたけど、自分の会社を客観的にみれないのは(ら抜き表現)企業として致命的だと思う。手綱は締めるところとゆるめるところがあってこそ、だと思うのだがね・・・。まあ、ゴマメノハギシリですけど。

<6月25日>
 ◇ 昨日は慣れない仕事で朝まで会社。で、神経もたかぶっているので、午前4時からビールを飲んで一眠り。やー、のどが渇いているのでなかなか美味。そして寝て起きて、日記を更新して会社へ。

 ○ 「もののけ姫」あるシーンを見ていて、過去の宮崎作品のワンシーンが思い出されることが何回かあった。これはもちろん、僕だけのことで、他の人が見ればまったく類似していないのかもしれない。でも、「映画の記憶」というものがあるとするなら、やはり「宮崎アニメの記憶」ともいうべきものが、「もののけ姫」の中にあったように感じた。
 「ラナに触るな」と、モリを投げるコナンや「所詮、血塗られた道か」と戦車を進めるクシャナ。そして、麦を求めて遠く異界へと赴くシュナと、アドリア海の陽気な空賊たち。どこかで会った覚えのある登場人物たちが、この映画のそこここに息づいているのだ。少なくとも僕はそう感じた。
 何も「もののけ姫」が、これまでの宮崎アニメをなぞっている作品だといいたいのではない。むしろ違う点を挙げる方が簡単かもしれないような作品だ。ただ僕は、懐かしい知人たち(!)が、作品という限られた「寿命」を超えて今なお生きているのを確認したようでうれしいのだ。
 多少ノスタルジックではあるが今日ぐらいは許してもらえるだろう。

 □ それにしても、叙事的な物語を作れるというのはすごいことだ、と思う。僕の世代に果たしてそれが可能なのだろうか?と疑問を感じざるを得ない。僕の世代にできるのは、もって回った自己言及だけなのではないだろうか、と時折悩むこともあったりする。これは、理想とする人間像、社会像がある程度確定しているかどうかにもよるとは思うのだが・・・。それとやはり歴史への関心は不可欠なのだろう。ある種の歴史観のない叙事的な物語は、よくある悲壮美だけの「226モノ」とか「特攻モノ」にしかならないからだ。
 しかし、この項目意味不明だな。いや、つまり「もののけ姫」がすごいってことなんですけどネ。
  
 ☆ 今日あるところで、舞台などに立ち慣れた人の挨拶を聞く機会があったのだが・・・一番上手いのは会社経営者で、それ以外の人については「ニッポンにおけるスピーチの不在」を思わざるを得なかった。ふう。

 × 深夜にアニメ「HAUNTEDじゃんくしょん」を見る。最終回にしてはちょっと作画が悲惨でしたかな。美術もいまいちだったけど、これはシリーズ通してこうだったのかも。来週からは眼鏡と巨乳の時間ではあるが、予告を見るとすげーヤバそう。すでに涙です。オレ。

 △ 糸井重里氏が「どうもエヴァって面白く思えないんだよね」とぼやいているとのウワサ。 

<6月26日>
 ◇ こんな夢を見た。

 やあ、みんな映画の時間だよ!。そう、今日はあの筒井御大の原作による「時をかける少女」。もう説明はいらないよね、古くは少年ドラマシリーズで「タイムトラベラー」として映像化され、その後も南野陽子(月曜ドラマランド)、原田知世(映画版)、内田有紀(テレビドラマ)と主演女優を変えながらなんどもリメークされた、現代の「伊豆の踊り子」とも言える傑作だよね。間違っても耳デカ娘の「タイムリープ」と混同してはいけないよ。出自が違うんだから、さ。

