草原の風

(参)―――風光〜かぜひかる〜


昔、年老いた王の崩御よって、急速に草原に在るその国は衰退への道を歩んでいた。
折りしも技術革新に成功し、急速に力をつけた隣国が協力というの名のもとに国を植民地化しようと目論んでいた時である。
国の軍隊はかつて草原の覇王という無敵の名を轟かせた精鋭揃いであったが、最新の技術を使った先進的な重火器の武器に、剣で立ち向かうのは無謀というものであった。
国の民は不安を隠せなかった。
自分の愛する国はどうなってしまうのだろうか。
確かに隣国のような先進の文明はないかもしれない。
けれど、自分達には自分達の民族の伝統と文化、そして誇りが在る。
地を耕し作物を植え、家畜は草を食み、草原を駆けて狩りをする。
すべてはこの大地…草原と共に我らの命はあるのだ。
なのに、隣国の者たちはそれを理解しようとはしない。
それらの文化を『遅れている』と決め付け、自分達の価値観を押し付ける。
隣国の文明が必ずしも悪いとは限らない。
だが、どうして己が己であることを捨てたりできるだろう?
草原での生き方は、そのまま自分達の在り方なのだから。

すべての民の思いは同じだった。
服従などはありえない。この誇りを失うくらいなら、最期まで戦い抜く、と。
こうして、服従を拒んだことをきっかけに、終に戦いの火蓋が切って落とされる。
その時、国を治めていたのは先の王のひとり娘であった。

◆◇◆◇◆

「殿下!早くお逃げ下さい、城に火が廻ります!」
若い赤毛の青年がそう叫んだ。
殿下と呼ばれたのは、剣を携え、男装している娘であった。
強い意志を秘めた理知的な瞳。口元には微かな笑みさえ浮べて娘は言った。
「いや。わたしは最期までここに踏み留まる。その間に、民たちは逃げることができる筈。……おまえも、ゆきなさい」
けれど動こうとしない青年に声を荒げる。
「おまえはもっと大きな運命を担っているのだ。なにをしている、早くゆけ!そして主星へ向かうのだ!」
青年は激しく(かぶり)を振った。
「何故です!殿下、今俺が主星へ行って、いったい誰がこの草原を守ると仰っしゃるのですか!
どうか、この命に代えて、貴女を守ることをお許し下さい!」
彼女は目を閉じ、静かに言う。
その声は、すべてを覚悟したものの声だった。
「わたしは、亡き父王の志を継ごう。この国の最後の王となる。
この国の民も土地も、なにひとつ、隣国の者達の自由にはさせない」
「ならば、尚更殿下は生き延びなければなりません!王なくして、どうして国が成り立ちますか。どうかお逃げ下さい!お願いです!」

窓の外に見える夕焼けは、炎と血に染まって紅に禍禍しく―― ある種の美しささえ感じさせる光景だった。
既に近くにあがっている火の手が硝子越しに彼女の美しい横顔を照らしている。
彼女の目には今、その炎は写っていまいと青年は感じた。
おそらくその清んだ瞳に見えているのは、どこまでも、どこまでも続く草原。
風が翔けぬけ、翻る草がいくつもの筋をつくるなだらかな大地<。BR> 幼い日、共に葦毛の馬を駆って日暮れまで遊んだ愛すべき故郷 ――

「王無くして国は成り立たない、か。だがそれは違う。国は成り立つのだ。この草原と、誇り高く、強い心をもつ民さえあったなら。
王は国に寄り、国は民に寄る…王は、民のために在るべき存在。そして、今こそがその時だ」
「殿下……」
「強さとは、(いくさ)に勝つことだけではないはずだ。王国は滅ぼうとも、この草原の民が滅ぶことはない。
ただ、そのためには、おまえの力が必要だ。だから、行け。おまえの運命の指し示す道を。本当の強さとは、そして誇りとは何か、その身で確かめるために」
青年は微かに息を呑むと、低く絞り出すような声で言った。
「……正直に言う。俺は、……国も、草原も、どうだっていい、ただ、君に。君に生きていて欲しい……」
瞬間、ふわりと、少女が微笑んだような気がした。
が、すぐにに青年に背を向け強く言い放つ。
「お願いだ。どうか……行ってくれ!そして、生きろ」
そしてその時、青年は彼女の体を後ろから抱き締めていた。
震える声で娘は言う。
「そう、だな。わたしもきっと同じだ。本当は、国も草原もどうだっていいのかもしれない。貴方に生きて欲しい。ただそれだけ……
だから生きて。そして見守って。この草原の行く末を。風のゆきつく処を。……あいしてる、オスカー」
きつくまわした彼の腕に、温かな雫――娘の涙が零れ落ちるのを感じた。
「殿下……!」
「……最期にわたしの名を呼んでくれないか。お願いだ……」

