1997年4月下旬

4月21日
 【インタビューはネタぎれにつきお休みします】

 日本語全文を検索する検索エンジンで遊ぶ。いくつかキーワードを入れると、わずかでもその単語に触れているサイトがリストアップされるから、意外なところで意外なもの(例えば自分のページ)が話題になっていて面白いよ、と勧められたからだ。
 で、さっそく「ぴょん太」で検索する。ヒットは60件。ところが、僕のページ本体もヒットせず、分かったのはある方が飼っているウサギが「ぴょん太」と呼ばれていることだけ。いや、その「ぴょん太」君の写真みたら、なかなか愛きょうあって可愛かったのは、 いいんですが・・・。GOOD GRIEF。
 まあ、あまり期待していた訳じゃないからいいけれど、このページそのものがヒットしないというのはどういうことなのかなあ?ぴょん太という単語がこのページに一つしかないからかなあ?良くわからん。YAHOO JAPANでは、ぴょん太でヒットするように登録してあるけれど。

 それはさておき。本の整理もおおむね完了したが、どうしても見つからない本が2冊ある。いったいどこにいったんだろう。おそらく見落としたまま封をしたダンボールの中にある可能性が大だが、もう一度ダンボールを開けるというのも、どうもなあ。
 しかし、今回はだいぶ本を間引いたけれどなかなか思い切った決断をしたものだ。ナウシカとバナナフィッシュは手元に置いておきたい気持ちもしたが、涙を飲んであきらめた。ナウシカはきっと愛蔵本を購入するだろう。バナナナフィッシュは、文庫版8巻巻末の山崎浩一氏のコラム(エッセイか)がよかったので、そのためだけに文庫版でそろえ直してもいいかも。
 そろえ直すといえば、竹宮恵子と増山のりえの合作集が書店に並んでいる。変奏曲といくつかの音楽ものを集めたものがだ、やはり今回の目玉は2人の対談。ワン・ノート・サンバなんかも合作扱いになってるなあ。作品そのものはどれもすでに所有しているものばかりだけれど(変奏曲にいたっては、3バージョン(表紙違いを含むと4バージョン)を持っているのだ)、やはり物欲、物欲ではある。

 そういえば、来週から週刊少年ジャンプで読者杯対象となる作品が掲載されはじめるそうだ。僕は個人的に、いい短編マンガってここ10年ぐらい少ないのではないかと思っているので、読み切りというスタイルを各作家さんがどのように生かすかが興味のあるところではある。 

4月22日
帰ってきた、架空のインタビュー

【前略】
−最近、家庭用ゲーム機器を買ったそうですね。どうですか?
「面白いよ。ただ、なんだかんだいって、4日間で8時間もプレイしていないから、えらそうなことは言えないな。はっきりいってパソコンのモニターを見ている時間の方が長いくらいだよ」 
−セガ・サターンとプレイステーションのダブル購入だったそうですね。
「購入に至る細かな経過や、購入したソフトについては、君、もう知っているんだろ。あまり話すようなことはないよ。けれど、並べてみて分かるタイプの差というのは感じるな。こっちが先入観を持っているせいがあるかもしれないけれど、やはりハードを見ているだけで、メーカーが目指しているものが分からないでもないような気がするね。顔をみると人格が分かるようなものさ」
−それでいうと、2機種の差はどんな感じになりますか。
「PSは一言でいうと小顔の女の子だと思う。ハイヒールとかもはいてそう。顔が小さいから頭身が上がってみえて、スマートにみえるそんな感じかな。よく小顔の代表としてKYON2の名前が上がるけど、彼女のマニアックさとポピュラーさのバランスの良さというのは、小顔のゲーム機「PS」にも共通するように思うなあ」
−じゃあ、SSについてはどんなイメージですか?
「うーん、PSとのバランスで女性に例えなければいけないんだろうけれど、なにしろ知人が言っていた「でかい弁当箱」のイメージが強くてね。ほんとに弁当箱にしか見えないんだ(笑)。そうだなあ、本体がオフグレーからオフホワイトに色を変えたじゃない、で、変えたけどあんまりイメージは変わらない(笑)。そういうところって何だか、おたく御用達のメガネっ娘というイメージはするかな。イメージは眼鏡で決まってしまっていて、あとはあまり個性のアピールに貢献していない、という意味でね。だから、SSにとっての眼鏡ってのは、VFシリーズをメインとした移植物ってことかな。一部ファンに強烈なアピールがあるという点では、確かにメガネっ娘の眼鏡だろうな。そうそう、マンガ家でいうと吾妻ひでおみたいな感じかな」
−ろくにゲーム機に触ってないわりにはえらそうですね。
「まあ、その点では勘弁してほしい。それに、これはあくまで顔というか外観の話だからね。もっと深い仲になれば、いろいろあるかもしれん。SSなんか進化するハードとか言っていなっかったっけ?それならもっと進化してほしい気持ちはするな」
−SSで一番偏ったソフトを買っているのによく言いますね。
【後略】