 でも、今回はどこを探しても美女の原石が見あたらないんだね。ロリコンなんてウワサまで立てられた(太郎君はホモセクハラ疑惑なんてあったけど、それはこの際関係ないね)角川春樹さんの映画らしくななめたいよね。コワイ顔した主人公は性格が今ひとつでいやな奴だったりして、人生の苦渋をなめた角川監督らしい人間観ともいえるかな。そう、この映画の監督は角川春樹さんなんだよ。こっちの方が主役の女の子よりも「主役」みたいに感じるのは僕だけかな。もっと、新人の彼女に花を持たせてあげればいいのにね。でも、だよ。自分が実力があるからとはいえ、俳句で一番大きな賞を自分にあげちゃったり(まるで、自分に戴冠したナポレオンみたいだよね)、文庫に自分の名前を付けちゃったりする角川さんらしいといえば、らしいよね。そういう意味では、この映画は確実に「ハルキ版」なんだね。

 俳句のやりすぎのせいかか、シナリオも刈り込まれていて、どこで主人公が時を駆けたか忘れちゃうぐらいさっぱりとしたものでした。きっと、コマとコマの間を読まなきゃいけないんだね。その分、ワンカットは、もおええやっていうぐらい長くてこれまでのハルキ映画と全く同じ冗長なテイストが楽しめるよ。その点、歴代のハルキ映画に出演した俳優も顔を見せて、ハルキファンにはこたえられない作品だよね。原田知世の出ない「愛情物語」というか、小室哲哉の音楽がかからない「天と地と」みたいでストイックなところも潔かったと思うよ。でも、6作とってもこの腕前ていうのは、ただ者じゃないよね。明日香宮の神様は止めなかったのかしら。

 そしてラストにかかる曲がまた傑作。ユーミン御大(御大ばっかりだね)による、「時をかける少女」の旋律違いのバージョンなんだね。うわさではこの曲ノーギャラで作ったという話だけれど、それが納得できるぐらいの完成度。落ち着かない映画には落ち着かない音楽で締めくくるのが一番!ていう正隆氏の判断が感じられる名曲だったよね。きっとアルバムには収録されないだろうから、レアものとしてすごく価値が出ると思うな。

 大林版は冒頭が白黒だったけれど、今回は全部白黒。その根性は前作に勝っているね。そういえば、最初に出自が違うと言ったけれど、「氏より育ち」って言葉もあるんだよなあ。おや、君はこの映画を見たくないって?それはよくないなあ。ちゃんと見てごらんよ、ほらほらほら。

 と、ここまでで目が覚めた。ふう。
ことほどさように、人の眼に触れずに消えていく映画の呪いとは恐ろしいモノなのだ(ちょっと、唐沢なをき風オチ)。

 □ 今日も終電乗りのがしてしまった。まあ、会社が手当してくれるからいいけど。ここのところ眠いので、一度ぐっすり飽きるほど寝てみたいなあ。それから、映画の感想を早く書かないと・・・。

<6月27日>
 ◇ いささか古い話題なのだが(という書き出しも、パターン化しているなあ)あの傑作「さるでも描ける漫画教室」(竹熊健太郎・相原コージ 小学館)が新装版で出版されるそうだ。一度買い損なって以来、これまで一生懸命探してきた本だけに、今回の出版は非常にうれしい。この本が書店に並んでいた時には手持ちの金がなかったり、古本屋で見つけたときは全3巻のうち2巻までしかそろってなかったり、とこれまではつくづく巡り合わせが悪かったんだよなあ。

 それにあわせてスピリッツ本誌では、「さるマンPR」と題した作品を掲載。最初が大泉実成氏の「消えたマンガ家」特別編で文章のみ、次がさるマンの主人公2人が登場する本物のマンガで、最後が本物の竹熊・相原氏などが登場する写真をコラージュしたマンガという、凝りまくった構成。一種メタフィクション的な構造に見えるけれど、実は単なるフィクションに過ぎない、という奇妙な味わいのある作品に仕上がっているのではないだろうか。でも、これが新装版に収録されるってことはないだろうなあ。残念。

