第壱回、「華原朋美の栄光と没落」その2(1999.9.25)
1996年3月に発売されたサードシングル「I’m Proud」は、華原の持つ独特な伸びのある声を生かした壮大なメロディーと、そ
の狂暴なまでに美しい歌詞で、華原の歴代シングル中最高の売上枚数139万枚を記録した。この時期あらゆる音楽番組でプロモーションビデオが流れ、街に出ると必ず3個所以上でこの曲を耳にしたはずである。
そのため、同月に発売されたglobeの「FREEDOM」は、彼らの曲の中でも屈指の名曲であったが、「I’m Proud」発売によって
皮肉にも苦戦を強いられる事となる。
そう、シングル3枚目にして華原朋美は紛れもなく日本のトップアーティストの仲間入りを果たしたのである。
20台女性の支持を得て一種のムーブメントとなった「朋ちゃん」の勢いはその後も続く。
同年6月、1stアルバム「LOVE BRACE」は、先のシングル3枚を含む全11曲入りで発売される。シングル3曲については当然
であるが、残りの8曲に関しても完成度に余念のない作品である事は周知の事実であろう。
アルバム「LOVE BRACE」はなんと257万枚の大セールスとなった。
同年7月発売の「LOVE BRACE」のシングルカットは不振に終わるものの、10月には5thシングル「save your dream」を発
表。銀座ジュエリーマキとのタイアップ効果でこれまた大セールスを記録する。
数字的には一見順調に見えた華原の道のり。ところがこの辺りから陰りが見え始めた。
ムーブメントを起こすためには話題性が不可欠である。話題が途切れないうちに次々と作品を提供していかなければ、1アーテ
ィストの存在等はすぐに過去の存在とされてしまうであろう。
そう、この後のシングルリリースは、流行を維持するためにはあまりにも間隔が開きすぎたのである。
明けて1997年になっても華原の新曲について発表がされる事はなかった。
何故ならこの時小室はglobeの方向転換に全力を注いでいたからである。「Can't Stop Fallin' in Love」、「FACE」、「FACES
PLACES」と続く一連の方向性模索のためには他のアーティストに構っている余裕がなかったのだ。
3月に発売されるglobeの3rdアルバムが完成するまで華原は完全に放り出された。
そんな中、同年4月に6thシングル「Hate tell a lie」が発売された。ここで世間は小室の販売戦略の素晴らしさに度肝をぬかれ
る事となるのである。
この頃のチャートを賑わしていたのは、河村隆一、Puffy、CHARA等であるのだが、声優歌手である林原めぐみが長期間上位
にチャートインしている事からも分かるように、この時期にはなんと後世にまで語り継がれるであろう名曲がリリースされていな
いのである。
従って、突如リリースされ、その低い完成度にも関わらず、タイアップ効果もあって華原の「Hate tell a lie」はなんとミリオンセラ
ーを記録する。
そしてついにこの曲以降で露呈してしまうのである、華原のアーティストとしての限界を・・・・・・