草原の風

(最終章)―――風言伝〜かぜのことづて〜


256代目にして新しき宇宙の初代女王アンジェリークの御世は
まるで燃え盛る炎の如きの彩やかさで栄え
長く、長く語り継がれることとなる。
しかし、その気高きひとに永遠の忠誠を誓った、紅の髪の青年の
けして表にはでる事はなかった切ない思いは
歴史にはのこらぬ小さな、物語のひとつである。
そして
その炎の守護聖が256代女王の在位中に聖地を去り
その後、どんな人生を送ったかは人々の知る所ではない。
だからこの先ここに記されていることは、宇宙の歴史から見れば
ほんとうに
ほんとうに些細な出来事に違いないのだ。

そう、それは、
通り過ぎる風がおしえてくれた
炎のような鮮やかな恋の、結末である ――

◆◇◆◇◆



「おじちゃん、あのね」
幼い少女が話し掛ける。
鮮やかな紅の髪、引き締まった体躯。『おじさん』呼ばれるにはまだ早い、青年である。
「……おにいさんに、何か用かな?お嬢ちゃん」
苦笑して、オスカーは応じると、ひょい、と少女を抱き上げた。

ここは彼の故郷の惑星の草原。
守護聖としての任期を終えた彼はこの様々な想い出の残る土地へと帰り、王立の孤児救済施設に手を貸しつつ、日々を暮らしていた。
遠い昔に王政の途絶えたこの星は女王直轄の惑星となり、様々な公的機関の地方中心地として栄えている。
守護性になる前、彼がこの地を去った時と比べれば、当然文明も驚くほど進歩し変ってはいたが、惑星の半分を占める豊かな草原は何故か
何故か昔のまま、美しくその緑の葉を風に靡かせていた。
そう、幼い日、幼なじみの姫と馬を走らせた時も
断腸の思いで燃えさかる城を後にした時も
金の髪の、尊く愛しいひとをこの腕に抱いた時も
そして、今も
この草原は、少しも変らない。

「あのね、おにいちゃん」
「いい子だ。素直なお嬢ちゃんは、きっと素敵なレディになるな。先が楽しみだぜ」
軽くウインクすると
「おっさん!妹に変なこと吹き込むんじゃねえ!」
という声と共に、後ろから蹴りが入る。
振り向くと十二、三の少年 ―― 少女の兄が呆れ顔で立っている。
この子達は親を事故で亡くしここで暮らしている兄妹達である。
「なんだ、後ろから蹴りとは頂けないな。男なら正々堂々戦うもんだぜ。ぼうや」
少女をおろすと、今度は少年の髪をくしゃくしゃと撫でた。
可愛い妹に、時々ちょっかい(?)を出しているのが気に食わないと言えば気に食わないが、少年もこの、実は面倒見のいい赤毛の青年が大好きであった。
「あんたに主星の王立派遣軍のお客さんだってよ」
「そう、おきゃくさんなの」
用件を思い出したように少女も愛らしく頷く。
少年が、少し悲しげな顔をして
「また、いつものかな……。おっさん、主星に行っちまったりしねえよな……?」
おにいさんだ。なんだ、ぼうや、憎まれ口叩いても俺がいないと寂しいのか?どうせなら、レディに寂しがってもらった方がいいんだがな」
いつもの口調でからかうと、
「寂しくなんかねーやっ!何処へでもいきやがれっ」
少年は赤くなって叫び、向こうの方へ言ってしまった。
「あ、ユリウスおにいちゃん!」
少女もそれを追ってかけてゆく。
その後ろ姿を見て、オスカーは軽くため息をついた。
主星からの客の用件は分かっている。
栄えているとはいえ、この様な地方の惑星の孤児院の手伝いなどを辞めてどうか主星へ来て王立派遣軍の然るべき地位に就いて欲しい、そう言った用件である。
「何度来ても返答は同じだって言ってるんだがな」
やれやれ、という風に肩を竦めると彼は踵を返し客間の方へ向かっていった。