 この作品に無いモノねだりを言うなら、大泉氏の愛車「ランボルギーニ・ノンフィクション・スペシャル(だったっけ)」が登場しないことか?。そういえば、竹熊。相原両氏を追いかける大泉氏が「綾波萌え」と叫ぶが、大泉氏はまだ綾波萌えなのだろうか?
 夏エヴァを前に、ある歌人がよみし俳句(註・ぴょん太ではないし、その人は俳人でもない)
 「あやなみの エヴァンゲリオン エヴァンゲリオン」
うーん。わかりやすい。(←本当か)

 □ 面白いです。というか悲しいです。「嗤う伊右衛門」(京極夏彦、中央公論社 1900円)。あと100ページほどで読了するので、今晩中に読み終わってしまうだろう。なんと悲しい物語あろうか。ところで伊右衛門あの有名なセリフはこの小説には出てくるのだろうか?

 △ 会社で「空想科学読本2」(柳田理科雄、宝島社 1200円)をゲット。面白い着眼点ではあるが、このシリーズはいつも「不可能である」というか、矛盾点を指摘する方向へ収束しがちなのがちょっと不満。もともとウソなんだから、そういうことをいっては身もふたもないような感じがする。とはいうものの、身近な科学入門(僕にとっては巨大ロボットは身近なものである)という側面からは愛読してはいるのだけれど・・・    
 ☆ うーん。ちょっと、仕事が忙しくなってきたような・・・。緊張の夏なのだった。(嗚呼、古典的・・・)

<6月28日>
 ◇ ちょっとまとまったお金があると、すぐ使ってしまう。まずCD、「川本真琴」(川本真琴、ソニーレコード 2854円)、「トレインスポッティング」(東芝EMI)、「スパイダース大作戦」(アルファミュージック)、「ザ・スパイダース・カバーズ」(ムッシュかまやつ、フォーライフレコード 3100円)、「HAPPY END OF THE WORLD」(ピチカートファイブ、日本コロムビア 2913円)。
 先日、偶然ザ・スパイダース主演の映画を見て以来、スパイダースがマイ・ブームなのだ。カバーアルバムばっかり買わずに、早くオリジナルのベスト盤でも買わなきゃ。「川本真琴」はどちらかというと、「愛の才能」が異色作だったということなのだろうか・・・?ちょっと聴いただけの印象に過ぎないけれど。

 □ 続いて書籍も買う。「アニメーションの色職人」(柴田育子、徳間書店 1600円)「ソウルの練習問題」(関川夏央、新潮社 520円)。マンガでは、ピンポン4巻、無限の住人6巻、YASHA2巻で、雑誌はクイックジャパンと流行観測アクロス。「アニメーションの・・・」は、依然宮崎監督が講演で紹介していた仕上げ担当の女性を主題に選んだルポ。YASHAは2巻でやっと方向性が見えた感じ。これからどうなるかは余談の許さぬところだが、今度は「死ぬ必要のないアッシュ」という方向に向かっているのではないだろうか?(だから夜叉と菩薩にそれぞれ別の人物を割り振っているのだと思う)。

 △ 遅ればせながら、原作「時をかける少女」を読む。えー話やなあ(T T)。つまり、これは少女が「愛を知る」物語なんですなあ。愛を知らない女の子が、未来人に「好き」といわれて、はじめて愛情という感情が自分の中にあるということに気づくという訳だ。だから、ラストも甘くロマンチックになる。彼女が次に恋する人間こそ、ある意味で、愛情を教えてくれた人・未来人の再来ということになるからである。大林・映画版が「愛を失うつらさを知る」ことであるというのとはけっこう対照的である。
 柔らかな語り口も、すごく新鮮だった。しかし、今現在の視点から見ると、SFと呼ぶのは難しいかも。

