海鳴りの子守歌

(弐)―――白砂〜すなしろく〜

 


「今日は、土の曜日だが、もし時間があるのなら、私と共に過ごさぬか?」

土の曜日は、女王候補ならば大陸の視察に行かなければならぬ日であり、守護聖たる己がそれを妨げるような行動をとってはいけないことは、彼とても端から承知であった。
なのに、何故なのか。
少女の笑顔がいつからか、心に焼き付きはなれなくなっており、ジュリアスは自分でも気付かぬ内に、彼女の部屋のドアを叩いていたのだ。
―― この私が、このような、行動をとるなどと。
内心苦く思いつつも、少女の嬉しそうな様子をみると、来て良かったと思っている自分が歯がゆい。
「ジュリアス様!嬉しいです!」
はちきれんばかりの笑顔で、碧瑠璃の瞳をした少女は彼を迎え入れた。しかし、しばし、考え込むような顔をして口を開く。
やはりエリューシオンが気になるのだろう。無理もあるまいと、ジュリアスは思った。
そのように、大陸のことを想い、民たちからも慕われる天使だからこそ。

―― だからこそ、私は。
―― 私は?

続きの言葉を、心の中でさえ紡ぐのを許さず思考を一旦切り替えたジュリアスに、少女は言う。
「あのですね、ジュリアス様。実は今日は私の方から、お願いに上がろうと思っていたんです」
意外な申し出に、彼はつい堅く応えてしまう。
「?。今日は、育成の頼みごとはできないはずだが」
そうなんですけれども、と。彼女は言葉を選びながら続けた。 「あの、エリューシオンに、一緒に来て頂けたら、って思ったんです。あ、やっぱり、守護聖様がいらっしゃると、バランスが崩れるとか、そういう影響が出てしまいますか?
無理であれば仕方ないのですけれど、どうしても、ジュリアス様にみて頂きたい場所があって 」
己が見る範囲では気付かなかったが、育成で上手く行かない個所でも在るのだろうかと。そんなことを思いながら彼は応じる。
「気を付けていればバランスが崩れるようなことはない。良かろう。それほどまでに言うのなら、私も共にゆくことにしよう」
「よかった。ありがとうございます!」
零れるような笑顔に、自分が彼女を甘やかしてしまっているような心持になり、彼はひとつ咳払いをしてから表情を引き締めた。
「では行くぞ」
「はいっ!」
元気のいい返事は、彼女の良い所だと、彼は感じている。見ている方まで元気が出てくるような心持がして、ふと笑みを零す。
「……なにか、可笑しいですか?」
「いや、そなたは元気だと思ったのだ。愛らしい、と」
彼としては思ったままを口にしたのだが、アンジェリークは赤くなって俯いてしまう。
その様子を見て、何か、変なことを言ったのだろうか。やはり、年頃の女性と言うものは、良くわからない、と。いぶかしげに首をかしげるジュリアスであった。

◇◆◇◆◇

飛空都市の空は、聖地と同じように晴れて、何処までも高く、澄んでいた。
風景の美しさは、同じ陛下の守られている空間として、どちらがどうという差があるようにも思えなかったが、空の美しさが胸に染み入るように感じるのは、となりを歩く少女のせいであったのかもしれない。
ここ数日、天候はめずらしく崩れがちであったが今日は、そそぐ太陽の光に、森の木々も公園の噴水の水も、きらきらと煌き、光を放っていた。

王立研究所に着き、彼はアンジェリークに尋ねる。
「ところで、そなたは、私に何処を検分して欲しい、というのだ?」
アンジェリークは少し、困ったような顔を一瞬してから、笑い顔になり、
「け、検分、というほど大袈裟なものではないんです。ただ、見て頂きたいなあ、って」
「そうなのか?いったい、何を」
続けたジュリアスの言葉を遮るように、アンジェリークは言った。
「ナイショです。ほら、ジュリアス様、早く飛空星に乗って下さい。ね」
「内緒、などと、そなた ……」
つい、説教じみた声を出してしまう彼を、そそくさと飛空星におしやり、
「じゃ、お願いします!」
と、彼女はパスハに出発の合図を出した。
暫くの浮遊感の後、飛空星は安定した走行をみせる。
一瞬の内に、目的地についたらしい。はしゃいだ声で、彼女が言った。

