月さえも眠る夜〜闇を見つめる天使〜

8.花の名前


聖地ではしばしの時間が流れた。当初心配されていた女王候補達の働きぶりは十分なほどで、 九人の守護聖達も今では安心して彼女達を見守っていた。
あとは、そう。
女王の決断を待つばかり。

そんなある日のこと。
ルヴァの執務室に一人の来客があった。
「あの、じつは、お聞きしたい事があって」
仕事のことでは、なさそうですね。
言いにくそうに俯く桃色の髪の少女に席を薦め、ルヴァは思う。
うーん、やっぱり、ダグラスの事でしょうかねー。
なかなか話しはじめないディアを急かすでもなく、
「あー、お茶でもいかがです?」
と、変わったカップ ―― 湯飲みに緑茶を注いだ。
その様子を見ていたディアが、意を決したように口を開く。
「あのっ、女王様に、なれなかった場合、候補の片方は、どうなってしまうのでしょう? あの、やっぱり、聖地の外へ、帰るんですよね……」
「あーそうですね。そういうことになりますね。あーでも、大丈夫ですよ、その時は、陛下が時間を特別に戻して下さいますから、ちゃんと、御家族のところへ戻れます」
やっぱり、とぜんぜん大丈夫でなさそうなディア。
ちょっと、いじわるでしたかねーと反省して、すぐに人の良い笑顔を向け、言葉を続ける。
「女王補佐官、て知ってますか?」
首を振る少女
「今はいないんですけどね、よく女王候補が二人の時、力及ばず女王になれなかった人も聖地に残り、 女王陛下を補佐する役を頂く事があるんです。あなた方は二人とも優秀だし、深い信頼で結ばれている。どちらが女王になっても、もう片方は、そのお話が、来るのでは、ないでしょうかねー」
ぱっとディアの顔が輝いた。
うんうん、と頷きお茶を啜る地の守護聖。
おずおずと、再びディアが口を開く。
「あのー、ですね」
ルヴァの口調が移っているのには気付いていない。
「ダグラス様の、お好きなもの、知ってますか?お誕生日がもうすぐなんですけど、驚かせたいから、 当人には聞けなくって」
にこり、とルヴァが笑う
こちらが本題なのかもしれませんねー。ちゃんと、彼と仲がいいのが私だと、知ってるんですねー。うんうん。

◇◆◇◆◇

失礼しました。とルヴァの執務室を辞したディアは、足取りも軽く、宮殿の中庭を横切る。 明るい太陽にますます心が弾んだ。
ダグラス様の好きなもの。ちゃんとルヴァ様にお聞きしたし、なによりも。
何よりも、女王になれなかった時でも、この聖地に残れる。そう、ダグラス様のそばに。
女王になるのはきっと、アンジェリークのほう。いつからか、ディアはそう思い始めていた。
理由は良く分からない。でも、強いて言うなら、彼女は。

彼女は宇宙に愛されている。

そんな気がする。そのこと自体はいい。
自分の大好きなアンジェリーク、彼女の導く宇宙はどんなだろう。
でも、その時自分は?どうなるのだろう。それが心配だったのだ。でも、もう心配はない。

はじめてダグラスに会った庭園のにも似た噴水の縁に腰掛け、空を見上げる。
そこは、とても青い。
その時、彼女は向こうの渡り廊下を闇の守護聖が通るのをみつけた。
瞬間、うれしそうに彼の話をする金の髪の友人の笑顔を思い出し、ディアはさっと血の気がひくのを感じた。
じゃあ、アンジェリークは?
女王になったら、その時彼女は、どうするというのだろう?
女王になる、その意味にディアははじめて気付いたのだ。
さっきまでは気にもとめていなかった風が、不意に強く感じられ、彼女の傍を通り過ぎて行った。

◇◆◇◆◇

ノックの音に、あー今日ははお客様が多いですねーと思いながら
「どうぞ」
と声をかける。入ってきた人物に驚きを隠せない。
「クラヴィス」
あなたが、ここへ、くるなんて、という言葉を飲み込み、
「めずらしい、お客様ですねー、あ、いま、お茶入れますね、お茶」
慌てて新しく、お茶っ葉を急須に入れ直す。
「じつは尋ねたいことがあってな……」
薦められた椅子に座り、言いにくそうにそっぽを向きながら言う。
「はあ、まさか、あなたもダグラスの事を聞きに」
「……?」
来たわけではありませんよねー。
「いえ、何でもありません、何でも」
訝しげに向けられた瞳にルヴァは慌てて言う。
仲が悪いわけではない。ただ、この闇の守護聖とは、接点がなさすぎるのだ。
せいぜい、喧嘩の仲裁(しかもほとんど意味を成さない)か、カティスやメイファンの飲み会で一緒になるくらいである(しかもほとんど会話をしない)。

「じつはな、この花の、名を知りたいのだ……」
手に持った、小さな紫の花。
「はあ。これは、やつしろ草ですねえ」
さすが地の守護聖。調べなくても、名が出てくる。
「そうか。やつしろ草、というのか。いや、アンジェリークが ―― 知りたがってな」
また、ふいっ、とそっぽを向く。
もしかして、これは、やっぱり、て、照れてるんでしょうかねー、はー、そうですかー。
あまりに意外な闇の守護聖の動言にルヴァの方がてれてしまう。しかし、微笑ましくもあり、
「花言葉、なんていうものも、あるんですよ。あー、わたしは、詳しくないのですが、 カティスなら、知っているのでは、ないでしょうかねぇ」
とつい、情報提供をしてしまう。
「そうか。礼を言う、ルヴァ」
そう言ってクラヴィスは立ち上がった。
「あー、いえいえ。こんなことなら、いつだって、訪ねてきて下さい。クラヴィス」
ドアの前で立ち止まり、ふっ、と微かに笑う。
「ああ、そうしよう」
静かに、扉が閉まった。

◇◆◇◆◇

開けていた窓から入った風が、カーテンを揺らし、机の上の書類を舞い上げた。
おやおや、とルヴァは慌てて窓を閉めると書類を拾い集める。
「風が、強くなってきましたねー。空は、あんなに青いのですがねー」
女王交替の次期が間近にに迫っているのだろう。ルヴァはそれを実感する。

ちくり。

心が痛んだ。
明るく、元気な女王候補達。
ルヴァは彼女たちが大好きであった。いつも笑顔でいて欲しい。そう思う。
そして、彼女達とそれぞれに思いを寄せ合う聖地の仲間にも。
しかし、このままいけば、誰かが叶わぬ恋に泣くことになる。
誰もが他人の痛みを知る優しい人たちであった。
下手をすれば、四人全員が、悲しい痛みを抱えることになりはしないだろうか?
「私には、なにも、どうすることも、できないのですかね」
知識なぞ、腐るほど持っていた所で仲間が傷つくのを黙って見過ごすしかできないのか。
悲しげに首を振り、ルヴァはすでに冷めたお茶をすする。その味は心を代弁するかのように苦かった。


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