1997年6月上旬

<6月1日>
 ◇ 昼前に目が覚め、ウナギを食べに出かける。東京にしてはなかなかおいしかったのでは?強いて言うなら、「並」だったので、とろけるような味わいはなかったが・・・。このあたりのウナギって、どこでとれたものだろうか?。昔、筑波に出張したときに商工会(当時、筑波市には商工会議所がなかった!今もきっとそうだろう)の方にごちそうになった時のウナギは、霞ヶ浦産だったかなあ。

 △ 遅めの昼食(&ビール)の後は、散歩とカラオケ。少女革命ウテナの主題歌とか、加地秀基なぞにチャレンジして、まだ修行が足りないと自覚する。あとは、「ハイスクルーララバイ」なぞも歌う。この曲って、松本隆&細野晴臣で、あの迷曲「風の谷のナウシカ」と同じコンビなんだなー。まあ、このころのヒットメーカーだからしょうがないのだけれど、「ハイスクール・・・」の方はけっこうわかりやすいぐらいのテクノ(ここは弱め)ポップ(ここが強い)なので、このあたりのテクノポップの拡散傾向について詳しい人には一度解説してほしいなあ。例えば、ミス・ブランニュー・デイのイントロとかね。

 □ 夜メシは、「村上春樹堂はいかにして鍛えられたか」(村上春樹、朝日新聞社 1200円)を読みながら、大衆中華料理屋でビールと定食。奇妙なラブホテルの名前とか、なぜか机の引き出しに入っていたエロ本とかそんな軽い話題を飲みながらビールを飲む。なんつーか、本人がなんと言おうと、村上春樹にはビールなのだ。まあ、あとフランスもしくはイタリアワインのさっぱりとした白か、軽い赤かな。そういう意味では、広告代理店が村上氏に白羽を矢をたてたのは、資本主義的には全く正しいとは思う。まあ、本人の望むところではないだろうけれど。

 ○ 夜は「砂のように眠る」(関川夏央、新潮社 480円)、書物観光(山崎浩一、河出書房新社 2800円)を読む。「砂・・・」は涙なしには読めない。戦後民主主義の総括という意味では怪作「平成狸合戦ぽんぽこ」と根っこは同じでは?
 それから「人生なめきり劇場」(めで鯛、580円 芳文社)も。ジャンルでいうと動物を擬人化した4コマと言えるけれど、そのキャラクターのエクさは特筆に値する。特に、コモドオオドラゴンのお嬢様が、いろんな生き物をバクバクと食べる様は特筆に値する。笑えます。

 × PG。ってこんなことばっかり書いてていいのか?

<6月2日>
 ◇ 会社から、文庫版「46億年の100大ニュース1-3」(渡辺健一、扶桑社 各495円)、「ペルー日本大使公邸人質事件」(共同通信社 1500円)を奪ってくる。100大ニュースは、ハードカバーも持っているが、文庫本を読み倒して、暗記する部分を増やそうという魂胆だ。

 □ 週刊アスキー2号を購入。ともかく個人的には、岡田斗司の夫氏の「オタク王国」が一番笑えた。ちなみにある方日記を拝見すると、無精ひげのハイパーメディアクリエーターに突っ込みまくりでした。同感だけど。とはいうものの、彼のエビ天での批評ぶりは嫌いではなかったのだが。
 
 SWとの20年ぶりの邂逅については、また詳しく書く予定ではあるけれど、その日本版キャストについて少々。20年ほど前なら、ルーク・国広富之(ここだけはちょっと違う)、ハン・松崎しげる(コブラもこの人でしたね・失笑)、レーア・大場久美子というのはやっぱりアリかな。
 もっともこのところの吹き替えは、水島ルーク、島本レーアで定番のようですね。
 まあ、それはさて置き。現時点でキャストするのなら・・・。海外版・日本版・声優版です。
好き勝手に書いてますんでご容赦を。