 藤枝市役所へ出かけてお仕事の・ようなもの。ついでにCD店で「MINI SKIRT」(加地秀基、ポリスター 2800円)を、書店で「僕たちの洗脳社会」(岡田斗司夫、朝日新聞社 2000円)、「クラシックB級グルメ読本」(洋泉社、1600円)を購入。書店では3冊買うつもりだったのだが、手持ちのお金がないことが分かったので、レジで1冊減らしてもらった(失笑)。この本は明日買うであろう。
 「MINI SKIRT」はシンプルで、スピッツよりは僕の好みかな。ただ、やはり小沢健二とややイメージがかぶるかも。まあ、オザケンの方が壊れ度は高そうだけれど。
 「洗脳社会」は4刷。初版で入っていなかった写真図版が入っているそうである。でも、こうなると当然なかがら初版の方がレアなアイテムになるな。「クラシック・・・」は僕のような中途半端な門外漢にとっては面白い本。ちょっとひねた曲の楽しみ方、クラシック「産業」の裏幕や有名指揮者のちょっとゴシップめいたエピソードなどが紹介されていて、楽しい。つまりは、洋泉社の映画秘宝、マンガ秘宝のバリエーションですな。装丁は全然違うけど。

4月23日
 ペルーの大使館公邸人質事件が、ペルー治安当局の特殊部隊の突入という急展開を見せ、127日目にして人質(邦人24人を含む71人)が解放された。ペルー政府が事前連絡しなかったのは、事前に日本政府に強行突入を申し入れれば、拒否もしくは話し合いの場を設ける、という展開になることを避けたのだろう。しかし、公邸内での武力行使に一言もないというのは、なんだかなあ。対テロ作戦では、ペルーの方がノウハウあるから、素人の日本から了解とるというのが面倒くさいと思ったに違いない。これで邦人に被害がでていればどうなったか分からないが、とりあえず、そういう意味でもフジモリ政権は賭けに勝った、といえそうだ。

 部屋の片づけをして、午後から買い物へ。今日もリミッターがはずれてしまった。帰宅してからは、買ってきた本をひたすら読む。

 マンガ:「地下室」「画家」(伊藤潤二、朝日ソノラマ 390・400円)、初めて読んだ。富江シリーズは怖いし、それぞれのエピソードで展開される人体再生のイメージが素晴らしい。
 「ナニワ金融道18巻」(青木雄二、講談社 530円)>男・灰原どこへいく。起死回生はなるのだろうか、ドキドキ。
 「新ゴーマニズム宣言第3巻」(小林よしのり、小学館 1050円)>従軍慰安婦問題でよく調べているのは分かった。で、筆者の「この国へのいとおしみをなくしてこの国の未来を語れるはずはないのだ」という叫びを読んで「やれやれ」とため息をつく。「国」なんて抽象的なものが、いかにもあるように語るなんてそれこそ詐欺の一種だな。国じゃなくて国民なら、まだ分かるけど。ちなみに、僕は国が侮辱されても、自分のプライドが傷つかないように生きたいと思っているわけで、ゴーマニストの言うことだからあまり気にしない。こういう人もいるのは確かなことだからね。
 
 書籍:「ナニワ金融道 だまされたら、アカン!」(青木雄二、講談社 880円) >筆者のリアリスティックな世界観が分かる人生・社会論。事実関係の確認という意味ではアバウトだが、実感に支えられた言葉は、マンガの世界でエリートである小林よしのり氏とは対照的ではある。そんな筆者が最後の部分で、マンガが世界に通じる文化云々と語っているのは、ご愛きょうか。
 「楽しい創作入門」(三浦正雄、岩波書店 630円) >創作遊びを通じて、自己表現のおもしろさを実感しよう、という内容。内容的にはまあまあといったところだけれど、「作品は他の人に見せなければ自分の長所・短所をつかむことはできない」というのは、当たり前だが大切な真実だと思う。
 「子どもたちのサブカルチャー大研究」(中西新太郎・編、労働旬報社 1800円) >まだ読み終わっていないが、いい指摘がかなりある。「現実の世界の魅力をどうつくれるのか抜きにしてゲームをあげつらっても仕方ないと思います。ゲーム世界と現実世界との間には私たちがまだ気づいていない豊かなつながりがるのだとも思います」とか,要約になるが「友だちとはつきあいの形を踏むことで人為的に支えられている関係で、その支えの作業をすることが自然なのだ。幼なじみにような自然さは今のつきあいの文化ではむしろ不自然といえる」などなど。
 「入浴の解体新書」(松平誠、小学館 1800円) >タイトルの通り、おふろ文化論である。まだ読んでいないが、おもしろそう。
 
