草原の風

(序)―――草原遠緑(ツァオユェンユェンリュー)〜遥かに続く草原のその緑〜


ユリウスはこの風景が好きであった。
そこは、聖地の中心からすこし外れた丘。
どこまでも草原が続き、渡る風が紅を帯びた金の髪をなびかせてから草を分けて遠くへ去ってゆく。
この風景の何にそれほど惹かれるというのか。
彼は正直解らずにいたが、まるで郷愁に似た想いが溢れ出るこの景色、それを時には友と、時にはひとり眺めるのがいつからか習慣になっていた。

だが、この風景ともお別れか。

青年は天を仰いだ。
蒼く住んだ空。
その色は、先日自分の後任としてこの地を訪れた幼い光の守護聖の瞳と同じ色をしていた。

◆◇◆◇◆

「こちらにおられましたか。ユリウス様。闇の御方がお呼びです」
ふいに背後からかけられた声に光の守護聖は振り返る。
そこにいる黒髪の少年は、この聖地ではまだ新米の夢の守護聖であった。
「シラーンが?そうか、じゃあ、そろそろ帰るとするかな」
諦めたように呟くと苦笑して少年を見た。
「しかしまあ、あいつも小うるさい奴だ。闇の守護聖ならちったあ安らげって思うがな。俺は」
どちらかと言えば行き当たりばったりな性格の自分と、常に冷静な視点で先を見据える闇の守護聖。
なかなか良いコンビだと自負しているからこそ、からかい半分の憎まれ口を叩いてみる。
少年はなんとも返答しかねる、といった風情で困ったような、それでいて楽しげな曖昧な笑みを浮かべた。
そういえば、ともう一度青年は草原に目をやる
「良くここが解ったな」
その問いに少年は笑って言う
「ユリウス様のお気に入りでございましょう。この場所は。行方知れずの時はここを探せと、シラーン様もおっしゃっておりました故」
ユリウスは再び苦笑する。
「やつめ、まったくお見通しか」
だが、俺だってお見通しだぞ、と赤みを帯びた金の髪をかきあげ青年は笑う。
「シラーンの呼び出しの理由さ。どうせ、『ジュリアスにもっと優しく接しろ』だぞ?賭けるか?メイファン。まったく奴はジュリアスに甘い」
「その賭けでは、少々私の分が悪ろうございます」
少年は苦笑した。
そして、少し戸惑った後に、決心したように尋ねる。
「ただ、確かに……生意気を言うようでございますがユリウス様の、新しい光の守護聖殿に対する有り様は、少々厳し過ぎるようにも思われますが」
自分が聖地にはじめてきたとき、何かにつけて親切に教えてくれたユリウス。
その彼の、ジュリアスに対する態度は、自分の時のそれよりも数段厳しい。
『行き当たりばったりな奴』という定説のある彼だが、ここ一番の時には思慮の深さを見せ、首座の守護聖を勤め上げてきた事を知っていた少年は、何か理由があるに違いないとは常々思っていた。思っていたのだが、今の今まで聞けずにいたのである。
「そう思うのも、無理はないかもしれないな。
だが、俺は意味も無くあいつに厳しく接しているつもりはないさ。
あいつが、俺やおまえと同じように十四やそこらでここに来たのなら、そして、俺がもう暫らくこの地にいれたのなら、ここまでする必要もないと、思っている。だが違う。あいつは5歳と言う年齢でこれからこの地で生きていかねばならん。だから、俺はあいつに厳しくあろうと思う。
多少嫌われたとてしかたないさ。甘やかし役は、おまえとシラーンに任せた。よく面倒見てやってくれ俺と同じ名前のあの坊やを、な」
どうだ、俺だっていつも行き当たりばったりじゃないんだそ。冗談めかしそう言って、彼は快活に笑った。
ジュリアス――発音こそ違えど、自分と同じ名を持つその少年が、きっといい光の守護聖になるであろうことを彼は信じていた。
そしてその為には荒療治が必要であり、幼子と言えども既に素質の片鱗を見せている彼がそれに押しつぶされるような狭量の器の持ち主ではないこと、さらにそれはシラーンやこの傍らの少年がやさしくあの幼子を見ていてくれるからこそ、自分も厳しく在れることも彼は十分に理解していた。
もっとも、奴のことだ、そんなことは百も承知で、それでも俺に煩く言うのかもしれんがな。
ユリウスはそう、月光のような銀の髪に冴えた青銀の瞳を持つ友人を思った。
――あいつとの縁もこれまで、か。
そして、この傍らにいる少年や、他の仲間たちとも。