 ルーク・スカイウオーカー   マシュー・ブロデリック/草なぎ剛/古谷徹 
 ハン・ソロ      アントニオ・バンデラスorジョン・トラボルタ/根津甚八/神谷明
 レーア・オーガナ    メグ・ライアン(ちょっとトウがたってますな)/山口智子/麻上洋子or藩恵子
 オビ・ワン・ケノビ     アンソニー・ホプキンス/三国連太郎/永井一郎
 ダース・ベーダー      ゲイリー・オールドマン(彼ってエピソード1に出るんだったかしら?)/嶋田久作/大塚周夫(ひねりすぎか?)伊武雅刀

 まあ、もっといいキャスティングもあるでしょうけれど。ご指摘はメールでよろしく。
 なんでも、次の3部作にはユアン・マクレガーとかナタリー・ポートマンなんかが出演するそうである。

 ○ 先日、佐倉詩織(正確には、しおり、だった)について書いていたが、そういえば美輪明宏氏の舞台「黒蜥蜴」に出演していることを思い出した。劇場中継のビデオも持ってるのに忘れていた。 

<6月3日>
 ◇ 1日から、今更ながらに人から借りて「たまごっち」をスタート。一生懸命育てたら、夜には「たらこっち」というのだろうか、唇の厚い奴に成長した。愛情を注いでいるので、このまま順調に成長してほしい。しかし、排泄と死が盛り込まれているというのが、このプログラムに命を感じる最大の原因ではなかろうか?これはこのゲームを語るときにもの凄く重要なことじゃあないのかなあ。

 ○ 午前6時半に玄関の呼び鈴で目が覚める。うるさいなあと思ったら、ドアの外には巣鴨警察の人。(腕章には警視庁機捜隊とあった)。なんでも、僕の隣の部屋に泥棒が入って現金がとられたということで、不審な物音や人物などを聞いたり見かけなかったか、という質問をするためだった。23区の北部はけっこう事件が多いよ、とジモティーに聞いてはいたのだけれど、まあ、僕の部屋には金って一切ないしな。(おまけに、口座にもないから泣けてくる)
 それにしても、隣は、新聞受けにチラシがたまってたりして、本当に住んでるんだろうか、と疑問に思っていたのだけれど、やっぱり住んでいたんだ。災難でした。

 □ 村上春樹という作家は、非現実的な設定を使うある意味では観念的な世界を持っている作家だと思われているけれど、よく読んでみると実はかなり肉体感覚にあふれた比喩が多いことに気づかされる。それも、直接の行動を表すのでなく、思考の過程を肉体表現として比喩することが多いことが特徴だ。村上春樹の肉体感覚は、どこに基盤があって、どこにつながっているのか?
 やはり、もう一度全作品読み直さないといけないかもしれない。

 △ 「マンガ家のひみつ」(とり・みき、徳間書店 1600円)、「遊びをせんとや生まれけむ」(元天才漫画家・石ノ森章太郎、メディアファクトリー 1900円) そのほか「ケンぺーくん」などを購入。
 畑中純の版画による「どんぐりと山猫」を手に入れる。すばらしい。畑中氏は今はもうない、それこそ縄文的な生命観を表現できる絵師だと思う。(それは手塚治虫追悼マンガ・手塚治虫がいなくなった日に収録・を読んでも分かる)。だから、「まんだら屋の良太」が成人指定というのはピンとこない。だいたい、あのマンガで劣情を催す奴っているのか?
 それは、さておき「ペルー日本大使公邸人質事件」は読了。非常に冷静にまとめられており、事件全体を改めて見直すにはちょうどいい本だった。突っ込みが足りないというよりは、過不足無くまとまっているというべきだろう。

 ☆ 「もののけ姫」の挿入歌(主題歌)を歌う米良美一さんは、カウンターテナーである。間違ってもカストラートではない。でも、この2つを混同してる人多いんだよなあ。(私は、目の前でとうとうと説明されたので、その意見を訂正するきっかけを失ってしまった。まあ、どうせ俺が恥かくんじゃないしな)。   

