秋愁の雨

(弐)―― 秋霖

 


彼女の職場と俺の逗留している宿が近いこともあって、それから幾度か俺たちは昼食を共にしたりして昔話に花を咲かせた。
外はあいかわらずの秋霖。
深まる秋に、珈琲からたちのぼる湯気のぬくもりが日増しに愛おしく感じられる。

彼女と思い出話をするのがこんなにも。
自分の感情を揺さぶるとは思ってはいなかった。
懐かしいようで、哀しいようで、愛しいようで。
あの日々を語ることは、愁いを含んだこの透明な雨に似ていた。
彼女もきっと、似たような気持ちなのか。
ただ、あの場所に残してきた想いが俺とは違うだろうに。
いまはただすべてが懐かしい、と言った言葉をそのまま信じていいものかどうか、戸惑いつつも。
それでも未だに。
この惑星に留まり、彼女と時間を過ごす自分がいる。

時折、図書館へも足を向けるようになった。
まだ行ったことのない惑星の情報を雑誌で調べ、まだ見ぬ風景の写真集を眺め想いを馳せる。
だが何故かいつものようには、行きたいと思う惑星はなかなか見つからない。
その傍らで。
彼女の休憩時間、これまでに行った惑星のことを話して聞かせたりもした。
白き極光の惑星で見た美しい風花の話。
白亜宮の惑星で見た若き王の即位の祭の話。
天つ原の惑星で見た幻想的な霧の風景の話。
そんな話を。
楽しそうに聞いてくれる人がいる。
嬉しく思いながらも俺は。
自分たちが今こうしているのは、ただ寂しいだけなのかもしれないと。
そうも感じていた。

◇◆◇◆◇

その日。
閲覧室で次に訪れる惑星を探そうと、雑誌を繰っていたはずの俺は。
別のことに意識を奪われていた。

何故彼女は。
ここで司書の仕事をしているのだろう。
これまでの経験を考えれば、王立研究院からの勧誘もあっただろうに。
気侭な旅をしている自分は棚の上に挙げるとして。
俺は、ふと息を吸い込む。
この図書館にに溢れる、古い、本の香り。
その香りは、彼女にあの場所を忍ばせるのではと。

―― 邪推だ

俺は考えを打ち消しながらも、結局は思いを馳せている。
彼をいつも追っていた彼女の視線。
でもあの良くも悪くも呑気な友人殿は。
その視線に、気付いていなかったのではないかと、そう思わなくも無い。
そして彼女が自分の想いを言葉にして伝えることが無かったのは。
女王候補時代から辛苦を共にした、自分の友人への気遣い。
だとしたら、遣り切れない。
それとも。
結局彼女が先に聖地を去ることになったのなら、それはそれで良かったのか。
―― 俺は何を考えている?
余計なお世話も、いいところだ。
窓の外に目をやる。
めずらしく雨がやんで、雲の隙間から橙色を帯びた日差しが零れていた。
秋の風景を、いっそう感慨深くする色。

「今日は土の曜日なので、いつもより早い閉館なのですよ」

いつのまにか、彼女が横に立っていた。
なるほど。
既に館内の人影はまばらだ。
「ああ、すまない。ぼんやりしていた」
棚へ戻すため雑誌を閉じて、立ち上がった。
この惑星の住人ではない俺は、本を借りることは出来ない。
俺が手にした雑誌を見やって、彼女が聞いた。
「近いうちに、別の惑星に発つのですか?」
微笑みながらも、微かに目を伏せるその表情を、俺は正視できなかった。
「ああ、次の目的地が決まったら……すぐにでも」
そう、これまで通りに、旅に出る。
だがいつものように出立できず留まっているのは。
彼女と離れがたいと。
明らかに感じているから。

―― この気持ちは、ただの懐かしさか、寂しさか。それとも。

決まっている。
ただの寂しさだ。
帰る場所もなく、ひとつ処にとどまるのを恐れて旅を続ける自分が。
思いもかけず昔の知り合いに出会って、少し人恋しくなっているだけ。
彼女もきっと同じだ。
心の中に。
ある面影を抱いたまま過ごすこの秋の日が。
ただ、偶然であった古いなじみとの別れの寂しさを増幅させているだけだ。

◇◆◇◆◇

閉館と同時に仕事を終えた彼女を送るために、駅に向かい並んで大通りを歩きながら。
その日は何故か、会話が無かった。
長雨の合間に出た秋の日も傾いて。
はじめて彼女を見かけた頃からだいぶ葉を落とした街路樹が寒そうに見える。
宿の前にさしかかり、俺は足を止めた。
「よければ、今日は一緒に夕食でも」
彼女は喜んで、と頷いてから少し間を置いて目を伏せた。
「それは、お別れのご挨拶?」
まだ次の行き先は決まっていなかったが、こう言っていた。
「そうかもしれない」
と。

◇◆◇◆◇

その晩、俺は、彼女を抱いた。


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