 ○ 神戸の猟奇事件の犯人が中学生だったという。ここで、何故と問うても答えは出まい。

 × PG×2。   

<6月29日>
 □ 天気がよかったので、池袋あたりまで徒歩でぶらぶらする。夏の日差しが気持がいい。夜はタイソン×ホリフィールド戦の再放送を見るが、タイソンがかみつき攻撃で反則負けするというしまらない結末。ドン・キングの髪型はやはり笑える。PG。

 ◇ 「嗤う伊右衛門」を先日読了。精神はけっこう近代化されているにもかかわらず、それを言葉にすることができないために、悲劇が起きたとでもいうべきか。傑作には間違いない。 

<6月30日>
 ◇ 会社で昨日と今日の新聞各紙や夕刊紙などを読む。案の定、識者が「空想と現実の混同」という指摘や、現在の学校教育の問題点などを指摘していた。
 こういう場合疑問に思うことがいくつかある。まず、いわゆる日本の管理教育を遠因とする意見についてだが、あまり管理されていない「個性を重視する教育がされている」米国で伝説的なシリアル・キラーが何人も生まれていることを考えると、きわめて安直な答えの導き出し方だと言えるだろう。同様に、現実感の喪失というが、子供の頭部を切断するという行為は、空想で行うのとは全く違う難しさがあるはずである。

 僕はこんな例えを思い描く。ある人が難しい料理に挑戦したとする。しかし、想像の中の料理と現実の料理は違う。煮る加減が分からないし包丁も上手く使えない。こうして、できあがった料理は彼の舌に応える出来にはならないというのは、往々にしてあることだ。想像と現実の狭間には大きなギャップがあるのは当然で、料理の鉄人を見ていると、料理を作りたくなる人は多いが、そのために本当の料理人にる人は少ない。

 ここで僕は、虚構が犯罪的心理を誘発するかどうかを論じたいのではない。僕は、少年Aの「手際の良さ」を無視した上で、空想と現実の混同なんて意見を展開するのは間違いだと言いたいのだ。例え彼の読んでいた書物などが原因だったとしても(これは違うと、僕は思うが)、この殺人事件はそれを支える技術が不可欠なものだった、ということだ。そういう技術は、空想と現実の混同というだけではくくれないある種の「身体感覚」に裏打ちされているように思えるのである。

 少年は通り魔的犯行や、ネコを殺していた前歴などから捜査線上に上ったという。死に不慣れな我々より彼は死に親しんでいたわけだ。彼は、生き物を殺すという行為一通りを体で体験していたわけだ。それは、突き落とす、埋めてしまうなどの「わずかの時間で目の前から消えてしまう」種類の殺害方法と違うことを考えても、彼の殺人行為の身体感覚はかなり「現実的」だったのではないかと思われる。これを「ホラービデオのファンだったから、空想との区別がつかなくなった」ですますのであればは、識者こそ「机上と実際の殺人の差を知らない」と、言われてもしかたあるまい。頭が空想だけで切れると思ったら大間違いである。

 僕は最近、犯罪は徹頭徹尾犯人個人のモノなのではないかと思っていつつある。むしろ、それを見た我々の反応にこそ事件の同時代性があるのではないだろうか。これは、事件の原因に社会構造のゆがみがしめる割合が低くなればなるほど、犯罪の個人化の傾向が強くなってきたのだと思う。そして、結論めいたことを書くなら、彼はやはり大きな恨みを持っていて、それが犯罪の動機であり、彼がどんな本を読んでいようが、どんな教育を受けようがそれはいつか何らかの形で暴発したように思えてならないのだ。

 だから、そうなる天分を持っていた以上これは「ゴールド・メダリスト」の犯罪なので、その行為そのものを分析しても、出てくるのは「カール・ルイスは速いから速かった」的印象批評からは逃れられないだろう。考えるべきは、こういう犯罪を前にした我々の理解の仕方なのである。

 □ 朝から仕事。(あたりまえだ)。眠かったので、仕事の合間に仮眠をとってエネルギーを蓄えたのだった。上の文章を書き直そうかと思ったが眠いので、やめる。 


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