1997年6月中旬

<6月11日>
 ◇ 最近はどうしたらキャラクターの立っている日記たりえるかなあ、と悩んでいるのだった。あまり仕事の雑事には触れたくないし、かといって書籍購入日記とか宴会日記といった内容にも、僕自身飽きてきている。 まあ結局、語り口そのものが単調なんだよなあ。

 と、そんなことを考えつつ、夜は新宿で一杯。久しぶりにたくさん飲んだ一夜だった。新宿でまず刺身なぞを食べながらビールと日本酒。で、次はこのために東京に来たといっても過言ではないゴールデン街へ。すでに結構酔っていたので、どこの店に入っていったのかもう覚えてません。なんだか、先輩といろいろ話したような・・・。水割りをちょくちょくと飲んでいるうちに酔いはかなり進んでいた。だからあまり、記憶は残ってません。 
 帰宅したら、薔薇アニメなぞを見ながら、健康のために納豆を食べる。

 ○ をを。姫宮アンシー。その決闘の勝利者への態度の変貌ぶり。鼻血ブー、でがす。さすが桐生冬芽。悪者と言われながらも、しめるところはしめますのう。(この部分は酔って書いてるだけあって、壊れてるな俺)

<6月12日>
 ◇ 世間では映画「失楽園」がヒットしているらしい。なんでも、先日には観客動員100万人を突破とか。まあ、漏れ聞くところによると、東映・岡田会長は「いつでも東映は角川さんに救われる」とパーティーであいさつしたとか。 R指定ということもあって、当初東映ではけっこう色気を全面にだした「おやじ向け」プロモーションを検討していたところ、角川歴彦氏(あるいは氏のブレーンか?)が「それじゃだめだ」と方針を変更させ、それが結果的に女性層の獲得につながったとか・・・。いや、うわさなんですけど。 

 しかし、新年の北京原人はヒットしないだろーな。うわさだと、シナリオが遅れてスケジュールが押せ押せになった上に、肝心の北京原人がかわいくないという話なので、レックスとかハワード・ザ・ダックと、どのぐらい競り合うかが楽しみ(?)ではある。もっとも、これがヒットする可能性だって十分あるとは思う。僕の予想を超えた部分ではあるけれど・・・。ああ、かわいいということになっているけど実は不気味な生き物としては、ミニラってのもいたな。 
 ところで、杏里ってE.T.に似てませんか?目元が特に。

 ○ うわさといえば、最近聞いたうわさ。ある女性マンガ家が、女性向け漫画誌の執筆陣を一瞥して「あら、みんな姉妹だわ」とのたまったそうである(笑)。うーん、大人って汚い(^^;。どっちかっていうと、その男性がうらやましいというべきか?(笑)

 △ 文庫版のデビルマン4、5巻、宇宙家族カールビンソン13巻(あさりよしとお、徳間書店 400円)、「私の岩波物語」(山本夏彦、文藝春秋 505円)。それにアニメ誌と音楽雑誌。
 ニュータイプのCD紹介コーナーで、エヴァ・デス篇のサントラ紹介。「劇場版の「カノン」といい、TV版の「第九」といい選曲が平凡すぎるのでは?」という指摘はごもっとも。いかにも、クラシック・ビギナーが好きそうな曲だものね。まあ、その中で無伴奏チェロ組曲1番は比較的イケてる選曲かもしれない。  

 はてさて、そうすると夏の劇場版のAirは何になるのだろうか?。僕はモーツアルトをちくと聞いたくらいで、あまりそっち方面には詳しくないのだが夜の女王のアリア(魔笛)」とかなら盛り上がるかも。でも、いままでの傾向からすると、意外に静かな曲を使うケースもあるから、「恋とはどんなものかしら」(フィガロ)とか「なんと美しい絵姿」(魔笛)でもいいかもね。個人的には、エンディングは乾杯の歌でノー天気に終わってほしい気持もするのだが・・・

