月さえも眠る夜〜闇を見つめる天使〜

2.カティスの館にて


女王候補の二人が無事聖地入りした土の曜日の夜、幾人かの守護聖達がカティスの家で酒盛りをしていた。
守護聖になると、酒の味でしか故郷を想い出せなくなるからな、と言い、酒をこよなく愛するこの気さくな緑の守護聖の作るワインは、その極上な色と香りと味で、いつも聖地の中間たちを喜ばせている。
「芳醇なる葡萄の美酒をかたむけるこの瞬間は、まこと人生の至福のときぞ」
やはり、故郷と友と、うまい酒と美しい華をこよなく愛する風雅な夢の守護聖は彼のうってつけの飲み友達であった。
二人で飲む事も多かったが、今日謁見の間に姿を見せた女王候補の話を酒の肴にでもして明日からの多少の不安を取り除こうと、守護聖全員を誘ってみたのだ。

「あー、ダグラスはですねー、なんでも、公園で会った子供の玩具の修理がまだ終わってなくて、今日は来られないそうです」
ルヴァが残念そうに話す。
自分とはほぼ同期の、繊細で優しいその鋼の守護聖が、いまいちこの仲間たちとの付き合いを苦手としている事を気にしつつ、内側にため込むタイプですからねえ。
とため息をつく。
―― 少なくとも、自分や、それこそ公園で会う子供たちには、ただの気さくなお兄ちゃんにしか見えないのに。

「気の向かない方にわざわざ来て頂いたところで、つまらないですからね」
冷たくアレスが言い放つ。
丁寧な言葉づかいのわりに、なかなかきつい事を言う彼にとって、アレスが言うところの 「精密機械のように御繊細な」鋼の守護聖はいまいち気の合わない人間らしい。
ちなみに昔一度それを聞いたカイルが
「俺だって繊細なんだぞ。なんたって代々繊細な人間の一番多い水の守護聖だからな」と言ったところ、
「繊細という意味、ルヴァ殿にでもお聞きになったらいかがです?」と、軽くあしらわれてしまったことがある。

「そういえば、ジュリアスとエドゥーンは?」
自称繊細なカイルが、この場で一人オレンジジュースの入ったグラスを持ちながら尋ねる。
彼は下戸である。
かつてメイファンとカティスに「酒は人生を美しく、豊かにするぞ」と薦められ、薄い杏露酒の水割りを飲んだのだが、その後の記憶が一切無い。
しかも、夢と緑の守護聖はその時の彼の様子について堅い沈黙を守り、二度と酒を薦める事はなかった。

「仕事がまだあるんだそうだ」
いつもの事に苦笑いをしながらカティスが答えた。金色の瞳がとても優しい。
どういう訳か、光の守護聖と一番合わなそうで実は仲の良い風の守護聖が、
「しょうがねえから、オレも付合ってやろうと思ってさ、でも後で行くから酒とっといてくれよ」
と元気にジュリアスの執務室に駆けて行った光景を思い出す。

「……ふ、ごくろうなことだな」
今迄沈黙を守っていたくせに、なぜかジュリアスの話題になるとコメントを発するクラヴィスに、その場の全員が内心、やれやれ、こいつらは、と思う。
仲がいいのか、悪いのか。

「しかし女王候補には驚かされたな」
この場に不在の人間の理由を確認し終わり、みなに酒を勧めつつそうカティスが言う。
「美しい少女達であったな。一人は桃紅(タオホン)の瞳に紅蓮紅(ホンリェンホン)の髪がまるで天界に咲く桃花のよう。いま一人は春緑(チュンリュウ)の瞳に天黄白(ティエンホワンパイ)の髪がそうだな、春を伝える光の天女と言ったところか」
美しいことは良いことだ。これから聖地も楽しくなりそうぞ、と、お気楽に笑うメイファン。
「いや、それはそうなんだがな」
言葉の意味をわざとだろうか、曲解して言う彼に、美しいことは確かなんだが、と続ける。
「盲目なのには、少し驚いたぞ」

アンジェリークと名乗った少女は、もう一人の女王候補でもあり、スモルニィでは同級生のディアに軽く手を取られながら謁見の間を歩いていた。
始めは何事かと思ったが、すぐにその春緑 ―― 春の若葉の色の澄んだ瞳が、光をうつしていないことに、その場の全員が気付いたのである。

「たいへんしっかりとした、少女のようでしたけどね」
女王の前に立っても動じず、堂々と名を告げていたアンジェリークに好感を持ったのか、アレスが優美な笑みを浮かべた。
「ま、見えなければ、アレス、お前のそのやさしげ〜な微笑みにだまされることも無いだろうがな」
オレンジユースを注ぎ足しながらのカイルの言葉に、ピクリと形の良い眉を動かす。ちらちらと、目の奥に青い炎が揺らめき、
「また、そんなものを飲んでいらっしゃるのですか?水の守護聖が酒も飲めなくてどうします。尤も溺れてしまうのも、問題ですが」
と嫌みを言う。下らん洒落だな、とニヤリと笑うと、
「いいのか?そんな事言って。お前だって泳げんくせに。水に入ると消えちまうか?炎の守護聖さん」
「そういう、この場に全く関係の無い話題を持ちだす悪い口はどれですか?これですか?これですね」
じごくのよーな美しい笑顔を向けながら、カイルの口を白い陶器めいた指でギリギリと引っ張る。
「いはははは……(痛たたた)」

間抜けなカイルの声と、仲間のあきれた笑い声が夜のカティスの館に響いた。

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