海鳴りの子守歌

(最終章)―――朝凪〜あさなぎ〜

 


(ざざ)……(ざざ)……(ざざ)……

聞こえるはずのない海鳴りに、ジュリアスはその蒼穹の瞳を開いた。
何時ごろであろうか。まだ濃い夜の闇の中、微かに暁の気配を感じる、そんな時刻。
ジュリアスは部屋を見回し、そして驚く。
「アンジェリーク ――」
―― ずっと、側にいてくれたのか。
熱に浮かされ、夢うつつで伝えた愛の言葉。
ずっと、そばにいて欲しいと。その言葉のままに、彼女はそこにいた。
寝台の傍らの椅子に座って看病するうち、眠ってしまったのだろう。寝台に頭をのせ、静かな寝息をたてている。
その小さな白い手で、ジュリアスの手を握ったまま。

―― 夢ではなかったのだな

その感触を名残惜しく思いながらも、彼女を起こさぬようそっと手を離す。
起き上がりながら、体調はすっかり良くなったようだとジュリアスは思う。
窓辺に立ち、窓を細く開けた。
涼やかな風が、彼の髪をゆらし寝室へと流れ込んでくる。その意外なまでの冷ややかさ。
そう感じたのは、彼の心故に。
宇宙に望まれた天使。それを自分ひとりだけのものにしようとした事実は、この誇り高き光の守護聖にとって十分な痛みを与えることであった。
しかし、一度手にしてしまった温もりを手放すこと。
それは身を切られるような思いがするに違いない。
彼は目を閉じ、微かなため息をこぼした。
眠っているアンジェリーク。その愛おしさに我知らすその頬にくちづけする。
そして、その体をそっと抱き上げ寝台の上に横たえると、静かに部屋を後にした。

◇◆◇◆◇

熱のせいで汗ばんだ体を、というよりは己の内から沸く熱くたぎるものを冷ますかの如く。
彼は頭から冷たいシャワーを浴びた。
細い幾すじもの水の線が、彼の均整の取れた体を、黄金の髪を濡らしてゆく。
―― 私は、許されぬことをしたのかもしれない。
彼は激しく壁に腕と拳を打ちつけ、うつむいた。
その肩がわずかに震えている。
―― 彼女が目がさめたなら、もう一度確認しなければならぬ。
言うなれば熱に浮かされて立場を忘れていった言葉である。
―― しかし、だからこそ本心でもあった。
そう、本心だった。だから。
許されぬ思いを告げた自分を彼女に否定して欲しいと思いながらも、あの時やさしく重ねられた手をにどと離したくないと感じている。
少なくとももう、己からあの言葉を撤回することは。
―― 私には、できない。それが罪であっても。
こうしている今でさえ、彼女を掻き抱いて、つややかな髪に、やわらかなくちびるに触れたい衝動に駆られている。
その想いが水の冷たさを無視して彼を熱くする。
ジュリアスはその想いを払うかのように頭を振った。

―― このような姿で長い間いては、また風邪をひいてしまうな。
彼は水の流れを止め、胸板にまとわりつく湿気を帯びた髪を払う。
髪から滴る雫が、彫像のような彼の体をなぞり、脚を伝って零れた。

◇◆◇◆◇

着替えを終えると、彼は客間で横になろうと思い、そちらへ足を向ける。
しかし。
寝台の上で、愛しい人が眠りについてあるであろう自分の寝室の前。
そこで足を止め扉一枚隔てた廊下に、彼は佇む。
彼女がもし、女王となることを望んでいるのなら潔くあきらめなければいけない。
そう決心しようとしながらも、心はゆれている。
せめてもう一度、あの寝顔を。
彼は、そっと扉を開いた。
「ジュリアス様……」
そこにいたのは、寝台に腰をかけ、心配そうに自分を見やる少女。
「起してしまったか。すまない」
「いいえ、ジュリアス様こそ、お加減はいかがですか?ずいぶん熱が高くて、心配で」
「もう、大事無い」
「よかった……」
嬉しそうに、少女は微笑んだ。薄闇の中で、金の髪が微かに光を放つ。
その姿に、彼の鼓動が高鳴った。
ジュリアスは少女の元に歩み寄り、その足元に跪く。蒼穹の瞳は、真っ直ぐにアンジェリークを見たままで。
「私が言った言葉を、そなたがどう思っているのかを私は知りたい。もし、そなたが女王となることを望んでいるのであれば、私は――」
―― 私は、どうしようというのだろう?
自嘲にも似た笑みをこぼして、目をそらすジュリアスにアンジェリークは言った。
「そばにいて欲しいと仰ったとき、こんなに幸せでいいのかって、思いました。でも、ジュリアス様が眠りから目覚めて、そして、その言葉を否定されてしまったらって……」
―― 貴方の眠る姿を見ながら、それが不安でしかたがなかった。このまま時をとめて、幸せな時間が続いたなら、どんなに嬉しいだろうって、そう思ってた……
「もう一度、聞かせてください」
―― 貴方の言葉を。
ジュリアスはおもてを上げて、ふたたびアンジェリークを見つめた。そして言う。
「私は、そなたを愛している。ずっと、私の側にいて欲しい」
―― そして、私だけのものに。
「お側にいます。いさせて、ください」

