雪譜

(壱)―― 細雪〜ささめゆき〜


はらはらと、雪は降っている。
息を密めていなければ幻のごとく消え去りそうな、細雪であった。

―― どうりで冷えると思えば。
窓の外をの景色に気付いてクラヴィスはそう、ひとりごちた。
いつも安定した気候の聖地と同じくように調整されたこの飛空都市。
ここで雪が降る、ということは差し迫った女王交代の時期を嫌でも髣髴とさせた。
彼は秀麗な眉を微かにひそめる。
女王交代。
その事実に少し感傷的になったものの、彼にとってその遠い記憶はすでに過去のことでしかない。
時間という名の雪は静かに、しかし確実に心の奥に降り積もり、すべての痛みを感情と共に白く冷たく包み込んでいた。
そう、この細雪のように。

女王の座を新しき時代を担う少女に譲り、かつて愛した人は新しい人生を歩むだろう。
―― 今はただ、幸せであれと願うのみ。
穏やかにそう思った自分に少し戸惑う。
しかし理由は解っていた。
感情を凍りつかせすべてを閉じ込めていた自分にふたたび懐かしい春の光を運んできた金の髪の少女。
遠い昔を嫌が応にも思い起こさせる娘。
それを嫌い、冷たく接してきたつもりだった。
なのに、いつのまにか自分の心にあの、はちきれんばかりの笑顔が刻み込まれている。
愚かにも。
面影を追っているのかもしれないと、考えていた。
しかし彼女と接するたび思い知らされる。
面影を重ねようにも重ねられるはずがない。
あまりに違う。考え方も、行動も。
同じなのは、髪の色と。
そう、名。
―― アンジェリーク。
我知らず吐いた息にガラス窓が白く曇った。

「……今日は、休むか」
今日は金の曜日。残念ながら休みではない。
しかし、いつもたいして仕事熱心ではない彼は、しんしんと降りつづける雪にいともあっさりと出仕をあきらめた。
光の守護聖当たりがまた何か言ってくるかもしれないのは彼とてわかっていたが、いつもの事なのであまり気にならない。
―― 放っておけばいい。
そう思う反面。
ここのところ毎日のように、育成を頼むでもなく執務室を訪れる金の髪の女王候補の笑顔を思い出し、思い直してみる。
そして、そう考えた自分に彼は苦しげな自嘲の笑みをうかべた。
―― また、同じことを繰り返すというのか、私は。愚かなことだな……。
今日、彼女が執務室を訪ねようと、訪ねまいと、関係ないことだ。
どのみちこの時間から行ったところで大層大幅な遅刻に違いない。
サボりを決め込み、踵を返して奥の部屋へと向かおうとしたその時。
窓の外に声が聞こえた。

「おい、この辺はクラヴィスんとこの庭先だぞ、こんなとこ来てどうすんだよ」
「だって、チュピの様子が変なんだもん。まるで、こっちに来て、っていってるみたいでしょ?」
「そういわれればそうかもな。それにしてもゼフェル、いつもこの辺で昼寝してるくせに『こんな所』はないんじゃないか?一番お世話になってるようなものじゃないか」
「っせーなー、ランディ野郎。こんなくそ寒ぃ日に外で昼寝なんてできねーだろうが」

どうやら年少三人組みのようである。
万年反抗期と称される少年が、しばしばここを訪れ木陰で眠っているのをクラヴィスは知っていた。
『真の安らぎ』を彼がいつしか得ることができるかどうかまでは興味がない。
しかしその寝顔からは普段の様子は想像できず、無垢な子供のようなその姿は微笑ましくなくもない。
ときおり森の動物達も訪れて安らぎを得ていく場所だ。
騒がしくされるのでなけでば特に咎める気も無かった。

◇◆◇◆◇

少年達はチュピに導かれ、闇の館の側へ来ていた。
いつもと様子の違う小さな友人にマルセルは不安になる。
「ねえ、チュピ、どうしたの?」
「気のせいじゃねえのか?寒くておかしくなっちまったとか」
マルセルの心配をよそに軽口を叩きながらも、一緒についてくるゼフェル。
そして、余計な突込みをするランディ。
「メカチュピじゃあるまいし」
「オレ様のP−01−S−Wが寒さくらいでおかしくなるわけねーだろ!」
「あっ、あれだよ!」
始まりかけたいつもの不毛な喧嘩は、マルセルの声であっさり断ち切られた。
チュピの降り立った場所のそばに、愛らしい小鳥が凍えて倒れている。
温暖な気候に慣れていたため、急激な気温の変化についていけなかったのだろう。
「ああ〜、すぐに暖めてあげなくっちゃ!」
マルセルは半泣きで小鳥を手に取り、暖めようとするが手がかじかんでいてあまり意味が無い。
とりあえず懐にいれて抱きしめてみる。
「クラヴィス様に、なにか暖めるもの貸して頂けるように頼んでみてはどうだい?」
ランディが目の前に建つ闇の守護聖のひっそりとした館を見ながら提案した。
「げ〜、誰がやんだよ」
もっともな疑問をゼフェルは口にする。
「……みんなで」
さすがのランディもいつもの『勇気』が影をひそめているようだ。
これが他の人の館なら ―― たとえジュリアスの所でも ―― こうも躊躇はしないだろうが、なんとなく気が進まない。
あの無気力な目つきで無言のまま睨まれてしまったなら、年少組みの少年達に何が言えるだろうか?
得体の知れない分、ある意味であの闇の守護聖はジュリアスの雷より恐ろしい。
ところが
「ぼくがいくよ」
マルセルはあっさりそう言うと館に向かい歩き出す。
残った二人は
―― 小動物のためなら何でもするか、マルセルおそるべし。
と顔を見合わせた。