 雑誌:「Quick Japan vol13」。エヴァネタが竹熊健太郎氏がハイテンションで暴走(笑)。消えたマンガ家は安倍慎一郎氏。サラ金マンガの絵はイってるけど、収録された短編は結構洗練されている。それから、元オウムのMAT(モンスター・アタッキング・チームじゃないよ、マンガ・アニメ・チームだって)のインタビュー。「せっかくアニメやってるんだから、インドの風景ばかりでなく宇宙船も書きたくなった」「上条淳士の絵でできなかったのは、松本知子がその絵が嫌いだったから。彼女はもっとファンシー的な絵を望んでいた」。なんて暴露に爆笑。>大塚英志氏はこれをネタに彼女たちのオウム真理教って書かないかな。
 
 CD:「60 CANDLES」(ファンハウス、3900円)さまざまなアーティストによる加山雄三トリビュートアルバム。オーソドックスな作りでなかなかの出来栄えだが、はしゃいだようなのが竹中直人&スカパラだけというのはちょっと残念、もっとへんてこなのがあっても個人的にはオッケーなのだが。(越路吹雪のアルバムに参加した暴力温泉芸者みたいな奴ね)。
 「MI・YO・TO」(石川セリ、DENON 1500円) 武満徹追悼アルバム。新曲は2曲だけだが、それだけでも値段分の価値はある。アレンジは服部・総理と呼ばないで・隆之と、前作の恋のかくれんぼが評価されたコシミハルが担当。前アルバムからの再収録になる「小さな空」を聞くと学生時代を思い出してちょっとセンチな僕(笑)。
  
 ところで今日は、ちょっと変わったアルバムを買ってしまった。そう、沖縄出身で、年端もいかない子どもがダンスしながら歌うという・・・そうその通り「フィンガー5」である。え、僕は間違ってもSPEEDのアルバムなんて買わないよ(笑)。
 タイトルは「バトルフィンガーファイブ」。ベストアルバム未収録曲などで構成されたフィンガーファイブのアルバムなのだが、これは実は平成3年から4年(!)にかけて出版されたマンガ「超ド級無敵アイドル戦隊 バトルフィンガーファイブ(全2巻)」(市東亮子,秋田書店 各390円)のイメージアルバムなのである。
 というわけで、勢いでアルバムを買ったために、帰り道で「BOOK OFF」へ寄って単行本もゲットした。昔、知人の家で読んだのだことがあるが、平成になってからフィンガーファイブに萌え萌えとなった作者が書いただけあって、同人誌的なノリでなかなか楽しい出来栄えである。歌で洗脳する新興宗教(しかも女3人)が登場ししたり、千葉VS埼玉の戦争を扱ったエピソード「いい子なじゃくても君が好き」では、「千葉に球団がないくせに」とか「東京湾横断道路ができたらきっと千葉は埼玉をしのぐよ」とか、時代を感じさせるセリフもあって別の意味で笑える。

 ああ、今日も長くて、読みにくくて、内容のない日記だった。

4月24日
 このところ日中は引っ越し準備と読書と昼寝に追われて(←態度悪いぞ)、さまざまなものに関する感想をアップしていなかったので、明日は2本ぐらい書けたらなあという希望的観測を持っている。そして、えてして希望的観測とは悲観的現実の裏返しなのだった。

 引っ越しというのは、捨てることというのが鉄則らしい。とすると、もし「1級引っ越し士認定試験」があれば(別にそれは3級でもかまわないのだけれど)があれば、僕は間違いなく不合格だろう。今、引っ越しの荷物をまとめながら、つくづくそう思う。
 例えば、何かのノベルティでもらったドライバーセット。握りの部分も小さく見るからに使い勝手も悪そうだ。先端部分の精度も決して高くは見えない。そう、明らかに「使えない」という雰囲気があるドライバーセットだ。第一、僕は既にちゃんとしたドライバーセットを持っている。でも、捨てることはできない。捨てないまでも、2軍落ちというかラインナップからはずして押し入れの中という決断もないわけではないのだが、なかなかそれもできない。で、結局、タイプの違うドライバーセットが窮屈そうに、乱雑な小物入れの中に押し込められるというわけだ。
 なぜ、そんな決断ができないのか。それは貧乏性で心配性だからだ。今度は別の例を挙げると、スキー用のサングラス。眼鏡に直接取り付けるタイプのサングラスを僕は3つ持っている。それぞれ形が違い、上に跳ね上げられるようになっているタイプのものもあったりして、それぞれが微妙に個性を主張している。僕が一番よく使うのは、だいたい決まっているのだが、いざ残りの2つを始末できるかというと、「もし、一つ壊れたら予備がいるぞ」「出発する日の気分で、どれがしっくりくるか選んだ方がいいんじゃないか」「何だったら、予備として残り2つも持っていけばいい」なんて具合に「悪魔」がささやきかけるのだ。
 そうして、収納方法に困るような小物ばかりが増えていくのである。誰かものを捨てる方法を教えて欲しいと、思う今日このごろである(笑)←当初の構想とは違った内容になったことを、反省するものです。