◆◇◆◇◆

その日のうちに客は主星へと帰って行った。
その夜のことである。
施設の傍の丘に登り月影に照らされた草原をひとりみつめていたオスカーは、先程の少年、ユリウスがこちらに向かって丘を駆けて来るのに気付き、声を掛ける。
「お子様は寝る時間だぜ。ぼうや」
「いちいち子供扱いするなよ。おっさん
オスカーはやれやれ、と苦笑する。何だかんだいって、早くに親を亡くし必死で妹の面倒を見ている少年が歳の割に大人びていることを認めていないわけではない。
「子供でいれる間なんて、そう長くはないさ。だから無理に大人になろうとする必要はない。だが、いつかはお前も、ひとりの男として、守るべき人を守れるよう、強くならなければな」
「少なくとも、おっさんの魔の手から、妹はまもれるぜ」
オスカーは再び苦笑して、そうか、と言いながら、息を切らせている少年の髪をくしゃくしゃと撫でた。
「なあ、今日の客も主星へ来いって話を持ってきたんだろう?」
「ああ」
草原に目をむけたまま応えるオスカーに少年は不安になって問う。
「いっちまったりしねえよな?あんた、ずっとここにいるよな……?」
低い、男らしい声が夜風に響く
「ここを離れるつもりはないさ。おそらくは、な。だが先のことはわからないな。
――俺はかつて、この地を二度去ったことがある。
けして、去りたいと思ったわけではない。いや、離れたくなどなかった。ただ、俺自身の信念と誇り、そして運命とが、ここに留まることをゆるさなかったのさ。
そして今もその信念と誇りはうしなっていない。俺は、この草原を、いやこの宇宙を守るためにならここを去ることもあるだろうし、命を投げ出すことも厭わない。
ひとり、遠い所で世界を導いている尊い方のためにな」
「……」
黙ってしまった少年に目をやり、まるで弟に話し掛けるよう、やさしく言う。
「いつもの元気はどうした?少年。言ったろう?少なくとも俺は二度とこの地を離れたくないと思っているってな。だがな、どうあっても人というのは別れが訪れるものだ。いつか、何かの理由で俺がここを去ったらその時はお前がこの地を、この草原を守っていくんだ。
この草原の民の血を引く者として、そして、男として。いいな?」
深い蒼穹の瞳の少年は青年の氷の蒼の瞳をしっかりとした目で見つめ返し、力強く頷いた。
「よし、お前は、いい目をしているな。その瞳の色は、古い知り合いを思い起こさせる。その瞳の色はな、草原の民の瞳の色でもあり、誇り高き光の色でもあるんだ」
オスカーはそう言って、少し懐かしそうに笑った。
「ユリウス」
突然名を呼ばれて少年は少し難くなってオスカーを見やる。
「『強さ』とは、何だと思う」
再び草原へ目をやったままそう問う青年の表情は真剣だった。
だから、ユリウスも真剣な表情で考えを廻らす。
「……よく、わかんねえ。でもきっと大切な人を、大切な場所を、大切な信念を守っていける事かもしれない。俺はそう思う。
さっきおっさんが言ってた『誇り』ってやつを持ち続けることが、『強さ』なんじゃねえかなって……」
その答えを聞き、少年を見たオスカーの瞳はとても優しい、とユリウスは感じた。
少年は思った。
彼との別れは、もしかしたらそう遠い話ではないのかもしれない、と。
それは、不思議な予感だった。
夜の草原を風が静かに渡り、ひるがえる草が月影に淡くぼやけてにじんだ。
不意に湧きあがる悲しみの思いをぐっと飲み込んで、少年は明るく言う。

「もう、かえろうぜ。おっさん。あんまし夜更かしすると、年寄りはつらいぜ」

翌朝
少年は寝台の横にある手紙を見つけ、昨日の予感は事実となったのだと直感した。
向かいの寝台で妹は小さな可愛い寝息を立てている。
震える手で封筒を開く
小さな紙がひらりと落ちた。


元気でな、蒼穹の瞳の少年。

妹と、そして将来出会う大切なひとを守れるような男になるんだぜ。
俺はいつか必ず戻る。俺を友人だと思っていてくれたなら、その時までこの草原を守ってくれ。
そして、もうひとつ ――