<6月4日>
 ◇ 突然ではあるがCD買いまくり。「starting over」(SPEED)、「A」(電気グルーブ)、「SOUND MUSEUM」(テイ・トウワ)、「HOME」(山崎まさよし」、「SMILING」(槇原敬之)、「アニメタル・レディー参上」(アニメタル・レディー)、「特撮でいこう」(アニメタル)。まあ、こういう日(CDに関するリミッターがはずれる日)って年に10回ぐらいあるよね。しかし、購入財源はどこから?政府も緊縮財政をうちだしておるのにのう。
 ともかく、SPEEDはやっぱり小娘っつー感じッスね。若い娘の声きいてるだけで楽しいけど(←オヤジ)。電グルは、テクノ素人には今までの延長のように感じた(というか今回を特に異質に感じない)のですが、世間の評価はどうなんでしょうか。ガリガリとかアスナロとか、はおもしろかったです。
 ともあれ、今日は某アニメの録画に失敗したので、音楽三昧の夜となる。

 ○ そーいえば、日経エンタテインメント!の麻生香太郎氏のコラムで、タイトルが「globe」とあるべきところを「glove」と誤記。僕も誤字脱字が多いので、こういう失敗を拝見すると、心強い。いや皮肉じゃなくてマジです。写真説明も「v」 になってたなー。(こういうところで、長音を音引きで表現するのは、雰囲気をやわらげるためです・と一応解説)
 
 □ いつも今更の話題で恐縮なのだが、意味不明日記を、殺人者からのメッセージに例えて批判した文章があった。まず、その人の文章で、不思議なのは何を基準に意味不明と書いているかがよく分からないこと。筆者にとっての意味不明なら、そこまでヒステリックに批判することもないのでは?まあ、俺がしたいんだからしたいんだ、といえば、それまでだけど、僕はそんな人を「さわやか」とは呼びたくはないな。これも個人的意見だけど。まあ、本人が自称するのはネットでは止めようがないですから。
 しかも、その文章いつのまにか消えてるみたいだし。あれだけ、日記ではしっかり意見を述べてる人が書き逃げするのもねえ。まあ、そういう人だと思えばいいんだけど。俺には関係ないし。じゃあなんでこんなこと書くかっていうと、やっぱり日記猿人の投票を人気投票だって主張しているみたいだから、ちょっとあきれただけです。
  まあ、今回スタートした「さわやか云々」は僕にとっては意味不明の極みですけれど。(もちろん、それを書く自由はある)

  まあ、僕の日記も意味不明で、自分で時々嫌になるけどね。なんだかこの話題以外にも書こうと思ったけど、面倒になったので、また気が向いたら書きます。

 ○ 一度日記を更新した後に、「砂のように眠る」(関川夏央、新潮社 480円)を読了した。この本は、戦後のある時期を代表するベストセラーの書評と、その頃を舞台とした小説が交互にならぶという特徴的な構成になっている。その中の一つ、高野悦子の「二十歳の原点」を扱った章を読んでいて、いろいろと考えさせられた。

 僕は自殺してしまった人の文章というのがあまり好きではない。ある種の病のレポートという受け止め方や、プライバシーをのぞき見る楽しさというのはあるのは認めるけれど、その人を悩ませているノイズみたいなものを、僕は半ば無意識のうちに内部のフィルターでカットしてしまうので、その感情のうねりになかなか身をまかせることはできないのだ。
 だから、学生時代に、読みもしないで二十歳の原点について「単に思いこみが激しいだけの話じゃないの」と学食での雑談中に同級生の女の子に言ったら、「このコップで水をぶっかけようかと思ったよ」とニコニコしながらも厳しく言われたことがある。

 さて、高野悦子は1969年に二十歳だった。それが、僕にはどういう意味を持つのか分からないから、30年を経て、筆者が改めて「はるかな昔に友を失ったのだ」と書く、感傷にも今ひとつ乗り切れない部分がある。この部分は、本書の評論部分の中で、唯一といっていい筆者自身の吐露のようにも読める。
 そして、筆者は自死することなかった高野悦子像を想像し、「家計簿の余白の覚え書き以外に日記を書くことなく」「あわてて、消費者活動に出かける」と描写する。また時折、彼女は、30年前の不思議な時代を思い出してしょう然とするとも書く。そこには皮肉ではなく、ある種の屈折した愛情があるように思うのは僕だけだろうか。それは筆者が同じ青春の悩みを共有していたからこその屈折だろう。