 扱いにこまるといえば、葉書、手紙、写真の類も扱いに困る。これも、僕は基本的に捨てずにとってある。今回、引っ越しにあたって古い葉書を見る機会があった。中にはもう没交渉になってしまった人や、既に事故で亡くなった人の文章なんかを見つけると、葉書がインデックスとなって、さまざまな思い出がふいに頭の中の古い倉庫から引きずり出されてきて困った。
 センチメンタルというのは僕は嫌いだ。と、いうのもそういう感情に自分が弱くて、流されやすいからだ。後ろ向きはいかんいかん。
 引っ越しの時には、感情を交えずサクサクと仕事をするに限る。←今日は、落ちもなにもない文章ですみません(失笑)。

 それはさておき。先日、あるテレビ編成の人と雑談をしていたら、古いアニメの視聴率の話題になった。10年以上前、SBS(TBS系)金曜午後7時からOAしていた「銀河漂流バイファム」だが、他局が20%とかとっている中で、なんと数パーセントだったとか。「今ならすぐ打ち切りだな」と、彼は話していた(笑)。すると、土曜朝への時間帯移動はあったものの、物語として全うできたのは、僥倖というべきか。

 SPA!で唐沢先生がなんと米マンガを !!!!。恐るべし。次はせんべいマンガか、とり・みき氏発案の瓦マンガにチャレンジしてほしい。この2人のマンガ家が手塚治虫を根とするマンガチックな表現の流れをくんでいるのだけれど(ex コマに対するセンス)、微妙にスタンスが違っている。物語に対する姿勢でいうなら対照的とも言えるなあ。>誰かこの2人を対比で論じてくれないかなあ。

4月25日
 と、いうわけでやはり感想は書かなかった。午後はちょっとお出かけして大枚はたいてお宝を購入する。しかし、引っ越しが終わるまで、お宝は封印しておくのだった。夜はめずらしく外出して、知人と食事をしながら一杯やる。で、帰ってきたら日記も書かずに寝てしまった。

 先日、かつての後輩から「県内の女性のホームページについて知りたい」との依頼があった。ちょうどこちらからのお願いもあったので、バーターという格好で、その依頼を引き受けた。
 結局、いろいろ手だてを使って、要望に応えるような材料はそろえることはできたのだけれど、インターネットだと地域は関係ないし(当然ながら、静岡県在住在勤の人がページにその旨を書いているとは限らない)、ましてや性別だって怪しいかもしれない。後輩に教えた材料ががどこまで役に立つか、少し心配ではある。まあ、ちゃんとしたリンク集の主宰者(法人)の連絡先も教えたから、なんとかなるでしょう。
 しかし、パソコンも触ったことがない後輩だから、インターネットの世界を理解するにも少々時間がかかるかもしれない。がんばれよ、と陰ながら心の中で応援するのだった(←ちょっと消極的じゃないか?)

 夜、食事をした知人は、藤枝の出張所(のようなもの、勤務は本人一人だけ)に奥さんと二人で3月末に赴任してきた。なかなか忙しいようで「ここ1カ月ちゃんと休んでいない」とのこと。以前は結構、夜に飲みに歩いていたようだったけれど、それも藤枝に来てぱったりと止まってしまったという。
 奥さんは専業主婦。出張所(兼住居)に専業主婦の奥さんがいると、電話番代として毎月1万円(笑)が支給されるのがその会社のシステムだという。不思議なのは、その1万円が奥さんあての手当ての明細に、社員番号があるということ。まあ、ちゃんとした社員番号でなくて、「その他」を意味するコードという可能性もあるわけではないが、本来の会社社員である旦那の明細に含まれるのでなく、出張所にいる専業主婦というだけで、いつのまにか会社に雇われている格好になっているんだな。
 もっともそれだったら、パートでも自分で仕事をした方がはるかにいい稼ぎになる。(もっともそうするとその1万円はもらえない、らしいけれど)。でも、出張所の会社の電話が留守番電話になっていることが多いと、本社で怒る(大目玉(^^;))人もいるらしいので、出張所勤務の人はご苦労なことではある。(それだったら、会社の金で出張所に携帯を置けばすむのでは、と思うのだけれどね)

 と、そんな話題をしながら中華料理でビールを飲んだのだった。

4月26日
 東京へちょっくらお出かけ。用事をさささーと済ませて、西武池袋店のLIBROでお買い物。はやる気持ちを抑えて、理性的に本を選ぶ。でも探していた「名子役の虚構」(byケンちゃん)は売り切れでゲットできず、無念。(しかし、この日記も本当に書籍購入記録と化しているな)

 帰りの新幹線では、購入した「宮崎勤 精神鑑定書」(瀧野隆浩、講談社 1500円)「ストーカー・一千日日の恐怖」(大高美樹、ザ・マサダ 1400円)を一気読み。
 
 「宮崎・・・」の方は、思ったより分かりやすく書かれていたが、やはり僕自身としては多重人格であるとは思えないというのが、正直な感想。多重人格説の弱点については、同書の中でも触れられているが、やはり人格交換の瞬間がはっきりしてい点に僕は一番ひっかかりを覚える。
 そういえば、ジョン・レノンの射殺犯人は頭の中にいる「リトル・ピープル」(合議制で彼に行動の指令を出していた、という)の存在を言っていたが、彼の診断はどうなっているのだろうか。宮崎勤の言うところの「ネズミ男」と、共通する存在のような気がするが。
 しかし、二十六歳にしては、しゃべり方がものすごく幼いように感じるのは、拘禁症状のせいだろうか?彼はマニアの人とどのような会話をしていたのだろうか?(当時の新聞報道では、趣味仲間の「わがままで感じの悪い奴」というコメントがあったと記憶している)。それから、判決報道では触れられていなかったが、彼の性意識に関する報告は、初めて読んだこともあって興味深かった。

