月さえも眠る夜〜闇を見つめる天使〜

6.恋 ―― ディアとダグラス ――


とある日の曜日チャイムの音にディアはドアを開ける。そこに立っていたのは鋼の守護聖だった。
「こんにちは。ディア。今日はいい天気だから、川の向こうの高台にでも、ピクニックに行こうかと思って、誘いに来たんだけど、どうかな?」
何度か、公園や部屋でお話をした事はあるが、遠出は初めてである。
「はい、よろこんで」
嬉しそうに答える。が、
「でも、あの、お弁当とか、どうします?」
コンビニで買う、というわけにはいかない。事前に計画があったのなら、ディアは腕をふるって準備したのに。少し残念である。
心配いらないよ。と笑いダグラスは手に持ったバスケットを見せた。
「手先が器用だからね。料理、裁縫、お手のものさ」
その言葉に、花のように笑うディアであった。
一緒に並んで歩く。庭園を横切り、野原をぬけ、橋を渡る。
笑いながら話をして、そのサングラスをかけていいない銀の瞳にディアは昨日の出来事を思い出していた。

◇◆◇◆◇


土の曜日は毎週、女王候補を加えた全体会議の日であった。
九人の守護聖とアンジェリークとディアが一堂に会し、一週間の活動内容確認と、来週の予定を立てる。
そのとき、ジュリアスがふといったのである。
「室内では、サングラスをはずした方がいいのではないか?ダグラス。以前は、かけていなかったように思えるが」
とくに、悪意はない。守護聖の長として、以前から気になっていた風紀の乱れ(?)を軽く指摘しただけである。
実際、女王候補が来るまでは、公式の場で彼がサングラスをかける事はなかった。
困ったように鋼の守護聖はその場を見渡す。
「―― 不快に思う人が、いたら悪いと思って」
がたん。
椅子が大きな音を立てた。
ダグラスの言葉にはじかれたようにディアが立ち上がったのである。
驚く守護聖達を気にも止めず怒涛のようにしゃべりだした。
「あのっ、わたし、大丈夫ですっ。はじめてお会いした時は、少しびっくりしてしまっただけで。ずっと、気になっていたんです。でも、わざわざ謝るのも間抜けだし、気を遣わせてしまって、ごめんなさいっ。アンジェリークにも良く言われるんです。見た目の第一印象すぐ顔にだすでしょうって。でも、ダグラス様が、親切な方なのはもう知っているし、あ、そう、ほかの方の性格もアンジェリークに聞いたんですよ、彼女私より、ずっと鋭いから……」
だんだん話がずれているのに彼女は気付いていない。
「クラヴィス様は、はじめ恐かったんですけど、アンジェが、全然恐い方じゃないって。少し、意地悪とも言ってたけど、それは彼女が素直じゃないだけ、そのくらいはわかるんです。うふ。ルヴァ様はおっ<とりしているようで、とても思慮深い方だとか、エドゥーン様は、子供っぽい様でいて、じつはすごくしっかりしてるとか、メイファン様はまあ、思った通りだけど、かなりなお茶めさんだったりとか、ジュリアス様は、石頭さんだけど、御自分にも厳しく、私達の事を思って言って下さる事とか ―― 」
「私が優しげでいて、じつは底意地が悪い、とか?」
アレスがけたけたと、彼にしてはめずらしく、嫌みのない開けっぴろげな笑いかたをして言う。
はっと我に返るディア。

その場の人間ほとんどが、あきれたように、でも笑っている。
声を出して笑う者、おしころして笑う者。クラヴィスでさえ例外ではない。
ただ、石頭さん、だと?と、いまいちひっかかるジュリアスと、 ディアの台詞がもとは彼女の言葉だと既にばらされてしまい、「もう、ディアったら」と恥ずかしそうに顔を覆ったアンジェリークを除いては。

◇◆◇◆◇

はずかしかったなぁ、と思い出しただけで赤くなる顔をぺちぺちたたいてディアはダグラスをみやる。
でも、ずっと、気になってた事謝れたし、こうして、素顔をみせてくれるようになったわ。うれしい。
この人の傍に少し、近づけた。
まさにケガの功名である。
馴れてしまえば、その銀の瞳は美しいとさえ感じる。
もっとも、その理由が馴れだけではない事にディアはとうに気付いていた。

そう、「恋」という理由に。

「どうかした?」
もうじき目的地だよ、疲れた?
自分を見つめたまま黙っている女王候補にダグラスが優しく問う。
いえ、なんでも、と言いかけ、失礼ついでに聞いちゃえ、とばかりに質問する。

