月さえも眠る夜〜闇を見つめる天使〜

12.星月の夜の夢


彼女は彩やかな世界にいた。

百花繚乱とは、まさにこういう事を言うのだろう。
様々な花が色とりどりに咲きほこり、渡る風に答えるかに愛らしくゆれる。
どこからか水の流れる音がする。背後を振り返ると、そこは清らかな水がちいさなせせらぎをつくっていた。
少女は天を見上げる。
それは、不思議な空だった。
真昼の蒼穹と、真夜中の藍が水に流した墨のようにまじりあっている。
昼の部分には太陽が、夜の部分には月と星がそれぞれに輝く。
地平の部分は東雲色に、又、反対の地平は薄明に色づいていた。
再び、向きをかえ、遠くの森を見ると、そこは雨でも降っているのか、淡いみどりにくすんでいる。

自分をとりまく大気さえ、甘やかな色に染められているように感じる。
この世界には、宇宙の自然界の色、すべてが詰め込まれていた。

なんて、なんて美しい風景。

初めて見る光のある世界。なぜ、あれが花であり、太陽であり、月であるのか解る自分も不思議であった。

少し離れた所に、背の高い青年の姿を見つける。
長い黒髪、神秘的なな光を湛えた紫水晶のような瞳。
そして、彼から発せられる穏やかで、やさしい安らぎに満ちた気配。

「クラヴィス様……」
それが、愛しいそのひとであることをアンジェリークは確信していた。
そして、これが夢であることも。
わずかに感じるそれは、夢のサクリアの力。
「この美しい景色は、あなたが見る風景なのですね。これこそが ―― 」

宇宙そのもの。

最後の部分は、言葉にすることができなかった。
伏せた目に、クラヴィスの手にしている一輪の花が入ってきた。
はじめて、くちづけを交わしたあの日、ふたりの隣でゆれていた、あの花である。指で触れ、それと確信する。
「この色が、むらさき色。クラヴィス様の瞳の色と、同じですわ」
「やつしろ草と言うそうだ。ルヴァに聞いた」
少女はうなずく。
「実は、私も聞きましたの。カティス様に。花言葉も、おしえてくださいましたわ」
そういえば、ルヴァもそんなことを言っていたな、と、思い出す。結局聞かずじまいだったが。
「なんというのだ?」
その問いに対する答えはなかった。ただ、アンジェリークはクラヴィスを凛としてみつめ、こう言った。
「私、女王になります」

その言葉を聞いた時、 押さえていた感情が堰を切ったように流れ出し情熱が身を貫く。
クラヴィスはアンジェリークを掻き抱いた。
きつく、きつく、こわれるほどに抱きしめる。
いっそ、その背に有るであろう、白い翼をひきちぎり、永遠にここに留めてしまいたい。
これは夢、けれど現実。
あまりに儚く美しい、残酷な。
引き裂かれる悲しみと、失うことの痛み。
そしてなにより、この少女がひとり高みへ昇り、その孤独に耐えるとき、 自分はこうして抱しめることはもちろん勿論、言葉さえ交わすことのできないことへの限りない怒り。 唯一許されるのは、この身に宿るサクリアで、彼女を支えることだけである。

幸せでないおまえなど、見ていたくはない。
女王になることが、本当におまえの望みなのか。
口に出さない言葉は、それでも十分少女に伝わる。

「供にあります。いつだって、貴方と共に。この、広い宇宙の中で。 そして、この宇宙を ―― どこまでも透明な安らぎに似た、この宇宙を、守ってまいります」

その言葉を防いでくちづけをする。
額に、頬に、そしてくちびるに。
激しく、かつて無いほどに深く。
夢であり、現実である、この腕の中にいる恋人の存在を確かめるかのように。
しかし、抱しめれば抱しめるほど、くちづければくちづけるほど、 それが、きたるべき別れの徴であることを思い知らされるばかりであった。

『この宇宙で供にある』
それは確かに真実に違いない。
けれど、ふたりの道はすでに永遠に分かたれているのである。

 


この宇宙を守ってまいります。
それは、貴方を想う気持とおなじに。
貴方のくれた安らぎを、この想いにかえて。
―― でも今だけは。
貴方のくれる安らぎも、抱しめる腕も私だけのもの。
貴方のみせてくれた美しい世界と一緒にこのぬくもりを体に刻みつけて。
ただ、ずっと、あなたに抱かれていたい。

うすらぐ意識、夢か、うつつか、その中でクラヴィスはそう囁く少女の声を聞いた。


夜が明け、自分の部屋で、一人目が覚める。
あれは、たしかに夢、だったのだ
そう思いながらも、うでにかすかにのこる恋人の感触を痛みと共に握りしめた。

その日は225代目の女王の即位にふさわしい、晴れわたった青空の日であった。

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