その惑星のその街に俺が立ち寄ったのは、特にこれといった理由があったわけではない。
いつものように、ただ、気侭な旅の途中でふと足が向いた。
それだけのことだ。
高級ではないが居心地のいい宿に一室を借りて。
俺は一階の喫茶室の窓際の席から、外の風景を眺めていた。
煎れたての珈琲の香り。
どこか愁いを含み、音もなく降る透明な雨。
季節は、一雨ごとに秋の深まる頃。
幾つかの雨の後に色づいた木の葉は散って、冬となるだろう。
歴史ある街道を覆う石畳に沿って、古い煉瓦造りの瀟洒な建物が、整った街並みを造形する。
濡れてくすんだ色の歩道を傘を差した人々が行き交うそんな中。
街路樹の紅に染まった木の葉だけが、無彩色気味な風景に彩りを添えていた。
その中に。
さらに鮮やかな色が飛び込んできた。
傘の陰から一瞬だけ見えた、優しい、さくら色の。
長い、髪。
気付けば俺は、傘も差さず喫茶室の外へとその姿を探しに出ていた。
しかし外へ出たとき、既にそれらしき人影は何処にもない。
しばらく大通りの中を捜したが、さくら色の髪のひとを見つけることはできなかった。
大きく息を吸うと。
散った木の葉と雨の香りが交じり合い、体に満ちた。
―― 人違い、だったかもしれない。
そう思いながら、彼女であることをほぼ確信している自分がいる。
彼女がここにいるということ。
それは。
女王の世代交代があったということか。
それとも。
―― 彼が任期を終了し、それと共に補佐官を辞したと言うことか。
できるなら、後者であって欲しいと。
俺はその時、心底そう思った。
古い本の香りと日のあたる執務室。
そしていつもそこにいた、懐かしい友人の。
穏やかなほほえみを思い出しながら。
雨が少しだけ、強くなった。
傘を持たずに出たことを後悔し、近くの大きな建物の入り口に避難する。
古いが、立派な作りの建物。
この街のほとんどがそうであるように、落ち着いた色の煉瓦造り。
四階建てくらいか。
人々が、出入りをしている。
子供もいれば、大人もいる。老人も。
案内板を見るとそこには、区立図書館、そうあった。
雨宿りついでに入ろうかどうか、中を覗いて迷っていたその時。
「―― まあ。まさか、カティス?」
あでやかな、さくら色の髪。
本を積んだ台を押して、彼女が目を丸くしてこちらを見ていた。
◇◆◇◆◇
この街の図書館で、司書の仕事をして暮らしているのだと、彼女は言った。
懐かしさに押されて。
彼女の仕事が終わるのを待ち、俺たちは喫茶室で向かい合い話をしている。
窓の外に、雨はあいかわらず降っていた。
正直外の世界で、あの頃の知り合いに再会できるとは思っていなかった。
それは、お互いそうだろう。
俺が去ってからの様子を聞くと。
彼女は、
「あいかわらずでした」
と、これまたあいかわらずな、皆の姉のような笑顔で言った。
「それは、喜んでいいのかだろうか、それともしょうもない奴らだと、言うべきだろうか」
「その判断は、お任せします」
俺たちは、声をたてて笑った。
間違いなく、ここは。
しょうもない奴らだと、言うべきだろう。
だが、それがどうしようもなく、懐かしく、愛おしい。
遠く離れた場所で、変わらずにいる奴らがいることが、これほどまでに嬉しいとは。
今まで気付きもしなかった。
「じゃあ、ルヴァはあいかわらず苦労してると言うことか」
仲の悪い年長組みと、仲の悪い中堅ふたりと、反抗期の少年あたりにはさまれて。
救いは素直な少年たちと、奔放なようでいて気配り屋の青年がひとり。
「ええ、でもきっと新しい補佐官が、力になってくれますわ」
言った彼女の様子は、とくに特別な感情を孕んだ様子には見えなかった。
だが。
先ほどの俺の推測は、前者だったと、いうことか。
俺は珈琲を飲み干した。
いつもよりも、苦い味がした。
「―― あの方は、今?」
ならば今は唯人である彼女の友人の名を。
それでも気軽に口にするのは憚られるような気がした。
「元気にしていますわ。彼女がいるのは主星ですけれど、時折手紙のやり取りをしていますの」
「そうか、それは、良かった」
良かった、のだろうか。
本当に?
俺の言葉の迷いに、彼女も気付いたのか。
少しだけ、愁いを含んだ表情をした。
その表情さえも。
懐かしい気がする。
それは言うなれば、あの場所でもいつも彼女はこんな愁いを帯びた表情をしていたということになる。
「何もかも、昔のことですのね。こんなふうに、思うときが来るなんてあの頃は想像もしませんでした。
いまはただ、すべてが懐かしいと、そう思います。もっとも今日あなたに偶然会わなければ、日々にまぎれてこうして思い出すことも無かったのかも」
それは、俺も同じか。
「ああ、懐かしいな。本当に ―― 」
俺の言葉に頷いて、窓の外を眺めやる彼女の横顔は。
雨に濡れて愁いながらもあざやかな紅葉にも似て。
とても美しいことに、俺は気付いた。
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