五線紙(青木洋、文芸書房)

 註:この小説は米国・ロスアンジェルス在住の作者から電子メールで届けられたものです。

 1980年代に少年マンガをにぎわせていた「ラブコメ」と呼ばれるジャンルがあった。これは少女マンガ精神の少年マンガへの移植であり、柳沢きみお、高橋留美子らが先鞭をつけ「きまぐれオレンジロード」でその様式が完成したように僕は考えている。
 「ラブコメ」の基本構造は、優柔不断で「普通」の主人公、おもわせぶりなヒロイン、主人公を好きな少女の3要素で構成されている。これに、主人公の欲望を代弁する「悪友」がドラマを動かす原動力として加わって週刊少年マンガの世界で、ある種のユートピアを毎週、無限に反復していた。この小説にはそうしたラブコメの影響があるように思う。
 主人公「渡辺」は、友人「岡田」からもらったチケットで展示会に赴き、そこでヒロインである久美子と出会う。岡田は後半の香港旅行でも分かるようにことある度に、主人公を強引に連れ回してドラマを動かしていくが、それは主人公が持っている欲求の反映なのだ。渡辺がその後も何度か女性などに関して、岡田なら「こう言うだろう」などと考えていることから見ても、それは裏づけられているように思う。逆に言えば代弁者であるからこそ、主人公とヒロインの出会いを用意する役割を担うことになったのだともとれるだろう。
 また、もう一人のヒロインである「一恵」は、久美子と対照にあるような要素を多く持っている。知性を強調され素性がなかなか見えてこない久美子に対し、一恵は「すんなりと伸びた四肢とのバランスが良い娘」とまず身体面を強調した描写がされる。また、中学校の同級生で、その父母との関係も自らが細かく説明するなど、久美子よりずっと具体性を帯びたキャラクターだ。この一恵が、不安になっている主人公をほめることで、ラブコメ的な1種の三角関係が成立することになる。
 ただ、この小説の場合は、少年マンガのように三角関係を無限に反復することはできない。三角関係の成立はそのまま、主人公の優柔不断さを浮き彫りにすることとなり、物語は終わらざるを得なくなるのだ。
 この物語の主人公が優柔不断(つまり未成熟である)のは、子どもから大人になりかけだからだという説明が作中にある。だから、ラストに至る過程で無言と嘘を使うことで、主人公はとりあえず表面上は大人のようにをふるまえるようになるのだった。80年代のしっぽのような物語だった。
(97/02/23)


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