 「ストーカー・・・」は、はっきり言ってのぞき見趣味で買った。単純に言うと「ストーカー」に分類される人の事細かな行動が知りたかったのだ(変態的な手紙の内容とかね)。で、その興味は満たされたが、筆者がつくずく男性運の悪い女性であることに同情を禁じえない。ネタバレ(←おいおいそういう問題か?)に、ならないように気をつけて書くと、○○相手が実は○○○○○だったなんて展開には、インド人もびっくりである。
 ただ、思うのだけれど、本来的な意味で言うならストーカーは「関係ない人につきまとう」からストーカーなんじゃないかなあ。ストーカーの本場・米国あたりでは、女性というよりは映画「ザ・ファン」のようにスポーツ選手などが対象となるケースが多いようなので、変質的な片思いの行動をストーカーとに分類してしまうのは、誤用あるいは流用といった感じがしてちょっと抵抗がある。

 ストーカーではないけれど「ストーキング」(隠密接敵)という言葉を知ったのは、予備校の時。マンガ「アップルシード」(士郎正宗、青心社 850円−)の2巻のことである。意味的には同じなんだけど、こっちは軍隊用語のような感じで使っていた。
 このマンガ1巻(初版1985年)には、今やものすごくなじみの単語となってしまった「サリン」なんてのも出てくる。某ヒゲの教祖が89年だかに「まだ一般的には知られていないサリンの名前を説法で使っていた」と、サリン製造に関する報道で出てくるたびに、あの当時に「アップルシード」を読んでいた連中というのは「一般」の範囲に入ってないのかなあ、といつも思っていた。まして作者をや。

 架空のインタビュー・特別編
 
【前略】
−ずいぶん、久しぶりの登場ですね。
「うん、出てくるつもりはなかってけれど、先日のゲーム機の話に補足があってね。手短に済ますつもりではあるんだけれど」
−N64は女性に例えると・・・という奴に答えようというわけですね。
「知人からメールでそう尋ねられたんだけれど、そのメールで本人が秀逸な例えを挙げていたんでそれを紹介しようと思ったんだよ。結論から言うと、その知人が言うにはN64はナオミ・キャンベルだそうだ。あのスペックといい、少数精鋭という発想といい、スーパーモデルに分類するのは、僕もすごく的確だと思うんだ。本体の微妙な山なりになっているラインなんかも、そう思ってみると、独特の乾いた色気があるように見えないかい。ちなみにその人は、SSはカニの甲羅に見えるそうだ。ドライブ部分のふたを開けるとカニミソがつまっているという妄想に日夜うなされているらしいよ。おっと、これはちょっとオーバーだったかな」
−カニミソねえ。ところで、ナオミ・キャンベルというと、エステのCMですね。
「そう。だから、今僕の頭の中には、親の止めるのも聞かずにエステにいったスーファミが、帰ってくるとN64になっている、という妄想が渦巻いているんだ。家にあるスーファミもここ1年ぐらい触っていないしなあ。最後にやったのはかまいたちの夜だったかな?」
−それも、やる気のない名前でやってましたよね。
「主人公がさるさる。で、ヒロインがうしうし。このネーミングで、陰惨な物語が多少なりとも明るくなったとは思わないかい?」
−主観の問題ですね。名前を付けるのは好きなんですか?
「筋道の通った、変な名前を付けたいと思っているんだけれど、なかなか難しいんだ。プリメ2なんかはタレントの名前とか、知人の名前でやってたんだ。こういう時には粗雑に育てて、その成れの果てを笑うという楽しみもあるんだよ」
−悪趣味ですね。そのツケがいつか回ってきますよ。
【後略】

 先日、メガネっ娘が好きではないかと尋ねられたので、明日はそのぬれぎぬ(?)をはらすために、僕の好きな美少年列伝でも書くかな。(←バカ) 

4月27日
 今日は引っ越し準備などでバタバタしているので、美少年列伝(?)でお茶を濁す。
 
 その前に一言二言。
 昨日のザ・スクープ(静岡朝日テレビ・テレビ朝日系)を見ると、やはりペル−治安当局の強行突入の背景には、交渉の行き詰まりだけではなく、支持率回復や国家情報局(だったかな)の信頼回復などを視野に入れた、政治的な要因も大きいことがよく分かった。人質事件に関しては、終わりよければすべてよしという言い方もできるかもしれない。だが、チャンネル2などによる政府批判を見れば、決してそれだけではすまない政治的な暗部がペルー政府周辺にあることがよくわかる。がんばれ、チャンネル2!
 
