月さえも眠る夜〜闇を見つめる天使〜

プロローグ


「気付いている者もおるやも知れぬが、次の後継者にこの座を譲る時が来た」

おだやかに、気高く宇宙の女王は謁見の間の守護聖達にそう告げた。
長い、統治であった。彼女の即位の日を知る者は、既にいない。
驚く者はいなかった。最も任の浅い地の守護聖ルヴァでさえ、この地に来て久しく、新米とは言い難い。この場にいる者すべてが、このゆるぎない自信に満ちた女王の、サクリアの僅かな衰えを感じ取っていたのである。
首座の光の守護聖ジュリアスが、一歩進み出てうやうやしく尋ねる。
「それでは、その次なる後継者とは?尤も陛下のサクリアの御様子を拝見する限り、それほど急を要することでもないと存じますが」
衰えはじめたとはいえまだまだ偉大な力を発するサクリアに、次代女王の召喚もそれほど急ぐ必要を感じない。とりあえず聖地の使者を送り、心の準備ができたころ招き入れるのが得策であろう。それがジュリアスの考えであった。
それを知ってか知らずか、緑の黒髪、黒曜の瞳をもった美しい女王は、
「じつはな、もう、使者は送った。彼女たちは明日にも聖地の門をくぐる筈じゃ」
場が、ざわつく。理由はふたつある。あまりに急な後継者の呼び出し、そして、女王は今、彼女達、と言わなかったか?
予想通りの反応に女王は、ほほほっと嬉しそうに笑うと、
「そう。女王候補はふたりおる。ゆえに、しばしこの聖地で過ごさせ、どちらが相応しいか、わらわが直に見て遣わそうと思いな、こういう事になった」
次期女王の候補がふたり、という事はさして珍しい事ではないが、これからするであろう次期女王の選出という初めての経験に、さしのものジュリアスも戸惑いを禁じ得ない様子であった。
そこに最年長の、といってもせいぜい20代後半くらいの青年、夢の守護聖・メイファンが歩み出る。
長い黒髪。左前髪の一房だけ何故か白い毛なのは生まれつきというのが当人の談だが、風の守護聖エドゥーンには「あれは絶対白髪だ。苦労してそうだもんな、いろいろ」となどと言われている。
黒と藍を基調とした布地に、花に胡蝶の図柄を錦糸で上品に刺繍してあるゆったりとした衣を纏っている。
手を前で組み合わせ、会釈した頭の辺りまでかかげる独特な礼をとると、口を開く。
「ふたりの候補を聖地に呼び寄せ、いかようにして女王を決定しようとお考えでありましょう?」
まさか、遊ばせておくわけでもあるまい。

「試験みたいな事、やるのか?」
ぱっと見どう考えても最年少、15才くらいの少年、風の守護聖エドゥーンが言う。外見と異なり、ジュリアスと同じ5才という幼さで任に着いたため仲間内ではしっかり中堅である。草原の惑星の遊牧騎馬民族出身で、その故郷の衣服を着た姿はいかにも快活そうである。繊細な、絹糸のような淡い色の髪、金の目をした少年の質問に女王は答える。
「試験、とはなるまい。彼女達にはな、わらわの仕事を少ぅし、てつどうてもらおうと思う。宇宙を導く仕事をな。さすればどちらが相応しいか、自ずと知れよう」
またもや、その場は騒然となる。
「おそれながら陛下、本気でそのような事をお考えですか?」
ジュリアスが慌てて言い、何か言ってやってくれないか、とメイファンを見た。
それを受け取り、あきれたようにメイファンが続く。
「そのような事をして、宇宙にもしものことが起きれば、どうなさる」
言い出したら聞かない人だ、ということはわかっている。
しかしあの楽しげな様子は、自分達を慌てさせ遊んでもいるのだろうと、やれやれ、といった気分である。
「その時は、その時。わらわとてまだ十分に力は残うておる。心配はあるまい」
ほほほっ、と、また楽しげな笑いが聞こえた。
ほほほっ、って、まったく、この人は……と思いつつ、こうだからこそ、ここまで宇宙を導いて来れたのだろうと、その場の全員が思っている。

ここまで来たら、どうしようもあるまい、とあきらめて、
「全く、陛下は昔から豪胆でいらっしゃる」
と、夢の守護聖がいいながら笑う。
「それも、さいごぞ」
女王の言葉に、寂しげな雰囲気がその場に流れたが、みたび楽しげな女王のほほほ笑いに、その気配はかき消された。

◇◆◇◆◇

女王が去った後も、守護聖達はこれから、どんな事をすればよいのかと口々に雑談し合っていた。
そんな中、ジュリアスがクラヴィスに話し掛ける。
「新しき女王の誕生に際し、女王の両翼を支えるべき、光と闇の守護聖の片割れとして、そなたも少しは心して職務に励むが良い」
クラヴィスは、と言えばジュリアスの方を向きもせず、
「……おまえの片割れになど、なった記憶は無い」
とだけ言い残すと、ゆっくりとした動きのくせに、なぜか素早い、聖地の人間すべてがナゾに思っている例の(?)うごきで、その場を去ってしまった。
「クラヴィスっっっ」
ジュリアスのいつもの怒り声が謁見の間にこだまする。
そしていつものように、ルヴァがおろおろし、いつものようにカティスが「まあまあ」となだめる。 エドゥーンも
「あんまり、眉間にシワよせてっと、禿げるぞ」
と、どちらかと言えば逆効果のなだめかたをし、メイファンは、
「そのような顔するでない。せっかくの天藍(ティエンラン)の瞳がにごうてしまうぞ」
と苦笑する。

「メイファン殿は……すこしあの者に甘いのではありませんか」
夢の守護聖を信頼するが故に、いつも納得できないでいた考えを口にだし、ジュリアスはその場を辞した。

「あれってさあ、弟が生まれて拗ねてる兄貴に似てるよな」
とんでもないエドゥーンのたとえは、幸運にも彼の耳にはとどかなかった。
「それにしても、クラヴィスの奴、なんだかんだいって、ジュリアス怒らせるの楽しんでんじゃねーか?後ろむいた瞬間、ニヤッてわらってるぜー。きっと」
と続ける。
ダークブラウンの瞳と短い髪、がっしりとした体躯に日に焼けた肌を持つ水の守護聖カイルが、
「まさか、アレスではあるまいし」
と、もとは精悍な顔立ちに人のよさそうな笑顔をうかべつつ、友人の炎の守護聖を引き合いに出す。
秀麗な外見に似ず、激しやすい炎の守護聖の逆鱗をすこし心配して、カティスが
「おいおい、そいつは……」
アレスに悪い、と言うのを遮り、少し伸びて肩に掛かる淡い茶色の髪、シルバーグレイの瞳。白皙の美貌に笑顔をたたえ、当のアレスが言う。

「そうですよ、失礼な。私なら、後ろなど向かずに、堂々と”にやり”と笑います」
にやり。壮絶な笑みに、一同が凍り付いた。

―― まあ、それなりに平和ないつもの聖地の風景である

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