月さえも眠る夜〜それぞれの夜明へ〜

3.アンジェリークコレット



忘れられない、風景がある。
幼い弟を抱きしめながら見上げた空は、嫌になるほど澄んでいた。
あまりに蒼くて、美しくて。哀しくて、切なくて。
その色が、容赦なく私の胸を締め付けた。
涙はとうに枯れたはずなのに。
振り仰いでいた空にぽっかり浮かんだ雲が滲んだから、ああ、私はまだ涙が出るんだと、少し呑気なことを思った。
晴れているのに吹く風は、少し強くて冷ややかだった。

母は、まるで子供のように泣きじゃくりながら、あのひとをかえして、そう叫んでいた。そして、その母をただきつく抱きしめるうつくしい、ひと。
彼女の瞳もまた、哀しいほどに澄んでいたのを今でもはっきり覚えている。

あのとき、腕の中の弟の、確かな生命の温もりを感じながら私は子供心にも人の命とは不思議なものだとぼんやりと考えていた。
突然の父の死の知らせに倒れた母の胎内で、一度は生死をさまよったはずのこの生命の、なんと力強いことか。
そして、遠い……遠い聞いたいこともない名の星で、あっけなく逝ってしまった生命の、なんと儚いことか。
サラトーヴという名の星を襲った災厄。住民の救済に王立派遣軍が出向き、多くの犠牲者を出した。そして私の父は、その中のひとりだったのだ。
そう。あの風景は、その災厄により殉職した兵士たちの慰霊式典での出来事。
私は後日、父の上官であり、友人でもあったという人から、あの時母を抱きしめていた人が当時の軍の責任者で、私と同じ名を持つ女王補佐官であることを聞き知った。
そして、彼女もまた婚約者を失った遺族であったことも。

優しかった父の笑顔。
瞳の色は母に似たけれど、表情は自分にそっくりだと、いつも嬉しそうに言って高く抱き上げてくれた。
無骨な父に似ているというのは、幼いとはいえ乙女として複雑だったけれど。
でも大好きな父に似ているのならそれはそれでいいかとも思った。
そして大きくなったら、お父さんのような軍人さんになると言って、母を困らせた。
だってそうすれば任務で家を離れてばかりの父のそばに、少しでも多くいれるのではないかと、そう考えていたのだ。
父は生まれてくる弟を、本当に楽しみにしていて。
男の子だったらキャッチボールをするんだと、あまりにお約束なことを言うから、そのくらい自分にもできると、私は拗ねた。
その頭をなでてくれた大きな手。
軍人さんだから、その手は幾つもの細かな傷があって、ざらざらしていて。
でもその傷は、沢山の人の助けになった証でもあったから私も誇らしかった。
けれど。
私は、母の泣き顔と、婚約者を失ったと聞いたうつくしい女性の瞳を思い出す。
大好きだった父。
あっけなく逝ってしまった父。
私は、母やあのひとのように軍人さんを好きになることはないだろうと思う。
こんなに悲しい思いをするくらいなら。
―― 軍人さんを好きになど絶対にならない。

◇◆◇◆◇

時が経って。私も高校生になった。
人々の記憶は薄れ、災厄の残した傷跡は癒えたかに見える。
けれども私は忘れることはないだろう。
あの日の空の青さと、去って逝った人たち、残されたものの哀しみを。
そして、また、それを忘れない限り、私は探しつづけて行くのだろう。
今、私がこうして生きているということのその理由を。
生と死の狭間にあって、力強く生まれ出でた生命たち。
傷つきながらも生きようとする人々。
そして、滅び去った空間に再び現れた生命の源 ―― 新宇宙。

なぜ、こうも力強く受け継がれてゆくものなのか。
なんのためにそうあるのか。
悲しみを抱えながら向かう先、それはいったい何処なのか。
私は、その答えを知りたい。
だから、私は今ここにいる。
そう、新しい宇宙を統べる王、その候補として。


一言メモ:
慰霊式典とは、「月さえも眠る夜〜闇をいだく天使7:悲しみの風景」と同じ日のことです。

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