<6月13日>
 ◇ 昔読んだ児童文学に「欲しい欲しい小僧」というのがあった。簡単に言うと、その小僧がとりつくと物欲の虜になってしまうという、そのまんまの設定だったのだが、僕はこの小僧の実在を未だに信じている。例えば、書店やCDショップなどに出かけていった時に、僕が暴走するのは、やはり僕ではなくてその小僧のせいなのである。小僧はもしかすると、資本主義の神様かあるいはオタクのタネとでもいうべき存在なんだろう。
 で、これを子供に植え付けると、やがて発芽して、若いくせに(不法な手段で稼いだお金で?)高価な商品をバンバン買ったり、あるいは「とりあえず全部そろえよう」という基準でマンガや本やLDをはじからはじまで絨毯爆撃的に買うように育つというわけだ。

 この小僧、最近僕の周りにはあまり出没していないので、僕の買い物行動も比較的落ち着いた状態で推移している。が、やはり気になるLDボックスはあるのだった。「無敵鋼人ザンボット3」と「母を訪ねて三千里」はやはりはずせない、気がする。が、このままでは座して死すだけなのだ・・・。はてさてどうしたものか。

 ここで悩むのは、なんといってもDVDの存在である。実際の稼働率を考えるのであれば、今焦って買うよりも、DVDでコンパクトになったものを買えばいいじゃないか、という気もする。価格も多少なりとも安いかもしれないし・・・。そのころには、涙をのんで見送ったスタジオ・ジブリLD全集「ジブリがいっぱい」(さすがに所有しているLDとだぶりがあったし、on your markのためだけに七万円は厳しかった)もきっとDVDになるに違いない。(それにしても、「seven dog’s war」が三万円を切るというのは、買い得だと思う。やはり、秋葉原にいったら俺は破滅するかもしれない、と心の声)

 しかも、DVDの隆盛はLDの凋落と密接に結びついているので、今あるソフトの山をどうするか(本格的なマニアの人ほどはもってないけれど、ね)を考えると、DVDの普及は痛しかゆしなのだった。ちなみに、僕が個人的に思い描いている理想のシナリオは、「DVDは結局普及せず、その反動で主流となったLDソフトの価格が格安になる」というものだが、それはないでしょう。それは、分かってる・・・。
 となるとやはり、とりあえずコンパチプレーヤーかなあ。(←金はどうする)

 ○ 「日々の過ぎ方」(堀田善衛、筑摩書房 580円)をこのほど読了。比較的軽めのエッセーではあるが、歴史と風景を見る目を持つということは大切なことだなあ、と改めて実感させられた。
 ちなみに、こういう目線なしにお手軽に世界をつくれるのが、学園モノと安易なファンタジーつーか安易なSFなんじゃあないだろうか。(どちらの言葉も本来的な意味では使っていないので、もし専門の方がいたら定義云々についての議論はご容赦を)
 個人的には、そういう「安易」な世界観でも、登場人物のキャラの心情さえしっかり描けてればオッケーではあるんだけれどね。

 △ 食事とアニメという話題を思いつく。食事がどのように描かれたかという視点でアニメを捉え直すのである。これは、作者の身体感覚がある程度反映されるであろう項目だ。つまり、アニメで肉体がどのような扱いを受けていたかが、ほのみえるに違いない。そんなに深刻に突き詰めるのではないので、さらっと軽い
 週末はこれをネタに、脳内リゾートするかのう。 

 ☆ 庵野監督の次回作は、実写で村上龍の「ラブ&ポップ」である。原作を読んでないんでなんともいいようがないが、作家にして映画評論家の阿部和重氏によると、庵野監督はフレーミングの意識がほかのアニメ演出家よりもあるとのこと。つまり、実写はフレームで切り取る作業であるが、アニメはフレームの中に必要なものが全部写し込むことができるということだろ。はてさて、実写ではどうなるか。

 × この日記のつまらなさは、登場人物が「僕」しかいないことなんだな。それに気づけば、この煮詰まった状況が多少なりとも改善されるかもしれない。かといって、インタビュー形式を復活させるわけではないよ。 

