月さえも眠る夜〜闇を見つめる天使〜

5.出逢い―――ディアとダグラス―――


「アンジェリーク、いないの?アンジェリーク?」
日の曜日の昼食時、ノックをしても返事のない部屋に、ディアは軽くため息をつく。
おとなしそうな顔をして、鉄砲弾なんだから。まったく。
そう思いつつ、それ程心配はしていない。小等部からのつきあいである。彼女の性格も、行動パターンも大体知っている。大方昨日二人で行った森の湖にでも行っているのだろう。
いたく気に入った様子だったもんね。
日は南中にある。夕刻になっても帰らぬようなら心配だが、慌てて探しに行く必要もあるまい。
下手に探したところで、半人前扱いして、心配しないで、と言われるのがおちだ。なれぬ聖地で迷子になられても困るが、 一度行った場所なら、まず大丈夫だろう。
「私も、散歩にでも出かけよっかな、そうしよっと。」

◇◆◇◆◇

ディアは庭園に向かう。聖地の陽射しはおだやかで、公園の木々も花も美しくきらめいていた。

こんな美しい場所ははじめてよ、ディア。そう言った友人の言葉を思い出し、ほんとうに、と目を細める。
盲目の友人は、その光をうつさない若葉色の瞳のかわりに、体全体で様々なことを敏感に感じ取る。
自然の移り変わり、動物達の語らい、そして、人の心の揺らめきさえも。
彼女は私達よりも本当は彩やかな世界にいるのかもしれない。ふとそう思う時がある。
「そのわりに、ぼけてるところがあるのよねぇ。まったく」
自分のことは棚に放り上げて、ディアは意外と苦労性である。

ほぼ左右対称に成形された庭園。
奇麗に手入れされた花壇のあいまを抜け、正面にある美しい女王像に向かって伸びる道。
その中央はやわらかな青芝の絨毯が敷かれている。
ゆっくりと、堪能するように歩くディア。
少し離れた噴水のところで、子供たちのはしゃぐ声がする。
聖地で働く人たちの家族だろうか、と、子供好きの少女は近づいてみた。
そこにわりと長身の、銀の髪の青年を見つけ、あら、と思う。
子供たちに囲まれ少し照れたように笑うそのひとは、昨日謁見の間にいた守護聖の一人ではないか。
まだきちんと紹介されていないので、どの力を司り、何という名なのかは分からないが間違いない。
「こんにちは。守護聖様。何をしてらっしゃるのですか?」
優雅に会釈して見せた。

青年はかけられた声にふりむく。天界に咲く桃花の花精のような、と夢の守護聖が評した女王候補がそこに立っている。
メイファンが言うところの、桃紅(桃色)の瞳、紅蓮紅(ロータスピンク)の髪。
そのあまりに瑞々しい姿に、一瞬に見惚れていた自分に気付き、我に返る。
たしか、彼女の名は
「こんにちは。ディア。ちょっと、この子達のおもちゃをね」
青年は穏やかに微笑んでそう言った。 手には車体カバーを取り、機械部分のむき出しになっているミニ四駆とドライバーを持っている。
その向けられた笑顔に、ディアは微笑みかえそうと思い、ぎくりとする。
冷たい、メタルシルバーの瞳。
義眼?
すぐに我に返りなにげなく、
「なおしてあげているんですね」
と、話し掛ける。
びっくりした事、気付かれなかったかしら、そう思いながら。

とくに気にした風も無く、彼はくるくるっとドライバーを回し、器用にミニ四駆を元の形にもどしている。
「ほら、できた」
わっと子供たちの歓声が上がる。
「ダグラスにいちゃんすげえ」
「ありがとう。ダグラス様!」
口々に言うと早速遊びに駆けていく。
その姿をふたり、しばし見送り沈黙に気付いた。

「ダグラス様っておっしゃるんですね。まだ、名前知らなくて」
ディアは言う。
「ああ、自己紹介はまだしていなかったもんね。よろしく。……と、ちょっと陽射しが強いかな。失礼」
と、彼はサングラスをかける。

やっぱり、気付かれちゃったかしら。
少しディアの心が痛んだ。
も〜う、バカバカ。
心の中で自分の頭をぽかぽか殴りながらも、ディアに不快な思いをさせないようにと、さりげなくサングラスをかける彼の繊細な心遣いに少し感動する。
「あの、もしかして、ダグラス様って、鋼の守護聖様ですか?」
あまりの手先の器用さにふと思って口に出してから、余りの安直さに違ったらどうしようかと慌てる。
「あ、あの、違ったら、ゴメンナサイ」
声がだんだん小さくなってゆく。
あはは、と笑って、ダグラスは、
「正解。わかりやすいだろう?他の人もけっこう性格や外見でわかりやすいかもね」
例えば、と続ける。
「光の守護聖のジュリアス様。謁見の間で、何処にいたか解るかな?」
えーと、とディアは考える。外見でわかりやすい、と言うのだから、きっとそういう外見をしているのだろう。
「あ、あの最前列の向かって左にいた方ですか」
豪奢な金の髪と、蒼穹の瞳の青年に思い当たり言う。
「また、正解。じゃ、闇の守護聖クラヴィス様は?」
ぎくり、とまたディアは体を強張らせる。
どことなく、闇を思わせる人は二人いた。
右側の、最後尾にいた、ぬばたまの黒髪に黒曜の瞳のひと。一房、白い髪が混じって面白いなあ、などと思っていたし、黒を基調とした、異文明を思わせる服装も興味をひいた。
そして、もうひとり。
やはり背中まで届く漆黒の闇のような髪、そして黒よりも何故か深い闇を思わせる、無表情なアメジストの瞳。
―― それにディアはかすかな恐怖を感じずにはいられなかったのである。