「みてください!ジュリアス様!この風景を、あなたにお見せしたかったんです!ね、美しいでしょう?」

心躍るような想いを汲むように、爽やかな海の風が、ふたりの髪をゆらす。
実を言えばこの時。
この風景を、という少女の意図とは異なり、彼は目の前にいる ―― 手を伸ばせばすぐ(かいな)にいだくことのできるほどにそばにいる ―― 天使に心を奪われていた。
太陽に煌く、彼自身の髪よりも輝く金の髪、嬉しそうにきらきらとみひらいている瞳。
その背景に、深い深い、彼女の目と同じ色の澄んだ碧瑠璃(エメラルドグリーン)の海が広がり、穏やかな潮騒が繰り返し耳に心地よく届く。
アンジェリークのその背に白い翼の見えたような気がしたのは、もしかしたら、気のせいなどではなかったのかもしれぬと、彼は思った。
”美しいでしょう?”
という彼女の問いに対して、ジュリアスはつい、彼女自身を見ながら
「ああ、そう、だな」
といういささか間の抜けた返答をする。その様子に、少女は少しふくれたような顔をして言った。
「ジュリアス様ってば、どちらをみてらっしゃるんですか?そちらは、海しかありません。こっちです!」
さすがに我に返り、彼は白く小さな指の指し示す方をみる。
そこに広がる風景の煌煌たるさまに、彼は再び目を奪われた。

碧瑠璃の水は次第に蒼へそして透通った水色へと変化し、白い波頭と共に波打ち際へと向かう。
海を望む丘にそよぐ木々の梢は永久(とわ)の青さを約束して、活き活きとその葉を天に向かって伸ばしている。
広がる砂浜の砂は白く、日の光をやさしく反射し清らに輝いている。
そして、そこには、砂の上にも関わらず、
かすかに紅を帯びた白い一重の薔薇のような花が咲き乱れ、風にその身を委ねゆれている。
あの花は、まるでアンジェリークのようだ。彼はそう思った。

「どうですか?ジュリアス様?」
しばし見とれているうちにそう問われて、今度はきちんと応じる。
「ああ、美しいな。このような風光明媚な情景を昔、ルヴァに聞いた言葉にするならば、『白砂青松』と、いうのだろうな」
嬉しそうに頷く少女に、今度は彼から問うた。
「しかし、なぜ、この風景を私に?」
「おわかりになりませんか?」
真っ直ぐに見詰め返す瞳に、つい、心の奥まで見透かされそうな気がして、彼は、ふいと目をそらす。
「いや、わからぬが」
そうですか……、と呟くと、彼女は説明してくれた。
以前、日々努力する彼女に、と、彼が送った力でこのエリューシオンに白い花が咲いた。
そのことまでは彼も知っていたのだが、その続きがあったらしい。
「あのあと、少しずつ、少しずつ、あの花たちは咲く場所を広げていって。そして、少しずつ形や、性質も変っていったんです。その土地の地形や気候に合わせて。前から人の住める地形が少ないって言われてはいたけれど、私、お花にまで、苦労かけちゃったらしくて」
彼女はそこで一旦、肩をすくめて照れくさそうに笑った。
「でも、ほら、ああやって。
あの白いい花は、浜辺にも咲くようになったんです。潮風がきついからどうしても海辺に咲く花は少ないのに、あんなに綺麗に。
それが元々はジュリアス様から送って頂いた花だってわかって、嬉しくて。
どうしても、見て頂きたかったんです」
そう言って、再び花の方へと目をやる。
「あちらの方に、移動しますね」
飛空星は静かに、花の側の砂浜へと着地した。
「あの、このお花、摘んで行っても良いでしょうか?お部屋に飾りたいんです。それで、もし良ければ、ジュリアス様にもプレゼントしてもいいですか?」
「ああ、喜んで、うけとるとしよう」
彼がそう言うと、一層はしゃいで、転がるように彼女は花を摘みに駆けて行った。
そのとき、少し強めの風が吹き、彼女の赤いリボンを悪戯にほどき天へと舞い上げる。
そのまま、海へと落ちてゆくリボン。
ジュリアスは追おうと走りかけるアンジェリークの肩に手をかけて引き止めると、言った。
「よい、私が行こう」
濡れてしまう、とか、自分で行きます、とか。アンジェリークは暫く遠慮しているようだった。しかしそれを無視して、彼は海へと向かって歩いている。
海の水は透明に煌き、その中に足を入れるのは、心なしか楽しい気さえ彼はしていた。
昔、聖地の湖で同じ年頃の黒髪の少年と遅くまで水遊びをしてそろって風邪をひき、年上の守護聖に怒られたことを不意に思い出す。
―― 今から思えば、奇跡のような話だな。あれと私が遊んでいる風景など。
つい、関係ないことを思い出しもしたが、問題なくリボンを拾いあげ、彼はアンジェリークの元へと戻った。
「ジュリアス様、そんなに濡れてしまって」
アンジェリークが心配げに尋ねたが、ジュリアスは笑って応じた。
「天気も良いし、私は、ここで、こうしていよう。そなたは、花を摘むのではなかったのか? 気にすることはない。すぐに乾くであろう。リボンも、私も、な」
アンジェリークは安心したのだろう花のように微笑んで、じゃあお言葉に甘えて、と。ふたたび花を摘みに駆けて行った。
彼は暫し、そこに佇み、潮風に身を任せつつ、海と、白い砂と、薄紅の花と、そして、愛しい
―― そう、もう認めるしかあるまい。
このうえもなく愛しい少女の姿を眺めていた。

できることなら、いつまでも、いつまでも、この幸せな時間が続くようにと、願いながら。


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