<6月14日>
 ◇ なかなか寝付けなくて、困る日というのはあるよネ。僕の場合、昨晩がちょうどそうだったんだヨ。そう、そんなときはマンガでも小説でも読んでヒマをつぶすに限るネ。
 僕が手にとった1冊は、高橋克彦先生の「聖豹紀 ジャガー・センチュリー」(講談社、1600円)サ。
 高橋先生といえば、トンデモ系に理解が深く、本人もカナリそっちに傾斜してることで有名だよネ。天使がいるとおっしゃる(僕は気が弱いのでここは敬語サ)横尾先生とも仲良しみたいで、いつもその派手でサイケでイッちゃってる絵が単行本の表紙を飾っているネ。僕なんか、荒俣先生のレックス・ムンディ(だったっけ?)まで、つい高橋先生の作品として勘違いして買ってしまうとこだったヨ。セーフ、だネ。

 この「聖豹紀」(これって製氷器って読むのかナ)は、「バンドネオンの豹」の続編だヨ。前作はまるで、ジャンプで打ち切られたマンガみたいに終わっていて、小説としてはとても斬新な終わり方だったネ。それだけでもあの小説は読者の記憶に残ってると思うヨ。でも、僕はその内容は忘れてるナ。それよりも、あがた森魚のアルバムの方が、ブンガク的な雰囲気があって、原作のもののを見事に補完していたネ。そういう意味では、アルバムさえ買えばいい・・・なんてことは言ってはだめだネ。最近のジュブナイルのイメージアルバムもぜひ見習ってほしいネ。

 お話の内容は全く読者の期待を裏切らないヨ。古代遺跡、超能力、UFO、地底都市と、ココロをクスグルアイテムがてんこ盛りだヨ。敵は、サーベルドラゴンと名乗るカール・ハウスフォーファーだしネ。さすが高橋先生、押さえるポイントはいつもしっかり押さえているネ。
 敵の美女が登場するシーンも、サイコーだヨ。味方の前に密着したスーツを着た彼女が登場すると、「篝火に照らされた豊かな胸とくびれた腰が男たちを悩殺」するんだね。これから、悪事の相談をしようという味方を「悩殺」するぐらいだから、これで読者もイチコロだネ。22ページにこんなシーンがあったら、もう最後まで読むのはやめられないネ。それに、この女が乗り込む飛行船には「ヒルトンのスイートをも凌ぐ豪華な寝室がいくつももうけられている」んだってサ。貧乏人の僕にも、いかに豪華なものかがすぐに分かる的確な比喩だよネ。きっと高橋先生は、いろんなホテルに宿泊したことがあるから、ヒルトンのスイートがどんなところかもバッチリなんだろうナ。うらやましいネ。

 いつも高橋先生の作品を読んでいると、まだ天才だったころの石ノ森章太郎先生が書いていた「サイボーグ009」を思い出すのは僕だけかナ。マンガは今はもっと複雑になってしまって、こうしたのびのびした娯楽作がないのは残念だネ。高橋先生はきっとそういうことも視野に入れて、こんなに読みやすい小説を書いてくれてるんだネ。1960年代を忘れられない僕にとっても貴重な作家さんサ。でも、あまりトンデモに入れ込んで、「幻魔大戦」みたいに遠くにいってしまわないようにみんなで祈ろうネ。
 ともかく、マンガでも小説でもいいやと思って、手を伸ばした本は「マンガみたいな小説」だった、というオチなんだネ。これで、勘弁してくれるかナ。
 それにしても、他人の文章をマネるのは難しいネ。

 ○ 水族館に出かける。ラッコが2匹で本格的にじゃれあっていてなかなかラブリー。あと、アシカショーに登場するアシカの名前が「レイ」と「ルーク」という、オタク御用達のような名前で笑えた。その後は、プラネタリウム。声の出演で、中原茂氏の名前があり、「アクロバンチ」とか「ダンバイン」とかを思い出す。そのわりには熟睡。夜は、昨晩我慢した分、ビールとワインで楽しむ。それとPG。