 僕は結局、二十歳の原点を読んでない。これからも読む可能性は極めて低い。強いて言うなら、この文章を書いてしまった以上、いきがかりで読むということはあるかもしれないが、それにしても積極な姿勢になるのは考えにくい。
 それは、筆者の想像する30年後の高野悦子的なる女性像の今の姿を読んで、「たとえそうなっても生きていることはすばらしい」と思うからだ。自死する人は、どこか自分を完全のまま保存しようという気持が強いのではないだろうか。人生にかぎらず何でもそうだけど、減点法で評価するのは簡単だ。どこまで肯定的になれるかというしなやかな強さこそ大切だと思う。ずるくたって、悪くたって、自堕落だっていいと思う。悪とか自堕落とか、そういう倫理は次の段階の問題であって、死とセットで考えるような問題ではない。
 高野悦子氏自身がどういうタイプの女性だったかは、未読の僕にはよく分からないのだが、そういう本を読んでことさら、自殺を大げさに考えるのだけはやめた方がいいと思う。

 誰かが自殺について、「自殺とは自分を殺すだけでなく、周囲の人の心の一部を殺すこと」と書いていたがその通りだ。筆者の心も、きっと彼女の死で、どこかを殺されたのだろう。(とはいうものの、僕は「完全自殺マニュアル」の存在意義を否定しない。あの本の目指すところは、一種の自殺文学とは逆のベクトルを向いていると思うからだ)

 さて、僕に「水をかけようか」、といった彼女は就職、結婚している。彼女の本棚には、まだきっと二十歳の原点が収められているだろう。では、彼女の中での高野悦子像はどう変わっているか。一度話してみたい気持もする。 

 × 昔の村上龍の対談を読んでいたら、本人が夢の話を書いていた。氏は夢の中で、黒板の前にたたされて、自分の存在証明をやれと命令されるそうである。そこで、氏は「俺は小説家だ」と叫ぶそうである。いやー、笑っちゃ失礼かもしれないけど、ほとんどエヴァやね。

<6月5日>
 ◇ 人から借りていたたまごっちが、へびっちへと成長。うーん、持ち主が悪いに違いない。俺は愛情もって育てていたし。しかし、へびっち、聞きしにまさるかわいくなさだ。デザインは知っていたけれど、実際ある日突然あの姿になられると、「ガーン」と星飛雄馬みたいに驚くのだった。

 □ 村上春樹と河合隼雄の対談を読むために「現代7月号」を買う。内容は村上春樹が改めて、アンダーグラウンドを書いた理由を説明している、といったところ。村上氏は、要約すると「恐怖を感じた側は大男が鉄棒を持っているように思っても、実際は素手の小柄の人だったりする。その最初に感じた恐怖を書きたかった」と、狙いの一つを説明している。でも、これはちょっと(というか、かなり)違うと思う。氏の表現を借りるなら、 大柄に感じた恐怖と現実の小柄な男の間を埋める作業こそノンフィクションなのだ。やはり、氏は小説を書くべきだったのではないかと、改めて書いておく。

 △ 「みつえちゃんが行く!!」(青木光恵、双葉社 667円)を買う。週刊SPA!の連載をまとめたもの。表紙もSPA!を真似ているが、何故か出版は双葉社(笑)。はてさて、今、掲載中の「からまん」はどこから出版されるだろーか。さすがにアスキーということはないだろうけれど、メディアファクトリーあたりだったりして。

 ○ しかし、青木光恵さんは女性が好きだなあ。特に巨乳(笑)。まあ、ぼくはあまりチチにこだわりはないんで(あればあったでいい、というぐらい)、なんつーか、人のマニアぶりをほのぼのと読ませてもらそういったった。まあ、チチはでかさではないでしょう(いや、あればあったでいいんだけど)。やっぱり、触感とか・・・(こっから先は自主規制)、が問題なのではないでしょうか(とはいっても、あればあったでいいんだけどね。ほら、ない胸は揺れないって昔からいうでしょう。あ、あれは無い袖はふれない、か)。
もう、この話題しつこいのでやめときます。

