月さえも眠る夜〜それぞれの夜明へ〜

8.アンジェリーク・リモージュ



涼やかな風が吹き、空高く晴れ上がったある秋の日。
女王候補のアンジェリーク・コレットが訪ねてきたと聞いて、私は緊張を隠せませんでした。
なぜなら、私は彼女がかつてのサラトーヴで起こった災厄の、遺族であることを知っていたからです。
女王補佐官としてこれまで彼女に幾度も接しましたが、アンジェリーク・リモージュとして……かつての惑星監査官として話をしたことはありません。
彼女もそれを知ってかしらずか。
私に対して、何らかのそぶりを見せることもありませんでした。
だから彼女が今日ここを尋ねてきた理由が、その過去にあると決まっているわけではありません。
けれども。

―― 大丈夫。私は、もう、目を背けたりなんかしない。

私の緊張に気づいてくれたのでしょう。
一緒に休日を過ごしていた恋人が
「おまえと彼女さえよければ……私も同席しよう」
そう言ってくれました。

◇◆◇◆◇

彼女を居間に招きいれ、優しい香りのハーブティを入れました。
「試験、頑張っているようね」
何を話していいのか。
困ってしまった私はそんな無難な話題を話しています。
なんて、情けないくらい臆病な私でしょう。
けれど、試験のことは本当で。
あと少しで、おそらくは彼女が女王となるでしょう。
「ええ、でも、順調といっていいかどうか。『精神』の学習が足りていないんです。―― しばらく、学習しに行っていないものですから」
それは。
と、言いかけた私。
でもなんとなく口をつぐんで、そんな私に気付ているのかどうか。
彼女はお茶を一口のみ、おいしい、と言いました。
「一足先の、金木犀の香りですね。聖地でも、咲くのでしょうか」
「ええ、咲くわ。きっとあと数日で」
そうですか、と彼女は微笑みました。
その笑顔は、いつもの彼女よりも柔らかく、優しい印象を受けました。
いつもどこか。
張り詰めたような雰囲気を持っていた彼女。
彼女の中で、何かがかわりつつある。そんな気がします。
それは女王としての目覚めなのか、それとももっと別の。
たとえば、そう。
恋をしている?
しかし、そんな憶測は、次の彼女の言葉で吹き飛んでしまいました。

「金木犀、好きなんです。でも、こんなふうに何処までも青く晴れた空は、少しだけ悲しいことを思い出します。今でも」

私の脳裏に、青い空が、広がりました。
それは、今とは全く逆の季節。
白い花の舞う春の日。
でも日差しとは逆に風は冷たくて。
青い目の女性が泣いていて。
―― あのひとを、かえして
そう私に言って。
その望みを、叶えることは、私には出来ない。
だからせめて。
私はあの日の痛みを忘れない。
過ちにも、苦しみにも、悲しみにも。
目を背けたりはしない。

彼女が言う、よく晴れた空の日がいつなのか。それを私が知っていることを、彼女もまた、知っているようでした。

「あのときのこと、今でも覚えています」

正直に言えば私は、このあと私を責める言葉が待っていると覚悟していたのです。
なのに。
「母を、許してあげてください。ずっと、ずっと気になっていたんです。母も、私も」

「―― 許すも、何も、私は」

責められて当然だったのだと。
私は言葉を続けようとしましたが、それは叶いませんでした。
涙が零れ落ちて。
次から次へと零れ落ちて。
そうと気づいた隣にいる恋人が、そっと私の手に自分の手を添えてくれました。
それを見て。
「お幸せで、いらっしゃるんですね」
彼女は、嬉しそうに。
本当に、嬉しそうにそう言います。

この子の精神(こころ)の強さに私は圧倒されました。
そして、その強さ故の優しさに。

大切な人を失った痛みは、いつしか癒えて切なさを残す思い出に変わったとしても、私が犯した罪は永遠に消えることはないと思っていました。
あの惑星の災害。どんな理由があったとしても、その咎は最高指揮官であった私が負うものだと。
残されたものの悲しみや叫びは、私が負うものだと。
そしてそれは、今私を愛していてくれるひとにさえ分かつことのできないもの。
私ひとりが負わなければいけないもの。
そう思っていました。

けれど、今目の前にいる同じ名の少女はその笑顔に私は ―― すべでてなかったとしても ―― 許されたのだと感じるのです。
逝ってしまった人々、残された人々。そしてこの藍い瞳の天使を愛する宇宙に。

「父が、そして他の多くの人が、命をかけて守ったこの世界。だから、生きている私達が幸せにならないで、どうするというんですか?
彼らの望みは、きっとそうであったに違いないから」
天使は続けました。
「だから、確かめたかった。ここへきて、あなたに会って。幸せですかって、聞きたかった」

「ありがとう、アンジェーリーク」
言った私に、彼女は再び微笑みました。
「来て、よかった。あともうひとり、伝えなければいことがある人がいるんです。でも、なんだか素直になれなくて。勇気が出せなくて。だから、先にここにきたというのが正直な話です」

伝えなければいことがある人。
それが、誰のことを指すのか、私は多分知っていました。
あの災害で生き残り、やはり自分を責めているであろう人。
昔愛した人の、かけがえのない友人。
そしてもしかしたら、彼女が恋をしているのは……?

◇◆◇◆◇

館を辞して、去っていく彼女を見送りながら、私は考えていました。
強く優しい笑顔で、私を許した天使。彼女なら、あの悲しみを抱えた『英雄』を、救えるのかもしれない、と。
そして、素直になれなくて、そう言った彼女の気持ちを思いました。

「彼女自身、今よりも幸せになってくれたら、うれしいのにね。たとえ、女王にならなかったとしても」

そう言った私を、隣に寄り添う人が優しく抱きしめてくれました。
美しい秋晴れの空。
女王試験は、もうじき終わりを告げようとしています ―― 。



一言メモ:
セリオーンを失った痛みと、災厄を防げなかったことへの自責は別次元と言うことで。

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