<6月15日>
 ◇ 起きて、まず床屋へ。隣の座席では床屋のオヤジさんと地元のオジサンが「だから、借金も遺産、になるから相続するかどうかを決めなきゃだめなんだよ」なんて会話をしていた。僕は2人のそんな話を聞くとはなしに聞きながら、うつらうつらする。はさみの規則的な音も、いっそう眠気を誘ってくる。床屋で居眠りするのは人生の楽しみのうちの一つである。そういえばPGもありました。

 昼過ぎからちょっと読書した後、午後3時ごろから買い物に出かける。書店で「お楽しみはこれもなのじゃ」(みなもと太郎、河出書房新社 760円)、「超人ロック ソード・オブ・ネメシス」(聖悠紀、ビブロス 600円)と、作画グループの本を買う。マンガ雑誌を数誌廃刊するというウワサのスコラ(!)から出ているLCミステリーというマンガ雑誌を探すが見つからない。

 □ 午後5時からは映画。「瀬戸内ムーンライト・セレナーデ」「うなぎ」の2本立て。どちらも傑作(しかし、瀬戸内って誰が見て喜ぶ映画なのかという疑問は少々感じる。やはり昭和10年生まれの層かなあ)詳しい感想はまた書くので、日記ではどうでもいい余録めいたことを少々。

 「瀬戸内・・・」と「うなぎ」の意外な共通点は、音楽がともに池辺晋一郎であること。非常に対照的な内容で、「瀬戸内・・・」は、グレン・ミラーの「ムーンライト・セレナーデ」をベースにロマンチックでオーソドックスな劇伴、「うなぎ」は現代音楽的(というほど大げさでもないか)で映画の一言ではくくれない雰囲気を見事に表現していた。でも、「瀬戸内・・・」の最後に流れる「ムーンライト・・・」は、テロップで確認したところ服部隆之アレンジだった。なんでだろう。
 「瀬戸内少年野球団」も音楽は池辺氏で、こちらはやはりグレン・ミラーの「イン・ザ・ムード」が使われていた。ラストは、阿久悠が詞をつけた「イン・ザ・ムード」をクリスタルキングが歌っていた。
 そーいえば、池辺氏は「未来少年コナン」の音楽も担当。これは、NHKからのオファーだったそうだ。

 「うなぎ」では、常田富士男と市原悦子が出演。言うまでもなく「まんが日本昔ばなし」のコンビである。とはいうものの、同じ画面に登場することがなかったのが、やや残念(ってことはないか)。
 「うなぎ」では、哀川翔がスズキの「X−90」(色は赤)に乗って登場(笑)。ちょっとチンピラ風味だが、本職ではない(らしい。撮影台本だとノミ屋という設定だが)、というややマイナーな人物像がこの車の選択にも現れていたような・・・。まあ、本当は彼みたいな元ヤンキー(に見える)タイプはあまりスズキ車をセレクトしないとは思うけど。
 X−90の中身はエスクード。エアコンの性能もそのままなので、2シーターのX−90はエアコンの利きがいいそうである。それから、給油口をキーで開けるという車も珍しいと思う。←これは、コストダウンの結果だ。

 「瀬戸内・・・」の、吉川ひなのには驚いた。もともと、彼女の声はあまりいい声ではないと思っているのだが、その欠点を超えてなお、お人形さんのようなかわいさであった。ああいうタイプは演出家の使い方次第で、リアルに見えるかどうかが分かれてしまうと思う。今回は大成功と言ってもいいかも。

 ○ 昨日は某日記読み日記が当偽名日記に言及。まあ、ここは僕にとっての「幻影城」((C)江戸川乱歩)なんで、「正統派」になるのはやむを得ないでしょうな。

<6月16日>
 ◇ のどが腫れて、風邪気味なのでさっさと寝る。

 ○ 富野由悠季監督が、永野護デザインのロボットを素材にして、イデオン的な作品をつくるとのウワサ。  

<6月17日>
 ◇ 昨晩はなんだか体もだるくて、うつらうつらはするのだが深い眠りにならなくて往生した。それでも、今朝目が覚めたら、のどの腫れの峠は越えていて一安心。就職してからは、学生時代のように熱を出して完全にダウンすることはなくなった。体調の悪化を知らせる予兆の波を上手くとらえて、やりすごす方法が完成されてきた、といったところ。
 とはいうものの、まだ本調子ではなく食欲も戻ってこないため、昼飯は菓子パン。駅前の立ち食いソバよりは安上がりでいいな、と一瞬思う。で、夕食はビールと焼き肉でスタミナ補給。
  