 ☆ 僕も先日日記に書いたが、やはり神戸の猟期事件について意見を書くにはそれなりの覚悟が必要だと、ここのところ週刊誌の報道を見るにつけ、猛烈に反省している。毎日それに関する話題を提供しなければならない人々(その善し悪しはここでは問わない)ならともかく、ゆっくりと考える時間のある個人(つまり僕)が、過剰に反応するのは、分からない問題をむりやり解こうとしていることにすぎなくて、そういう行為ではことの本質にはたどりつけないのだと改めて思った。

 × トゥナイト2で、ハムメーカー「鎌倉ハム」のルポ。高橋葉介の傑作「腸詰め工場の少女」を思い出す。 

<6月6日>
 ◇ 「週刊オタクウイークリー」を読んで笑う。竹熊氏のエヴァ騒動の完結編だ。なんというか、エヴァには「はしか」というか、以前書いた「悪い女」という要素がいっぱいつまってると思う。僕もあやうくはまりかけたけど(え、今もはまってるまんまだって、そういわれりゃそうだけど)、とりあえず映画版をみたところで、エヴァについて書くのをやめたことで、だいぶ平静になったなあ。とはいえ、完結編を見れば、一応感想を書く予定だけれど。
 個人的には、出版直前にあれこれ文句をつけてくる人はやはり、精神的童貞ではないかと思ってしまう。まあ、クリエイターにゆがみは必要だけどね。あれだけ親しくなっていてもトラブルが生じたってことは、マネジメント(広報体制)が悪いってことだろうな。

 □ ある番組を見たら、結婚式でかけたい音楽について特集していた。まあ、安室奈美恵、ドリカムなんかが主なんだけれど、以外なことに入場でかけたい曲のナンバー1が、ワーグナーの結婚行進曲だった。浅草でアンケートしたせいかもしれないが、それはともかく、メンデルスゾーンの立場は?と思うのはおれだけ。それから、私信モード。キャンドルサービスに使いたい曲の中にはプリプリの「パパ」もあったぞ>結婚した妹

 ○ それにしても、日記猿人の1行広告。過激な方がやっぱりリアクションありますなあ。先日の意味不明日記云々と書いた日のアクセスカウンタは、いつもの3倍ぐらいの数字で増えてました。理系のくせにコンピュータ音痴の僕は、あんまりカウンタの仕組みとか分からないんですけど、操作する人もいるようですね?それ以降はまたいつもの通り、僕自身が意味不明日記ですんで、まああのときのぞきにきた方は、だまされたって思ってるかもしれないなあ。どうも。

 △ NHK「トップランナー」で、さくらももこ登場。うわさのとおり、TARAKO系の声の持ち主でした。もうちょっとハスキーですけどね。どちらかというと、泉ピンコ似というべきか?それをともかく、彼女の作風の特徴は、(おそらく若い頃の)自分への嫌悪をベースとした他人への悪意と愛情のアンビバレントなところだろうな。
 ちなみに番組中で紹介されたんですが、彼女の小学校時代の作文に登場した動物園は「日本平動物園」ですな。小型霊長類では猿の園ことモンキーパークに並ぶ数がいるのが特徴の動物園ですね。

<6月7日>
 ◇ 大学時代の同級生と昼食、夕食をともにする。なんというか、懐かしいような、あるいは10年1日のような会話をして半日を過ごす。お二人さん楽しかったよ。また、いっぱいやりましょう。それとは別にPG。

 ○ 夜、眠ろうと思ったら、NHKで東大先端研のレポートをやっていた。ああ、俺を眠らせないつもりか!!。などと思いながら、ついつい見てしまう。理系崩れの僕にとって、このタイミングでオンエアされてたらはずせんな。寺田寅彦のエピソードを再現した映像などもあって、非常に感心した。