「その瞳 ―― 怪我か何か……?」

ああ、これか、と納得したようにいう。おまけに、ぷっ、と吹き出したのは昨日の事をやはり思い出したのだろう。
「生まれつき弱視でね。僕は髪も肌も普通より薄いだろう?アルビノ(白子)って言うんだ。瞳は元は赤かった。 僕の出身惑星みたいな科学の発達した所では、突然変異のアルビノなんて、そうめずらしくはなかったよ」
少し悲しげなのは、故郷を思い出してか、それとも。
「生まれてすぐに、死んでしまうような、よわい人もいるし、赤い瞳でも、普通に視力のある人もいる。義眼にしたのは、守護聖になる少し前さ、幸か不幸か、故郷の惑星にはその技術があったからね」
言いながら、すいっと、空を通って行った鳥を目で追った。
蒼穹の空。
そこは光に満ちている。
だのになぜ、美しい風景を見たとき、どこか切なく、締めつけるような哀しい思いが心を過ぎるだろう?

「アンジェリークも、見えるようになるかしら?」
美しい緑の瞳を持つ友人を思い、口にする。ダグラスは少し考え、ゆっくり答える。
「可能だとは、思うよ。でもね、この世には、見えなくてもいいものも沢山ある。 それに彼女には、必要なものは全てもう一つの目に、見えているんじゃないかな」
「もう一つの目?」
このひとも、それを持っているのかしら。だからこそ、繊細で傷つきやすい。

「一度手にしてしまったものを簡単に捨てれるほど、人は強くできていないんだね」
突然にも思える言葉。
「光を知ったこの目がもし再び見えなくなったら、その時訪れる闇は前より深く感じるかもしれないね」
言いながら、彼女に出会った時、初めて光を見た時にも似た感覚が彼を襲っていた。
この少女を、いつか失った時、その時自分はどうなるのだろう、ダグラスはそう考える。
隣で微笑む少女は、この聖地の神々しいまでに美しい風景に似ている。みているだけで、心が震えて、苦しい。

どうかしたんですか、と、少し悲しい顔をしたディアにダグラスはなんでもないよ、と言うように優しく微笑んだ。

◇◆◇◆◇

「ごちそうさま。とっても、おいしかったです」
高台の木の下で、お弁当を食べ終わり元気に言った。
「次の時は、私に準備させて下さいね」
なにげに、次回の約束を取り付ける。
「それはたのしみだな。ところで」
これを、とオルゴールを渡す。以前ディアから修理を頼まれていたものである。奇麗に戻され、何処が壊れていたのかもわからない。
「うわぁ、すごい。元どおり。ありがとうございます」
目をきらきらさせる少女を少し眩しく感じて、照れたように笑う。
「じつは、こんなのもあるんだ」
少しためらいながら、小さな、銀色の箱を取り出した。蓋と、側面に奇麗な彫刻がほどこされている。
「あけてごらん」
くびをかしげ、そっと蓋を開ける。懐かしいメロディが流れだした。あのオルゴールと同じメロディ。

「ほんとは、あずかったのを内蔵してしまおうかと思ったんだけど、大切な思い出の品、 勝手に改造しちゃ悪いかなってね。でも、同じ曲っていうのも芸がないから」
ぱち。
箱の底にあるスイッチを切り替えた。こんどは、流れるようなワルツの甘いメロディが流れだす。
「こ、こんなに素敵なもの!一生の宝物にしますっっ。」
あまりの感激につい、目が潤んできてしまう。
どんなに時間が経っても、この人を好きでいる今の気持はきっと、きっと、忘れない。
心の中にそんな思いが浮かび上がり、きゅっ、とオルゴールを抱きしめた。

微笑みながらみつめていたダグラスがふっと真面目な顔になり、少し上気した少女のほほに、大切なものを扱うようにそっと触れる。
ふたりの傍を、やさしい青い風が通り過ぎた。
鼓動が高鳴る。
みつめあうふたり。
長い沈黙。
いつか、失うかもしれない。でも、いまあるこの想いをとどめるには、今日の空は美しく、切なすぎる。
そっと目を閉じるディア。
そして唇がかさなる。

―― ふたりの恋は、いま、始まったばかり。

だから、後に時を止めたオルゴールが次代の女王候補アンジェリークと、同じく次代の鋼の守護聖ゼフェルによって、再び時を取り戻すのは、ずっと、ずっと、遠い未来の話。

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