 ○ 「もののけ姫」は宮崎駿監督の最高傑作であることが判明した。と、いうわけで、目指せ配給収入60億円キャンペーン(内容は未定)でも展開しようかなあ。とりあえず、みなさん見るように。

<6月18日>
 ◇ 時間を見つけて、「瀬戸内・・・」の感想を書き始めるが、頭の中で妙に図式化してしまうとかえって上手く書けなくなってしまうのだった。俺って、もともと頭デッカチだしなあ、と反省することしきり。同様な理由で、「スター・ウオーズ 特別篇」の感想も滞っている。今週末は仕事なので、書き上げるのはどちらも当分先になりそうである。やれやれ。←継続は力なりと申しますぞ

 □ 仕事場では、上司の異動にともなって簡単な配置換えがあった。僕の仕事はあまり変わらないがとりあえず、机の位置が変わる。だから、見える風景も多少変わるであろう。もっとも、それよりも大切な仕事が近づいているので、ここのところ緊張の日々を過ごしているのだった。←チキンハートめ。

 △  昨年の夏、オリンピック中継を見ながら考えた。何故に、連続(あるいは猟奇)殺人犯は人々の心をとらえるのか?当時、エド・ゲインを題材にしたノンフィクション読んでいたから、そんなことを考える心境になっていたのだが、オリンピックというのは、その考えをまとめるのになかなかいいヒントになった。
 オリンピックでやはり感動するのは、新記録が出た瞬間である。人間がここまで速く走れる、泳げる、高く飛べるという事実。彼らが感動的に見えるのは、人間の可能性を押し広げているからだ。そう、可能性の実現という意味では、伝説となる殺人者たちも同じなのである。どちらにも、そこまでできるのか!という驚きが、どちらの底に流れているのだ。そして、その驚きは同時に何故、どのようにという疑問を含んでいるから、どちらもノンフィクションにと、ってはかっこうの素材なんだろう。

 というのが、シリアル・キラーは闇のゴールドメダリスト説の全貌(?)なのである。

 マスコミなどで流布している推理合戦の様子を眺めていると、そんなことを思う昨今である。←ああなんだか、ぜんぜん落ちてない。いいかげんな日記だ。

<6月19日>
 ◇ 3月末に購入した文庫本「アメリカ映画の文化史 (上)」を今頃読了。でも、示唆に富む部分が多くて、とても面白かった。(ってまだ下巻が残っているけど・・・)。僕は基礎的な教養に欠けるので、もっとこういう本を読まないといけないな。
 もともとこの本は「フォレスト・ガンプ」の感想を書くために読み始めたもの。だけれど、意外な発見もいくつかあった。
 それは、映画が普及していく過程で、いくつかのバッシングが起きていおり、それが今のゲームを取り巻く状況とやや似ているように見えた点。映画を批判する文脈での研究は、過去の恋愛小説・冒険小説などが子供に与えた影響を、映画のそれと比較しないで、映画の悪影響を論じようとしていたというのだ。こういうパースペクティブの欠如したピントはずれな批判は、今もいろいろなところで起きていると思う。こういう文化的な変動の時に起きる批判はいつも同じ姿をしているのだろう。
 それから、この本ではこの物語の器としての映画の進歩も読みとれる。19世紀に小説という形式が完成しているにも関わらず、映画製作者が物語を語るという機能に気づくまでには予想以上に時間がかかっているのだった。
 
 ちなみに、僕は、ゲームというのは箱庭的世界の器には適しているが、物語の器というのは本来的な機能ではないのでは、と最近思っているのだった。

 □ 知人から借りた「中二階」(ニコルソン・ベイカー、白水社 1800円)を読む。超デティールにこだわった小説であり、なおかつしつこい註がついているという、極めて僕好みの小説。こういう本を読んでいると、「日記に書くことがない」なんていうのは、自分の視点が甘いだけ、ということに気づかされる。
 