 それから、降伏したゲリラを射殺したというのは国際法上問題にならないのだろうか?戦争中にこの種の事実が明らかになったら問題になるような気もするのだが?世界の人権の警察を自称するなら(まあ、国益に関係ないとソッポを向くことも知ってるけどさ)こういう時にもちゃんと仕事しろよな。>米国←だったら英語で書け。
 しかし、作戦の成功を演説するフジモリ大統領を見て「インデペンデンス・デイ」のビル・プルマンを一瞬思い出したのは俺だけかなあ。そういう意味では「大統領があれだけ元気な国でない日本はありがたい」という、黒鉄ヒロシのコメントには納得できるものがある。

 SAPIOを購入。なんつーか、国家主義と地域主義(郷土愛とも言えるかな)は分離して考えた方がいいと思う。で、人間がエゴ(自分の誇りの範囲)を国家まで拡大するのは危険だと思う。それは、その国にすんでいる他の人の考えを踏みつぶすことにつながるからだ。と、だけ書いておこう。

 じゃ、美少年列伝というか美形列伝かな。資料がしまわれているのもあるのでちょっと不完全だし、あくまで僕の個人的な好みです。とりあえず、マンガだけに限り(だから、渚カヲルは登場しません・笑・)、1人の作者からあまり重なって選ばないようにしました。まあ、ラインナップはありきたりですな。

・セルジュ・バトゥール(風と木の詩)
 もう、彼の前向きな姿勢が全てです。つらいことがあっても凛と背筋を伸ばした姿が、けなげである。若者はかくありたい。←オヤジが入ってる。

・夢幻魔実也(夢幻紳士)
 さまざまなバージョンが存在するけれど、スケベ度はネムキ版が一番かな。個人的には怪奇編バージョンがけっこう好きなんだけれど。

・厩戸皇子(日出処の天子)
 毛人が悪い女につかまるからねえ、まったく(笑)。ただヨヨヨと泣いてるだけだからな彼女。山岸涼子さんは「今だったら何らかの形でハッピーエンドで終わらせたかもしれない」というけれど、彼の魅力はその満たされなさがあってこそ輝くと思う。やはり、あのラストで正解なのだ。

・ユリスモール・バイハン(トーマの心臓)
 ひとりでウジウジ悩んでいるところが、なかなかラブリー。←バカ。彼ぐらい意志の力があれば、と思わないこともない。

・小林秀雄(含羞)
ユーリに通じる屈折型のキャラクター。年齢から言えば、美少年というより美青年か?まあ、実在の人物とは別にしても、本編ではなかなか神経質そうな美形に描かれているていると思います。この延長上に「トーマス・E・ロレンス」(T.E.ロレンス)なんかもいますね。

・ロック(超人ロック)
 悩めるナイーブなヒーローという点では、島村ジョー(サイボーグ009)の系譜をついでいるかな。どちらも、傷つきながら闘うというところがgoodなのである。あと、ロックは外見が若いけれどけっこうジジむさかったりするところも魅力の一つ。

・友井久嗣(TOMOI)
 くー泣けるぜ。でも、僕はセンチメンタルな彼より、憎まれ口を聞いている彼が一番好きなのだった。本当は後追い自殺するはずだったのを、担当さんがダメ出ししたおかげで彼の人生がしっかりと描かれた物語になったと思う。

・武藤ヨウ(OZ)
 この作者も美形を量産しているけれど、とりあえず代表で。別に好みじゃないんだけれど、ラストのセリフがあまりに感動的だったので、それで入れてしまった。

・紫ジョウ津那美(支配者の黄昏)
 私立探偵にして鬼を退治する美形という、きわめてツボ押しなキャラクター。彼の空虚なまなざしにしびれるのだった。

・ダグラス・カイエン(ファイブ・スター・ストーリーズ)
 普段のおとぼけぶりがいい。無敵の騎士なのに、女々しかったりするギャップも魅力的。ちなみにこのマンガでは若かりし頃のバランシェ公も僕の好みである。

・アスラン・J・カーレンリース(バナナフィッシュ)
 何ともいいようがない。彼は死を決意してなお高みを目指す豹だった。でも、死に臨んで彼が求めたのは高みではなくわずかな安らぎだった。それが、悲しい。それから、当初から彼のイメージはリバー・フェニックスではなかったことは書いておく必要がありかもしれない。作者自身イアッシュのメージとしてあるテニスプレーヤーの名前を挙げていたのが、次第にリバーへとシフトしていったのだ。おそらく4巻あたりからだろうけれど。
 でも、風と共に去りぬのレット・バトラーも、作者は」当初クラーク・ゲーブルをイメージしていなかったのだが、やがてはクラークがイメージ通りだと発言していることから考えても、名作にこの種の伝説はつきものなのかもしれない。

