静夜思君不見 P>
勧酒 P>
いつもの四阿、向かいで盃を傾けている夢の守護聖に闇の守護聖は静かに言った。 「私は昔、この庭で ―― やはり、今日のように梨花の舞い散る夕の刻。 梨の花の精に会った。あれは、幻想なこの庭の見せた、幻か。 どう思われる、メイファン殿」 あれが幻などではないことを、実はクラヴィスはわかっている。 ただ、明日この地を去ろうとしている人の、心の奥に沈殿する何かを確かめておきたかったのである。 もしも、自分が尋ねられたとしたら黙ってその場を去るであろう問いを口にしたのは、 やはり長年、兄とも等しく慕った夢の守護聖相手だからであろう。 「それは、幻。美しい、な。されど私はその幻に恋をした。―― 遥か、遠い昔のこと。 そうか、そなたも見おったか。あの、華の精を」 クラヴィスはその応えに、ふ、と笑みを零し、メイファンの盃に酒を酌する。 彼の中でそれはけして『遠い昔』などではないことを感じ取り、それでもなお漂々と典雅に我が道をゆくこのひとに、 敬意を表さずにはいられなかったのである。 メイファンの方もクラヴィスが浮かべたその笑みに、 彼の中の想いが少しずつながらも、琥珀の中の胡蝶のように、静かに結晶していることを感じ取る。 もう、案じることはあるまいか。 そう思って、少しだけ安堵してため息を零す。 そのため息にクラヴィスは怪訝な視線を向けた。 メイファンはくつくつと笑うと、 「いや、随分と大きゅうなったと思うてな。昔はこんなであったに」 手で、玉造りの円卓の辺りをさして、その高さを表す。 今では、クラヴィスはメイファンの背を十分に超していた。 「…………」 僅かに眉をひそめて言葉を継げずにいるクラヴィス。 幼い頃を知られているだけに、彼には頭が上がらない。 「そのように、睨むでない。美人が台無しぞ」 そう笑って、庭の向こう側に目をやり、ある人影に気付く。 (註:日本と違い、男性に対しても、「美人」という表現をします) 「それ、もうひとり、大きゅう育った輩が来おった」 ジュリアスは、向こう側の四阿に夢の守護聖を見つける。 闇に紛れて良くは見えないが(見えなくても一向にかまわないのだが)隣にはクラヴィスも居るようである。 少し湿気を含んだ穏やかな風に、夢の守護聖のそれなりに長い黒髪がなびいている。 そういえば、彼が髪を結わなくなったのはいつのことだったろうか。 四阿に向かい歩きながらそんなことを考える。 昔、彼は正装をする時は必ずそのつややかな黒髪をひとつに結い上げ、珍しい冠の中に納めていた。 好奇心旺盛であった自分は、それが『 ふいに、あるきっかけを思い出す。 先の女王が始めて自分達の前にそのかんばせを露わにしたあの日。 あの日から、彼は髪を結っていなかったのではなかったか。そして、その後も、ずっと。 遠い昔、『夢の叶うまじない』と言って、自分の額にくちづけた夢の守護聖。 その彼の抱いた夢は、果たして叶うことがあったのだろうか。 ジュリアスはそんなことを思った。 ◇◆◇◆◇ 「そなたがいると、何ぞ辺りが明るうなった気がするな」豪奢な金の髪、純白の衣を纏った光の守護聖に椅子を勧めながらそう言った。 「お誘い頂き、御礼申し上げます」 そう言って会釈し、椅子に腰掛ける。 隣のクラヴィスは明後日の方向を見ている。 それを何かいいたげにちらりと見やったが、ジュリアスは沈黙を保っていた。 「図体ばかり大きくなりおって、中身は全然かわっておらんな」 そんなふたりを気にも留めずそう言うと、メイファンは三つの盃になみなみと酒を注ぐ。 「こうして三人で酒を酌み交わすは、初めてぞ。気付いておったか?」 ふたりが幼い頃は、よく三人でお茶を飲んだものだが、酒を飲める年頃になるといつしか闇と光のふたりは疎遠となり、三人酒を酌み交わすような機会はなかったのである。 もっとも大人数での馬鹿騒ぎや、ふたりでの酒は、幾度もあったのだが。 「実は、昔から夢があってな。今宵はふたりに、それを叶うて欲しい」 メイファンは実に悪戯っぽくそう言った。 彼のその言葉に、ふたりはそれぞれの反応を示す。 クラヴィスは 「……?」 と無言で怪訝そうな視線を向け、 ジュリアスは 「……なんでしょうか」 と、彼にしては珍しく恐る恐る尋ねる。 いかにも、何か含みのある夢の守護聖の台詞であった。この警戒心まるだしの反応は無理も無い。 しかもふたりには、その「夢」のなんたるか、大方の見当がついているのであるからなおさらである。 ―― 宇宙史上極悪の相性のこの相手と、仲良くなれ、という夢なら、絶対に叶うまい。 ふたりは同じことを考えている。 同時に同じ事を考えているのだから、相性が悪いわけではないのかもしれないが…… メイファンはといえば、彼らの考えなど、お見通しである。 「……今後一切喧嘩はするな、などと、絶対に不可能な望みなど持たぬよ。」 と、やけに、意地悪く言う。 