故郷の土地は変らない風景で美幻を迎えていてくれた。
碧翠の水をたたえ悠久にゆく
江
そのほとりに艶めかしく寂しくゆれる秋の柳
遠く険しくも幽幻とそびえる仙山
蒼穹の天に漂漂と浮かぶ彩雲
西の森へと帰りゆく雁の群れ
そして
糖葫盧を売り歩く商人の口上
子を背負った女達の世間話
夕食の支度どき、家の竈から立ち昇る湯気
せまい路地に遊ぶ幼い子等と
それを呼ぶ母の声
(糖葫盧→さんざしの砂糖漬けを串刺したお菓子)
すべては変らずに、そこにあった。
それはあまりにあたたかで、幾度と無く思い出し、そして届かなかったはずの温もりに満ちた
――― 懐かしい、故郷の風景であった。
だというのに。
何故、こんなにも、心がせつないのか。
あれほどに憧れた故郷の風景。
故郷の酒を飲みながら、想い出したは必ずと言っていいほど、
この、目の前に広がる風景ではなかったか?
美幻はその訳を知っている。
あの愛しい朋等のいた聖地もまた、自分の故郷であったということを。
そしてなによりも。
彼は天を仰ぐ。そこに在るはずの月は見えない。
梨華……おまえがいない。
ここには、おまえがいない。
もう、どこにもいない。
こんなにも、おまえを想っているというのに!
この
天漢の何処を探しても、もう……
思君不見―――君思えども見えず―――

峨眉山月半輪秋―――
峨眉山月 半輪の秋
影入平羌江水流―――影は
平羌江水に入って流る
夜発清渓向三峡―――夜
清渓を発して
三峡に向かう
思君不見下渝州―――君思えども見えず
渝州に下る
(「峨眉山月歌」李白:峨眉山・平羌江・清渓・三峡・渝州、すべて地名)
仙山に 昇る上弦 秋の色
月影は 水に滲んで 流れゆく
夜に旅立ち 山峡に 向かえば
月の姿は消え失せて
愛しいあなたも何処にもいない
そしてひとり
私は 旅を続けゆく
梨華に出会ったのは花咲く春の日。
そして今は、冷たい風の吹く秋であった―――
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