 中でも、従来の精密なコマを使ったジャイロではなく、光ファイバーを使ったジャイロが開発されたというのには驚いた。原理は以下の通り。
 光ファイバーをコイル状にまき、そこに2方向に回る光を通し、一カ所にセンサーを設置する。通常は、この光は同時にセンサーを通過するが、ジャイロ全体の方向が変わると光が同じタイミングで重ならなくなり、その光の弱まった度合いで方向のずれを計算するというものだ。低コストで小型化が可能なのが特徴だという。すごいぜ。画面では、このジャイロを搭載した芝刈り機が無人運転が披露されていた。

<6月8日>
 ◇ なんというか、こういうのも私信というのだろうか?神戸の猟奇事件を真似したと思われる一言メールが僕のところに届いていた。まあ、犯人本人が変名を使ってメールをおくってきたという可能性は低いように思うので、これは

バカによる一種の便乗犯

(犯人というのはちょっと大げさだ)と、いえるでしょう。まあ、こちらは、そんなネット上の悪趣味につきあう趣味はない。有名作家なんかのところには、こういうふざけたメールも多いんだろうなあ。こういうのも慣れるものなのだろうか?

 ○ 午後には久しぶりに「トップをねらえ」を見る。うーん、やっぱりおもしろいなあ。しかし、いわゆる科学的知識が薄い人にとっては、細かなくすぐりが全く分からないんだろうなあ。あと、いわゆるアニメ系の元ネタもトータルに作品を味わうには、「あったほうが楽しい」知識だろうな。

 △ ひまな時に日記猿人からたどっていくつかの個人ホームページ、日記などをのんびり覗くことがある。そういうときに、気になるのは自分のページ、内容に自信満々だったりするページ。別に個人の自由なんだけれど、僕にとっては人のふりみて我がふりなおせ、って感じですね。某大生のページとか、はなかなか独特のムードを垂れ流していたし・・・。そんなこんなで、6月8日午前中に5000件到達。時々覗いてくださってる皆様、ありがとうございます。

 □ 酔っぱらって眠いのでこれまで。「インディビジュアル プロジェクション」を昨晩読了。そういえば今日はPG×2。

<6月9日>
 ◇ 神戸の猟奇事件について、夕刊フジに掲載された話題の記事を会社で読む。なんつーか、何を書こうが自由だし、ましてや夕刊紙なんだからセンセーショナリズムに走るのも当然だとは思う。でも、「宮崎方式」とかいう五島勉先生もびっくりのアナグラムを駆使して事件を読み解くのは、勘違いも甚だしいのでやめるよーに。トンデモ系推理としては笑えるけれど・・・それ以上でもそれ以下でもないな。

 しかし、この事件に関して、いわゆるオタクとしてカテゴライズされている人々のリアクションというのもちょっと神経質過ぎないだろうか。いくつかの伝言板を見ると、過剰に「オタクバッシング」をおそれているんだよなあ。先回りして緊張していると疲れるだけなのに・・・。 あまり、被害意識にとらわれるのもどうかと思うんだ、僕は。

 □ 安部和重の「インディビジュアル プロジェクション」は、不思議な物語だった。一生懸命導火線を引いたのだけれど、実は爆弾は不発だったという感じ。しかも、それが確信犯という印象がある。次作以降で彼の真価が問われるだろう。

○遅ればせながら、第1回手塚治虫文化賞について朝日新聞6月3日付け朝刊を読む。最終審査の投票状況は発表されていないが、1次審査の状況を見ていると、各審査員のスタンスが見えてくる。しかし、「Tales of joker」に五点いれる岡田氏は、オタクの鏡というべきか・・・。意外なのは、「栞と紙魚子の生首事件」なんてマイナーなのも米沢氏と唐沢氏が投票してたり、「美味しんぼ」と「金田一少年の事件簿」にタケカワ氏がそれぞれ五点と四点いれてたり(誰か来年はこいつをクビにしろ←心の声)するのが興味ぶかかった。あと、予想以上に「おたんこナース」が票をあつめていた。
 個人的には、やっぱり「ドラえもん」は特別(功労)賞だったほうが、この賞の性格についてはよかったような気がするけど。情報はこちらでもみられるそうです。

