月さえも眠る夜〜闇を見つめる天使〜

3.聖地の風景


それぞれがほろ酔いに気分が良くなってきた頃(カイルは酒のにおいでほろ酔いである)、クラヴィスがすっと立ち上がる。
「……そろそろ戻るとしよう。カティス、おまえの酒はあいかわらず心地よい酔いを与えてくれるな」
たまにしかお目に掛かれない闇の守護聖のおだやかな笑みにカティスが応じる。
「そう言ってもらえると嬉しいな、また飲みたくなったら言ってくれ、いつでも付合うぞ」
酒は、一人で飲むものではないからな。心の中でそう付け足しながら。

クラヴィスに続き、メイファンも立ち上がる。
「今宵は美しい月夜、道行きに其の姿を愛でつつ、私も帰るとしよう。クラヴィス、途中までともに行かぬか?」

クラヴィスは黙って肯く。彼は幼い頃から知っているこの、どこか現実離れした夢の守護聖が嫌いではない。
二人がその場を離れようとしたとき、ドタバタと騒がしい音がする。
「なんでぇ、おまえら、もう帰っちまうのかよ。せっかくエドゥーン様がきてやったてのによぉ。もうちょい飲んでかねえか?宴はこれからでいっ」
走ってここまで来たのだろう、まだ幼さの残る愛らしい顔をわずかに紅潮させて、エドゥーンが残念そうに二人を見やった。
「すまぬな、年寄りは朝が早いぶん、夜、寝付くのも早くてな」
くつくつ笑うメイファンに、それは自分も一括りにいっているのか?とクラヴィスは眉をひそめる。
そっか、と小さくつぶやくエドゥーンを後に、二人はカティス邸を辞した。

残されたエドゥーンは考える。いつもは何時まででも飲んでいる酒好きのメイファンである。おそらくクラヴィスに話があるのだろう。
ついさっきまで自分がジュリアスにしていたような話が、である。
もうちょい、女王候補のためにも仲良くしてやってくれよなぁ、と言う彼にジュリアスは「あの者が真面目に職務をこなせば私とて何も言うことはない」と、こうである。
まあいいか、きっとどうにかなるさ。エドゥーンは呑気に考えると酒の席に加わった。

やはり皆が、気にしているのだろう、ルヴァが口を開く。
「あー、光と闇の守護聖が、あの様子では、女王候補さんたちも、やりにくいかもしれませんねぇ」
実は今日も、女王と女王候補が去った後の謁見の間でいつもの悶着があったのである。
自分達はいいかげん馴れているからどうでもいいが、二人の少女があの光景を目の当たりにしたらかなり寒い思いをするだろう。
ルヴァとしては気になっているのだが、事実上最年少の自分が、外見の年頃こそ同じに見えるが実は古株の二人に口を挟むのも気が引け、 この場でそれとなく先輩方のご助力を願おう、といった所だ。
程好くまわった酒に少し頬を染めて、いつものおっとりとした口調がさらにおっとりとなっている。

「なに、ああ見えてあの二人は仲がいいのかもしれんぞ」
エドゥーンにワインを注ぎながら言うカティスの意見はかなり楽観的すぎるようにルヴァには思える。
「そーそー、喧嘩する程仲がいいってな。小学生が好きな女の子いじめちゃうあれみたいなやつ。第一、あの二人をうまく纏めらんなきゃ、どの道女王なんてつとまんねぇって。あんまり悩むなよ、なるようにしかならねえって」
「はあ、そうですか……」
またもやとんでもない喩えをして見せるエドゥーンに、ルヴァは、それは違うのでは、と思いながら、後半部分には納得せざるをえない。
「そうそう、俺とアレスだってしょっちゅう喧嘩するが、親友だと思ってるぜ」
うな垂れてしまったルヴァをなぐさめるカイル。アレスがぽつりと、
「あなたとは、ただの腐れ縁です」
と言ったのが、聞こえたかどうか。