アンジェリークはジュリアスの手をとり、頬を寄せた。その手は少女の頬をなぜるようにして顎まで移動する。
彼は立ち上がり、彼女の顔をそっと上を向かせ静かに口づけした。
少し湿気を帯びたままの金色の長い髪がしっとりと少女の体を包み込む。
その髪をいとおしそうに小さな手が絡めとリ、そしてそのままジュリアスの背中に回される。

「アンジェリーク……」
低く、甘く、耳元で微かに名を呼ぶくちびる。それがそのまま耳を食み、ゆっくりと首筋をたどってゆく。
少女が我知らず零した吐息。それに応じるかのようにジュリアスは彼女の服に手をかけた。
ひとつ、(ぼたん)がはずされる。
まだ幼さを残す細い肩の線と女性らしさを既にそなえた鎖骨のくぼみ、そしてわずかにはだけた胸元。
それを長く細い指が、くちびるがなぞってゆく。

「そなたが今拒まぬのなら、私はもう、己をとめない」

ジュリアスの言葉に恥じらいの色をみせて、それでもアンジェリークは自ら彼の額にくちづけし、その答えにかえた。
はずされてゆく釦と露になる肌。ジュリアスも己が纏った(きぬ)を解きながら、それでもくちびるは少女の体を丁寧になぞってゆく。
そして、ふたりの肌が完全に露となったとき、ジュリアスはアンジェリークの体を寝台に横たえた。

夜明け前の青い影の中、少女の体が白く浮かび上がる。
恥ずかしげに彼女は両手で己の体を隠す。彼はその腕を優しくつかみ寝台の上へ押さえ込んだ。

「そなたは、美しい。隠さずに」

アンジェリークの肌が、エリューシオンで見た花のように淡い紅に染まる。
ジュリアスは体を重ねながら、彼女の乳房を念入りに愛しむ。
そして、いつしか彼の脚が彼女の腿の内側に割ってはいる。
絡まりあう脚と、じかに触れあう肌の感触にアンジェリークが幾度目かの吐息を漏らした。

彼の指がアンジェリークの内側をなぞったとき、すでにそこは静かな潤いをたたえていた。
傷つけぬように、でも誘うように、吐息をひきだすように。
幾度も幾度も、彼の指が外を、内をまさぐる。
アンジェリークは耐え切れずに甘やかな声を零して、それを隠すようにジュリアスにくちづけた。そして与えられる感覚に幾度か身を震わせながら、白い腕で彼をを抱き寄せる。
そして、わずかに緊張したままのその体の力を抜くよう促して、ジュリアスはゆっくりと彼女の中に入ってゆく。
ひとつに重なりあい、アンジェリークから痛みに耐える表情が消えるまで、彼は少女を優しく抱きしめながら、頬に、くちびるに、耳元に。幾度もくちづけを落とした。
鼓動にあわせて、わずかに動くジュリアスの体に反応して、アンジェリークが痛みではない感覚に身をふたたび震わせたとき、ジュリアスの体がゆっくりと、繰り返す潮騒にも似た旋律(リズム)を刻みはじめた。

◇◆◇◆◇

(ざざ)……(ざざ)……(ざざ)……
潮騒が聞こえる。
それはふたりの体内を流れる血潮、鼓動、そしてたぎる想い。
抱きしめて、くちづけて、絡み合い、求め合い、それでもあふれくる想い。
繰り返す潮騒にも似た旋律(リズム)を刻んで。
触れ合う肌の熱さに、愛おしさに、いくら抱きしめてもたりないほど。
狂おしく、愛おしく、けれどどこか穏やかに。
潮騒と、それをいざなう海風のように。
ふたりの鼓動は、いま、重なる。

◇◆◇◆◇

寝台の上で、愛らしい寝息が聞こえる。
―― 私は、許されぬことをしたのかもしれない。
再びそう思いながらもジュリアスの心に生まれた穏やかな何か。
乾いた大地と、母なる海の間で、明け方に僅かの間訪れる無風の時間。
朝凪。
それにも似て。
―― けれど今の私の心には久遠の。
優しい海風が、乾いた私の心に久遠の凪をもたらしてくれた。

「アンジェリーク。私の心は、もはやおまえのものだ」

腕の中でまどろむ少女に、彼はそうささやいた。

(ざざ)……(ざざ)……(ざざ)……
有り明けの聖地。涼やかな風が木々をゆらし渡ってゆく。
窓から入ったその風が、花瓶にいけられた紅を帯びた一重の薔薇(はまなす)をゆらし、その花弁(はなびら)を一枚散らした。


〜fin

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