4月28日
 朝、雨の藤枝を出発する。先日、「引っ越しの時はいつも雨」という自称「雨男」の人と会ったから今日が雨であろうか、いやまさか、などと日ごろの行いを反省しながらも、レンタカーへの積み込み作業を行う。今度、住むのは東京都豊島区巣鴨である。とりあえず今日は生活必需品(ふとん、炊事道具など)だけを持って車で移動する。で、家具・本の類は29日に引っ越しのサカイが持ってくるのを僕が巣鴨で待ち受けるという作戦である。

 慣れない東京の地理に迷い、予定より1時間余り遅れて、巣鴨の部屋に到着。ざざっと荷物を搬入すると床は一杯になる。まあ、片づければちゃんと生活できるようになる、とは思うものの、一抹の不安も。明日は本も来るからなあ・・・などと思いながら、CDや小物類などをダンボールから開ける。

 今回の新しい部屋で一番懸念していたのは、収納スペースが少ないこと。特に衣類をどこにしまうかは大問題。ともかく、本棚・ローボードがくるまでは実際の作業はなんともしがたいので、ホットカーペットと毛布類を戸棚に収納、衣紋掛けの場所を決めるなどした後は(それでもけっこう時間はかかったのだが)、新しいパソコンを立ち上げてプロバイダへの接続を設定したり、一太郎8(>学生時代の先輩で金沢在住の「ジャスト」さん 買いましたよ)をインストールしたりした。

 DTIへの接続は問題がなかったが、接続後、すぐに回線が切れてしまうので、設定のどこが悪いのかなどを考えているうちに夜も更けてきたので、寝る。しかし、やはり東京のアクセスポイントは、休日前ということもあって浜松よりも混んでいるようだ。ほかにもまだあるけど眠いので以上でおしまい。

4月29日
 正午過ぎであろうか、引っ越しのサカイが到着した。前もってスペースを開けておいた場所に本棚・ローボード、CDラック、洗濯機、冷蔵庫などを運びこんでもらう。また、台所の余裕のあるスペースには、半透明のプラスチックケースに入れた本を積み上げてもらう。

 完璧だ。部屋を借りることを決める前にイメージした通りに全て置けた。これでプラスチックケースがはみ出したりしたら、目もあてられないところだが、そんな重大なトラブルは避けられた。全ての荷物の搬入が終わって、まずそのことでひと安心した。

 ここで、今回の転居にあたって、僕が採用した本の管理方法を説明しよう。←えらそう。

 基本的に本棚は、大判の本(写真集、映画のパンフレットなど)と最近購入した本、マニュアル、辞書などを中心に置くことにする。で、使用頻度のあまり高くない本は全て、前述のプラスチックケースに入れてしまった。この時は、おおむねのジャンルと本のサイズで分類することがポイント。図書館みたいに正確にやろうとすると、必ず失敗する。あくまで、自分で把握できる程度の分類で構わない。
 このプラスチックケースには、それぞれナンバーをふった。今回はこのケースを36個購入し、33個使っているため、ナンバーはA−Z(アルファベット順)とイ−ホ(イロハ順)がある。そして、別に用意したインデックスカード(僕の場合A6サイズ)に、それぞれのケースに入っている書籍名前と著者名をメモする。ここでも、データベースを作るのが目的ではないので、覚書ぐらいと割り切ってメモを書くことがポイント。僕の場合、組織が著者の場合(○○研究会など)は基本的に書かなかった。

 この収納方法のメリットは多い。半透明のケースを使うことで、外から収納されている本が確認できるし、引っ越しの場合もそのまま引っ越し会社に運んでもらえれば構わないので荷造りの必要がないのも便利だ。また、インデックスを作ることで、箱に入れたために本が行方不明になることが防げることもある。
 一方、欠点としては、このケースが本の重量に耐えられるかどうかという不安点が挙げられる。現在、台所の廊下ともいうべき場所には、4列5段重ねでこのケースが並んでいるが、今後、一番下のケースに何らかの損傷が生じないとも限らない。
 また、省スペースといっても、使い勝手などの意味から積み重ねるのは5段重ねが限界であろう。重なったケースは、ケース自体の柔らかさのため、やや不安定でもあるので、万が一子供などが揺らしたりすると崩れる可能性もある。

 この整理方法は、以前も書いたように「名人・苦労人50人の整理法をぬすむ」(毎日ムックアミューズ編、毎日新聞社 1600円)で紹介されたあるサラリーマンの整理方法を参考に、自己流にアレンジしたものである。果たして、これがうまくいくかはこれからの僕の心構え次第なのだが・・・。

 と、いうわけで本が到着した後は、基本的にずっとこのインデックスを書いてました。手書きだったので右親指あたりがえらく痛くなったけれど、とりあえず三十箱分を仕上げた。で、午前2時を過ぎてから今度はテレビのセッティングを始めたので、就寝は午前4時。

4月30日
 昨日はインデックス書きとテレビのセッティングだけで終わったので、今日は引っ越し作業を完成させるつもりで臨んだ。で、なんとかインデックスの残りも書き終わり、戸棚の中の整理も終わらせることができた。後は、洗面所をユニットバスにするか流しにするかという決断をして、そのあたりに置くべきものを整理するだけだ。
 明日は必需品を買いながら、映画でも見る余裕があるかもしれない。ついでに東京探検だ(←田舎者)。午後5時にエアコンの修理人が来るまでに戻ってくればいいんだし、やっと人心地がついたなあ。

