秋愁の雨

(参)―― 冬来

 


寒さで、目がさめた。
既に彼女は隣にいなかった。
今ここに彼女がいたのなら。
この想いをきたる別れへの未練ではなく、何かの始まりにできたのかもしれないと思ったが。
―― それこそ、未練か。
俺が眠る間にこの部屋を去った彼女は。
きっとあっさりとそれを断ち切ったのだろうに。

互いの気持ちの最たるものが寂しさだったとしても。
肌を合わせてしまえば湧き上がる情がある。
腕の中にまだ。
生々しく残る柔らかな感触。
絡めあった指と躯と脚と。
吐息のたびに、上下する白い乳房。
結局、夕べの出来事は。
自分の気持ちをいっそうわかりにくくしただけだったのか。

窓を開ける。
吐く息が、白かった。
曇った空。この次に降るのは、きっと雨ではなく霙だろう。
もう、冬なのだ。

支度をして、宿を引き払う。
行き先は決まっていなかったが、かまわない。
今までだって、そういうことは何度もあった。
だから、行き先が決まらないから旅発たないなどというのは、ただの自分への言い訳に過ぎなかったのだ。
駅に向かい歩く途中。
思ったとおり白いものが舞いはじめる。
―― 次は、緑あふれる春の季節の場所を訪れようか。
そう思った。
冬は嫌いではないが、今、雪を美しいと眺める気にはきっとならない。

しばらく歩いて、やはり煉瓦造りのこ奇麗な駅が見えて来る。
街の大きさの割に規模は小さい。
朝まだ早い時間だ、人影は、少なかった。
その中のひとり。
駅前広場に立つ、傘を差した人影がこちらを振り向く。
傘に積もったわずかな雪が、さらりと零れた。

「―― ディア」

彼女はうつむいた。けれどそのれは、愁いからではなく恥じらいのように見えた。
再び視線を上げて、今度は微笑む。
傘を差し出し、言った。
「貴方は、傘をお持ちではないの?再会した日も、濡れてらしたわ」
俺は言葉を返せずに、彼女をみつめた。
彼女の手が、優しく俺の額にかかる髪の雫を拭う。
俺はようやく、口を開く。
「何故」
ここにいるのか。
断ち切って、去ったのではなかったのか。
俺を待っていた?
まさか。
それは、ただの俺の願望だ。

「昨夜のことを、過ちだったと思っていらして?」

それは。
わからない。
だから。
「君への想いが、懐かしさなのか、寂しさなのか。それとも違う感情なのかがわからずにいる」
正直にそう言った。

「私だって、この気持ちがただの懐かしさなのか、寂しさなのかわからない。でも、あなたと離れたくないと思っているのも本当なのですよ。朝一番の電車を待つ間、それに気付いてしまったの」

でも、と彼女は続けた。
「貴方がそうお思いではないのなら、仕方ありませんわよね」
手にもった傘を、俺に押し付けるようにすると、彼女は踵を返しその場を去ろうとした。

体が、勝手に動いていた。
彼女の手をつかみ、引き寄せて強く抱きしめる。
傘が石畳の上に落ちて転がり、半円を描いて止まった。
そして、静かに舞い落ちる白い破片。
言葉の意味などに囚われる必要はなかったのだと気付く。
抱きしめた温もりを、幸せに感じて。
手放したくないと思うのなら。
それは。
懐かしさでもあり、寂しさでもあり、そして愛おしさでもある。

「俺も君を。このまま離したくないと、思っている」

秋愁の季節は去り、冬が来て。
けれどもこの温もりがあれば。
きっと、春はさほど遠くない。


―― 了

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