最後まで読む前に少年の視界は溢れ出た涙で霞んで、何も見えなくなっていた。
手紙を握り締めて、昨夜の丘へ駆け上る。
遥か地平に続く道に、紅の髪の青年の姿はもう無かった。
次ぎ次と涙があふれ、喉の奥に重い石が詰まったように上手く声が出ない。
力を振り絞って、叫ぶ。
「ばっかやろー、かっこつけやがって、いきなりいなくなりやがって!
オスカー!戻って来いよ。まだ俺じゃあ何も守ったりなんかできねえよ!戻って来いよ……いつか、必ず……」
ユリウスは、かたわらを通りすぎた風が、自分の思いを、伝えてくれたような、そんな気がした。

少年は後で知った。
宇宙のあちらこちらでサクリアという物の不安定が起こり、それによって起こる災害を未然に防ぐ王立派遣軍の一員として参加するため、彼は、この地を去ったということを。
彼は何時か言っていたではないか。
―― 遠い所で世界を導いている尊い方のために、ここを去り、命を投げ出すことも厭わない ――
と。
そうして、草原の日々は過ぎていった。
草原の惑星でもいくらかの気象異常で豪雨や強風に悩まされたが住民一体となってその難を逃れ、今では普通の生活が続いている。
少年もその際、立派に責任をこなし妹や、他の自分より幼い者たちを立派に守ってみせた。
宇宙の不安定はおさまったようである。
軍の見事な采配で各地の惑星の住民も皆無事であり、ここと同じく変らぬ生活を続けているらしい。
ただ、王立派遣軍に少なからずの尊い犠牲が出たことも風の便りに聞いた。
けれどもその中に紅の髪の青年がいたか、いなかったかまでは、少年のもとにまで伝わらなかったのである。

◆◇◆◇◆

ユリウスは丘の上に立っていた。
今日も草原は変らぬ姿をしている。
かわりゆくのは人のほうなのであろう。
少年は、オスカーと最後に話したあの時より、少し背が伸びたようだ、と感じていた。
いつしか自分は大人になり、そしてこの草原を守れるようになうだろう。
少年はいまでもあの赤毛の青年との約束を忘れてはいない。
だからこそ、きっといつかは彼もこの草原に帰ってくることを信じていた。
彼が生きていることを信じていた。
傍らを通り過ぎる風が、いつかあの青年の元へと届くだろうか?
ユリウスはそんなことを考えながら草原をみつめている。
人々は風の行く先を知らないと言う。
けれど自分は知っているような気がした。
草原で生れ旅する風は、いつか還えってくるのだ。この草原へと。

「おにいちゃん、夕ご飯だよ。お姉ちゃんが呼んでるよ」
妹が呼びに来た。
「うん」
返事をしたものの、その場を動こうとしないユリウスに、
「もう、おにいちゃんってば」
妹が少し怒った声を出す。
夕暮れ時、風は少し冷たい。
くしゅん、と小さな妹がくしゃみをした。
と、その時である

「おいおい。可愛いお嬢ちゃんをこんな冷たい風の中、ほっぽっておくなんて、男として失格だな」

低い、良く響く男らしい声。
振り返るとそこに紅の髪、氷蒼の瞳をした青年が昔と変らない不敵な笑みを浮かべて立っていた。
夕暮れの風に青い外衣が靡いている。
少年ははじめ驚きに、そしてその後喜びに目を見開いた。
その見開いた瞳から、これも喜びの涙をぽろぽろと零して。
子供じゃないのだから泣くまいと、それでも多少の努力はしたのだがそれも長くは続かなかったようである。
「っ……な……んで、っおっ……そいじゃねーか……っ。まち、くたっびれ……、おねえ……も……ず……と……まって……」
と、言葉になっていない言葉を話す。
意味は通じないものの、十分気持ちの伝わる言葉に、オスカーは苦笑して言った。
「あのな、少年。この際『泣くな』とは言わないぜ。だが、話すか、悪態つくか、泣くか、どれかにしろ」
からかいつつも、いつもは鋭いその瞳は優しく笑っている。
少年は、オスカーの元に駆け寄り、拳でぽかぽかとその胸板を叩く。
「わるかったな。直に帰ってきたかったんだが、友人の故郷の惑星で起きたごたごたを納めるのを手伝ったもんでな。まったく、優しいなら、優しいでいいが、ああいうごたごたにからきしだめときてやがる。おまけに、極楽鳥が引っ掻き回して逆効果だ」
最後の方に当人達が聞いたら、絶対異論の在りそうな言葉を呟くように言ってから、
「海の綺麗な惑星だったぞ。機会があったら今度、少年、おまえもつれていってやろうか?」
ばかやろう、ばかやろう、と繰り返している少年の髪をくしゃりとなぜた。
「わーい。あたしもいい?」
少女が駆け寄って、オスカーにしがみつく。
「もちろんさ。可愛いお嬢ちゃんを置いていくわけがないだろう?」
そういって、オスカースマイル付きウインクをする。
帰るべき場所に帰ってきたのだと、そう思っていた。
変わらずにあるこの草原。
こうして喜んでくれる幼い友人。
だが。
故郷に戻った喜びを感じつつも、やはり時折過ぎる心の痛み。
それは、もう生きていく限り抱えていくものなのだろう。
そしてそれこそが、己の信ずるままに生きる証でもあるのだろう。
と、その時