 先日、書いた通り新型パソコンが登場した。しかし、まだ旧パソコンでやっていた仕事を引き継げる状況にないため、結局日記の更新、メールのチェックなども古いパソコンでやっている。なんだか愛人に「妻とは別れるよ」といいながら、なかなか別れない男のような状況である。
 もともとハードには決して強くないので(←弱いとはっきり言え)、新パソコンを今以上の使い勝手にするためには(そもそもそのために購入したのだ)もう少し時間がかかるかもしれない。
 とりあえず、転居の電子メールを出さなければならない人がまだ残っているし、転居通知も作らなくてはいけない。転居通知は新パソコンの仕事だから、早く設定を済ませないとなあ。なんだかやらなければならないことばかりだ。

 それはさておき、東京に出てきた目的(←ウソつけ)の一つであるところの「少女革命ウテナ」(テレビ東京)である。やっと見ることができた(T_T)。いいじゃないですか、おぢさんこういうエキセントリックなの好きだな(失笑)。枚数はあまり多そうに見えなかったけれど、演出がそれをカバーしているので気にならない。気にならないといえば、ウワサには聞いていた決闘シーーンの音楽、あれも僕はオッケーである。ユニゾンが多かったようだけれど、それが素人くさい独特の雰囲気を出している(声ものど声というか普通の声だったし)し、それと歌詞の内容のギャップもグー。とりあえずごひいきのキャラを作って早く萌えも状態になろう。

 それから、ワールド・ビジネス・サテライトで、アニメ業界のコンピューター導入についての特集。通りいっぺんの内容だったので、僕の知りたいようなことはあまり触れられていなかった。

 僕の覚えているところで、これまで製作にコンピュータを使用したアニメというと・・「パトレイバー2」「攻殻機動隊」といった話題作のほか、「子鹿物語」「ビット・ザ・キューピッド」「パンツァードラグーン」「天空のエスカフローネ」「勇者王ガオガイガー」「超者ライディーン」「闇夜の時代劇」あたりだろうか。WBSでは、東映かどこかが昨年製作したというようなことも言っていたが僕は寡聞にしてその作品を知らない。

 アニメ業界のコンピューター導入について僕が一番知りたいのは、大まかにいって、原画−動画−彩色−撮影−編集という工程の中で、どれが今コンピュータ化されようとしているか、そしてそのコストダウン効果はどの程度かということである。そういう意味では、エフェクトの1種として使う「エスカ」「ガオガイガー」、従来の撮影技術などで不可能だった映像を作った「パト2」「攻殻」といった作品でのコンピューター使用はむしろ周辺的なものであり、アニメ製作におけるスパイスのようなものと位置づけられる。
 しかし WBSで取り上げた通りこれからのコンピューター導入は、アニメ産業の空洞化対策してであり、その意味では製作システムの「セントラル・ドグマ」に触れるものでなければならないだろう。その意味では、WBSのリポートは表面的で、その効果や導入せざるをえない背景などが舌足らずだった。製作コストのうち人件費率がどの程度で、コンピュータ化によりどれくらいダウンが見込めるのかなどの具体的な数字が、机上の計算でもいいので、知りたかった。

 個人的な意見だが、おそらく、彩色以降の過程というのは、技術的に全くコンピュータ化に問題がなく、それによる作業時間の短縮、コストダウンが見込めるだろう。ここでは彩色以降の作業がコストのどれだけを占めているかが一つのポイントになるだろう。ここである程度のコストダウンが見込めるのであれば、当面の間は問題はなく、人的資源を作画に集中させる体制(採用などの段階で)をとれれば質を落とさずにテレビアニメを量産することが可能になるだろう。(製作費が圧縮されないという前提でだが)。

 一方、作画のコンピュータ化について僕はかなり懐疑的である。かつて日本アニメが実験的に使用した中割りを自動的に行うシステムが、現状のコンピュータの利用としてはもっとも実現性が高いように思う。しかし、それでどこまで作画のニュアンスが出せるものかどうか。また、中割りがオートになることで、動きを把握できる優秀な原画マンが育たない可能性も無視できないと思う。

 だから、アニメ業界がコンピュータ導入で現場の近代化を進めても、作画は最後まで労働集約型のスタイルとして残り続けるだろう。そこで、コストダウン効果を作画スタッフの労働環境の改善に回せなければ、日本のアニメ産業は変われないという気がする。そこまで考えてコンピュータ導入しなければ、単なるコストダウンだけで産業の構造の変化などは無理だろう。

(なお、これは今のセルアニメ的な作品を製作するという前提があり、なおかつ現場なんて見たこともない人間が想像だけで書いた話である)
ああ、もう午前4時だぜ。


もっと過去

偽名日記へ

RN/HP

もう少し未来