「少年」
ユリウスが言う。
「はい、何でございましょう」
応じる少年に、草原を見つめたまま彼は問う。
「『誇り』とは、何だと思う」
彼とのこういった問答はいつもの習慣だった。
こういう時、ユリウスは決して『正しい答え』を明かすことはない。だた、考えさせ、自分なりの答えを見出させることに意味が在る。
そう思っているようであった。
それと解っている少年は、考えを廻らすように微かに小首をかしげた。
師である光の守護聖自身が司る『誇り』についての問い。
これは、彼との最後の問答なのだ、と、少年は感じ明らかな別れの悲しみをその胸に満たした。だが真っ直ぐに前を見すえ答える。
「『己が己であること』にございましょうか」

人の数だけ想いもあるだろう。それだけに己を貫くことが、ただの傲慢になることも在る。
「郷に入っては郷に」「朱に交われば朱に」。思いやりの心の内にそうやって自分を曲げることはあったとしても、その中でこそ己というものを持ち続けることそうできる―― 心の強さ。
それが誇りではないだろうか。
少年はそう考えていた。
「己を持ち続けるということは、決して(かたく)なにひとつのことを追い求めることでもございますまい。時には振り返り、過ちと気づいたならそれを改むるを恥と思わず。されど、真に信ずる道ならばそのために傷ついたとて進むことのできる自信と、 そう在るための心の有り(よう)、そして強さ。
それが私の考える『誇り』にございます」

聞き終わるとユリウスはゆっくりと頷いた。
瞳には優しい笑みを含んでいる。
成長したな、そんな言葉が聞こえるような笑みだった。
ジュリアスもいつか、自分なりの『誇り』の在り方をみいだすだろう。
そのことにもう、彼はいささかの不安も疑いもなかった。

そして彼は再び草原を見やる

聖地は美しいな。
何処も美しいが、俺はこの風景が一番好きだった。

寥々と渡る風、どこまでも続く草原の緑。
もう、この景色も見ることはないんだな。
そう思ったとき、少年が尋ねる。
「聖地を去った後は、どうなさるのですか……?」
「なあに、故郷の星はもう無いが―― そうだな、この風景ににた場所のある星でも探して穏やかに生きるさ」

草原遠緑(ツァオユェンユェンリュー)

少年が突然言った。
「ツァル……リュ……??なんだって?」
夢の守護聖は微笑む
「故郷で、このどこまでも広がる草原の風景を言う言葉にございます。『草原遠緑』」
「そうか、いい、響きの言葉だ」
彼はそう呟くと草原を渡る風を心に刻みこむように息を吸った。
青い草の香りが心地よく肺を満たす。
「ひとつ約束をしてくれ」
「はい……?」
意外な言葉に少年は怪訝な顔をして青年を見やった。
「別れの時に涙は見せてくれるな」
少年は困ったような顔をして一瞬だけ目を伏せる。
「……そればかりはお約束いたしかねます。泣きたい時は心のままに涙を流すもの、そう思います故」
「男がそれじゃあ、いかん」
(おとこ)であるかどうかなどは関係ありますまい。師や友との別れは誰とて悲しいもの。それに涙を流せずして何を以って人の心の在り(よう)などと申せましょうや。……素直に申されませ、泣かれると御自分も困る、と」
清んだ黒曜石の瞳に見据えられ、ユリウスは参ったな、と苦笑して頭を掻いた。
そうしながらも彼は、自分とは全く違うものの、見栄や外聞、そういったものに一切頓着せず、ただ在りのままに『人として』生きようとする如何にもこの少年らしい精神を好ましいと感じている。
「その通りさ。おまえらに泣かれたら俺も泣きたくなる。だから、泣いてくれるな。
人前で涙なんぞ俺が見せられるか。それも俺なりの『誇りだ』」
少年は穏やかに笑った。けれどその笑顔の瞳の端に微かにきらめくものがある。
「……お約束いたしましょう。決して涙はお見せ致しますまい。貴方と、そして私の誇りにかけて――」

◆◇◆◇◆



その後、聖地を去ったユリウスは美しい草原の惑星で生きることを決める。
穏やかに生きると言ったはずの彼は、それでも穏やかのつもりだったのか(つい)には一国を興しその地に「ツァルファール」と名づけた。
誇り高く強い心の民の生きるその国の名は何処かの星の言葉で、どこまでも広がる草原を言う言葉からとったと、そう伝わる。

そして、時は流れた。
長い長い時の先に、その草原の地で生を受けた者がいる。燃え立つような紅の髪、青銀色の瞳。彼は――



◇ 「(壱)―――飛風〜はやて〜」へ ◇
◇ 「草原の風」目次へ ◇
◇ 「彩雲の本棚」へ ◇