「やはり最前列の、右側にいた方ですか?」
「そう。メイファン様と間違うかな、と、ちょっと思ったけどね。メイファン様は、最後尾の右側の方。夢の守護聖。あとは……外見ではわかんないかもなあ」
そういうダグラスに
「え?じゃあ、あのがっしりとした方は、炎の守護聖様ではないんですか?あと、あの優しげな美しい方。てっきり、水の守護聖様かと」
何気に良くチェックしてある。
ダグラスは、やっぱり。といった顔で優しく笑うと、
「必ずしも性格と、外見は一致しないみたいだよ。カイル様とアレス様、特にアレス様に至っちゃどうかなぁ。あ、カイル様ががっしりとした方で、アレス様が、優しげ、な方ね。ちなみに司る力は君が言ったのとまるっきり逆」
はあ、そうなんですか。とディアが頷く。
もしもここに、アンジェリークがいたなら、優しげ、といったダグラスの声にアレスに対するわずかな刺を敏感に感じ取ったに違いないが、基本的にお人好しのディアは、人の悪意にそれ程敏感ではない。

少し離れた女王像の前の石畳で、先ほどの子供たちがおもちゃで遊んでいた。調子は上々のようである。女王像が包み込むように彼等を見ていた。

「いつも、ああやって?」
おもちゃの修理をしているのかと尋ねる。
「ああ、もう、専属の修理屋さんさ」
やれやれと肩を竦める動作とは裏腹に、サングラスの奥の瞳が優しく笑ったような気がした。
何故かほほが熱くなるのを感じて、ディアはうつむいてしまった。
そのとき、彼の手にしたドライバーに目がとまり、朝の出来事を思い出す。

◇◆◇◆◇

荷物の整理もあらかた終わり、家から持ってきたヌイグルミだの、小物だのを、何処に配置しようかしら、と考えていた。
談ボール箱から小さなオルゴールを取り出す。
小さな頃から、彼女の母親が子守歌代わりに聞かせてくれた手動のオルゴール。
飾りも何もついていない、ごく簡単なありふれた物だが、彼女にとって大切な思い出の品である。
聖地に来る時、母親が、「ホームシックになったら聞きなさい、ね?」とウインクしながら渡してくれた。

「ここにおこっかな、そうしよっと」
ベッドの枕元に置こうとしてはっとする。むき出しになっている金属の鍵盤が一本ぽっきりと折れてしまっているのである。
「そんなぁ〜」
ディアは泣きそうになってハンドルをまわしてみた。
途切れ途切れの音が流れ、一層ディアを悲しい気持ちにさせる。
どうにかならないものかとボンドでくっつけてみたり、昼まで格闘していたものの、簡単に直る筈もない。
何かいい案はないかとアンジェリークに相談しに行き、現在に至るのであった。

◇◆◇◆◇

「何か修理してほしいものがあるみたいだね。」
ドライバーをじっと見詰めたまま黙ってしまった少女を見てダグラスがくすくす笑う。
「そ、そんなことありません」
はっと我に返り慌てて言った。
「そんなに、ちぎれそうに首を振らなくても。きみはあんまり、嘘をつけないひとだね」
くすくす笑いがいつのまにかあはは笑いになっている。
「……友達にも良く言われます」
アンジェリークが鋭いだけよ。と言っていたのだが、どうやらそうではないらしい。
「悪い事ではないよ。で、何を直して欲しいんだい?嘘のつけないディア」

◇◆◇◆◇

そんなに時間はかからないと思うよ、そう言って鋼の守護聖は帰って行った。
せめて部屋に入って、お茶の一杯でも、と薦めるディアに、ちょっと用事があるからと、オルゴールを受け取っただけで。
初対面の女の子の部屋に、さすがに入れないと考えての行動とは気付いていない。

親切な人だったなぁ、とディアは一人お茶を飲みながら考える。
メタルシルバーの瞳、一瞬でも冷たいなんて思って、悪かったな。
かといって、口に出して謝るのも気が引ける。

カップを洗おうと立ち上がり、窓の外が目に入る。
長い髪、闇色の服を纏った長身の青年が寮の門を出て行くところであった。
あれは、闇の守護聖クラヴィス様?
昼間ダグラスに教えてもらった名前を思い出す。と、そのとき。
隣の部屋から
「きゃーっ、私ったら、私ったら、私ったらっっ」
というアンジェリークの声がする。
これは何かあったわね。
いくらディアでもそのくらいは感じ取る。
うふっ。
ひとり笑って部屋を出るディア。

その日、寮ではふたりの少女がきゃいきゃいとはしゃぐ声がいつまでもきこえていた。
寮母から苦情が行った光の守護聖にこってり絞られ、アンジェリークが
「石頭さん、みっけ」
こっそりつぶやいたのは、月の曜日のこと。


◇「6・恋〜ディアとダグラス」へ ◇
◇「彩雲の本棚」へ ◇
◇「月さえも眠る夜・闇を見つめる天使――目次」へ ◇