ゼフェル達の思惑とはよそに木々を抜けて歩くマルセルの足取りはいたって軽い。
初めの頃は恐ろしいと思いもした。
けれどもそれは極端な無口が与えるただの間違った印象なだけと気付いた今、 少年はけっこうあの闇の守護聖が好きだと感じている。
ときおり闇の安らぎに誘われてチュピがこの館に迷い込む。
追いかけてきたマルセルをみつけるとふいっ、と視線をそらし向こうへいってしまうがチュピやその他の動物達を見つめる瞳は驚くほど優しいことを彼は知っているのだ。
そして。
それ以上に優しい瞳でアンジェリークをみていることもマルセルは知っている。
もっともそれは当の闇の守護聖が気付いていない様子なのだが。

マルセルが館の呼び鈴を鳴らすより早く庭に面した窓が開かれた。
「……暖炉に火が入っている……勝手に上がれ……」
クラヴィスはにこりともせずそう言うとすぐに窓を閉めてしまう
。 それがどことなく照れ隠しのようにおもわれてマルセルは窓の向こうの館の主に
「ありがとうございます。クラヴィス様」
と大きな声で言うと嬉しそうにぴょこん、と頭を下げた。

◇◆◇◆◇

赤々と燃える暖炉の火の側で小鳥はどうやら一命をとりとめたようである。
礼を言う少年達に対し、クラヴィスはいつものようにけだる気に言った。
「……べつに。私はなにもしてはいない……凍えて死ぬのも運命なら、誰かに拾われて助かるのもその鳥の運命だろう……」

ランディがさっきまでの緊張はどこへやら、明るい笑顔でクラヴィスに語り掛ける。
「そういえば、さっきアンジェリークがクラヴィス様を探していましたよ。今日は執務室へいらしてないようだと言ったら、風邪でもひかれたかと心配してました」
その時。
ゼフェルがなんとなく面白くなさそうにクラヴィスをみやった。
が、ランディやマルセルは気付かなかったようである。
「……用が済んだなら……疾く、立ち去れ」
そっけない物言いにちょっとランディが残念そうな顔をする。
「あ、すみません、じゃ、失礼します。……行こう」
彼は二人を促して立ち上がり部屋を出た。
ふと、ゼフェルが立ち止まり振り返る。
マルセルとランディの足音が玄関へ向かったのを確かめてから、クラヴィスに向って口を開いた。

「おめーよお、ちったあなんか……もうすこし……だあああーっっ!!うざってえ!」
自分でもなんと言っていいのかわかりかねている様子だ。
言葉が繋がらぬままに顔を真っ赤にして、しきりに頭をかきむしっている。
「…………」
アンジェリークの話題が出たときの彼の視線に気付いていたクラヴィスは無言で少年をみやった。
当人に悪気はないのだが、その態度がいかにもどうでもいい、といった風情なのでついゼフェルも頭に血が上り声を荒げる。

「おめーがそうやってなんにも言わねーなら、俺が……俺がアイツをかっさらってっちまうからなっ!それが嫌ならなんとかしやがれってんだ!」

それだけを一気に言って、一呼吸おくと煌く紅の瞳で年長の守護聖を睨み付け彼はダッシュで外へ向かった。
少年としては。
闇の守護聖の態度に一喜一憂するアンジェリークを見ているのが辛かったのだ。
どうにかしてやりたいと思いながらも。
自分ではどうすることも出来ない。
それが一層、情けなかった。
「……けっ」
不思議そうに声をかけた友達達を無視して追い越し、さっきよりも少し強く降りしきる雪の中を全速力で駆ける。
白い雪が、頭に、肩に、腕に、うっすらと積もってゆくが、不思議と冷たさや寒さは感じなかった。
その感覚に、ふと、無表情のままそれでも小鳥のために色々準備していたクラヴィスを思い出し、 ―― でも俺、あのオッサンのことそんなに嫌いじゃねえや。
そんなことを思っている少年であった。

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