―― エリューシア

長子が女だった場合、別の世継ぎが生まれるまで男として育てられる王家の風習のなかで、 (つい)にひとに呼ばれることの無かった少女の本当の名前。 その名は、あの女王候補のつけた大陸の名と同じだった。

燃えさかる炎の中、その名の通り永遠の楽園を、幸福の地を、最期まで守り通した美しいひと。
凄絶な最期を遂げた祖国の王家の話は瞬く間に宇宙へ広まり、その非人道的な所業を責められ、隣国は攻略を諦めざるをおえなかった。
確かに戦いには負けたかもしれない。けれど、彼女は勝ったのだ。その誇り高き信念と、何にも負けない強い心で。
剣ではなく、人々の心が、草原の大地と民を救った。
いま、草原の民の末裔は王のいない大地で古くからの文化と伝統を受け継ぎ生きている。
宇宙を司る尊い方は、きっとあの草原も守っていてくれたに違いない。
そして俺は、ずっとそれを見守ってきた。
彼女が、そう望んだように。

◆◇◆◇◆

明日、新しい女王は正式に即位する。
俺がこの手で女王にした……ふたたび、心から愛することを思い出させてくれたひと。
彼女もまた、あの草原を守り、導いてくれるのだろう。
彼女の導く宇宙は美しく強く輝いているだろう。
あの、エリューシオンのように。

ならば、この痛みはなんなのだろう?
かつて、草原を後にしたときの心の痛みと同じだ。
燃え盛る炎の中で、幼なじみの姫の名を呼んだあの時、そのまま連れ去り風になりたいと思った。
草原も、王国も関係ない、そう思った。
そして、今、

―― 宇宙も、聖地も関係ない ――

次の瞬間、彼は馬を駆って宮殿にいる愛する人のもとに向かっていた。
そのひとは、ひとり2階のベランダに佇み、沈みゆく太陽と聖地の夕映えをみつめていた。
傾きゆく太陽が彼女の凛とした横顔を照らしている
そして遠くにその夕映えよりも紅く燃えさかる色の髪の人をみつけ、驚き、そして微笑んだ。
アンジェリークはその笑顔でオスカーの微かな迷いを吹き飛ばし、自らも迷い無き瞳で告げる。
「もし、あのときの、あの言葉が真実だったなら、いま、ここで私をさらって!」
あのときの、あの言葉。それは―― 愛している ――

まったく、このお嬢ちゃんときたら!

この愛のために、自分はどこまでも強くなれる、そう彼は確信した。
オスカーは不適な笑みを浮かべて両腕を広げアンジェリークを見上げる。
そしてアンジェリークは満面の笑みをうかべてオスカーを見る。
そして。

ふわり

彼女の身体が風のように空を舞い、愛しい人の腕の中へと飛び込んでいった。

◆◇◆◇◆

「不思議なものだな」
腕に彼女をしっかりと抱き、馬を駆りながら、オスカーは照れたようにアンジェリークをみやった。
「この俺が、今、君に伝えるべき言葉のひとつも思いつかないなんて」
いつもなら、どんな甘い囁きだって、簡単に口をついてでできたというのに、心の内を伝えようとすればするほど言葉はむなしく消えてゆく。
少女はおだやかに微笑み言う。
「言葉で言わなければ、伝わらない想いもあります。でも……」
白い小さな手をオスカーの頬にあてた。
「でも、本当に大切な想いは、言葉だけでは、けして伝わらないから……」
少女は、ふいにのびをした。
ふわりと金の髪がゆるやかに揺れる。
そして彼女は、自らのくちびるでオスカーのくちびるにやさしく触れた。

―― 風が、通った。

オスカーは、そう感じる。
ふれるか、ふれないか、わからぬほどの幽かなくちづけは、その身の傍らを通りすぎ、萌えいずる緑を愛で光る、春の草原の風のようだった。
今迄、俺は、これほどまでに想いを伝えあうくちづけをしたことがあったろうか?
この先の不安さえ、すべて消し去るような、それは、そんなくちづけだ。

ふたりが向かう先、そこは草原の惑星。

今でも
空は蒼いだろうか。
山は冴えているだろうか。
河は澄んでいるだろうか。
風は光っているだろうか。
人々は強くしなやかに、
毎日を祈り、愛し、喜び、慈しんで生きているだろうか――

遠い昔、滅び去った祖国。
けれどあの草原はいまでも美しく、その土地に生きる人々は幸せであるに違いない。
そう、自分の愛した人たちが(いしずえ)となって作り出した時代であるからこそ。
ふたりは、風のゆきつく処を探しにその地を訪れることにしたのだ。


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