 ○ 子供のころからのあこがれの人物と仕事がらみで会うことに。仕事も友好的なままに終わり、ついには欲望にまけてサインまでもらってしまった。しかし、緊張したせいかその後でどっと疲れが・・・。早く寝よう。

 △ 19日深夜に6000アクセス達成。ここんとこ内容がないのに、みなさんありがとうございます。ここんとこカウンターが増えるのが早くて、けっこう美々ってマス。(←わざと、ね)。基本的に小心者なんで・・・。

 × スタジオ・ジブリの次回作品(高畑勲監督)は、すべてデジタル・ペイントになって基本的にセルはなくなるというウワサ。

<6月20日>
 ◇ 台風である。もっとも雨が強い時に外に出てしまったので、えらい目にあった。上半身はなんとか傘でガードしたものの、ズボンはびしょぬれ。濃いめのベージュが、濡れたおかげで濃い茶色になってしまった。駅まで10分ほど歩いただけで、このありさま。幸い、慎重に歩いていたために靴の中までは濡れずにすんだのだが、それでも妙に靴の中が「しんなり」するのは避けられず、なんだか文字通り「湿っぽい」気分になってしまった。
 なんでも、渋谷では風のために看板が倒れて、1人が重体だとか。やはり、東京は怖いところかも(←ちょっと勘違い)。レインボーブリッジも一時通行止めになり、フジテレビは文字通り「陸の孤島」に。うち社内では、「あんなところに引っ越しするからだ」と楽しそうにする人が数人・・・。

 さて、雨も上がり仕事を終えて帰ろうとしたら、山手線の終電の時間を間違えていた。しかたがなく、京浜東北線最終で上野までいって、そこからタクシー。うーん、無計画のツケですなあ。

 □ 帰宅途中は「花田式噂の収集術」(花田紀凱、KKベストセラーズ 1200円)を読む。うーん、読みやすく、分かりやすいので、なんだか洗脳されているような気持になる。一応、ほめているつもりではあるんだけど。まあ、あれだけアクティブに活動していた(あれ、過去形ですか?)人なんで、きっとかなりの戦術家だろうから、こういう文章をストレートに信じるのもなあ、という気持にはなるのだった。

 ちなみに、岡田斗司夫さんについても、「洗脳社会」を丁寧に読んだ結果、その理論家・フィクサー指向(とでも表現すればいいだろうか)というのがはっきり見えて、ちょっと引いた見方をするようになっている。

 ○ 深夜テレビをザッピングしていると、どうみても富永みーな氏であるところの人が顔出しで歌っていた。12チャンだから、そういうことは十分ありうるんだけどさ。まあ、昔から知っている人が老けていくのを見るのはつらいものだ。と、自分の腹をみながら考えるのだった。こういう番組を見ると、結局、俺ってアニメファンであって、声優ファンではないことがよく分かる。(ああ、昔のことは忘れたんで、そのへんまだ覚えてる人は忘れるよーに)。
 あ、でも山寺宏一氏ってウナコーワのCMに顔出しででてますね。

 △ 先日、会社にある会社からダイレクトメールが届く。まあ、こういうのはすぐ捨てるのだが、ちょっと懐かしかったのでご紹介。その会社はパチンコ店の周辺設備機器の製造販売を手がける「美健」。このほど、ホームページでパチンコ店の出玉状況を紹介するシステムを開発、販売(価格は120万円より)を始めたという。
 で、この会社の所在地が静岡県藤枝市下藪田なんですねー。あまりにローカルな話題で恐縮ですが。なしにろ僕の通学していた小学校の学区だから、確かに名前はみたような気もするのだが・・・。ともかくそのダイレクトメールを見ながら僕は、下藪田にあるバイパスの取り付け道路と、その脇にならぶ美容院、自動車工場、その向こうにまだいくらか残る水田なんかをしばし思い出したのだった。


もっと過去

偽名日記へ

RN/HP

もう少し未来