口々に好き放題を言うこの仲間たちが、じつは皆優しい人達であることをルヴァは知っている。
「あー、そうですかー、そうですねーうんうん」
きっと、大丈夫でしょう。にこやかに言うその口調。エドゥーンが思わず茶化す。
「おめぇ、一番若いくせにじじくさいなー、ターバンの中、禿げだったりして」
うりゃっ、と、ターバンに手を伸ばした。
「は?え?あっ、だっだあめですっこれはっっ、あーれぇーっっ」
慌てて頭に手をやりターバンを死守する。
舌打ちする風の守護聖の、あまりに子供っぽい行動に、アレスが言った。
「長い間生きてらっしゃる割には、外見年齢以上の精神の発達が見られない方よりは、良いのではありませんか?」
本気で言っている訳ではない。
幼いような風の守護聖が実は鋭い洞察力の持ち主であることを、きちんと知った上での彼なりの茶化しだ。
故に、この手の台詞を真に受けてしまう鋼の守護聖が苦手なのだ。
「そうだな、長い間生きてるわりに、いつまででも底意地の悪さが直らない奴もいる」
懲りずに炎の守護聖をからかうカイル。
腐れ縁、などと言いながら、彼が大切な友人であることもアレスは自覚している。
「それは、どなたのことでしょう?」
にっこり、と笑い再びカイルの口にアレスの手が伸びた。
うにっ。

いはははは……またも響くカイルの声。
カティスの館の宴は、晩くまで続いた。

◇◆◇◆◇

一方、クラヴィスとメイファンの二人は静かに月の下を歩いていた。
「新しき女王は、新しき世界を創ると思わぬか」
エドゥーンの考えた通り、メイファンはクラヴィスに話があったのだ。
しかし、ジュリアスと仲良く、と言うよりは、死さえ司る闇の守護聖に、その厭世的な態度をこの女王交替を期に緩めてもらえれば、と言う考えの方が大きい。
「……世界が新しくなろうと私の司る闇に違いはない。この力が尽きるのは、いったいいつのことか、うんざりする」
だいたいは予想通りの答えである。
「悠久の時の流れるこの宇宙。それから見れば我等の命とて一瞬の幻と同じこと。なにをそれ程に憂える必要がある」
「一瞬の幻だからこそひとは ―― 死を、闇を恐れる」

メイファンの脳裏に、昼、謁見の間でクラヴィスをみて、一瞬恐怖にすくんだ少女が浮かぶ。
エドゥーンがいれば、「そりゃあ、おめぇ、自分にアイソの無い自覚ねぇのか?」とでも言ったかもしれない。
しかし、確かに、アイソの問題だけではないのだ。
守護聖の仲間以外の人間はおそらく彼の闇に多かれ、少なかれ、恐怖を感じるだろう。 故に、彼の孤独は深いのだ。

「あなたは私よりも永い時を生きながら、何故そんなにも楽しげなのか。夢の住人、ということか」
そう言って、ふ、と笑みをこぼす。
分かれ道に差し掛かり、クラヴィスは僅かに会釈すると青い闇の中へと消えて行った。

「夢も現も私には同じに思えるがな。どうせ儚きものならば、せめて楽しゅう、美しゅう。 といっても、聞く性格ではあるまいか。」
あの闇の守護聖も、そして、その対極にある光の守護聖も。
残されたメイファンはそう独りごちた。

空には銀の月がかかっている。その光りは静かに辺りを照らし、包み込む。幻想のような風景。
嬉しそうに目を細め、ふと思う。
世界を見るは目だけでない。
あの天黄白(太陽の光の金色)の髪の女王候補には、どのようにこの聖地の風景が感じられるのであろうな。

青白く浮かび上がる石畳の道を、
「牀前明月光〜」
と、古い故郷の詩を口ずさみつつ、彼は私邸へと歩いて行った。


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