そして、駄目押し。 「……いかにそれがこの年寄りの真の夢だったとしても、そのほう等に聞く耳などあるまいよ……よよよ……」 扇で顔を隠し(いささか演技の入った)ちいさな声でつぶやく。 ―――なにが『よよよ』だ、『年寄り』だ!この人は、絶対に自分達で遊んでいる…… ふたりは、また同時にそう思った。 その扇の影で、笑いながら舌を出している彼の顔が見えるようである。 クラヴィスが呆れたようなため息を吐きながら、尋ねる。 「……で、何が望みと……?」 ジュリアスも仕方が無い、といったふぜいで言った。 「不可能なことでなければ、聞かないでもありません」 「そうか!聞いてくれるか」 瞬間、ぱちん、と扇をたたむと、嬉々としてそう言うメイファン。 その黒曜石の瞳がきら〜ん。と耀いた気がしたが、ふたりはそれに気付かないふりをする。 しかし、自分の言った言葉に、いささかの後悔を抱いたのは無理の無いことである。 メイファンは、にやり、と悪戯っぽく笑う。 「では、この三つの盃、同時に飲み乾し、義兄弟の証としようぞ」 ふたりの顔が青ざめたような気がした。 今度はメイファンがそれに気付かない振りをする。 ―――メイファン殿とならともかく、何故、こいつと義兄弟!? 彼らの心の叫びが聞こえるようである。(ジュリアスの声が、より、大きいようだ。) 「よもや、たかが盃一杯、同時に飲み乾すが不可能というのではあるまいな……?」 彼は、いつから酒を飲んでいたのであろうか、こころなしか目が据わっている。 クラヴィスは、すでに諦めたか、ふ、と笑う。 ジュリアスがそれを見て 「何が可笑しいっ!」 と、青筋を浮かべていつもの台詞を言う。 「……これが……笑わずにいられるか……」 ぼそりとつぶやく。 そして、だんだんどうでもよくなってきたのであろう、こう続けた。 「……生まれはおまえの方が早かったな…兄……は……おまえか」 ジュリアスがさらに青ざめたような気がした。 「めまいがする」 そうつぶやく。 その様子に、クラヴィスはこころなし、だんだん楽しくなってきたのであろう。 要は、彼は真面目なジュリアスをからかうのが楽しいのだ。 そして、ジュリアスもいちいち真面目に反応するから救いがない。 クラヴィスが言う。 「……不服か?では……弟がよいか」 その時、風が吹いて白い花びらが辺りに舞った。 メイファンは優雅にそれを、袖や扇で煽ぐと、三つの盃に器用に浮かべる。 ジュリアスが怒りで失神する前に、メイファンが言った。 「さあさ、つべこべ言わず、乾すとしよう」 こうして、メイファンとの別れの盃は涙無く酌み交わされた。 (別の意味の涙はあったかも知れないが) それは、このお気楽な性格の夢の守護聖、最後の聖地の夜に相応しい時間だったかもしれない。 勧君金屈巵―――君に勧む 満酌不須辞―――満酌 辞するを 花発多風雨―――花 人生足別離―――人生 別離 (「勧酒」于武陵) 翌日、聖地の門で、メイファンを見送るべく、一同が会していた。 「あなたと飲めなくなるのは流石に寂しいな」 カティスが言いながらワインを手渡す。 「そうよの。だが、そなたとは一生分以上に飲んだようにも思うぞ」 そりゃそうだ、と緑の守護聖は笑った。 「次の夢の守護聖に会えなんだのが、心残りぞ……」 「あ〜、その事は、私達に任せてくださいね〜」 面倒見の良い地の守護聖の言葉に、安心したように頷く。 「この後は、どうなさるおつもりですか」 ジュリアスの問いに 「そうよの、ひとたび故郷の地に戻り、その後は、春の花を追って、気の向くままに」 そう、答える。 いかにも彼らしい返答に、クラヴィスは、ふ、と笑みを零した。 メイファンは、光と闇の守護聖にそれぞれ付き慕ってどことなく仲の悪いオスカーとリュミエールを見やってから、 ジュリアスとクラヴィスの肩を、ぽんぽん、と同時に軽く叩くき、そしてにっこりと笑って言う。 「兄弟仲ような」 守護聖全員の前で爆弾発言を落としたまま、彼は悠々と聖地を去っていった。 これは、いつもと変わらない、穏やかな聖地の1日の、1頁の出来事である。 ![]() 聖地での美幻様のお話は、これでおしまい。 だから、この後の話は、所謂蛇足である。BR> メイファンが去ったあと、ふたりを除いた守護聖達は、彼の最後の言葉を反芻していた。そして最終的に ―― 気のせいだったことにしよう という結論に達したのである。 その時、残りのふたり、クラヴィスとジュリアスはこんな会話をしていた。 「『餞別』は無事、お手元に届くであろうか」 「……おそらくな」 ◇◆◇◆◇ 蛇足と知りつつ、餞別の中身を知りたい人は―◇「その【5】 ◇「静夜思君不見(目次)へ ◇ ◇ 「彩雲の本棚」へ ◇ うははは〜。クラ様とジュリ様、義兄弟だよ。義兄弟! 妖しい響き。 でも、三国志等をお読みの方はご存知かと思いますが、別に珍しいことではないのです。 (例:桃園の誓い) |