アンジェリークの最後の文章を読み終えたとき、涙の滲む文字にジュリアスの心は激しく痛んだ。
アンジェリーク。
私はどうすればよい?
教えてはくれぬか。
ジュリアスは静かに目を閉じ、天を仰ぐ。
金の髪が静かに流れる。
そして、ふいに、何かを吹っ切ったように筆をとった。
自分がしようとしている事。
それが、この宇宙を裏切る事だと、彼は十分に知っていた。
けれど、理屈で抑えられるなら、それを恋などと、いわないのかもしれない。
そう思いながら。
立場などしらぬ
運命などしらぬ
ただ
私は
アンジェリーク
そなたが
愛しい……
愛を告げる言葉をノートに書き、そして翌日彼はノートにしたためた待ち合わせの場所へと向かう。
アンジェリークはこの机の上のノートに気付くだろう。
そして、彼女はこれを読んでどう思うだろうか?
彼女が来なかったその時は、潔く諦めよう。
そう決心して。
◇◆◇◆◇
その日、執務室に愛しいひとの姿はなかった。
アンジェリークは暗澹たる気持ちで寮へと続く道を歩く。
このまま、自分は女王となるのだろうか?
ジュリアス様、あなたに逢いたい……
彼女が執務室のうえに置かれたノートに気付く事はなかったのである。
ふいに彼女は足を止め森の湖に伝わる不思議な話を思い出す。
そして、一目散に走り出し誰もいない滝の前で息を落ち着けて、ただひたすらに、ひたすらに祈った。
どうかお願い。
あのひとにあわせて。
もし、この想いが通じなかったとしても、何も言わずに女王になるよりずっといい。
ジュリアス様、
あなたが好き。
ずっと、ずっと好きだった。
だから、この想い、
どうか伝えさせて……
静かに飛空都市の太陽が傾いていく。
愛しいひとの姿は見えない。
こんなにも逢いたいのに、こんなにも愛しいのに……
こころのなかでそのひとの名を呼んでも、返る言葉はなにも無かった。
互いに違う場所で、
互いに同じ想いを抱えている。
アンジェリークは滝の側にしゃがみ込み尽きる事の無いように思える涙を流す。
ジュリアスは冷たくなった風に小さな、けれど深いため息を吐いた。
ジュリアスは諦め元来た道を歩いて行く。
そして、そこに愛しいひとの姿を見つける。
幻だろうか。
その人は、すでに暗くなった森の湖でひとり涙を流していた。
「アンジェリーク?」
今、いちばん聞きたかった声に名を呼ばれ、アンジェリークはまさかと思い振り返り、その瞬間、力強くその腕の中にいだかれている自分に気付く。
そして、口から零れる本心。
「ジュリアス様……っ!私。私……女王になんてなりたくない!」
「良かった……もう、そなたに触れることも叶わぬかと思っていた……」
腕に力を込め囁くジュリアス。
「女王になど、なってくれるな。どうか、私と共に生きる道を選んで欲しい……」
アンジェリークの瞳に煌きが戻る。
「私、私、もう、間に合わないかと……。今日、ジュリアス様は執務室にいらっしゃらなくて……。何処を探していいかも解らなくって、ここで、ずっと祈っていたんです……」
しばしの抱擁
ようやく訪れた、恋人たちの時間。
交わされるくちづけ。
どのくらいそうしていただろうか、ふと我に返りジュリアスは尋ねる。
「では、そなた、あのノートは読んでいなかったのか」
直接渡すべきだったかと、彼は苦笑する。
「はい……?……いったい、何と書いてくださったんですか?」
アンジェリークは尋ねた。
ジュリアスは応えようとして不意に照れ臭くなったのか言葉を濁す。
「そうだな、いや、やめておこう。いつか、機会があったら、読むといい……」
そなたが女王になることを
本来なら喜ぶべきと判っている。
なのに私の心を過ぎるこの痛みはなんなのか。
もし、そなたも同じ痛みを感じていてくれているのなら、
あの日、二人で行った花野に来てはくれないだろうか。
アンジェリーク
そなたを 愛している。
―――ジュリアス
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◇◆◇◆◇◆◇◆◇
後日談
静かな聖地の夜
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ジュリアス様?何を読んでらっしゃるんですか?」
女王補佐官を務める彼の妻が
後ろから肩越しに覗き込み愛らしく尋ねた。
「これか?」
愛しい妻に微笑みかけ、軽くくちづけするとしばしジュリアスは考え、応える
「これは、そうだな、そなたとの恋の記録だ……」
それがかつてやり取りしていたノートだと気付いたアンジェリークは、
懐かしそうに、そして思い出したように顔を赤らめる。
その彼女を引き寄せジュリアスはふたたびくちづけた。
「愛している。アンジェリーク」
「私もです。ジュリアス様」
やさしい夜風がみつめあうふたりの金の髪をゆらし、
そして、なにも書かれていない白いページをめくる。
この白いページに文字が書かれる事はもうないだろう。
けれど。
この先もこの恋は綴られていくのである。
そう、
ずっと、ずっと、遠い未来まで……
〜fin
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◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
なに?あの時、ああしていたらどうなったかが気になると?
私は、これで幸せなのだが…
まあ、そなたがいうならしかたあるまい。
時の精霊にたのみ、時間を戻してもらうとよい。
どんなときでも、そなたの幸せを祈っている。
ありがとうございます!ジュリアス様!
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