「あ〜あ、そんなに可愛いお連れがいるんじゃ、私なんて連れて行ってもらえないわね?」

突然の声に振り向き、目を丸くするのは今度はオスカーの番であった。
まさか。
風になびく金の髪。
春の草原と同じ色の、凛とした瞳。
かつて、自分と、宇宙とが愛した人。
オスカーは、二の句を告げずにいる。
何故君がここに。

「夕食へいってらっしゃい。ふたりとも」
少年は察し良く妹を連れて丘を下りて行った。
「あの子が、あなたとの約束を守ってくれたの。だから、私、待っていたんです。ここで。
―― 今度は、私が待つ番。そう思って」
言葉が終わらない内に、オスカーはそのひとを抱き締めていた。

遠い、遠い、昔。
確かにこの腕にいだいた、愛しいひとを、ふたたび。
そして、名を呼んだ。
「アンジェリーク……」

しっかりとまわされた腕に力がこもった。
「幻なら、お願いだ……。今しばらく……消えずに……」
「ここにいるわ。あなたのそばに。もう、何処にも行かない。
それがあなたの言う、私の生き方。行けといわれても嫌。もう絶対に、離さないで……!」
腕の中で肩が小さく震えていた。
囁く声が聞こえる。
「あなたが、派遣軍に志望したことは、正式に退位して直に此処へ来て、あの子に聞いてはじめて知ったわ。
良かった、無事で……。良かった……帰って来てくれて……。
私の力の衰えのせいで、あなたに何かあったのだとしたらって、ずっと……」
あの宇宙の不安定は彼女の退位の際に起こった出来事だった。
もし、そのことで彼が命を落すようなことがあったら ――
彼女はいつもその恐怖と戦っていた。
オスカーは白く細い顎の線に手をかけ、上を向かせるとそのひとの涙を唇で拭う。
「俺はこの通りさ。必ず帰ると約束したんでな。この草原に。それよりも……それよりももっと、良くその可愛い顔を見せてくれないか?できるなら、笑顔をな」
くすり、と小さく笑うとアンジェリークは言う。
「ちっとも、かわっていないのね」
「君も、少しもかわっていないさ」
やさしくくちづけながら、そう囁いた。
「どちらかというと、大人っぽくなったって言ってくれた方が嬉しいのにな」
そそがれるくちづけに、身を任せながら、アンジェリークは悪戯っぽく言う。

「それは、どうかな?
なんせ、君を大人の女性にするのは、これからの、俺の役目なんでな」

ふたたびきつく抱き締めあい、熱いくちづけを交わすふたりを、 やさしい草原と、そこを渡る風は見守っている。


あの日、ユリウスに渡された手紙は、こう締めくくられていた。

―― そして、もうひとつ。
お前が、いつか偶然にでも(それは、遠い遠い未来かもしれないが)この草原に俺を訪ねてきた、草原色の瞳に、太陽の色の髪の、天使の名前を持つひとに出会ったなら伝えてくれ。
『風のゆきつく処が何処か、今でもわからない。君は、君の人生を歩むんだ。
だがこれだけは言える。俺は俺の心はずっと、君と共に在った』
と。

オスカー



―― 狂おしいまでに愛しいひとよ。俺は、たった今、みつけた。
風の末、風のゆきつく処を。
風は、還ってゆくんだ。
そう、遥かなるこの草原へと。


――fin.

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