 △ ラーメン店で夕食を食べながら、レズビアンとバイセクシャルについての軽いルポを読む。やっぱり自分が同性を好きであるというのを認めるのにはさまざまな葛藤があるのだなあ。さらに、単に個人的な葛藤だけでなく、社会との軋轢もあるわけだし・・・。僕が「やおい」が苦手なのは、そうした葛藤抜きで世界が構成されているからなんだな。だって、男と男が出会って、すぐに互いを愛の対象に感じるって、作品世界の前提条件としてはややぞんざいな気持がするんだよなあ。まあ、ちゃんとその作品を読まずに批判するのはよくないと思うけどさ・・・。
 とはいうものの、じゃあおまえは科学的に不自然な巨大ロボットは許せるのか、と追求されれば、黙るしかないのだった。     

<6月10日>
 ◇ 遅ればせながら映画「シャイン」を見る。10年に1度の傑作とまではいわないが、しっかり泣かされました。特にラストのカットで。なんというか「命は闇の中のまたたく光だ」というナウシカのセリフを思い出す内容のラストだった。
 僕は、実話も物語として語られた瞬間からいやがおうもなく「寓話」の色彩を帯びる、と考えている。だから、実話をベースとした映画も「実話だから」と評価するのでなく、「映画の中でどう語られたか」を重要視するべきだと思う。そういう意味で、「シャイン」は丁寧に意味深いカットを積み重ねてあり、演出も抑えてあって、事実におんぶにだっこの映画ではなかったのに好感を持った。

 □ 先日、試写を見る機会のあった映画「誘拐」について。永瀬正敏が得難い俳優だということがよくわかる作品。城戸賞受賞のシナリオは、前半が極めてハリウッド映画的な仕掛けをこらしてあるが、ラストちかくになって、その下から日本映画的浪花節が顔を覗かせる。なぜ、最後までもっとドライな物語を構築できなかったのだろうか?もっとドライであれば、F1、M1の動員も望める内容だったのに・・・。しかも、推理ファンはあのオチでは怒るかもしれない。
 ともあれ、大河原孝夫監督もめずらしく(初めて、か?)ちゃんとした映画をとったのではないだろうか。前半、室内の焦点深度の浅い画面、屋外の空撮などはなかなかいい雰囲気を出していたと思う。

 ○ 最近、夜はつらつらと「夢のあとで映画が始まる」(畑中佳樹 筑摩書房 1960円)を読んでいる。好き嫌い、傑作駄作で映画を判定するのでなく、映画を語るという魅力にあふれている本で、これを読んでいると、もっと自由に映画をみなくてはなあ、という気分にさせられる。友人から薦められて、3カ月余り探した末にみつけた本なので(僕はあまり本を注文しない)、その分思い入れも大きくゆっくりと読んでいる。
 しかし、うわさ(友人からのたれこみ情報)によると畑中氏はアニメは全く見ないとか。やれやれ、押井守がトーキングヘッドで言っていたとおり「映画評論家には2種類いる。アニメを好きな評論家と嫌いな評論家、ではなくて、アニメを見る評論家と見ない評論家だ」というのは正解かもしれない。

 △ 今日は古書店で「クラッシュ」(J・G・バラード、ペヨトル工房 2200円・買値は1100円)、それから普通の書店で「肉体のヌートピア」(永瀬唯、青弓社 2678円)を購入。「肉体・・・」は、2月ごろ静岡県浜松市の関東系郊外型書店で発見するも、手持ち不如意で購入できなかった1冊。
 それから、続ロケットガールであるところの「天使は結果オーライ」(野尻抱介、富士見書房 600円)を先日読了。1冊目よりはずっとコメディーとシリアスのバランスがよくてなかなか楽しめた。ゲストキャラの茜の得たモノもわかりやすいしね。

 ☆ そーいえば、近々会社で人事異動があるらしい。うわさが各所でうずまいてるよーである。外様の僕には直接関係はないけれど、その影響で配置が変わる可能性はあるしなあ。まあ、ベテランのある人にいわせれば「これでだいぶ雰囲気はよい方向に変わるのでは」ということだが・・・。 


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