美幻の徒然漢詩日記

風花に五白という猫を弔いたる日のこと
4・後日談



「五白は残念だったな」
ラグランの部屋でお茶を飲みくつろいでいた時、彼が唐突に言った。
視線は相変わらず分厚い本を見ていたが、左手で眼鏡を直す例の癖が出ているところを見ると、慰めのつもりなのであろう。
「良い、猫であったよ。そなたに礼を言わねばな」
言った私に、
「もし良ければまた ―― 」
別の猫が生まれたから見せようか、彼はそう言おうとしたのかもしれない。
だが、私は彼がその言葉をすべて言い終わる前に言っていた。
「猫は、しばらく飼わぬ」
苦笑混じりのその言葉にラグランはため息をついて、そう。とだけ言った。
彼はあの時、私の苦笑の理由を理解してくれたに違いない。そう思うている。
死んだ猫を悼んで、次の猫を飼わない、という行為は、散った花を惜しんで今美しく咲いている別の花を愛でないのと同じことだと感じつつ、 それでも、次の猫を飼う気にはなれない、私の中の矛盾を、である。
そして、そうである限り私は、 あの闇を司る幼子に対し、「死」というものが何であるかなど到底論じる資格を持たない、ということを、である。
いつか、私は私の無知を深く後悔する時が来るに違いない。
あの時、彼に伝えるべき何かを伝えきれなかったことを後悔する時が来るに違いない。
そう思いながら、いささか冷めて苦くなった緑茶を口に運んだとき、ラグランが言った。
「おまえ、『夢』がなんだか説明できるか?
自慢ではないけれど俺は『知恵』がなんだか説明しろと言われてもできない。
それに説明されて理解できるようなものでもない。自分で、自分の時間の中から吸収するしかないのだろうね。
幸運にも、あの坊や達には時間だけはたっぷりある ―― 」
お見通し、か。
友人らしいその言葉に私は呟き、明るい陽射しのさす窓の外を眺める。
卯の花はもう、終わりの季節になっていた ――

◇◆◇◆◇

自覚はあまりないが、だいぶん長いこと物思いに耽っていただろう、とは思う。
その間、このおっとりとした新しい地の守護聖は何も言わなかった。
ふとみれば彼はおいしそうにお茶をすすっている。
目があうとにっこりと微笑んで、思索は終わりましたか?という。
彼はなかなかの大物かもしれぬ。
「お茶、冷めてしまいましたねえ。もういっぱいどうぞ。あ〜そうそう、猫の話でした。どうしますか?」
「そうよの」
私は、再度思案する。そして言った。
「有り難く頂くとしよう。そうそう、ジュリアスとクラヴィスにも声をかけて良いか?」
彼は文字通り、目を丸くする。
「えっ?ええっ?い、いえ、もちろん結構ですけど、彼らは猫に興味がありますかねえ?」
私はくつくつと笑って自信満々に答える。
「間違いなく、興味があろう。呼んで来るゆえ、少々待っていてくれぬか」
私は立ちあがる。
呼びに行けば、彼らはさぞかし迷惑そうな顔をするに違いない。
それでいて、最後には猫を見にルヴァの元を訪れることになるだろう。
それが可笑しかった。
五白が死んだあの時、花を散らしていた卯の花は、今、また幾度目かの盛りを迎え、淡雪のように咲いている。
さて、今度はなんと言う名をつけようか。
黒猫なら、『孔明』白猫なら 、そう『公瑾』とでも名付けよう。
そんなことを考えながら、私は闇と光の守護聖の執務室のある方へと足取りも軽く歩いていった ――

   〜終

◇ Web拍手をする ◇

◇ 「あとがき」へ ◇
◇ 「彩雲の本棚」へ ◇
◇ 「美幻の徒然漢詩日記 ―― 目次」へ ◇